第19話ティータイム
シャラン。
軽やかに金属が触れる、繊細な音が響き、私たちは店内に入りました。
「あ……、紅茶のいい香り……」
扉を開けた途端、ふわんと華やかでフローラルで、少しだけ香ばしい、おいしそうな匂いがただよっています。
「ね? だから、ティーなんだよ。身もふたも無いネーミングセンスだろう?」
くすくすと笑いながら、フィーニスさん。
「うるせー。いーんだよ、わかりやすけりゃあ」
ウロさんはあくまでもふてぶてしいです。
と――。
「いらっしゃい。珍しいわね、二人一緒なんて――って、あら?」
「わあ……」
店内にいたのは、とても綺麗なお姉さんでした。
20代後半でしょうか。つやつやとした深緑色の髪の毛を、後ろにまとめ上げています。清潔感もありつつ、すらりとした首筋や後れ毛に、女性らしい色っぽさもありました。
「そちらの、可愛らしいお嬢さんは? 新人さんかしら?」
「ああ。店主として、紹介するのはきみが初めてになるよ、ティー。優しくしてあげてくれ」
どうやら、ティーさんとフィーニスさんは、何度も顔を合わせているようです。
自然な様子で会話を交わしています。
「まあ、そんなこと、言われなくても」
ティーさんは、それから、優しそうに微笑んで、言いました。
「はじめまして、お嬢さん。私は、ティーと呼ばれているわ。あなたのお名前を、うかがってもいいかしら?」
「あ、は――はい! 私は、シュガーといいます。いいます……というか、ウロさんにそう名づけていただきました」
「あら、あら」
お姉さん、いえ、ティーさんはくすくすと笑いました。
そんな姿も優雅で美しいです。
「シュガーちゃんね。ということは、何か甘いもののお店を開いているのかしら?」
「あ、はい。私は、お菓子屋さんを……」
「全く。うーくんのネーミングセンスにも、困ったものね。そのくらいなら、もういっそのこと、『紅茶屋』とか『甘味屋』とか、屋号で呼べばいいのではないの?」
「うーくん!?」
仰天しました。
うーくん呼びです。
「ウ……ウロさんのことですか?」
「あら、あなたはウロさんと呼んでいるのね。――ええ、そうよ。そちらの、髪の長いお兄さん」
「ったく、やめてくれって俺様も言ってんだがな。一向に変えやがらねえ」
言葉は乱暴ですが、ウロさんは、もう諦めたというように肩をすくめています。
「すごいです……」
私にとっては、少しこわい――いうなればびびっている、ウロさんに対して、おそれのない振る舞いです。
どうやらティーさんは、見かけによらず、芯の強いところがあるようです。
「さあ、どうぞ。みんな、そんなところにいないで、席に座ってちょうだい。せっかくだから、紅茶でも飲んでいってちょうだい」
そういってティーさんはてきぱきとティーセットを取り出しました。
つるりとした陶磁器の、綺麗なティーポットに、ティーカップです。
店内の壁には、ガラス瓶に入った色とりどりの茶葉がずらりとならんでいます。
その種類の多さにわくわくしてしまうほど。
「おいで、シュガーちゃん。ありがたく、ご馳走になろう。ティーのいれる紅茶は、絶品だよ。なにせ彼女の専門だからね」
「俺様にはちっと上品過ぎるがなー。たまには酒でも飲みたいもんだぜ」
「おあいにく様。当店ではお酒は取り扱っておりません。香り付け程度なら別ですけどね」
おしゃべりをしながらも、ティーさんは優雅に動いています。
まずはお湯をポットとカップに注ぎました。
「こうして、紅茶を入れる前に、陶器を温めておくのよ」
ポットのお湯を捨ててから、ティースプーンにこんもりと茶葉をすくい、ポットに3杯。
「お湯は、沸騰したてのものを使うのがポイントね。ポットに注いだら、すぐふたをして、蒸らしてあげて」
白く細いティーさんの指先が、器用に動きます。
お湯が注がれるたびに、こぽこぽと、優しい水音がして、なんだか心が静かになるようでした。
「今日の茶葉は大きいから、4分蒸らしましょう。ゆっくり、充分に茶葉を開かせてあげるの」
蒸らし終わると、カップのお湯を捨て、紅茶を注いでいきます。
白いカップに、明るいオレンジ色の透きとおった紅茶が注がれ、うつくしいコントラストを描きます。
ふわん、と。
うっとりとするような、紅茶の良い香りが私を包みました。
「さあ、これで出来上がり。今日の紅茶は、ダージリンのセカンドフラッシュ――5~6月に収穫される、二番摘みの葉ね。『紅茶のシャンペン』と言われるくらい香りが良い紅茶だから、シンプルにストレートで飲むのがおすすめよ」
私は、そっとカップを手に取りました。
あたたかくて、いい香り。
熱々の紅茶を、ふうと冷ましてから、こくりと一口。
「わあ――おいしい」
ほっこりと、のどを温めて流れ落ちていく紅茶。
鼻に抜ける、まるでマスカットのようなフレーバー。爽やかな香りの中にも、感じる充分なコク。ほど良い渋みもあって、存分に紅茶を楽しめます。
「うん。いつも通り、ティーのいれる紅茶はおいしいね」
「けどあっちーんだよなー」
「紅茶は温度を下げないことが大事ですからね。ふふ、なあに。蛇なのに、猫舌なの?」
「うっせ」
おいしい紅茶を飲んで、皆さんのやり取りをみていると、自然と顔がほころびました。
「――よかった。シュガーちゃん、いい笑顔ね」
「え?」
思わぬ言葉に、ティーさんをまじまじと見つめました。
「最初は気を張っているようだったから。――突然、わけもわからないままお店をやることになって、大変な部分もあったのではない?」
私は絶句しました。
今までの今まで、そんなことは考えたこともありませんでしたが――。
言われて初めて。
私は気付いたのです。
自分が、とても緊張していたことに。
記憶もなく。
自分が何者かもわからず。
お店を始めることになって。たくさんの人と出会って。たくさんのお菓子を作って。
毎日新鮮な驚きがあり、得るものがあり。
そして何より、お菓子を作ることが大好きだったから。自分はお菓子を作らずにはいられないことを、私の身体が覚えていたから。
だから、今まで続けてくることができました。
それでも――そうでした。
分かってしまいました。
私は、緊張していました。そして、気を張っていました。
思わず目を閉じます。
紅茶の温かさに。ティーさんの言葉に。
肩の力が抜けて。
固くこわばっていた心もほどけて。
このお店で、自分が『お客様』になることで。
私は、初めて、安堵して笑うことができたのです。
「紅茶にはね、リラックス作用のある旨味成分が含まれているの。でも、それだけじゃなくて、その香りと温かさ。それに私は何より、こうして親しい友人と、楽しくお話しながら飲む時間、そのひと時そのものが、私たちを癒してくれると思うのよ」
「親しい友人だってさ、嬉しいことを言ってくれるよね」
「おめーはほんっと、どんな時でも軽いよな」
軽口を叩き合うフィーニスさんとウロさんに、私はくすくすと笑います。
本当に、そうでした。
こうやって過ごす時間。それ自体が。
この上もなく、心地よい、ティータイムなのです。
***
帰りがけ、ティーさんは茶葉のセットをくれました。
「シュガーちゃんのお店なら、紅茶を出す機会もあるでしょう。お菓子と一緒に、是非うちの紅茶も使ってあげてちょうだい」
「遠慮なくもらっとけよ。そのためにおめーをここに連れてきたよーなもんだ」
お返しには、当店の焼き菓子を差し上げました。こうして物々交換をする限りには、鱗は必要ないようです。
(焼き菓子は、ウロさんがお店の在庫を宙に取り出してくれました。どうやったのかはわかりません。まあ、ウロさんですから。なんとかしたのでしょう)
「それじゃあね。またいつでもきてちょうだい、シュガーちゃん」
「はい。ティーさん。今日は本当に、ありがとうございました」
挨拶をかわして、ティーさんと別れます。
名残惜しいですが、また、会うこともできますから。
私は、私のお店に帰りましょう。
「じゃあね、シュガーちゃん。これでティーのお店には道ができたから、次からは君一人でも行けるよ。ティーのことを思い浮かべて、扉を開ければいい。それじゃ、また」
ノン・シュガーに戻ると、フィーニスさんはにこやかに手を振り、去っていきました。
「今日のあいつの目的は、ティーとお前を引き合わせることだったんだろ。まあ、またふらっと来るかもしんねーが、適当に相手してろ。んじゃ、俺も帰るぜー」
いつの間にかぬいぐるみの姿に戻ったウロさんも、今日の分の鱗を一呑みにして、帰っていきました。
あとに残ったのは、いつものお店と、私一人。
いいえ、違いました。
残ったのはもう一つ。
ティーさんにいただいた、美味しい紅茶。
今度は、紅茶に合うレシピも考えましょう。
お菓子と一緒にお出しすれば、お客様にも、もっと喜んでいただけるはずです。
お客様の自分は終わり。
紅茶と一緒にいただいた、この温かい気持ちも。
今度は、当店のお客様にお返しいたしましょう。
次は、どんなお客様にお会いできるでしょうか。
そして、どんなお菓子を作りましょうか。
それを楽しみに、今はこの扉を閉じましょう。
――パタン。
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