憧れのあの人

「おらおらおら!」

「ぐっ、がっ、ぐはっ!」


 修也は犯人にされるがまま殴られ蹴られ続けていた。


「どうしたどうした? 反撃してもいいんだぜ?」

「くっ……」


 挑発するように言ってくるが、当然反撃など出来るはずもない。反撃すればスイッチを入れられ、千鶴の体に電気が流れてしまう。


 くそっ。あのスイッチをなんとか犯人の手から離せれば……。


 犯人からの攻撃に耐えながら修也はチャンスを待っていた。しかし、中々そのチャンスは巡ってこない。


「ほらよ」

「ぐあっ!」


 犯人の右パンチが修也の顔にヒットし、後方に吹き飛ばされた。


「はっはっは。最高の気分だ。いいストレス発散になるぜ」


 反撃がないと分かっている犯人は楽しそうに笑っている。気分が高まっているのか、歌まで歌い出した。


 身体中が痛い。意識が飛びそうだ。でも、今は耐えろ。姫川さんが呼んだ警察が来るまで!


 そう修也は自分を奮い立たせるが、もはや限界は近い。あと何発も受けて耐えられるか正直自信がなかった。


「さぁて、次は試したかったこの技を――」

「何でこんな事をする?」

「あん?」


 少しでもダメージを回避し回復するため、修也は犯人に声を掛けた。


「用があるのは僕だろ。だったら僕に直接来ればいいだろ。何で千鶴を誘拐するなんて方法を取った?」

「……」

「父さんのファンだかなんだか知らないけど、お前の目的は何なんだ? 僕を呼んで何がしたいんだ?」

「……」

「わざわざあんな手紙で呼び出したんだ。ただサンドバッグにさせるためじゃないだろ。言え、本物の目的は――がっ!」


 喋っている最中にも関わらず、犯人は修也にパンチを繰り出した。


「目的だぁ? そんなもん決まってるだろ。金のためだよ」

「か、金?」

「そうだ。俺は金が欲しい。遊んで暮らせる大金がな。汗水流して働いて稼ぐなんてアホらしい」

「だったらおかしいだろ。こんな事したって一銭にもならない。それと今回のがどう繋がるんだ?」

「金をくれるヤツがいるからだよ」


 なん、だって?


「あっ、これは言っちゃいけなかったんだったか。まあいいや、どうせバレねぇだろうし。教えてやるよ」


 側にあったコンクリートに腰掛けると、犯人はこう告げていった。


「十六時まであそこの女を見張れ。そんで、ここに現れたヤツをボコボコにしろ。そうすれば金を渡してやる。そう言われて俺はここにいるんだ」


 金を渡す? そう言われた?


「ちょっと待て。何だよ、それ。あんたが千鶴を誘拐したんだろ?」

「知らねぇな。俺はここでてめぇが来るのを待ってただけだ」

「じゃあ、手紙は? あんたはEじゃないのか?」

「Eだぁ? 何だそれ。俺の名前はユウスケ。Eなんかどこにもねぇし、手紙も知らねぇよ」


 誘拐犯じゃない? ということは、別に犯人がいる?


『そのお前に金を渡すと言っていたヤツは誰だ?』


 まだ体の痺れが取れ切っていないエルが、踏ん張りながら立ち上がると尋ねた。


「さあ。覚えてねぇな」

『覚えてないのか』

「金さえ手に入れば何でもいい。どんな野郎だろうが知るか」

『はっ。ホンの数時間前に接触してきた人間の顔も覚えられないのか。見た目通り痴呆だな』

「……」


 それを聞いたユウスケは立ち上がると、エルの側まで近付き乱暴に掴み上げ、そして壁目掛けて思いっきり投げ付けた。


『ぐはっ!』

「エル!」

「んー! んー!」


 受け身も取れず投げ叩きつけられ、動かないエルに追い撃ちを掛けるようにユウスケは踏みつけた。


『がはっ!』

「たかが猫が人間様をバカにすんなこら」

『わ、私は猫じゃない。使い魔だ』

「だったら何かしてみろよ。ファンタジーみたいに火でも吹いたり、巨大化して俺を踏んでみろよ、使い魔様よ!」


 罵声を浴びせながら、エルを何度も踏み続ける。


「あ~、もう殴る蹴るも飽きたな。よし、今度はあの女で遊ぶか」

『な、何?』

「あの女犯すのを動画に録って、ネットにアップさせる。そうすりゃバカなヤツが購入して金になるな。手を出すなと言われているが、そんなの俺には関係ない」

『や、やめろ!』

「うるせぇ! 人間様に歯向かうなって言っただろ!」


 もう一度エルを踏みつけると、ユウスケは千鶴の方に向かい出した。


「んー! んー!」

「安心しろ。俺のスマホの動画は高画質だ。綺麗に録ってやるよ。はっはっは!」


 下卑た声を出しながらスマホを取り出し、ゆっくり近付いていく。


「さぁて、どんな風にする……あん?」

「ち、千鶴に、手を出すな!」


 ユウスケの行動を阻止しようと、修也は腰にしがみついた。


「はぁ~。邪魔だよ!」


 修也の背中に肘を振り下ろされる。強烈な一撃に修也はあっさり地面に落とされた。


「さて、と。これで――」

「い、行かせるか」


 今度はユウスケの足に腕をガッチリと絡め、進行を止める。


「あ~もう。しつこいんだよ、てめぇ!」


 容赦なくユウスケの踏み付けが続くが、修也は絶対に離さなかった。


「くそっ、離せ!」

「わ、悪いね。探偵は真実を追い求める者。諦めが悪く、しつこいんだ」

「何が探偵だ。てめぇはただの学生だろ。ここには探偵なんかいな――」

「僕は探偵だ!」


 修也の魂の叫びが轟く。そこ声にユウスケもビクッ、と反応し、口を閉ざした。


「お前の言う通り、僕はまだ見習いの探偵だ。まだ称号も持ってないし、ランクだって低い。けど、ランクが全てじゃない。事件が起きたら何がなんでも解決する。どんな状況になりながらも諦めず、自分の持てる全てを駆使してどんな困難にも立ち向かう。それが探偵だ!」


 探偵は事件を解決するだけが仕事じゃない。事件を解決するから探偵なのでもない。あらゆる困難にも臆することなく、己の信念を貫く強い志。それを備えた者が本物の探偵だ。


 壁が立ちはだかったらしっかりと見極め、諦めずに登る。かつて父親から教わった探偵の心得を修也は信念としている。実際は足にしがみついて行動を阻む事しか出来ず、父親の心得とは程遠い行為であるかもしれないが、それでも逃げる諦めるという事だけはしたくなかった。


「この腕は、死んでも離さない!」

『修也……』

「そうか。それじゃあ、試してやろうか?」


 頭の上から聞こえるユウスケの声の質が変わる。ユウスケは腰に手を伸ばすと、ある物を取り出した。


「こいつで刺されてもお前は本当に離さないのかな?」


 取り出したのは、小型の折り畳みナイフだった。ギラリと光るその感じはおもちゃではなく、本物のナイフを示している。


「今からお前の背中にこいつを刺す。果たしてお前の腕はどうなるかな?」

「んー! んー!」

『修也! や、やめろ!』


 千鶴とエルが叫ぶが、ユウスケは当然聞く耳を持たない。ゆっくりとナイフを握った右手を上げて、狙いを定める。


 さすがに死んでも離さない、は無理だったかな、ははっ。あれで刺されたら痛いだろうな~。


 まるで死を悟ったように修也はそんな楽観的な考えが浮かんだ。体は言う事を聞かないので、抵抗も出来ない。


「んー! んー!」

『やめろ! やめてくれ! 修也!』

「あばよ、探偵君」


 ユウスケが勢いよくナイフを振り下ろす。それを見た修也は痛みに耐えようと目を瞑った。


 だが、いつまで経っても体に痛みは走らなかった。それとも、痛みを感じる前に死んでしまったのか、と修也は思っていると……。


「私の息子に何をする」


 ……えっ? 今の声は?


 ここにいるはずのない声。しかし、たしかに聞き覚えのある声。懐かしくもあり、耳にすれば心が温かくなる優しい声質。幻聴とも思えたが、修也は確認するため顔を上げてみた。


 そこには見覚えのある茶色いコートを身に付け、ユウスケの振り下ろした腕をがっちり掴んだ一人の男性。


「……父さん?」


 修也の危機を救ったのは、名探偵の称号を持った父、二階堂景嗣その人だった。

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