心は沈んで
「死んだ……」
シャーロック山から帰ってきた修也達。時間は昼休みを迎え、周りは昼食を取っていたが、修也は何も口にせず教室の自分の机に伏していた。
「あははははっ。災難だったね~、修也」
前の席に腰を下ろしている千鶴が、パックのオレンジジュースを片手に笑いながら声を掛ける。
「みんなして酷いよ……僕だけ辛い思いするなんて……」
橘先生の提案で始まった鬼ごっこ。結果は、修也の捕獲で終わった。
鬼ごっこ……特にこういった山の中で行う場合は、ただ足が速いだけでなく体のバランスや瞬発力といった能力も不可欠だ。複雑な地形だからこそ、偏った能力ではなく全体的な運動能力が必要とされるだろう。
修也は運動は苦手ではないが、飛び抜けて得意というわけでもない。つまりは平均レベルだ。運動能力だけで見れば、クラス内では真ん中辺りに位置する。
真ん中ということは、修也より上がいるわけであり、その者達には勝てるわけもない。開始から二十分ぐらいでそれに通ずる男女数名に先に回られ行く手を阻まれると、修也はクラスメイト達に囲まれた。逃げ道を完全に塞がれ、ジリジリと距離を詰められながら四方から一斉に飛び掛かかられ、あっけなく捕まってしまったのだ。修也も必死に逃げていたが、やはり四十近い人数を掻い潜るのは無理があった。
「そう落ち込まない。修也はみんなの未来を守ったんだよ? もっと誇らしくしなさいな」
「誇らしい所か、怨みが沸々と沸き上がってきてるよ……」
「ほら、よく言うじゃない? みんなは一人のために、一人はみんなのために、って」
「何が一人のために、だよ。僕を生け贄にしただけじゃないか……」
「いや~、今日の修也は格好良かったよ。まさに名探偵に相応しい姿!」
「……」
「……ごめん!」
段々と生気を失っていく修也に、ついに千鶴は頭を下げた。
「……いや、もういいよ……クラスのみんなには裏切られ、僕にはもう平穏は訪れない運命にあるみたいだから……。今までの三倍の課題か……はは……ははは……」
「だ、大丈夫! 約束した通り、私が課題に付き合ってあげるから。他のみんなも色々してくれる、って言ってたじゃん。元気出してよ。ね!?」
修也を捕獲して喜ぶクラスメイト達だったが、さすがに可哀想に思ったのだろう、学食で奢るや掃除当番を当分代わる等、修也への償いも含めて口々に言っていた。
「そんなもん、三倍の課題に比べたら塵に等しいよ……」
『ウジウジうるさいぞ、修也。普段から課題を与えられていなければ、こうも苦労はしなかったはずだ。自業自得だろう』
修也の机の上に座るエルは慰める所か、痛いところを突いてくる。
「そりゃそうかもだけどさ。三倍はさすがに酷くない?」
『三倍を提示したということは、修也は現時点で周りの三分の一程度の実力しかない、と思われたことでもあるんだぞ? だったらその三倍をこなして足並みを揃えろ』
「ゼロに三倍かけてもゼロだよ」
『情けない……。それでもお前は名探偵である二階堂景嗣様の息子か? 二階堂という名が泣くぞ』
「じゃあ、今日から僕は三分の一階堂修也にするよ」
ふん、と修也はいじけるようにそっぽを向いた。
「あ~あ、拗ねちゃった」
『まるで子供だな』
手の掛かる我が子を見るように、千鶴とエルは修也を眺めていた。
『修也、一度でもいいから課題を全部達成させて見返してやろうとか、そういう気持ちは芽生えないのか?』
「……」
『お前は橘先生を疎ましく思っているかもしれんが、ああして献身的に面倒を見てくれる人はそうはいないぞ?』
「……」
『普通なら見捨てて放置するであろう所を、橘先生は目を掛けてくれている。お前は感謝をするべきはずだ』
「……」
エルの言葉に修也は返事をすることなく無視していた。
――バリリッ!
「いったぁぁぁ!」
突然、頬に痛みが走ったので修也は叫び声を上げる。振り向くと、右前足を横に向け、爪を立てていたエルの姿があった。
『いい加減拗ねるのをやめろ、修也。それに、喋っている相手に顔を背けるのは失礼だと母上から教わっただろうが』
「口で注意してくれないかな!? 爪は痛いよ! ほら見ろ、血が出てる!」
『爪は先程研いでおいた。切れ味抜群だったろ?』
「なんの自慢!? せめて頭突きとかにしてくれよ! 何でひっかき!?」
『聞き分けのない者にはこれくらいがちょうどいいだろ』
血を拭っていると千鶴からティッシュを渡され、それで傷を押さえる修也。ヒリヒリとした痛みが血と共に滲み出てくる。
『さっきも言ったが、いい加減拗ねるのはやめろ。探偵になれば、これ以上の苦難が待ち構えているんだ。この程度で音を上げていてどうする』
「いや、それは分かってるけどさ……」
『これ以上愚痴を言うなら、修也はやる気がないと母上に報告させてもらうぞ』
「それはやめて! 小遣い減らされる!」
『だったら課題と向き合うんだな』
「くっ……はぁ~」
脅迫にも等しい言い分に一瞬唸る修也だが、今さら喚いてもどうしようもない。それに、小遣いを減らされては今後の学園生活での死活問題に繋がる。溜め息を吐きながら修也は覚悟を決めた。
「そういえばさ。最近近所で事件が起きたの知ってる?」
一段落した所で、千鶴が急に話を転換してきた。
「事件?」
「そう。なんでも、学園周辺地域で女性の下着が相次いで盗まれているみたいなの」
『下着泥棒か』
「うん。もう三件ぐらい被害が出てて、まだ犯人は捕まってないみたい。それでさっき橘先生からも注意するように、って言われたの」
シャーロック山から帰ってきた修也達は、男子は教室、女子は更衣室で着替えることになっていた。その更衣室は職員室に向かう途中にあり、一緒にいた橘先生から警戒するよう言われたようだ。
まだ学園内でも下着泥棒の件を知る者は少なく、修也も千鶴から聞いて初めてその事件の存在を知った。
「本当にいるんだ、下着泥棒なんて。てっきり漫画とかの世界だけにいると思ってた」
「いるわよ。ニュースでも見るでしょ? 体育館とかにズラー、っと並べてるの」
たしかにたまに見る光景だ。何着もの盗まれた下着が並べられ、これだけ盗んだのかと驚きながら、なぜああやって並べるのかとも修也は疑問に思っていた。
「下着泥棒なんて最低よね」
『うむ。女の敵だな』
「ホントよ。殺人罪にも匹敵する重い罪だわ」
『しかし、現状では十年以下の懲役又は五十万以下の罰金で済んでしまう。居たたまれないな』
「そんなんじゃ軽すぎるよね~。その程度で終わるなら、警察に突き出す前にボコボコにして……」
『それをやると傷害罪が適用される場合があるぞ? それに――』
下着泥棒に強い嫌悪感を持っているのだろうか、千鶴とエルはその後も下着泥棒に対する怒りをぶつけていた。
どこの誰とも分からない人間に下着を盗まれる。気持ち悪いを通り越して恐怖にすら成りうる犯罪に、男である修也も二人と同様な気持ちを抱いていた。
まあ、そのうち捕まるでしょ。僕には関係ないや。
学園内の女子生徒にはまだ被害者が出ていないようだし、警察がすぐに犯人を見つけて逮捕してくれるだろう。事件が起きれば動くのが探偵だが、まだ探偵の卵である自分が関わる事件ではないと修也は思っていた。
放課後のホームルームが終わるまでは……。
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