第8話カスタードプリン(後編)
充分な時間が経ってから、私は少女を呼んだ。
「小さな店員さん。おられるかな?」
厨房から、おずおずと顔を出す銀髪の少女。
「ありがとう。あなたのもてなしは、大変すばらしかった。突然の来店にも関わらず、素敵な菓子をたべさせてくれたこと、お礼を言わせてもらうよ」
「いえ――。喜んでいただけたなら、私にとってそれ以上嬉しいことはありません」
「お代をお支払いしなくてはいけないね。おいくらだろうか?」
「え!? え、ええと……」
何故か少女はうろうろと視線をさまよわせる。
どうしたというのだろう、まるで、代金のことなど考えてもいなかったというような様子だが。
その時、少女の後ろからひょこっと、なにかが顔を出した。
「お代は、その鱗でかまわねーぜ。紳士のおっさん」
思わず。私は硬直する。
それはぬいぐるみだった。蛇の。
蛇が喋っている。
「あ、ああっと、こ、これは腹話術でして――あ、あ~」
慌てて少女が声真似をするが。明らかに似ていない。
それにそもそも、少女の手はぬいぐるみに触れていない。にも関わらず、蛇は雄弁にその口を動かしている。
「あー紳士のおっさん。まあ細かいこたー気にすんな。ここは外の世界とは、ちっとばかり勝手が違ってな。不思議なことの一つや二つ、まあ気軽に流してくれや。ししっ」
「蛇さん、お客様にはもう少し丁寧に……」
自分でも分からないが、この店内では、どんなことが起こっても、不思議ではないような気分に包まれていたのだ。
「お。ほらみろよ。紳士のおっさんは見逃してくれるってよ。察しがよくて助かるぜ」
「その……。蛇の君。鱗とは、一体なんだろうか?」
「それだよそれ。あんたのハンカチに包まれてる、その鱗だ」
「ハンカチ……? ああっ?」
言われて、ハンカチを開くと。
そこにあったのは、
平たい楕円形で、とても美しい。
だが、これは、私の持ち物ではない。こんなものは、先ほどまで存在していなかった。
「ここでは、外の金は必要ねー。けど、その鱗はこのお嬢ちゃんにとっては大事なもんでな。今日の稼ぎとして、こいつにわたしてやっちゃあくれねえか」
「蛇さん!? でも、こんな高価そうなもの……」
ためらう少女に、私は心を決めた。
「どうぞ、お嬢さん」
「え!? でも……」
「これは、私が持ち込んだものではない。この場で生じたものなら、こちらにお返しするのが必然と言うものだろう。それに、お代を金銭で支払えないというのなら、私にはこれくらいしかお渡しできるものがない」
「そういうこった。その鱗、どうせ店の外にもちだしたら消えちまうぜ。お嬢ちゃん、この紳士のおっさんの気持ち、受け取ってやれよ」
鱗を差し出し、私は待った。
やがて、少女の手が、おずおずとそれに触れる。
そうして、鱗は少女の手に渡った。
「毎度あり! これで売買成立だ。紳士のおっさん。そろそろ、あんたの世界に帰る時間だぜ」
蛇の言葉に従うように、この店に入店したときの扉が光を帯びている。
ああ――そうだ。妻と娘の下に帰らなければ。
「ご馳走様。美味しかったよ。名残は惜しいが、私は私を待ってくれる家族のところに戻る。――素敵なプリンを、どうもありがとう」
そう言い残し、私は扉に手をかける。
「あ、あのっ!」
慌てたような声がした。
「お、美味しそうに食べてくださって、ありがとうございました! とても嬉しかったです!」
懸命な少女の叫びに、思わず微笑する。
こんなに必死に、客に礼をする店員もなかなかいるまい。
私は、振り返り、一礼して扉をくぐった。
さあ――家に帰ろう。
***
バタン、と扉が閉まる。
「……行ってしまわれました」
「そりゃそーだろ。食い終わったら、客は帰るもんだ。まあまあ、お嬢ちゃん。最初にしちゃー上出来な店員ぶりだったぜ」
「へ、蛇さん。なんだか、夢中で動いているうちに、なんとかなっちゃいましたけど……。鱗とか、一体なんだったんですか?」
「お、そういや説明が後になっちまったな。――まあ、簡単に言えばよ」
蛇さんは口を開きます。いえ、ぬいぐるみのデザイン的には、もともと口は開いているのですけれど。
「この店に来る奴は、みんな何かの悩みを抱えてるんだよ」
「悩み……ですか」
「ああ、そうさ。っつっても、大したこたーねえ。小さな悩みさ。――少しばかり、美味いもんを食ったことで気持ちが軽くなるような、な。到底解決の役にも立てねーような、でっかい悩みを抱えてる奴は、ここには来ねー」
「……」
「あんたは、客の話を聞く。そうして、客のために菓子を出してやる。話をしてやるのもいい。そんで、少しでも客の心が動かされたなら――客は、鱗を落とす。今のおっさんみたいにな」
「……鱗」
「こいつは、俺の鱗だ」
「ぬいぐるみなのに、鱗があるんですか!?」
「おい。反応するのはそこかよ……。あのな、これは俺の本当の姿じゃねえ。お嬢ちゃんのために、あえてファンシーにしてやってんだよ。目ー覚まして真っ先にリアルな蛇がいたら、お嬢ちゃん、驚くだろうが」
驚くどころではありません。多分卒倒します。
「俺の鱗っつーか。正確には、こいつは俺の養分になるんだ。――こんな風にな」
あーん、と。
蛇さんは、鱗をほおばりました。
ごくりと。蛇らしく、丸呑みです。
……せっかく、綺麗でしたのに……。
「お嬢ちゃんは、この店を運営する。そんで、たまった鱗を俺に渡す。俺はそのお返しに、食材を提供する。――それと、記憶もな」
「記憶も!?」
「俺とお嬢ちゃんは、連動してるんだよ。俺に貢献し、俺の力が増した分だけ、お嬢ちゃんの霧も晴れる。自分が何者かも、思い出してくるってもんだ」
「……」
「だから、精々がんばんな。美味いもん作って、お客を満足させてやれ」
言われるまでもありませんでした。
プリンを作っているときの楽しさ。
そして、お客様が食べて喜んでくれたときの高揚感。
それは、私自身が何よりも求めているもの。記憶がなくても、私自身の魂が、自分がそれを生業にしていたことを覚えているようでした。
「望むところです。是非、私に、このお店をやらせてください」
はっきりと。
私はお願いしました。
「ししっ。いい心がけだ。んじゃあ……店の名前を決めなきゃな。んん。『ノン・シュガー』でどうだ」
「『ノン・シュガー』!? なんですか、それは。お菓子なんですよ? 甘いんですよ? それなのに
「いーんだよ。お客を満足させられなきゃー、お嬢ちゃんは鱗をもらえねー。満足させられたなら、お客は鱗を渡さなきゃー店からでられねー。ギブアンドテイク。充分ビターなお店だと思うがな」
「そうまとめられると追いはぎみたいですね……」
「ま、俺様がお嬢ちゃんに用意してやった店だ。名前くらい、俺様が決めさせてもらうぜ。ししっ。……と、そうだな。お嬢ちゃんも、名前がないのは不便だし。お前にも、何か名前をつけてやんなきゃー。んー……」
1秒でした。
「シュガーだな。甘いもんつくるから」
「
「ん。仮名だけに、『ノン・シュガー』。いいんじゃねーの。店の名前とも釣り合いがとれて」
「お話を聞いてくださる気はないんですね……」
ともあれ、そんな風に。
異空菓子処、『ノン・シュガー』は、始動いたしました。
***
「ん、そーいや、今鱗を1枚もらったからな。1個だけ、材料補充してやるぜ。何がいい?」
私は息を吸い込み、断固として主張しました。
「薄力粉!」
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