鵺の啼く夜

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鵺の啼く夜

 この物語をはじめるにあたって、ひとつお断りをしておきたいことがある。

 通常、歴史ないしは伝奇物の物語においては、

「講釈師、見てきたような嘘をいい」

 などという文句があることからもわかるように、語っている内容がすなわち史実であるという姿勢を貫くことがお約束となっている。

 もちろん、数十年から場合によっては何百年も前の出来事など実際に目撃できるはずもなく、通常、その手の物語というのは記録に残っていることを仔細に調べた上で想像ないしは妄想で補った上で形作られているわけだし、物語を受容する側の人々もそれを前提としてわきまえているわけだが。

 今回の題材とした鵺退治の物語などは、その概要のみであるのならばかなり広く知られている。

 源頼光による鬼退治とまではいかないまでも、そこそこ知られた伝承であるからだ。

 しかし、その細部となるとどうか。

 この伝承の中で、鵺退治を行ったとされている人物の名を即答できる人が、果たしてどれくらいいるだろうか。

 仮に、その人物、源頼政の名を知っていたとしても、その頼政が実際にどのような人物であったのか知っている人は、さらに少なくなるはずだ。

 この源頼政という人物は実在しており、歴史的にもそれなりの足跡を残している存在なのであるが。

 今回はそのことも含めて、少し詳しく物語っていこうと思う。


「なんとも、夜が騒がしいのでございます」

 その日、孫王という年若い僧侶に呼びだされた頼政は、そのように告げられた。

「はて、夜が騒がしいとは」

 頼政は、重々しい口調で応じる。

 この孫王という十なるかならずやという年頃の少年は、この時点では僧侶という身分でしかない。

 が、のちに後白河天皇となる雅仁親王の長男として生誕している。

 まぎれもなく高貴な血筋を引くお方であり、こうして出家していなければ、この年の三月にようやく美福門院昇殿を許された従五位下という身分でしかない頼政などと、親しく口をきける間柄でもなかった。

「ヨがね、啼くのです」

「ヨ、でございますか」

 頼政は、戸惑いながらも復唱した。

「ヨならば、啼くくらいはしましょうぞ」

 ここでいうヨとは、すなわち、現在ではトラツグミとして知られる鳥のことを指す。

 夜の暗闇の中で啼くことと、それにその啼き声が意外に太く、不気味に聞こえることなどから、貴族の間ではこの啼き声を凶兆とする向きもある。

 が、しがない摂津源氏である頼政にはそうした高貴な方々の風は知らず、ヨといえば無害な野鳥の類にしか思えない。

「啼くだけならばいいのですが」

 孫王は続けた。

「場所が、問題です」

 夜な夜な御所で啼き声を響かせて、帝を悩ませているそうなのですよ、と、孫王は続けた。


「帝を」

 そういったきり、頼政は黙りこんでしまった。

 今の帝は、もともと病弱なたちであらせられると、そのように聞いていた。

 であれば、たかが鳥の鳴き声で気落ちすることはあるのかも知れない。

「それはいけませんな」

 心の底から、頼政はそういった。

 源氏とはいえ従五位下に叙せられているこの頼政、皇室に対する忠節に偽りはなかった。

「いけないのです」

 孫王は、いう。

「ひどく、いけない。

 ここだけのことですが、呪詛を疑っている者もいます」

「それは」

 頼政は絶句した。

「そこまで深刻なのでございますか?」

「深刻、なのです」

 孫王は、深く頷く。

「なにしろ、関白様から法皇様の方に、雅仁親王の息童への譲位をと、奏請が来るくらいですから」

 いよいよ、頼政は言葉を失う。

 関白とは藤原忠通、法皇とは鳥羽法皇、そして、雅仁親王の息童とは、つまりは、今頼政の目前にいる、この孫王のことだ。

 従五位下の頼政などにはうかがい知れない雲の上の人々、その動向である。

 いや、それよりも、そうした方々が、すでに今の帝がお隠れになることを前提として動きはじめていること自体が問題なのであった。

「むろん、関白様は方々から強く諌められ、断念なされたわけですが」

 頼政の沈黙をどう解釈したのか。

 孫王は、涼しい顔を崩さぬままにそう続けた。

「このままにしておくわけにはいけません」

「確かに、そうだろうは思いますが」

 頼政はもっともらしい顔をして反駁した。

「しかし、なにしろ相手は空を飛ぶ野の鳥です。

 一羽ニ羽を射落としたところで、御所の周辺から完全に取り除くことはできないでしょう」

「ヨを狩るのではありません」

 孫王はきっぱりとした口調で告げる。

「帝を呪うもののけを、退治するのです」

「……もののけ、でございますか」

 この場にはふさわしくない言葉が孫王の口から出たことで、頼政は難しい顔になった。

 このときすでに頼政は摂津源氏を率いる身でり、大内守護の役職も与えられている頼政は、徹底したリアリストであった。

 その手の怪異のたぐいなど、その存在すら信じていない。


「頼政氏」

 孫王はたどたどしい口調でいった。

「そなたと同じ源氏の義家氏は、かつて弓弦を鳴らして怪異を退けた故事を持つお方。

 それにちなんで、こたびも源氏である頼政氏に、清涼殿に取り憑いた不吉なもののけを退散させては貰いたいのです」

 ああ。

 と、頼政は合点した。

 つまりは、この孫王は、今の御所を取り巻いている不吉な雰囲気を払拭するために、頼政に一芝居売って欲しいと、そういっているわけであった。

「しかし、この頼政」

 頼政は重々しい口調で応じる。

「一介の武辺者にて、悪霊やもののけへの処し方は一向に詳しくはなく。

 具体的になにをすればいいのか、とんと解せませぬ」

 通常の武家の者が、その手の素養を持つはずもない。

 悪霊退散だの呪詛返しだのならば、坊主でも陰陽師でも呼べばいいのではないか。

 心中で、頼政はそんなことを思う。

「なに、形だけでいいのですよ」

 孫王は軽くそう流した。

「義家の血を引く頼政氏が御所まで足を運んでもおのけを逃散させた。

 そのような事実さえあれば、帝も京の民草も心安らかになりましょう。

 もちろん、帝以下の人心も、今よりはずっと穏やかになるはずです」

 弓弦の音は邪気を払うと聞きます。

 夜中に御所にでも訪れて、四方にむかって弓弦の音でも響かせてやればよろしいのではないでしょうか、などとつけ加えた。


「そのようなことでよろしければ」

 ようやく、頼政は頷く。

「それで、帝のお心がいくらかでも軽やかになるのであれば」

 無理難題ならばともかく、その程度のことであれば実行するのは難しくもない。

 なにより、そんな気休めで床に伏せがちな帝の気が晴れるのであれば、とそう思い、頼政は幼い孫王の依頼を飲み込んだ。


 ものののけ退治をする日時は、これから吉日を占わせて決めるという孫王に別れを告げ、頼政は一時京の屋敷に戻る。

 大内守護の役職を受けていた頼政は、摂津の屋敷とは別に、京にも屋敷を構えていた。

 屋敷に戻る道すがら、頼政はそれとなく行き会った人々に御所で起こっている怪異の噂について聴き込んでみる。

 京童の間ではそれなりに有名であるらしく、帝が長いこと患っているのもその不吉なもののけの仕業なのではないか、と噂する者も多かった。

「なんでも、ヨに似た声で啼く怪異であるらしいと、そう聞いております」

 そう答える者も多い。

 鳴き声についてはかなり広まっていたが、そのもののけの姿をじかに目撃したものはいないらしい。

「お上も長く患いついて心細うなっておりますから、たかが鳥の声でも不気味に聞こえるのと違いますか」

 と、端的にそう意見を述べる者もいる。

 頼政自身の意見も、ほぼこれに近い。


 このときの帝、のちに近衛天皇と号されることになる人物は、この時点で十四、五才程度の年齢にある。

 かぞえでわずか三歳のときに崇徳天皇から譲位され、以来、帝として君臨してきた。

 このような若年でまともに政務を行うなどできようはずもなく、実際の実務は鳥羽法皇が行っていたという。

 この前後の時代には珍しくもない院政というやつで、つまりは、完全にお飾りの帝といえた。

 もともと病弱なたちではあったが、ここ一、二年はめっきりと病みつき、眼病を患いあわや失明しかけたこともあったという。

 少なくとも頼政は、そうのように聞いている。

 孫王のはなしにもあったように、死線をさまようような場面もあったようだ。

 頼政はこの病弱な今上に対して、不憫であるとも哀れであるとも思っている。

 従五位下という頼政の身分では、頼政がどう思おうが帝を取り巻く状況を改善することなどできようはずもなかったが。

 せめて、お心の内くらいは晴れやかに鳴っていただかねばな、と、そんな風に頼政は思っていた。


 屋敷に帰ったあと、頼政は家人に命じてしまいこんでいた強弓を出させ、弦も新たに張り直した。

 品としては上々であるが、随分と使い込んだ古ぼけた弓で、一説におよるとかの源頼光公が愛用していた弓であるともいう。

 が、これについては頼政自身もあまり信用していない。

 摂津源氏の家に古くから伝わっている以上、そうであることも十分にあり得るのだが、なにしろあの頼光公である。

 坂田公時らの四天王を引き連れて、やれ酒天童子だ土蜘蛛だのを退治したと伝えられているような人物であった。

 その頼光公の弓がこのような場面で咄嗟に出せる場所に保管されているというのは、いささか出来過ぎというものであった。

 ただ、その弓が品としては上物であり、なおかつ、眉唾ものであるとはいえもののけ退治に縁がある人物と縁がある品であるのならば、頼光としてはこれを利用しない手はない。


 弓の手入れを終えると頼政は家人にむかって、

「イノのやつを呼べ」

 と命じた。

「イノですか?」

 たまたま近くに居た家人がいいよどんだ。

「大内守護の御役目のためならば、もっと頼りになる者がいくらでもおりますが」

「いいから、イノを呼べ」

 頼政は、同じ下知を繰り返す。

「こたびの勤めは、いつものようなものとは違う。

 ああいう、いい加減なやつにこそふさわしいお勤めだ」

 やがて粗末な直垂を身につけた、背が高い太った男がのっそりと頼政の前に現れた。

「珍しくもお呼びでございますか、お館様」

「おお、呼んだ」

 頼政は短く答えた。

「こたびの御役目、そなたのような掴み所がないやつを用だてるぐらいでちょうどよい」

「と、おっしゃいますと」

 イノと呼ばれた男は思案顔になった。

「つまりは、通常のお勤めではないのですな」

「おう、それよ」

 頼政は半ば透けて見えるイノの顔に視線を据えて、孫王から依頼された内容を説明しはじめた。


 このイノ、あるいはイノハヤとも呼ばれることがある男は、とことん詳細が不明な男であった。

 遠江の出だとも聞くが、詳しいことは本人にもわからないらしい。

 当の本人からして、

「それがしは、後世においてその実在すら疑われている人物になりますからなあ。

 その辺りの設定があやふやなのも道理」

 などとわけのわからないことをいって平然としている。

 もちろん、そのイノが発する言葉の意味を正確に理解できる者は、頼政を筆頭にして屋敷の中には皆無であった。

 なにより怪しいのは、このイノと呼ばれる男、昼間でも夜でも体全体が半ば透けて見えるということである。

 それこそ幽霊かもののけの類ではないかと思うものが多かったが、透けて見える以外にはめしも食うし物も掴める。

 つまりは、通常の人間とまるで変わらなかった。

 そんな男が、いつの間にか頼政の屋敷に住みつき、ときおり下男がわりに細々とした仕事をこなしながら暮らしていた。

 かなり風変わりな食客といえる。


「はああ、いよいよ来ましたか」

 頼政の説明を一通り耳にしたイノは、大仰に頷き、例によってまたわけのわからないことをしゃべりはじめた。

「それがしの名が登場するのは各種の史料を参照してもわずかにこの一件のみ。

 つまり、このお勤めに参じることこそそれがしの存在理由。

 たとえお館様が嫌だと申されても必死で食らいついていきますぞ」

「例によっておぬしのいうことはまるで飲み込めん」

 頼政は身も蓋もないことをいった。

「が、おぬしの剣の腕は頼りになる。

 いざというときにはわしの盾にでもなるつもりで心がけよ」

「それはもう、お任せのほどを」

 イノは、ひょうげた様子で頼政に一礼をした。

「あの鵺めにとどめを刺すことこそ、それがしの存在理由であるゆえ」

「鵺?

 今、鵺といったか?」

 得体のしれない感情に突き動かされて、頼政は渋面を作った。

「その鵺とは、いったいなんだ?」

「後世においては、得体の知れないものの総称になりますな」

 イノは胸を張ってそう答えた。

「より詳しく説明をするのならば、ヨつまりトラツグミのような声で啼く化物を、いつの間にか鵺と呼ぶようになりました。

 書にすれば夜偏に鳥と書きまする。

 顔は猿で胴体は狸、虎の手足と蛇の尾を持つ怪物だとされております。

 その正体は雷獣であるという説もあるのですが、その説が唱えられるのは今から数えてはるか未来のことになりますからここでは参考に留めておく程度でよろしい。

 どうか、お気になさらずに。

 わは。

 ははははははは」

「相変わらず、おぬしのいうことはいっこうに得心できん」

 頼政は苛立った声を出した。

「つまりは、今、御所を騒がしているもののけがその鵺とやらだと、 そう申したいのか?」

「いえいえ、お館様。

 それは順序が逆というものででございますな」

 イノはドヤ顔で説明した。

「この物語においてはその鵺の存在こそがまず第一の前提であり主役であります。

 それがしもお館様もその他の登場人物も、その鵺の周辺に配置された脇役に過ぎませぬ」

 そのように得意気な様子で意味不明な講釈を聞かされた頼政は、途端に不機嫌な表情になった。

 物語、主役、脇役。

 いつものことながらこやつが口にするたわごとは、頼政にはまるで理解ができない。

 こうした世迷いごとを早口でさも当然のことのごとく説明をされると、なにやら馬鹿にされているような気分になるのだった。

「おぬしがいうことは相変わらずまるで解せぬが」

 頼政は強引にそう続けた。

「その鵺とやらと退治しにいくことに異存はないのであるな?」

「もちろんでございますとも、お館様」

 イノはそういってその場で土下座をせんばかりに腰を折った。

「先ほども申したとおり、それこそがそれがしの存在理由。

 たとえお館様がいくな申しまして、這ってでもついていく所存。

 どうとでも好きにお使いください」

 正直なところをいってしまえば、頼政はこのイノという男があまり好きではなかった。

 より正確にいうのならば、その言動に理解不能な部分が多く、そのために一種の恐れを感じてさえいる。

 猛獣に抱くたぐいの恐怖ではなく、理路の通じぬ狂人に抱くたぐいの恐怖を、だ。

 しかし、その体格からも容易に想像がつく通り、このイノという男は大層な剛力であった。

 さらにいえば、武士の武器といえばまず弓矢があげられるこの時代、この男は珍しくも太刀を能くする、とも聞いている。

 つまり、この体格で剣術の名人でもあるイノは、正体不明の化物であるその鵺とらと対峙をする際の盾役としては適任なのであった。

 仮になんらかの被害をこうむったとしても、まるで惜しくはない頼政配下の使用人、という条件にも合致する。

 この時点で頼政は、清涼殿に出没して帝を悩ませる怪異というもの存在を心の底から信じていない。

 しかし、数々の怪異を退治した頼光公の子孫としては、格好だけでもそれなりに万全の備えをしておく必要があった。

 なにより頼政は宮中を含む皇室の治安を守る大内守護という役職に就いている。

 仮に孫王という依頼者がなかったとしても、不穏な噂を耳にしてそのまま放置しておくわけにも行かなかった。


 数日後、孫王から吉日を知らせる文が届き、頼政はイノを連れて帝がおわす清涼殿へとむかう。

 清涼殿に出るという、ヨの声で啼く怪異は夜に出没にするというから、屋敷からの出立も当然、日が暮れる前後となった。

 京中といえども日が落ちると同時人通りも極端に減る時代であったから、半透明なイノの巨体を引き連れた頼政を姿を目撃した者はほとんどいない、

 この事実は頼政を安堵させた。

 それなりの社会的な地位にある頼政にとって、イノのような異形の者と同道しているところを多くの者に目撃され、あまつさえ詮索されるという事態は苦痛以外のなにものでもない。

 そんなわけでイノを伴った頼政は足早に京の街を駆け抜けてあっという間に清涼殿へと到着する。

 顔見知りであった舎人の者に来意を告げると、すでに孫王から連絡があったのかすぐに中へと通された。

「例の噂について、舎人たちの間ではどのようにいわれているのか」

 案内される道すがら、頼政はその舎人に問うてみる。

「確かに夜の間、ヨの声を頻繁に聞くようになりましたが、それがいわゆるもののけの類だとは到底、思えません」

 その舎人は答えた。

「しかし、それを退治することで帝のお心が休まるのであれば、頼政様がこのようなことをすることにも意味がありましょう」

 どうやら舎人たちの認識と見解は、頼政自身のそれとかなり近いようであった。

 清涼殿に通されたといっても、従五位下という位階に過ぎない頼政は当然のことながら昇殿することなど許されておらず、したがって御所の中で立ち入ることができるのはせいぜい庭先まであった。


「さて」

 頼政は呟く。

「どのように致すべきか」

 現実的な思考と価値観を持つ摂津源氏である頼政は、当然のことながらもののけを退治した経験などわるわけがない。

 頼政は、祖先の源頼光公とは違うのだ。


 周囲は静寂に包まれている。

 ヨ、すなわちトラツグミの鳴き声どころかしわぶきの音ひとつさえ聞こえてこない、完全なる静寂。

 それに、かなり暗くほとんど視界が効かない状態であった。

 いかに帝がおわす清涼殿といえども、夜ともなれば灯りを消して寝入るしかすることがないのがこの時代の常識である。

 頼政もこの時点で多少は目が闇に慣れては来ていたが、それでも見通しが効かないことは変わりはなかった。


「一説によりますと」

 闇の中、唐突に背中からそんな声が聞こえたので頼政はビクリと体を震わせた。

「サルの顔にタヌキの胴体、トラの手足とヘビの尾を持つ鵺とは、すなわち凶兆すべてをたとえたキメラであり、今このときにお館様が行ったのも、実際には四方に矢を放って邪気を払っただけなのではないかと、後世の学者などは申しております」

「その後世の学者とやらが何者であるかはわからぬが」

 背後を振り返り、頼政は告げる。

「その程度のことであれば造作もない。

 また、弦を鳴らすことで邪気を払ったとかいう八幡太郎義家公の故事にも通ずるところがある。

 試しに、そうしてみることにするか」

 弓ということに関していえば、頼政はいささか腕におぼえがあった。

 いくら御所の中であるとはいえ、この時刻に野外に出ている者がいるとも思えない。

 仮にいたとしたら、それこそ不審者ということになるであろう。

 そう思い定めた頼政は、清涼殿の外縁に沿って、端から端まで届くように矢を放った。

 東から西へ。

 西から南へ。

 南から東へ。

 と、頼光公が残したとかいう伝家の弓で、山鳥の尾で作った尖り矢を射っては、その端まで歩いていって矢を拾い、また矢を射るという行為を繰り返す。

 イノはといえば、その頼政の背中について歩くだけであった。

 最後に、頼政が南東の隅から北へ矢を射いけると、これまでとは違い、なんとも恐ろしげな鳴き声が夜の静寂の中に響き渡った。


「来ましたな!」

 これまで頼政の背中についてくるだけで、これまでなにもしてこなかったイノが、吠えるようにそう叫んで頼政を追い越して駆け出していく。

「あれぞ御所である清涼殿を騒がせ、帝を苦しめたもののけ!

 お館様、あとはそれがしにお任せくだされ!」

 頼政が制止する間もなく、イノの声が遠ざかっていく。


 そのものののけの声は、ビョウビョウと聞こえないこともなかった。

 似ているといえばヨ、すなわちトラツグミの声に似ているのかも知れないが、そういった鳥の声よりもよほど太く、いかにも不吉な響きに思える。

 このような不吉な声が夜な夜なあたりに響いてくるのであれば、帝が病みついてしまわれるのも無理は無い。

 と、頼政はそんなことを思いながら、その声がする方角に進んでいく。


 そこでは、白刃を抜き払ったイノともののけととしかいいようがない異形のものとが死闘を演じているところであった。

 サルの顔にタヌキの胴体、トラの手足とヘビの尾を持つ、と、先ほど、イノは鵺についてそのように説明していた。

 その形容が正確なものであるのかどうか、この闇夜の中では、頼政にはしかと見定めることができない。

 しかし、半透明のイノがあまりにも不自然な生命体とぶつかり合うようにして戦い続けているということは、判別するまでもなくわかった。

 もののけ、鵺の鳴き声がひときわ奇怪に響くのは、その叫びが断末魔のものでもあるからだろう。

 イノは、手にした刀剣で着実に鵺のそここに斬撃を浴びせ、確実に弱らせていた。


「わはははははは」

 剣を振るいながらイノは哄笑した。

「これぞそれがしの存在理由!

 このひとときのためにこそ、それがしは存在を許されているのだ!」


 そうしたもののけを前にしても怯むことなく、それどころか喜々として戦いに興じているイノの姿を、頼政は茫然と見守るしかなかった。

 得体の知れなさということでいったら、このイノも、鵺とかいうもののけとどっこいどっこいなのではないか。


 しばらくして、イノの動きが止まった。

 いや、その前に、鵺の動きが止まっていた。

「やりましたぞ! お館様!」

 半透明のイノは振り返り、鵺の返り血を全身に浴びたままの格好で、わらわのように邪気のない笑みを見せる。

 この暗闇の中で、なぜか頼政はイノの様子をはっきりと見ることができた。

「見事」

 頼政としては、そう応じるしかなかった。

「それで、そのもののけというのは?」

「はい。

 死体は、こちらにありまする」

 イノは、大きな声で答える。

「この死体の処理については、後世の伝承でも諸説があって定まっておりません。

 ですから、あとの始末についてはお館様にお任せすることになります。

 いや、そうするより他に道はありません」

「おい、イノ!」

 頼政は叫んだ。

「おぬし、気のせいか、いつもよりも一層、体が薄れている気がするぞ!」

「気のせいではありません」

 イノは、ゆっくりとかぶりを振った。

「お館様。

 こたびの件こそそれがしの存在理由であると、そう申しあげたはずでございます。

 この件以外の文献に登場しない、それこそその実在さえ疑われるようなそれがしが出る幕は、これ以降はないのです。

 従ってもはや存在する意味も価値もなく、つまりはここでお別れでございます」

 そんなことをいっている間にもイノの体はどんどん薄れていき、ついにはそこには完全に何者もなくなった。

 まるで、はじめから、イノなのどという人物はいなかったかのように。


 その様子を毒気を抜かれた気分で見定めていた頼政は、なんともいえない気分で軽く咳払いをし、改でもののけ、鵺の体を検分してみることにした。

「や!」

 そのもののけの、顔の部分を見た頼政は、驚きの声をあげる。

「これは、なんと!」


 イノも説明していた通り、鵺の始末についてはいくつかの説が流布している。

 いわく、祟りを恐れ、死体を舟に乗せて鴨川に流した。

 その舟が漂着したとされる場所がいくつかあり、それぞれに供養されたという伝承や鵺塚を残している。

 それ以外に、鵺の死霊が馬と化し、以降、頼政が飼うことになった。

 などという伝承もある。

 その他に、鵺とは、平家全盛の世を恨んだ頼政の母が、息子の武運と源氏再興を願って竜神に祈願したところ、その姿が変じたものである、など説が伝わっている地方もあった。

 とにかく、この鵺のその後に関する伝承は、この場でそのすべてを網羅する気にもならないほどに異論、異説が多い。


 そうした鵺に関連した伝承のひとつに、このときに回復した近衛天皇が頼政に獅子王と名づけられた一振りの刀を下賜した、というものがある。

 この伝承がどこまで正確なものであるのは、今となっては確かめようがない。

 しかし、この獅子王は頼政の子孫に代々受け継がれ、明治時代に東久世家を通して明治天皇に献上された。

 現在は、東京国立博物館に移管され、外装とともに収蔵されている。


 伝承の中でこそ回復したことになっている近衛天皇であったが、実際にはこのニ年後、十七歳という若さで病没していた。

 もともと病弱な方であり、鵺が退治されたとしても、体調の悪化に歯止めをかけることはできなかったらしい。

 近衛天皇は皇子女を残さなかったため、詮議の結果、まずは孫王の父親にあたる雅仁親王が次の帝として即位をすることになった。

 のちに後白河天皇と呼ばれる帝である。

 こうして、もともと中継ぎとして即位した後白河天皇と、そのあとに即位した孫王改め二条天皇とを持ちあげる派閥同士が争い、さらに別の派閥を巻き込んで騒乱を大きくしていくことになるのであるが……本稿にはあまり関係のない項目であるので、ここで詳細を述べることは避けさせていただく。


 さて、本編の主人公たる頼政は、以後、どうなったのか。

 鵺退治の件以降、しばらくは大過なく過ごすことができた。

 

 鳥羽法皇崩御後に起こった保元の乱において、頼政は天皇方に与してとりあえず勝ち組の中に入ることになる。

 近衛天皇の母親であり、鳥羽上皇の寵妃でもあった美福門院が、この前後の頼政に対して、

「頼りにすべき武士」

 としてその名をあげているほどであった。

 保元の乱から二年後、頼政は院の昇殿を許されるほどになった。

 後白河天皇派と当時守仁親王と呼ばれていた王孫を擁する派とが争ったときも、守仁親王派であった美福門院に味方している。

 守仁親王が二条天皇となってからも、院政支持派の藤原信頼が台頭してくるなど、情勢はなかなか安定しなかった。

 ついには、都で最大の軍事力を有し中立派の平清盛が熊野参詣中に起こったクーデター、のちに平治の乱と呼ばれる騒乱が起こり、頼政はやはり天皇親政派としてこれに参加している。

 信西一門、ニ条親政派、後白河院政派、平氏一門など派閥の利害が複雑に絡みあうこの平治の乱についても、かなり込み入った内容になり、詳しく語ろうとするとかなり長くなるので、やはりここでは割愛さされいただく。

 ただ、結果だけを簡単に述べるのなら、この乱において二条天皇が六波羅へと逃げ延びたことによって、頼政は二条天皇を擁した平清盛に味方するを選択を行った。

 以降、頼政は平家政権下で源氏の長老として、嫡男の仲綱ともに二条天皇・六条天皇・高倉天皇の三代に仕え、最終的には従三位にまで昇進している。

 これは、源氏としては異例の出世といえ、源氏でありながら従三位にまでなった頼政のことをさして、現三位と呼ぶこともあった。

 歌人としても名を残し、その詠歌は「詞花集」以下の勅撰和歌集に計五十九首が入集しており、歌集に「源三位頼政集」が残っている。


 とまあ、ここで終わればめでたしめでたし、まず恵まれた晩年ということになるのだろう。

 ときは風雲急を告げる時代であり、その後の直政の生涯もさらに波乱に満ちたものとなっている。


 さらに後年、清盛は高倉天皇を譲位させ、高倉帝と清盛の娘・徳子との間に生まれた三歳の安徳天皇を即位させ、これが契機となり院制を望んでいた後白河法皇の第三皇子、以仁王との対立がいよいよ本格的に表面化していく。

 この以仁王の挙兵において、頼政と以仁王は共同して平氏打倒を呼びかける令旨を作成し、諸国の源氏と大寺社に蜂起するように呼びかけた。

 しかし、頼政自身は次第に平家勢力に追いつめられていき、以仁王を逃がすために平等院に籠城して追手に抵抗した結果、次々と郎党が討ち果たされていくのを見届けたあと、辞世の句を詠んで自刃している。


 平家物語によると、

「埋木の花咲く事もなかりしに身のなる果はあはれなりける」

 というのが、頼政の辞世であるという。


 この最後のとき、頼政はどのような心境であったか。

 あるいはこのときの頼政の脳裏には、鵺の顔をはじめた見たときの驚きの記憶がかすめたのかも知れない。

 サルの顔にタヌキの胴体、トラの手足とヘビの尾を持つというもののけ、鵺。

 その顔は、たしかに一見してサルにも見えたが、頼政の目にはもっと別のものに見えた。

 端的にいってしまえばヒトの顔、それも、どことなく河内源氏の知り合いたちに似た面影が見て取れる。

 これはどうしたことか、と、頼政は訝しむ。

 頼政が動揺して立ち尽くしていると、不意にその顔がかっと目を見開き、

「頼政!」

 と、名を呼んだ。

 頼政は、流石に逃げ出しはしなかったものの、すっかり動転してその場に固まっている。

「わしが誰かわかるか!

 わからぬか!」

 血まみれになったその顔は叫ぶ。

「わからぬのも道理、そなたとわしとは面識がない。

 わが名は源義家!」

「……八幡太郎」

 呻くように、頼政は呟く。

「さよう!」

 顔はいった。

「わしが死ぬほんの少し前に、おぬしが生まれた勘定になる!

 当然、直接の面識はない!」

「いや、しかし」

 頼政はすっかり動転して問い返した。

「あの武勇の誉れ高い八幡太郎様が、なぜに帝に仇するようなことを」

「それよ!」

 顔は、なぜか得意げな表情になった。

「なぜ恨みを抱いてはいかんのか!

 わしの最後の官位は正四位下であった!

 かろうじて昇殿を許されていたとはいえ、これがこの世の源氏の扱いよ!

 頼政よ!

 おぬしにも、おぼえがるであろう!」

 頼政は絶句する。

 おぼえは、ある。

 ありすぎるほどに、ある。

 武士の地位は低く、その武士の中でも、源氏の地位は平氏よりも一段低いものとされていた。

 不遇であるとは、頼政のみならず、この世のすべての源氏が実感していることであろう。

 源氏の身でありながら従三位にまで出世した頼政は、かなり例外的な存在なのである。

「おぬしもいずれ、この世のすべての源氏に檄を飛ばすであろう!」

 頼政の沈黙をどう受け止めたのか、顔は続ける。

「そしてその檄により奮起した諸国の源氏どもは、この国すべてをあげての大いくさを起こすだろう!」

 さて、清涼殿を騒がした鵺の正体とは、つまりはこれまでの源氏の無念や恨みつらみが凝固したものであった!


 頼政の手により一度は難を逃れた以仁王も、最終的には追手に追いつかれて討ち取られた。

 このことにより、以仁王と頼政の挙兵は完全に失敗したことになる。

 しかし、頼政が以仁王とともに各地に発した令旨の効果は大きく、これを奉じて源頼朝や義仲をはじめとする諸国の源氏や大寺社が蜂起していく。

 かなり後年のことになるが、結果として平氏は滅びることになる。

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鵺の啼く夜 肉球工房(=`ω´=) @noraneko

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