地獄の鬼ごっこ

「情けないぞ、お前達。それでも探偵を目指す人間か?」


 シャーロック山の頂上の休憩所。疲労でぐったりと下を向いて座っている修也達生徒に向かって、担任の橘先生が叱責を浴びせていた。


「今日のトラップ、各ポイントの課題の難易度は優しい方だ。全員楽々クリアしてくれるかと思っていたが、クリアできた者は約半分。私は悲しいぞ」


 悲しいと言いながら、橘先生の目にその感情はない。ペチペチと愛用の鞭を手のひらに当て、どちらかと言うと怒りの炎が灯っている。


「いや、先生……今日のトラップは見分けがつかなかったです」

「そうですよ~。あれを見極めろとか」

「ポイントの課題もひっかけあったし」

「前回より難しかったです……」


 生徒達が口々に愚痴を溢す。ほとんどはノークリアの生徒だが、中にはクリアした生徒もいたので、今日の授業はそれほど難易度が上がっていたと窺える。


「バカ者。前回より難易度を上げるのは当たり前だ。前回よりお前達は知識と能力を得て成長しているはずなんだ。毎回同レベルの課題を設けてなんの意味がある」

「それはそうですが……」

「たしかに今回は難易度を上げているが、それでも普段真面目に授業を聞いていれば余裕でクリアできたはず。しかし、結果はこの様。いかにお前達が怠けているか明確になったな」


 橘先生の言うことは一部正論であるが、それでも厳しい部分があった。


 橘先生の授業はとにかく進行が早い。一つの事について丁寧に詳しく説明するのではなく、生徒達があらかじめ知り得ている前提で話を進めるのだ。それにより必要最低限の言葉しか言わず、理解できずに疑問に思っていても気付けばもう次の話になっている。一度、授業の進行に追い付けなかった一人の生徒が質問したが……。


「理解できないのは予習をしていないからだ。分からないのであれば後で自分で調べろ。事件が起きて都合よく情報が手に入るか? 自ら調査しない探偵がいるか? 甘ったれるな」


 ……という返事。それ以来、橘先生の授業では全員予習、復習を欠かさないようになった。


 とはいえ、それでも追い付かないのが現状だ。それが今日の授業でも如実に現れているだろう。


「どうやら普段の私の授業は甘いようだな。こうも体たらくを晒す結果にはなったということは、お前達が学業を疎かにする余裕があると見える。明日から厳しくいくから覚悟しろ」

「えぇ!?」

「そんな!」

「先生、それは勘弁!」 

「俺達を殺す気ですか!?」


 生徒達から抗議の言葉が飛び交う。当然だろう。これ以上厳しくされたら毎日徹夜でもしなければ追い付けない。そんなことになれば文字通り死ぬ。しかし、自分の厳しさではなく修也達の方に怠けがあると橘先生は考えたらしい。


「やかましい! 文句を言いたければ結果を出せ! 仮にもお前達は探偵の卵だ。探偵なら真相という結果を私に示してみろ!」


 女王橘め……。


 怒りという、橘先生に対する気持ちが全員一致する。


「先生、今日なんかいつもより厳しくない?」


 修也は隣にいる千鶴に声を掛けた。


「たしかに。鞭を手に叩く回数も多いから、イライラしてるのがハッキリ分かるよね」

「何かあったのかな?」

「もしかして、あれが原因かも」

「あれって?」

「先生ね、この前の休みに婚活パーティーに出席したらしいんだけど、悉く相手にされなかったみたいなんだって」

「あぁ……」


 修也は同情の溜め息をつく。


 あれだけ厳しい性格に上から目線の姿勢を見たら誰も近寄らないだろう。橘先生は今年で三十歳になる。世間一般での結婚適齢期のギリギリだ。相手がいまだに見つからず、焦りと苛立ちが絡み合っているのだろう。


「でも、それ僕達関係ないよね?」

「そうよね~。同じ女性としては気持ちが分からなくもないけど、プライベートと仕事は分けて欲しいわ~」


 千鶴の言う通り、たしかにただの八つ当たりに等しいだろう。それで授業厳しくされてしまっては修也達も堪ったもんじゃないだろう。

 

「結婚相手が見つかれば解決するかもしれない?」

「あの先生に耐えられる男がいる?」

「……いないだろうな~」


 一縷の望みを浮かべるが、可能性は皆無なので頭を振り即刻捨てる。千鶴とそんな話をしている間も、橘先生の叱責は続いていた。


「お前達は厳しいと言っているが、ハッキリ言って今年はレベルが低い。今の三年生が一年の頃は、この程度易々とクリアしていた。三年生の不知火は、平均二時間掛かる所をたった一時間でクリアしたんだぞ」


 不知火先輩は如月探偵学園の生徒会長だ。成績優秀、容姿端麗の学園アイドル的存在で、まだ学生という身分でありながらSランクの称号を持ち、名探偵の証でもあるグリードというフクロウの使い魔も従えている。


「彼女は一番に頂上に辿り着き、余った時間も鍛練に勤しんだ。少しは彼女を見習え」


 入学時からずば抜けた才能を持ち合わせた不知火と比べられるのは酷かと思われるが、そんな彼女も自身の力を過信せず日々精進していた。それを聞いた修也達もさすがに己の情けなさに落ち込み、反省の気持ちを抱く。


「探偵を本気で目指すなら、それだけの気概を見せろ。特に二階堂!」

「は、はい!」


 突然名前を呼ばれ、修也は反射的に立ち上がった。


「不知火が最速でクリアしたのに対し、お前は過去最低の結果を生み出した。終了の合図の時点で二割しか登れていないなど恥を知れ」

「いや、僕も八割ぐらいは登ってましたよ! でも、エルのポイントで失敗してまた登り直したから……」

『途中過程など無意味だ。クリアできていなければ、八割だろうが二割だろうが同じだ、修也。事件が起きて犯人を捕まえられずに、一生懸命調査しましたと言って依頼人に納得してもらえるのか? 解決か未解決か。探偵に求められるのはそのどちらかしか存在しない』


 協力をしていたエルも橘先生側に周り、修也に厳しい言葉を投げる。


「す、すいません……」

「意志のない者は学園から叩き出すから肝に命じておけ。よし、今から下山する。全員起立!」


 橘先生の合図に全員が立ち上がる。


「今日の体育の授業はここまで。あそこにあるロープウェイで戻る……と言いたい所だが、お前達にチャンスをやろう」


 チャンス、という台詞に、修也達が反応した。


「先程お前達は、今後の私の授業を厳しくすると言ったら反対したな。今からゲームを行い、それを達成したら無しにしてやろう」

「マジで!?」

「やった!」

「何でもやります!」

「先生大好き!」


 疲労で元気がなく、恨みを募っていた生徒達がみるみる元気になり、歓声が上がる。


「先生、そのゲームとは何ですか?」

「鬼ごっこだ」

「鬼ごっこ?」

「お前達にはある人物を追い掛けていもらい、下の駐車場に着く前に捕まえたら今まで通りの授業で進めてやる」


 ある人物?


 修也は誰だろうと思った。ここには自分達生徒と橘先生、そしてエルしか姿は見えないが、他に誰か来ているのだろうか、と。


 ――ポンッ。


 キョロキョロとその人物を探していた修也の肩に、橘先生が手を置いた。


「二階堂、お前に任せる」

「……はい?」

「今からお前達には二階堂を追ってもらう。ゲームは『二階堂対その他の生徒全員』による鬼ごっこだ。見事二階堂を捕まえたらクリアとする」


 一瞬意味が分からなかったが、修也は内心ガッツポーツをした。


 これはラッキーじゃないか? 僕を捕まえたらクリアなんだから、わざと捕まればいいだけでしょ? やった、楽勝!


 修也はウキウキとしていたが、この後の橘先生の台詞に固まった。


「そして二階堂、もし捕まったら今日与える課題を三倍に増やす」


 ……。

 ……。

 ……。


 ……なんだってぇぇぇ!?


「先生! 何で僕だけ!?」

「さっきも言ったが、お前はこの登山で最低の結果を残した。その罰だ」

「いやいやいや! それにしても不公平です! 撤回します!」

「それは無理だな。お前以外やる気に満ちている」

「えっ?」


 修也は恐る恐る周りを見渡してみた。


 ――キュッッッッピーーーン!


 クラスメイト全員が目を光らせ、修也に狙いを定めていた。


「いやいやいや! ちょっと待ってよみんな!」

「二階堂、逃げるなよ?」

「二階堂君、思いっきりハグしてあげる!」

「俺達の未来のために捕まってくれ!」

「僕の未来はどうなるんだよ!」


 修也は激しく抵抗するが、意志の固まったクラスメイトを止めることはできなかった。


「修也……」


 千鶴がクイッ、とジャージの裾を引いてきた。


「千鶴……」

「私、協力するよ」

「千鶴! ありがと――」

「課題の方を」

「そっちかい!」


 共に戦ってくれるのかと思ったが、千鶴も例外ではなかった。


『よかったな、修也。大勢の女の子から追い掛けてもらえるなんて滅多にないぞ? 少しは喜べ』

「こんな理由じゃ嬉しくない!」


 エルにも見離され、もはや味方はいない。修也はどうしようもなくなった。


「では、私が合図をしたら始め――」


 ――ヒュン!


 修也は合図が出る前に駆け出した。


「あっ! 逃げたぞ!」

「待て修也!」

「二階堂君、私の胸に飛び込んできなよ!」

「全員散開! 二階堂を逃がすな!」


 修也の後をクラスメイトが鬼の形相で追い掛けてきた。


「ちくしょおぉぉぉ! 何で僕だけこんな目に遭わなきゃならないんだぁぁぁ!」

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