第20話スコーン(前編)

「――ね、あの子ってさ」

 廊下の曲がり角、その影から聞こえてきた声に、私はしまったと思い、とっさに引き返そうとした。

 でも、間に合わなかった。


「ほんと、八方美人だよね」


 聞こえてきた台詞に、身体がこわばる。


「橋本さんねー……。 別に悪い子じゃないけどね。でも、何考えてるか、わかんない感じ」

「誰にでも話合わせてるんだよ。はいはいって頷いてれば、やり過ごせると思ってるんじゃない?」

「ちょっと、あんまり言いすぎないほうがいいって。……けど、確かにね。愛想笑いなの、丸分かりだもんなあ」

「誰かが私たちの悪口言ってたとしても、相槌うってるんだよ、きっと」


 ようやく動いてくれるようになった身体に、急いで踵を返しその場から離れたので、そこから後の話は聞かずにすんだ。

 橋本さん。

 ……まあ、言うまでもなく、私のことだ。


 教室に戻り、席に着く。

 次の時間の授業の教科書を出して、特に勉強熱心なわけではないのに、ぱらぱら眺めてみたり、机に伏せて居眠りしてみたり、休憩時間をやり過ごす。

 別にいじめられているわけではない。

 でも、いつも一緒に行動するほどの、仲の良い友達もいない。


 クラスの中で、浮かないように、目立たないように、空気のようにふわふわと漂っている。

 それが私だ。


 別に損をしているわけではない、と思う。

 ただ、休憩時間になると途端に暇をもてあましてしまったり、お昼休みに、何も気にしていませんよ、という顔をして一人でお弁当を食べたりするのが、居心地がいいかと言われると、そんなに良くは無い。

 あとは、たまに、さっきのようなことを言われる。

 つまり。


(八方美人、かあ……)

 始まった授業を、ほどほどに聞き流しつつ、さきほどのことを回想する。

(私は、ただ、みんなと波風立てずに付き合っていきたいだけなんだけどなあ……)

 皆から好かれたいとは思わない。

 でも、皆から嫌われたいとも思わない。


 そんな風につかず離れず、あたりさわりなく接しているつもりなのだけど。

 これまでにも、たまに言われた。

(八方美人……。そんなに媚を売っているつもりはないんだけど、そういう風にみえちゃうのか)


 嫌われたくはない、ので――

 悪く言われると、つまり、普通にヘコむ。

 胸の辺りがずんと重くなる。


(いや、あれくらいのことで気にしていたらきりが無いって。悪い子じゃないって言われてたし。うん。でも、私の愛想笑いってそんなに見え見えなのか……)

 そんなことを考えながら、しくしく痛む内心に気付かないふりをしつつ、ぼーっとしていたら。


「……!?」

 いきなり、景色が切り替わった。

 静かで落ち着きのある内装の、アンティークカフェ。

 そんな感じの店内に、自分が座っている。


「え? きゃああっ!」

 理解しがたい事態に、悲鳴を上げて立ち上がったが――

「――お、お客様。どうか落ち着いてください」

 慌ててかけよってきた小さな人影を見て、私の悲鳴はぴたりとやんだ。


 だって、12歳くらいのその少女は、銀髪紫眼の、超絶に可愛い女の子だったから。

 おもわず、状況も忘れてぽかんと見入ってしまった。


「い、いらっしゃいませ。異空菓子処『ノン・シュガー』へようこそ」


 とりあえず(強制的に)落ち着いた私に、少女は説明をする。

 いわく、ここは異空間にあるお菓子屋さんであること。

 メニューは無いかわりに、代金も発生しないこと。

 ただし、お菓子に満足したら、その気持ちをお代としていただくこと。


 にわかには信じがたい。

 けれど、目の前に現実のものとは思えないほど整った顔立ちの少女がいる。そして、日々の喧騒から切り離されたような、この空間――。それらが合わさって、なんだか現実離れしたような雰囲気に呑み込まれていた。


「お金はいらないの……?」

「はい」

「じゃあ……食べてみよっかな」

「はい。それでは、こちらでお待ちくださいませ」


 そう言ってお店の奥へ引っ込む少女。

(これも、流されたってことになるのかな……?)

 またしても相手に対して、なあなあの反応を返してしまった自分にため息をついて、私は椅子の背もたれに身を預けた。


***


 本日のお客様は、くせの無い、おとなしい方ですね。

 そんなお客様には――そうだ、あれをお出ししましょう。当たりの柔らかい、お客様に良く似合うレシピです。

 ティーさんの紅茶とも、相性は抜群です。


 材料は全て冷やしておきます。

 薄力粉とベーキングパウダーをあわせてふるい、グラニュー糖とバターを加えましょう。カードでバターを切りながら粉類とすり混ぜていきます。溶けないように手早く、手早く。

 さらさらになったら、牛乳と卵黄を加えて切るように混ぜます。出来た生地は冷蔵庫で寝かせてから型抜きし、オーブンで焼き上げます。

 そして、これにかかせないものを添えて――。


 さあ、お客様にお届けしましょう。

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