すきとゆって
藤村 綾
すきとゆって
彼にあいたかった。
夕方は人をさみしくさせる。帰っても1人だし。
けれど、あたしからは絶対に連絡は出来ない。一方通行。あいたいときにあえないなんて、ひどいと思う。急にあいに行き、「よっ」なんて、気軽な関係ならいいのに。ううん。そんな贅沢はゆわないから、せめてもの足掻き。あたしからのショートメールくらいは拒否しないでほしい。
夕方仕事が終わり、家に帰って、いつものように、ご飯の支度をしていた。支度じゃあないか。焼きそばの麺があったので、キャベツと、余ったチーズの入ったちくわを入れ、炒めて、焼きそば専門ではない、普通の薄口ソースで、多分インスタント焼きそばのほうがおいしいだろう、薄い麺を啜っていた。
3分足らずで出来た焼きそば。味がぼやけていたけれど、腹に入れば、なんでもいいや、な、質なので残さずに食べた。
ふと、電話が鳴る。食べ終わった直後に。
え?彼からだった。
通話ボタンをおす。彼から電話が来るといちいちどきまぎしてしまい、
《あ、ああ、はい》
ものすごいこと不自然な声で電話に出た。
《あ、え?俺だけれど、今、大丈夫?》
あたしが余りにも不自然だったので彼は怪訝に思ったのだろう。語尾を上げ訊いてきた。
《え、うん、え?そっちこそ、電話なんてして大丈夫なの?もしかして》
まで、ゆって、彼が言葉を遮った。
《その、もしかしてだよ。うん、実家》
《あ、そうなんだね、じゃあ、今日はあえるね》
さらり口にした。けれど、本音は今夜に限ってあたしの方に用事が何件もあり、一番やらなくてはならないこと(小説の締切り)が今夜だったので、一刻も早く机に向かいたかった。あたしは、全く売れていない小説を書いている。彼はあたしの小説に欠かせない存在だ。なにせ彼自身がネタなのだから。彼はそのことを知っている。けれど、最近はあたしの小説は読んでないと思う。忙しいし、別れもあったから。もう書いてないだろうと踏んでいるに違いない。
やや黙って彼の声がした。
《うん、そうだね。来られるの?》
《え!いいの?いく、いく!》
もはや、あたしの中の優先順位は彼になり、原稿が一日遅れると、電話をして、友達にあう約束も断って、広告の打ち合わせは明日にして……。頭の中は既にお断りモードになっていた。
好きになったほうがまけだ。
あたしは、負けでいる。わかっている。もう、白旗をあげている。
《余り時間もないし、あやちゃんは大丈夫なのか?》
《うん、あいたい?》
あいたいのはあたしの方なのに、意地悪く訊いてみる。
《は?別にいやならいいよ》
くぐもった声。彼は本当にどっちでもいいのだ。
《じゃあ、こいよ!ってゆってみて》
《は?なにそれ?じゃあ、こいよ》
って、命令かよって。彼は呵々と笑いながら、じゃあ、8時頃に駅。待ってるから。そうゆって電話を切った。
いつあえるかわからないから、あえるときにあっておかないと。あたしたちには『また』がない。
『また』とゆう単語はいつ頃からか、消えてしまった。
あえる喜びと、先のない悲しみ。
歓喜と葛藤。
定まらない胸の内をぐっと奥にしまい込んで、あたしは、全ての仕事先にお断りないし、遅れます。と、電話を入れた。
あとで困るのは、自分だけれど、彼にあわない方がもっと、後悔する。
今度いつあえるのかなんてわからないのだから。
駅に着いたら既に彼は待っていた。
「汚ねーよ」
いつもなら、助手席の方が汚いので、後部座席に乗るのだけれど、今夜は助手席に乗った。
「えー、そうかな?」
あたしは、首だけ捻り、車の中を見渡した。汚いとゆっても、工具やら、着替えやら、別に汚くはないと思った。
「また、痩せた気がする」
彼の横顔を見ながら、そうっとゆった。
「あ、最近ゆわれるな。監督、無理してないか、ってさ」
彼が前を見ながら口だけ動かす。目がしょぼしょぼとしている。
「疲れているんだね」
「ああ、でも、もう、現場も落ち着いたし、なんとか、乗り切ったから、電話もできたんだけれどね」
うん。頷き、彼にもう一度だけ一瞥をくれ、あたしは、膝に置いてある、鞄をぎゅっと握りしめた。
彼の仕事の忙しさは尋常ではない。今現在もかなり大規模の中華料理店を見ているけれど、他にも、2件ほど見ているらしく、一息つく暇がない、と、毎回嘆いている。
「スタバもそのうちやるからね」
え?すごいね!あたしは、また図面が欲しいと告げ、彼もまた、ああ、いいよ、とだけゆい車内は何となく、以前と変わらない雰囲気に包まれた。
やっと、前のような感覚に戻ってきている。前とは、別れる前の感覚。別れてから、2が月は全く連絡もとってはいなかった。あたしだけが一方的に泣いて、待って、無言電話をしたりして。1人だけが辛いと自負していた。けれど、きっと、別れを告げた本人も辛かったと思う。優しい人だから、余計に。なので、ほんとうは、あのまま、別れた方が互いのためだったかもしれないのに。
またあう度に、貪欲になり、求めてしまう。求め過ぎて、彼は去って行ったのに。同じ繰り返しはしたくはない、思考と、また以前のようわがままを出してしまう自分との葛藤の中、あたしと、彼は、ひっそりとホテルに入った。
彼のことを好きなのは、セックスがあうからなのか。たまにわからないときがある。彼はあたしの欲望の溝を叩き、思いきり抱きしめる。これでもか、これでもか、自分を鼓舞させるように、あたしを無心に貪る。背中を噛んだり、首を絞めたりもする。
苦しいのに、もっと、虐めて欲しい自分がいて、戸惑う。呼吸が出来なくて死ぬんじゃないか、くらいまで彼はあたしを苦しめる。
彼があたしの上で腰を振っているとき、目をそうっとあけた。
彼も目をあけていた。目があっても、逸らさなかった。『すき』小さく呟く。訊こえているはずだれど、彼はその口を自分の口で塞ぎ、あたしの乳首を抓った。うう、声も出せない痛さと、裏腹の快感。たまに、わからなくなる。彼自身が好きなのか。彼とのセックスに溺れているのか、が。
珍しく、ことを終えても、彼がベッドの上にいた。
彼は腕を頭にまわし、いろいろと話し始めた。
仕事のことや、子どものこと。息子さんのことを話すときの顔はまるでお父さんだ。
うん、あ、そう。時折、相槌をうちながらも、彼の横顔を見入ってしまう。
「訊いてもいい?」
話しがひと段落したところで、あたしはゆった。
「訊かない」
彼は口の端を少し上げ、背中を向けた。
けれど、あたしは、続ける。
「秀ちゃんは、本当はあたしのこと好きなの?」
訊いてはならないとわかっている。今まで何回も質問しているのに。
規則正しい呼吸音。
見てもいないのに、ついているテレビの光。最小限にしぼられたテレビの音。
背中を丸め、彼は黙ってしまった。
「ご、」ごめんなさい。の、ご、までゆったとき、彼があたしの方を向き、まっすぐな視線を向け、
「ごめん」
とだけ、ゆった。
「なにそれ?ごめんって、なに?」
かなりまくしたてるような口調になりながら、続きを待った。
「また、その質問か。ゆわない、軽くゆえないだろ?」
「やだ、ゆって。どっちなの」
とうとうわがままが出てしまった。自己嫌悪に陥るも、食い下がるあたし。
「んー、まあ、きらいじゃあない。でも好きでもない」
「は!もーう」
あたしは、ケラケラと笑い彼に抱きついた。彼の心臓の音はとても早かった。
『好き』のたった2文字がゆえないだなんて、なんて罪なのだろうかと思った。好きと軽口を叩けない。彼は既婚者。俗にいう不倫。
好き・愛している。その単語はあたしたちには皆無な言葉。
肌を重ねることで言葉などは必要がない。彼はきっとそう思っている。
嫌いだったら、抱けないだろ?と。
無責任なこともゆえない。あたしは、彼とは一生つき合えないのだから。
帰り道。
あたしは、彼の左手をとり、駅につくまでずうっと握りしめていた。
汗ばんでくる手のひらを、なかなか解けずににいた。温かい掌。あたしは、さっきまでこの手に愛されていたんだ。
ほどなくして、駅に到着する。汗ばんだ手を離した。急に冷たさが掌にまとわりつく。
「じゃあ、いくわ」
彼が目をしょぼしょぼとさせ手を振った。
「うん」
あたしも、真似して手をふる。
「またね」はいわなかった。
またはいつかもわからないし、もう、ないのかもしれない。
またなんて言葉は大嫌いだ。
彼に抱かれた余韻が下半身をひどくさみしくさせる。脳裏に浮かぶのは、さっきまで上がっていたベッドでの顛末。
あたしは、少なくとも愛されたのだろうか。
言葉のかわりに。愛されたのだろうか。
言葉が欲しいのに言葉を求められず、身体は求められ。
これが、不倫。現実は見たくはない。
電車が発車をし、ゆらゆらと揺れ出す。あたしだけは彼の中でたゆたう魚になっている。
そうっと目を綴じた。
すきとゆって 藤村 綾 @aya1228
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