第21話スコーン(後編)
「お待たせいたしました」
「わあ……なんだか、本格的なセットだね。なあに、これ?」
「ふふ。本日は、アフタヌーン・ティースタイルにしてみました。――スコーンでございます」
私の目の前には、映画や高そうなホテルで見るような、三段になったお皿のツリー(?)が出てきた。隣にはティーセットも添えられている。
真ん中に、もこもことふくらんで、きれいなきつね色に焼き上げられたスコーンが並んで、いい香りを漂わせている。
上には新鮮なフルーツが盛られ、下にはジャムが2種類と、白いクリームのようなものが添えられていた。
「どうぞ、スコーンは上下に半分に割って、お好みでジャムやクロテッドクリームをつけてお召し上がりください」
「クロテッドクリーム?……って、この白いやつのこと?」
「はい。牛乳を一晩煮詰めて、乳脂肪分を集めたクリームです。スコーンにとっても良く合いますよ」
「へえ……初めて聞いた」
まずはスコーンを一つ、お皿にとる。
まだほかほかで、温かい。香ばしい香りに食欲をそそられる。
言われたとおりに半分に割ると、雲のように膨らんだスコーンは、ぱかりと綺麗に割れた。
まずはそのままかじってみる。
サクリ。
「わあ……これだけでも美味しい」
表面はサクッとして、中心はしっとりと。嚙めばほろほろと崩れ、小麦の風味がしっかりと感じられる。
パンともビスケットとも違う、独特の味わいだった。
次はクロテッド……?クリーム、というのをつけてみよう。
スコーンにぺたりと塗りつけ、ぱくりと一口。
「! すごい濃厚だね! このクリーム」
口当たりはまったりと滑らかで、とっても濃いミルクの風味と甘み。なのに後口はすうっと消えて、全然しつこくない。
焼きたてのスコーンと合わせて食べると、新鮮なミルクと香ばしい小麦、サクッとした食感にぽってりとしたクリーム。塩気と甘みが絶妙だ。
「ジャムと一緒につけるのもおすすめですよ」
「そうなの?」
少女の言葉に、添えられているジャムを見る。
ストロベリージャムと、ブルーベリージャム。
言われたとおり、まずはストロベリージャムとクリームを合わせて食べてみる。
サクリ。
「ん~!」
思わず声を上げてしまった。
「美味しい! 甘くて酸っぱくて、濃厚で香ばしくて……」
クリームの魅力、甘酸っぱいジャムの魅力、それらがスコーンによって存分に引き出されている。それにまた、添えられたそれらによって、スコーンの素朴な美味しさがさらに引き立てられている。
これらがセットで出されている意味が良くわかった。
一緒に食べることで、単体で食べるよりもお互いの魅力を何倍にも高めあっている。
そして、紅茶。
香りの良い紅茶との相性の良さは言うまでもなく。
そしてまた紅茶で口の中が潤いさっぱりとすることで、また次の一口、次の組合せへと次々に誘われる。
そうしているうち、出された一皿を、またたく間に、私はぺろりと食べきってしまっていた。
満足げなため息がもれる。
それを見て、少女は嬉しそうに笑っていた。
「いかがでしたか? お客様をイメージして、お出ししたのですが」
「私?」
思わぬ言葉に、目が点になる。
「こんな美味しいお菓子の、どこが私だっていうの?」
「……そんなに、意外ですか? お客様の、素朴で、どなたともなじめそうな雰囲気が、スコーンにぴったりだと思いましたけれど」
「誰ともなじめそうな……」
少女に悪気はないのだろうけれど。
その言葉に、私はひどく引っかかるものを感じた。
引っかかってしまった。
「そんなもの、いいことじゃないんだよ」
「え?」
びっくりしたように、少女は目をぱちくりとさせる。
「誰とでも仲良くなんて、そんなことできるわけないじゃん。みんな好きなものも、嫌いなものも、好きな人も嫌いな人も違うのに。それなのにみんなと合うんだったら、それは私が皆に合わせて自分を変えてるってことなんだ。嘘をついてるってことなんだ」
「嘘を……」
「私はただ、自分がみんなから悪く思われたくないから、誰ともけんかしたくないから、みんなにいい顔をしているだけなんだよ。自分の意見を言わずに、みんなに合わせているだけなんだ。そんなのみんな分かってる。気付いてるんだよ。だから私は、八方美人だって言われている」
少女は黙って私の言葉を聞いている。
「私がやっているのは、そんなによくないことかな? 陰口を叩かれるようなことかな? 私は、みんなと上手くやりたいだけなのに。誰にも、嫌な思いをさせたくないだけなのに。『みんな』と仲良くするのはいけないことなの? どこかのグループに、誰かの派閥に、入らなきゃいけないの? そんなの、私には、意味がわからないよ。みんな上手くいっていれば、それが一番いいじゃない」
気付いたら、言いたい放題、思いのたけを少女にぶちまけていた。
私ははっとする。
こんな、自分より年下の幼い少女に――私はいったい、何を力説しているんだろう。
自分の情けなさに、子供っぽさに、嫌気がさしてきて、私は口をつぐんだ。
黙った。
「お客様の、おっしゃる通りだと、思いますよ」
「――え?」
てっきり呆れているか、面倒くさがられているだろうと思った少女の言葉に、私は驚く。
「『みんな上手くいくのが一番いい』。いいではないですか。素敵なことです。それの何がいけないのですか?」
「…………。だって、みんな、八方美人だって……」
「それは、本当に皆さんがそう仰ったのですか?」
「……」
「ごく一部の方が、そう仰っただけではないのですか?」
「……」
「もちろん、お客様が、色んな方の悪口にのっかって、便乗して、そういった悪意への加担をそこかしこでしていたとするなら――それは褒められたことではないかもしれません。でも、そうだったのですか? お客様がしてきたのは、したかったことは、悪意の拡散なのですか?」
「違う! 違うよ。そんなつもりはなかった。そんなことは――」
「そうでしょう。お客様はそんなことをしていない。ただ良かれと思って、相手に気持ちよく喋ってもらおうと思って、話を合わせていた。よい聞き役であろうとした。それ自体は悪いことではないでしょう。自分の主張を抑えて、相手を立てる。献身的なことです。――ただ一方で、否定をしないのは、一種の肯定です。相手の悪意に対して。それは、いかがですか?」
少女の言葉に、私はまたも黙らされた。
――心当たりが、あったからだ。
「相手のことを思って、相手に話を合わせる――それはともすると、裏返せば、自分が良く思われたいから、相手に媚びるということにもなりかねません。それは、時に反感を招くでしょう。お客様にそういう部分があったなら、そうした一面をとらえて攻撃されることもあるかもしれません。そういった所は、改善の余地があるかもしれません。――でも、お客様の本心は、本音は、そういうことではないでしょう?」
「私は……」
「場がしらけないように。スムーズに会話が進むように。みんなが楽しく会話できるように。――そういう、周りを思いやる心が、根底にはあったからではないですか」
「……」
「あまりご自分を批判されないよう。お客様を見たとき、私は思いました。素朴で柔らかで、とがっていなくて、添えるものの魅力を引き出し、また自身の魅力も引き出される、まるでスコーンのようだって。――スコーン、いかがでしたか?」
「あ……。と、とっても美味しかった、よ」
「それは、光栄です。でしたらそれが、私のお客様への印象です。一部の方の意見で、あまり落ち込まないでください。あなたを快く思っている方も、良い部分を見てくださっている方も、きっといます」
「……」
少女の言葉に、私は単純に嬉しかった。
結局、私は単純な人間なのだ。
怒られたら悲しいし、笑ってもらえれば嬉しい。
私の目からきらりと光る何かが、ぽろりと落ちる。
青色の、美しい宝石。
「カイヤナイトの鱗ですね。とっても綺麗です」
少女が拾って言う。
「……ここ、ただのお菓子屋じゃないんだね」
なんとなく、私も気付いてきた。
「あなたも、ただの子供じゃない。見た目どおりの、小さな女の子じゃないんでしょう?」
私の質問に、少女は首をかしげた。
「さあ……。私が誰なのか、それが、私自身にも、良くわからないのです」
***
気付けば、いつもの教室だった。
あの可愛らしい少女も、美味しいスコーンも、影も形もない。
――でも、私の口は、確かにあの味を覚えていた。
「ねえ、橋本さんも、そう思わない?」
「へ……えっ? あ、ごめん! ぼーっとしてた」
突然クラスメートに話しかけられ、動揺する。
「だから、倉木さんのことだって。あの子――」
そうしてまた、話しかけてきたクラスメイトは、くだくだと悪口を述べてきた。
くだらないことだ。
強いて言うまでもない、取るに足らないことだ。
些細な欠点を取り上げて、グループで盛り上がって、うさを晴らしている。
いつもは適当に流しているけれど、今日は、言ってみた。
「――うん、そういうところもあるかもしれないけど、あの子はそんなつもりはなかったかもしれないね。少し、言い方が悪かっただけかも」
途端、場がしんとなった。
みんな、意外なことを聞いた、というように目を丸くしてこちらを見ている。
(……やっぱり、言うんじゃなかったかな?)
若干後悔しながらも、困ったように笑っていると。
「……あー。まあ、そういう見方もあるかもね」
「別に悪気があると決まったわけじゃないしね。――あ、ていうかさ、昨日のテレビ見た? あの芸人まじで――」
そのまま、いともあっけなく話題はテレビ番組へとシフトしていった。
その後も絶え間なくおしゃべりは続き、話題は変わり続ける。
くるくると。軽々しく。
女子学生のおしゃべりなんてこんなものだ。
「……ふう」
波風を立てずにすんだことに安心しながら、席に座る。
いつものように次の授業の準備をするふりをしながら、休み時間をやり過ごす。
やり過ごそうとした、とき――。
「あんた、そういうことも言うんだね」
その声に、びっくりして私は振り返る。
後ろの席の真咲さん。
私と同じように一人でいることが多いけれど、私とは全然違う人。
なんていうか、一匹狼、みたいな。
一人でいるのが好きで、それをなんとも思ってない。
どこか超然とした、周りを離れたところから一人で見ているような、そんな人。
その真咲さんに話しかけられたことに、驚いた。
「いっつもへらへらしてるだけかと思ってたけど。そういう風に――マイナスに乗っからずに、バランス取るのは、なんかいいね」
そう言って、真咲さんはにやりと笑った。
その笑顔は、とてもかっこよかった。
私はこれからものらりくらりと生きるだろう。
なるべく波が立たないよう、凪いだ日常を送るために。
だけどそのときに、そんな風に笑ってくれる人がいるのは嬉しいと思った。
乗っかるのは、プラスの追い風だけに。
和やかさのためだけに。
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