捜査開始

 土曜日の昼前。


 修也達三人は女子寮の入り口の壁際に身を潜め、ある作戦の実行をしていた。


「来るかな?」

『さあな。だが、悪くない作戦だと思う』

「私も。修也にしては良い作戦を思い付いたじゃない」


 小さい声で修也達は話をしながら、チラチラと何かを窺っていた。その目線の先には、薄いピンク色をした女性の下着が部屋の窓から干されている。


使。私達が自分で探し回るより見つかる気がするよ」


 そう。今修也達が進行中なのは、わざと下着を盗まれやすい状況を作り、目的の猫を捕獲しようという囮作戦だった。修也が部屋で思い付いた内容で、千鶴とエルもそれに賛成したのだ。


『同じ現場で再度犯行に及ぶのはよくあることだ。姿を現す可能性は高い』

「やっぱそうかな?」

「そうよ。修也、よくやったわ」

「いや~」


 珍しく褒め称えられ、修也は顔をにやけさせていた。普段から補習や落ちこぼれと罵られているから、その嬉しさは人一倍だろう。


『しかし、すまんな千鶴。お前の部屋を使わせてもらって』

「全然いいよ。ルームメイトにも許可貰ってるし、気にしないで」


 下着が干されている部屋は千鶴の部屋。今回千鶴も捜査に加わる事になっているので使わせてもらったのだ。


『それに、この作戦のためにわざわざ下着も買いに行かせてしまったな』

「ノープロブレム。購入費は経費として学園が出してくれたし」

「買いに行く必要あったの? 囮なんだから、誰かの使わせてもらえばよかったんじゃないの?」

『……ふぅ~』

「……はぁ~」


 すると、エルと千鶴が頭を押さえながら溜め息を付いた。


「えっ、何?」

「あのね~。自分が使ってる下着をああやって見せびらかすのを許可する女子がいるわけないじゃない。修也、バカなの?」

『修也、それぐらいは分かれ。たわけ』

「……」


 褒められて気分が高まったのも束の間。いつものように罵られて修也は丸くなった。


「後は猫が来るのを待つのみね」

『ああ。いつ来るか分からないから、気を抜くなよ』

「張り込みは得意よ。いつもやってるし」

『ふむ。千鶴がいると心強い』

「えへへ~。ありがとう、エルちゃん」

「僕は?」

『気付かれないようにそこで縮まってろ』

「音も立てないでね」

「……はい」


 作戦の考案者であるはずだが、戦力として期待されてない発言にさらに丸くなる修也。


 それから約一時間ほど身を潜めていたが、問題の猫はまだ姿を現さなかった。


「来ないな……作戦失敗かな?」

『そう簡単にはいかん』

「下着が好みじゃなかったとか?」

『被害にあった女子生徒と似たような物を選んだから、間違いではないはずだ』

「それに、まだ一時間よ? 音を上げるにはまだ早い。こういうのは時間との勝負よ」


 チラチラと様子を窺いながら、変化のない状況に修也は不安を抱く。というより、じっとしていられない性格の修也は飽きてきて、そのせいで全く関係ない事を考え始めていた。


 女の子って、普段ああいう下着を身に付けてるのか。値段も高そうだし。ホント、女の子ってお金使うよな……。


 修也は値段が安ければ何でもいいという考えの持ち主で、柄や色など気にすることはない。しかし、女の子は値段よりも見た目を重視する傾向がある。一つの店で買い物をすれば、何時間という時間を費やして吟味し、気に入らなければ別の店へ足を運ぶ。そしてまた吟味……というのを繰り返す。修也にしてみれば全く理解出来ない行動だった。


 でも、こうして女の子の下着を見るのは初めてかも……。


 眺めている間ドキドキと心臓が脈打ち、修也は下着から目を離せないでいた。やはり修也もお年頃の男の子。目の前に女の子の下着が揺れていて何も思わないわけがなかった。


「修也、あんまり見ないでくれる?」


 そんな修也を見た千鶴が注意を促してきた。


「見ないで、って。見てなきゃ猫を見逃すじゃないか」

「そうだけど、なんか私が落ち着かないの」

「何で?」

「なんていうか……私の部屋の窓にあるからか、自分の下着を眺められてるみたいで……」

「いや、あれは千鶴のじゃないだろ?」

「そうだけど! なんか修也の目がイヤらしいから見ないで!」

「べ、べべべべ別にイヤらしい考えはないぞ!?」


 どうやら見透かされていたようで、修也は途端に慌て始める。


『修也、お前は覗くの禁止だ』

「何で!?」

『千鶴の言う通り、今のお前は課題の時よりどこか集中している』

「しゅしゅしゅ、集中してないよ! 別に花柄が目についたり触ったら柔らかそうだ、なんて考えてないし!」

『そうか。やはりそんなことを考えていたんだな』

「修也のエッチ」

「くっ……!」


 墓穴を掘った修也は見張る役を降ろされた。そこでお昼の鐘が鳴り響き、昼飯の買い出しに行くよう要求される。修也は何も言い返せなく、重い体を起こして調達に向かった。


 その後も修也達はずっと下着を見張っていたが、猫の姿は一行に現れない。


『ふむ。今日はこの辺りにしとくか』

「そうだね。また明日やってみよう」


 見張りをして約五時間。猫が姿を現す気配がなく、見切りを付けたエルと千鶴がそう言い、切り上げる事になった。

 

「ん~、やっぱ初日で成果が出るわけないか~」


 ずっと同じ姿勢で固まった体を解すように大きく反らせて伸ばす千鶴。パキパキ、と関節が鳴るのが聞こえた。


『そうだな。だが、捜査とは本来そういうものだ。簡単に事が進めば誰も苦労しない』

「捜査の八割はほぼ無駄な労力、って聞いたことあるけど、それ聞くとなんかやる気が出ないよな」

『必死に調べていた物が事件と全く関係なかった、という事は珍しくもない。だが、それは無駄ではない』

「えっ? 結果に結び付かなかったら無駄じゃない?」

『景嗣様が言っていたが、もし解決に繋がらなかったならば、それは一つの可能性を潰した事になる。事件が起きた瞬間は犯人像、犯行方法などあらゆる可能性が生まれ、どれが正しい方向なのかは分からない。だが、一つでも潰せればそれだけ正しい方向を絞れる。だから、捜査に何一つ無駄な事はない、とな』


 今回が初めての犯人捜査。修也と千鶴はまだ右も左も分からない新米であり、果たしてこれで大丈夫なのだろうか、という不安や焦りが溢れかえるのも無理はない。


 しかし、エルが放った名探偵である二階堂景嗣の実際の言葉。それは修也と千鶴には大きな教えとなり、支えとなった。


『今日は現れなかったが、これも今後に活かせばよい。時間が誤りなのか、場所が悪いのか、それとも下着を変えればよいのか……成果が出ないからこそ見えてくるものもある。現れないからといって嘆く必要はない』

「はぁ~。さすが二階堂名探偵。言う事が全然違うわ~。そして、その二階堂名探偵の使い魔のエルちゃんもやっぱすごい」

『私はただの使い魔にすぎん。すごいのは景嗣様だ。景嗣様には色々と教わって、それをそのまま伝えただけだ』

「一方、その息子の二階堂修也は……」

「えーえー、どうせ僕は父さんの足元にも及びませんよ」


 憐れみの目を向けられ、修也は視線を反らす。父の背中を追い掛けると決めてはいるものの、やはり大きな背中であり絶大な存在を改めて思い知った。


「とりあえず、今日は終了してまた作戦会議しようか」

『そうだな』

「また修也の部屋でいい?」

『構わん。汚い部屋ですまないが』

「余計な事言うなよ」


 切り上げようと動き始めた千鶴とエル。二人の後を追おうとしたが、修也は一度下着の方を見てみようと思い、壁際から顔を覗かせてみた。


「……えっ?」

「修也、何してるの?」

『早く来い。お前の部屋で作戦会議をするぞ』


 声を掛けてくる二人に修也は振り返らず、後ろ向きのまま手を振って招いた。


「何? どうしたの?」

『というか、修也。お前は下着を見るなと禁止した――』


 修也に招かれて二人も壁際から様子を窺ってみた。するとその先には……。


「……えっ?」

『あれは……』


 千鶴とエルも修也と同じように固まった。なぜなら、下着のある方向に白い猫が近寄っていたからだ。

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