第17話フルーツタルト(後編)

 少女が奥に消えていき、待っている時間はひどく心地よかった。

 ここはまるで外とは違う時間が流れているようだ。

 いつも分刻みで時間と移動に追われていた毎日。

 けれど、今は、時計を気にすることも無く、暖かで心地よい照明の中、椅子の背もたれに身体をあずけ、ゆったりとくつろいでいる。

 目を閉じれば柱時計の音が聞こえる。

 このまま眠ってしまえそうだった。


「お待たせいたしました」


 快い感覚に浸っていた僕は、少女の声にはっと身を起こした。

 そして――

「うわあ……!」

 思わず歓声を上げる。


 運ばれてきたのは目にも鮮やかなケーキだった。

 赤、紫、緑、黄、橙――形良く切られた色とりどりのフルーツが、こぼれんばかりに盛り付けられ、ランプの光を受けて万華鏡のようにきらきらと煌いている。

 ホールから少女が切り出してくれたその一切れは、瑞々しい切り口をさらしたフルーツを、たっぷりのクリームが受け止め、黄金色に香ばしく焼き上げられた土台がそれを囲っている。


「フルーツタルトでございます」

「カラフルだね! 華やかで、とっても目を引くよ」

「どうぞ、召し上がってください」

「うん、ありがとう。いただきます」


 僕は嬉々としてフォークを入れる。

 力を込めると、ザクリと小気味いい音と感触がして、タルト生地が割れる。

 ケーキのパーツを満遍なくフォークに乗せ、ばくりとほおばった。

 プツンとはじけるベリーの甘酸っぱさに、よく熟した黄桃やバナナの甘み、キウイやオレンジの爽やかな酸味……、様々なフルーツの味わいが口内にあふれる。

 ほどよい甘さのクリームはなめらかにとろけ、ザクザクと噛みしめるほどに砕けるタルトの食感がアクセントになる。


「美味しい!」

 素直に口走っていた。

「甘くて酸っぱくて香ばしくて……ああ、この食感も……」

 いいながらも、フォークはとまらない。


 ザクリ。プツリ。とろり。ザクザク。

 噛むたびにくるくると味が変わる。

 ああ、食べ物をゆっくり味わうのなんて、久しぶりな気がする。

 美味しいものを食べるのは、こんなに幸せなことなんだ。


 最後にタルトの背の部分、こんがりと焼かれた香ばしい生地をたっぷりと味わい、僕は一切れを食べ終わった。


「ごちそうさま――すごく、美味しかったよ」

「お気に召していただけて、何よりです」

 そして少女は言う。

「お客様」

「ん?」

「フルーツタルトの主役は、何だと思われますか?」

「主役? ……そりゃあ、やっぱりフルーツじゃないかい? 色とりどりで華やかだし、メインを張っているのは、果物だよね」

「そうですか。では――フルーツタルトを、フルーツタルトにしているもの、それたらしめているものは、なんだと思いますか?」

「フルーツタルトを、それたらしめているもの……?」

 少し考えて、僕は言った。

「タルト生地……かなあ。それがないと、タルトじゃないし」


 答えると、少女はにっこりと笑った。

「私もそう思います」


「フルーツタルトの主役――花形は確かに、フルーツでしょう。いかに品質が良く美味しいものを、豊富に、どれだけ美しく盛り付けるか。それによって、出来が大きく左右されることは確かだと思います。しかし、そのフルーツも、それだけではただのフルーツです。甘く受け止め、フルーツの甘酸っぱさを存分にいかすクリーム、そして何より、全てを調和させ、支えてくれるタルト生地の存在があればこそ、フルーツタルトはフルーツタルトになるのです。――お客様は、このタルト生地のようだと、私は感じました」

「――え」


「主役であるフルーツは、お客様の会社の商品。それを最も生かしてくれるクリームは、お客様の会社の皆様。そして、お客様自身は――営業というお仕事は、タルト生地でしょう。決して前面に出ることは無く、下にしかれ、熱く焦がされ、一見地味で虐げられているパーツのようです。――ですが、実際には、それが無くては、商品と、会社の皆様をつなぎ、調和させ、完成させた形でそれを提供することはできません」

「……」


「さらにそのうえで、タルト生地は、それ自体が、香ばしさとザクザクした食感で、ケーキの味においても重要な役割を果たしています。タルトというケーキにおいては、ある意味、タルト生地こそが隠れた主役とも言えるでしょう。お客様がいかに提案先に対して魅力的に接するか、いかに商品や従業員と調和し、もっとも生かすことのできる状態で提案することができるか。それが、お客様がしているお仕事だと、私は思います」

「……」


「とても、大変なお仕事でしょう。とても、つらいお仕事でしょう。でも、決して意味の無いつらさではありません。意味のないお仕事ではありません。お客様がそうして働いていらっしゃるからこそ、フルーツは輝くのです。フルーツタルトは美味しくなり、そして成り立つのです」

「意味のない仕事じゃ、ない……」


「はい。ですからもう、何のために働いているか分からないなんて言わないでください。商品、同じ会社の人、取引先。全てのために、あなたは必要とされています。それでもつらいときはあるかもしれません。そんな時は、どうぞ弱音を吐いてください。好きなものを食べたり、音楽を聴いたり、本を読んだり、映画を見たりするのもいいかもしれませんね。そうして色んなものを吐き出しながら、くじけるだけくじけ終わったら――あなたを必要としている人たちのもとに、帰ってきてください」

「……」

「少なくとも、当店はいつでも、お客様を歓迎いたしますよ」

「……はは」

 笑っていた。自分が情けなくて。

 こんな少女に慰められている自分が。

 そして、それを、悪く思っていない自分が。


「困ったな。きみのおかげで――またあの毎日に戻る気になってしまったよ」

 少女は、微笑んで頷いた。

「応援しています」


***


 店の外へ出ると。

「あれ……?」

 不思議なことに、腕時計を見ると、店に入ったときから全く時間が経っていなかった。

 後ろを振り返っても、今出てきたはずの菓子屋はどこにも見当たらない。


 なぜだか、動揺はしなかった。

 あの不思議な場所は、ただの菓子屋ではないことを、なんとなく感じていたからかもしれない。

 でも――いいさ。心配ない。

 あの少女は、いつでも歓迎すると言ってくれたのだから。

 必要になったら、きっとまたあの美しい少女と、美味しいお菓子に会えるだろう。

 

 とりあえず、今は。

「さて……、行くか」

 さあ、顔を上げよう。そして歩き出そう。

 僕を待っている人たちがいるから。


***


「ウロさん、見てください。今日はスモーキークォーツの鱗です。シックな色合いで、かっこいいですね」

「ししっ、俺様にとっちゃー単に鱗は鱗だぜ。毎度あり」

「見せがいがないですねえ……」

「んで? 次の材料は何にすんだ?」

「そうですね、次は」

 私は告げました。


「ベーキングパウダーをお願いします」

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