殺人劇の終幕

宇呂田タロー

殺人劇の終幕

 黒い森に建つ洋館。灰をかぶった曇り空に轟く雷鳴。

 床に残った血痕、そして集められた関係者。

 置時計の音がカチコチと響き、殺人劇の最後のセリフが、今、語られようとしていた。


「この血塗られた館で、楓さんと紅葉ちゃんを殺した犯人……『絡繰りピエロ』……それはあなたです、ご主人!」

「くっ……」


 がっくり倒れる初老の男性。

 義足の中から、健康な足が現れる。


「後の話は、警察で聞こう……」


 四角い顔をした警察官たちが広間へと押し入る。


「触るな! 私に、触るな! さわるなさわるなさわるなさわるなさわるな!!!!!」

「この、おとなしくしろっ!」

「さわるなさわるな……私に、さわるなぁあああああ!!」


 『絡繰りピエロ』を名乗った殺人鬼は、ただの怒りに狂う男性にしか見えなくなっていた。

 案外、こんなものかもしれない。

 人は、暗闇を恐れるが、暗闇に光が当てられたとたん、それはただの風景にしかならないのだ。

 金田一かねだはじめは、犯人に突き付けた指をそのまま頭にもっていき、

 やるせないという風に掻き毟った。


「いやぁ、すごいよ、金田君!またも事件解決だね!」

「偶々ですよ、警部。今晩の料理に、ゆで卵が出てこなければ、事件は迷宮のままだったでしょう」


 全ては、偶然。

 金田は特に運命というものを信じていないが、今夜ばかりは信じてみる気になった。

 もし、ゆで卵がメニューとして出てこなければ、死亡時刻のトリックは見破れなかっただろう。

 そもそも、昨日嵐が来なければ、金田がこの洋館にたどり着くこともなかったわけで、

 そうした場合、あの殺人鬼はのうのうと生き続けたことだろう。

 まったく、運命さまさま、というわけだ。

 関係者のほとんどがはけた広間で、ため息をつく。


「ところで、警部? 今日はまたお早いご到着ですね? 電話は昼前にしたばかりですが……」

「あぁ、そうなんだ。実は、ちょっとした事件でね……近くまで来てたんだ」

「また、ですか」


 まったく、やるせない。

 金田はノミに食われた犬のように、また頭を掻いた。

 この世に警察と探偵が暇になる世界は来ないものなのだろうか。


「で、どういう事件です? 開かない部屋ですか? 謎の暗号ですか? 昔話になぞらえたコロシですか?」

「いやいや、実はだな、もう解決したも同然なんだ」


 得意満面、という顔をする警部に、金田は愛想笑で答えた。

 こんな顔をするときの警部の推理が、当たりっこないのは百も千も承知だ。

 金田も、名探偵とうたわれて長い。警部とも何度も仕事をした。

 そのたび、こう言っては悪いが「ヘッポコ」な警察のありさまに何度やるせない気持ちにさせられたことか。


「よろしければ、事件のあらましをご説明いただいても?」

「あぁ、構わんよ。 実はな、この殺し屋は自分では手を下さんのだ」

「ほぉ、ホームズにおけるモリアーティのようなものですかな?」

「いやいや、もっと性質が悪い」


 警部はそう言うと、ハンケチを取り出して額をふいた。

 確かに、じっとりと蒸し暑い。

 トリックのカギとなった湿気と熱気が、まだ館に残っているようだった。


「自分が悪事を計画している自覚があればまだ良いさ。しょっぴいて裁判も早い」

「すると、自分は正義と思い込んでいるとでも?」

「うむ、まさしくそうだ」


 それは確かに性質が悪い、と金田も思った。

 自分が正義と思い込んでいる犯人は、追いつめても観念しないことが多いと、経験則で知っているからだ。

 後ろめたさを持たない人間ほど、厄介なものもない。


「その犯人はだね、殺しを起こさせる術を心得ているんだろうね。

 洗脳、とでもいうか。その術を使って、何件もの殺人事件を実際に引き起こしてきた」

「それはそれは。宗教団体の教祖か何かのようですな」


 と言ってから、金田ははて、と考えた。

 自分が知らぬ内に、そんな事件が多く起こっただろうか、と。

 これでも探偵稼業で飯を食っている身だ。

 事件報道には鼻が利くはずだが。


「うむ。それで、ついに居場所を見つけたから捕まえに行こうと、出たところで君からの電話だ」

「ベストタイミング、だったわけですな。分かりました。ご一緒しましょう」

「あぁ、そう言ってくれると助かるよ。いや、まさしく、君こそ警察の救世主だ!」


 やや大げさに、警部は汗ばんだハンケチを持ったまま、金田に握手を求めた。

 顔をひきつらせながら、探偵は応じる。


「いつものことですから……それで、ここから近いのですか?」

「あぁ。すぐ近くだよ。ほら」


 ガチャリ。冷たい鉄の感触が、金田の手首に伝わった。


「……何の真似です?」

「捕まえたよ、金田君。 いや、金田」


 警部の冷たい声が、バクバクと高鳴る自身の鼓動と重なって、金田に聞こえた。


「私が? 洗脳をさせて? 殺す? 誰を!?」

「『殺人誘発因子』というものを知っているか、金田」


 警部が丸めた雑誌を、金田の鳩尾に突き付けた。

 科学雑誌の権威、『ネイチャー』だ。


「その因子は、自身には影響しないが、フェロモンのように体臭となって他人に影響するそうだ。

 俺にはちんぷんかんぷんだが、ようは匂いで他人に『コロシ』をさせる考えを持たせちまうらしい」

「その因子とやらのせいで、俺を捕まえるのか!? 横暴だぞ!!」


 吠える探偵の前で、警部はやれやれと首をふった。

 聞き分けのない子供を前にした、親のように。


「おかしいと思ったのだよ。殺人、殺人、殺人! 君が海に行けば、海の底に!

 温泉に行けば、湯船の中! それもひねくりまがった、根性の悪いトリックぎっちりのな!」

「それが、私のせいだと!? 私が、何をしたと!!」


 金田自身も、おかしいと思ったことはある。

 統計の本を読まずとも、異常には気付くだろう。

 日本の殺人の総数と、自身が遭遇する殺人の数の相違に。


「あぁ、だから性質が悪いんだ! 君みたいなのがいると、我々が休まる暇は無い!」

「私を、どうする気だ!!」


 若手の私服警官に引っ張られながら、金田は吠えた。

 唾がもう乾ききっている。目はひりひりと充血し、汗が止まらない。


「さて、国の病院にでも入ってもらうかね。 治療薬が見つかれば出れるだろうさ……」

「横暴だ! 今まで、何度も一緒に仕事をしてきたのに……この、人でなし!!」

「……そのとおりですね」


 雷鳴。

 赤。

 ドサリという音。

 赤。

 赤。

 赤。

 焦げたような硝煙の香り。

 赤。


 名探偵にとって、はじめて目の前で見る『死の瞬間』がそこにはあった。


「え……な……」

「――効果テキメン。さすが『殺人誘発因子』」


 私服警官の胸元がはだけ、そこから煙がのぼっていた。


「いつか、とは思ってたんですが……踏ん切りがつきましたね。あなたの体臭のおかげです」

「……ま、待て!?」

「名探偵なら、わかるでしょう? 目撃者が、どうなるかなんて」


 二度目の雷鳴が、殺人劇の終わりを告げた。

 そして、世界に平和が訪れたことを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

殺人劇の終幕 宇呂田タロー @UrotaTaro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ