第9話スフレ(前編)
「――お疲れ様。今日の商談は、良かったんじゃないかしら。相手の食いつきもよかったし、いい返事が期待できるかもしれないわね」
「あ、ありがとうございます!
後輩である
でも――。
「だけど、なあに? 提案するときのあの態度は。もっと自信満々に、流れるように説明していかないと。あなたの穏やかな性格は利点でもあるけれど、ちょっと押しが弱すぎると思うわ」
「そ、そうですね。すみません……」
ああ、違う。こんなことを言いたいんじゃないのに。
まずは頑張りをねぎらってあげて、それから一緒に、プレゼンの成功について喜びを分かち合いたいのに……。
どうして私は、こんな憎まれ口しか叩けないのだろう。
いつもいつも。
「朱里先輩は、さすがですね。入社は僕と1年しか変わらないのに、プレゼンテーションもすごく上手で……。商品の説明も、すごく分かりやすかったです」
「まあ、私が開発した商品だからね。魅力も、売りどころも、私が一番よく知ってる。新商品は、自分の子供のようなものよ。上手に紹介してあげないと、わが子がかわいそうだもの」
「自分の子、かあ。朱里先輩、たしか入社四年目でしたよね? まだ若いのに、そういう感覚があるのって、やっぱり女の人だからかな。――朱里先輩って、結婚とか、考えたりすることあるんですか?」
「――ごほっ!ん、な、なに急に。今は仕事中よ。プライベートの話なら後にして」
「あ、そ、そうですよね。すみません」
全く。な……なによ急に、恋愛の話とか。
動揺するじゃないの!
入社して四年目。
開発部の人間として、営業部の人間と一緒に外回りをすることも増えてきた。
とりわけ一緒になる機会が多かったのが、一つ下の後輩、柊君。
少し中性的な整った顔立ち、穏やかで優しい性格。
やや主張するのが苦手なところがあり、営業においてはそれがデメリットになることもあったが、それでも一緒にいると温かい気持ちになるその柔らかさを、私は気に入っていた。
でも――。
「あ、その道! そっちに行っちゃだめよ。距離は短いけど、信号が多くて時間がかかるわ。こっちの道に曲がって。……営業なら、交通事情にも詳しくなっておかなくちゃだめよ?」
「あ……そうなんですね。わかりました。教えていただいて、ありがとうございます」
柊君はにっこりと笑う。
まただ……。
また私は、先輩風を吹かせてしまう。
決して、柊君をいじめたいわけではない。けれど、先輩としてしっかりしなければいけない、後輩に教えられることはたくさん教えてあげたい、そんな気持ちが先走って、ついつい口うるさくなってしまう。
そんな私の発言にも、柊君はへこたれもせず、いつもアドバイスをもらえて嬉しいとばかりに、にこやかに笑って礼を言うのだった。
なんてかわいいんだろう……。
私は、そんな柊君に、間違いなく好感をもっている。
なのに。
「さあ、今日の報告書をまとめるわよ。早く会社に帰らなくっちゃ」
「あ……そうですね。はい、帰りましょう」
こんな風に、口から出る言葉はつんけんしたものばかり。
もう……なんで私はこんなに可愛くない女なのよ!
今まで何度も一緒に仕事をこなしている。一度くらい、お疲れ様とねぎらう食事にでも誘いたいと思っているのに――ほがらかに会話を交わすことすら夢のまた夢だ。
ビジネス上のやり取りをこえて、個人的な言葉を交わすことがこわい。
だって、もし拒絶されたら?
先輩だからこそ、柊君はこうして笑顔を向けてくれるだけで、仕事以外でのつきあいなど望んでいないかもしれない。
そう考えると、せめて立派な先輩でありたいと、そう振舞うことで精一杯だった。
私は柊君に聞かれないように、うつむいて小さくため息をつく。
そうして次に顔を上げたとき、私はわが目を疑った。
「えっ!?」
今の今まで、柊君の運転する社用車に乗っていたはずなのに、気がつけば見知らぬ場所に座っていた。
よく手入れされた、年季を感じさせる木製の家具に囲まれた室内。壁や棚には、趣味の良いアンティーク調の雑貨や小物が置かれている。
ランプの照明が優しい、居心地の良い空間だった――だろう。本来ならば。
だけど私は、落ち着くどころではなかった。
「ちょ、ちょっと! 何、ここ。どういうことよ!?」
ガタンと椅子を跳ね除け、立ち上がる。
思わず叫んでしまっただけで、返事は期待していなかったのだが――。
「は、はあい。少々、お待ちくださいね。」
店内――店内? だろう、多分。カフェかなにか、飲食店のような印象を受ける――の奥から、慌てたような声がした。
ひどく幼い。
少女のような声だった。
「お客様。お、お待たせいたしました。異空菓子処『ノン・シュガー』へようこそ」
出てきた人物をみて、さらに驚いた。
青みを帯びた柔らかそうな銀髪に、アメジストのように煌く紫色の瞳。
まるでファンタジーの世界から抜け出てきたような、砂糖細工みたいに可愛らしい女の子だった。
声の印象どおり、かなり幼い。12歳くらいに見える。
「あ、えっと……菓子処? あの、ここ、お菓子屋さんなの? ――っていうか、私なんでこんな所にいるの!? さっきまで、柊君と一緒にいたのよ! 急にいなくなったら、彼が心配する――」
「お、お客様。戸惑われるのは分かりますが、どうか落ち着いて」
一回り以上も年下の女の子になだめられるという、なかなか無い経験を経て、落ち着くことはできないにしても、私はとりあえず、声を荒らげることだけは抑えた。
「なんなの……。あなた、お父さんかお母さんは? 私、早く帰らないと」
「父も母もいません。ここは私一人で運営しています。それと、外のことですが、ご心配には及びません。――どうぞ、腕時計をご覧になってください」
「腕時計? ――って、うそ!?」
時計は、全ての針が――秒針も含めて――その動きを止めていた。
「これ、電波時計なのよ!? プレゼンがあるから、時間が狂ってないのは今朝、確認したばかりなのに……」
「ここは、外とは隔絶された空間。ここで過ごしている時間は、外の世界には影響しません。ここから出れば、元通り。こちらにくる直前の瞬間へと、戻ることができます」
にわかには信じがたい。
でも、瞬きをする間に、自分がいた場所が変わっていたのも事実だ。
「ここからは……どうしたら出ることができるの?」
「そのまま、出ていただいても構いません。 ――ですが、ここは甘味処。金銭は不要ですので、せっかくですから、何か召し上がっていきませんか? 腕によりをかけて、おもてなしをさせていただきます」
「金銭――無料ってこと?」
「はい。お金はいただきません。その代わり、メニューについては、お任せの1品のみとさせていただきます」
不思議な申し出ではあったが、商談で神経を使って、甘いものが欲しくなっているのも事実だ。今も、店内に漂う甘い匂いに、私の空腹はひどく刺激されている。
もし本当に、時間が止まっているというのなら――。
戸惑う部分はあるものの、幾分、店内の不思議な雰囲気に呑まれていた私は、
「いいわ。なんだかよく分からないけれど――ここまで来ちゃったんなら、ついでだしね。ありがたくいただいていくことにする」
思い切って、そう返事をしていた。
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