胸に刻まれた言葉

 突然訪れた誘拐事件。学園の授業ではなく正真正銘、本物の事件だ。犯人が存在し、命が天秤に掛けられ、しかもそれはさっきまで共にいた千鶴のもの。


 何なんだよ……これ……。


 絶望とはまさにこの事を言うのだろうか。横でエルが男性にさらに情報を聞き出そうとしているのだが、それを遠くで聞いているかのように耳には微かにしか聞こえない。


 千鶴が誘拐……いやでも……。


 現状に頭が混乱していながらも、この誘拐がただの誘拐ではない事に気付いていた。それは、この事件が修也に宛てられている事だ。


 手紙の中で犯人は、修也が探偵になる事の手伝いとして千鶴を誘拐した、と書いていた。お金目的ではなく修也個人に向けられたものと考えられ、犯人は明らかに修也を目標にしている。


 僕のせい……か?


 千鶴とは些細な事で喧嘩をして別行動していた。だが、別行動をしなければ誘拐されなかったのでは? もし千鶴と喧嘩しなければ? くじを自分で引いていたら? いや、そもそも最初からペアを組まなければ千鶴は危険な目に合遭わなかったのではないか? そんな「たら」「れば」がずっと頭の中を駆け巡っていた。


 千鶴……!


 波のように押し寄せる後悔に、修也は立っていられなくなりその場で膝を着いてしまう。


 ――カランッ。


 すると、修也の胸元からある物が音を立てて落ちた。


「あっ……」


 修也はゆっくりと手を伸ばし、拾い上げる。父親の金色の懐中時計だ。如月学園長から渡され、肌身離さず持ち続けていた大事な懐中時計。それを見つめていると過去の記憶が甦ってきた。


『探偵に大事なことは見極める事だよ。事件が起きたらそこには必ず手掛かりが残されている。それをしっかり見極めるんだ。そして、絶対に捕まえるという強い想いが大切だ』


 小さい頃に教わった最初の探偵の心得。探偵を目指したあの日から忘れたことはない大切な言葉。しかし、修也は危うくそれを見失いかけていた。


 そうだ。自分を責めてる暇はない。悪いと思っているなら千鶴本人に直接謝らなくちゃいけないし、そのためには千鶴を助けなくちゃいけない。こんな所で立ち止まってるわけにはいかないんだ!


 誓いを立てるように拾った懐中時計を強く握り締め、胸ポケットに時計を納めると修也は立ち上がった。


『他に何か犯人の特徴はなかったのか! 何でもいい!』

「そ、そんな事言われても……」

「エル、止めろ。その人困ってるだろ。落ち着け」

『これが落ち着いていられるか! 千鶴の身に危険が迫ってるんだぞ!』

「だからこそだろ。焦れば焦る程見極めが出来なくなり、失敗を生む。危機的状況でも慌てずに冷静に推理する。前の授業でそう言ったのはエルだろ?」


 修也の言葉にエルはハッ、とした。自分の過ちに気付かされ、落ち着くために大きく深呼吸をする。


『すまない。少し混乱していた。不必要に貴方に強く詰め寄ってしまった。心から謝罪する』

「い、いえ、そんな。お友達が誘拐されたのなら当然です」


 頭を下げるエルに、男性が慌てて手を振って応える。場が落ち着いたのを見ると、修也は質問した。


「すいません。手紙を渡された時の事をもう少し詳しく教えてもらえますか?」

「も、もちろんです」

「あっ、その前に名前を伺っても?」

「は、はい。名前は姫川一輝ひめかわかずきといいます」


 男性、姫川が眼鏡の位置を直しながら名前を告げた。


「姫川さんが手紙を渡されたのは何時ぐらいですか?」

「え~と、たしか一時になる前くらいかと」

『私と修也が第三の課題場所に向かっている時間だな』

「犯人はどういう風に接触してきました?」

「ここに停めてある自転車で家に帰ろうとしたら後ろから声を掛けられたんです。ここに如月探偵学園の生徒が来ると思うからこの手紙を渡して欲しい、と。自分で渡しては? と最初は断ったんですが、その生徒が取り組んでいる課題に重要な物だけど、この後どうしても向かわなければならない所があるから、と言われて無理矢理」


 どうしても向かわなければならない所。おそらく千鶴がいる場所だろう。どこかに閉じ込めるか身動きが出来ないように縛ってから、再び戻ってきたのではないか。


「声と服装はどんな感じでしたか?」

「声は普通、とでも言いますか。二十代の年相応のような感じで。服装は紺の帽子に薄いグレーのパーカーにジーンズを履いてました」

「どこにでもいる格好だな」

『誘拐をしたんだ。目立つ格好はしないだろうな』


 その後もいくつか質問してみたが、目ぼしい情報は得られなかった。


「すいません。もっときちんと手紙を渡してきた犯人を観察していればよかったのに」

『いや、それは無理があるだろう。課題の物と言われているわけだし、手紙を渡されただけではそれが事件の一端になるとは判断しづらい』


 エルの言う通り、姫川に非はない。学園のある市に住んでいる人なら、如月探偵学園の授業が度々学園外で行われる事は知っている。課題と言われても変には思わないだろう。


「仕方ない。後は自分で手掛かりを探すしかないか」

『そうだな。まずここで手掛かりを探すぞ』

「姫川さん、ありがとうございました」

「いえ、そんな。僕は全く役立たずで」

『いや、二十代の男性と服装を知れただけでも貴重な情報だ。感謝する』

「そうですか。あの、警察には連絡しないんですか?」

『それはダメだ。手紙にも書かれていたように、警察や学園に連絡をすると千鶴の命が危ない』

「でも、人の命が懸かっているんですよ?」

『分かっている。だが、この犯人は間違いなく危険だ。文面を見て欲しい』


 エルは修也から受け取った手紙を見やすいように地面に広げた。


『通常なら「彼女は預かった。返して欲しければ十六時に来い」で済むものを、この犯人はまるで友人に送ったように書き綴っている。この手の書き方をする犯人は狡猾で残忍な性格の確率が高いんだ。もし連絡を知られたら間違いなく千鶴を殺すだろう』

「そんな……」


 姫川の顔がみるみる青醒めていく。人が亡くなる可能性を前に恐怖を持ち始めたのだろう。


「大丈夫です。僕とエルでなんとかします」『ああ。すまないが姫川さん、この事は誰にも言わないで欲しい。おそらくそれも連絡と捉えられる』

「で、でも!」

『千鶴を守るために、頼む』

「……」


 姫川は何も言わず、下を向いてしまう。


「エル、時間がない。ここを調べるぞ」

『分かった』

「姫川さん。本当にありがとうござ――」

「あの……僕にも手伝わせてください!」

「えぇ!?」


 下を向いていた姫川が顔を上げると協力を提案してきた。突然の事で修也は驚きの声を上げる。


「もしかしたら何も役に立たないかもしれませんが、僕にも協力させてください!」

「いや、そんな姫川さん」

『これは遊びではないんだぞ?』

「分かってます! でも、僕だってそれを聞いて黙って帰るわけにはいきません! そんな事したら上司に怒られます!」

『上司?』

「どういう事ですか?」


 協力しないと上司に怒られるという意味が分からなかったが、それは後に続いた姫川の台詞に驚愕を加えて判明した。


「実は、僕……警察官なんです」

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