覚悟
「――よって、この場合の犯人の心理を考慮すると――」
水曜日の二限目。黒板に重要用語を書きながら説明する橘先生。
晴れ渡る空から陽光が教室を照らし、心地よい空気を作り出す。ポカポカと暖かく、その気持ちよさから自然と身体も弛む。
その生み出された陽気に一層勉学に励む者。抗えず船を漕ぎ始める者。橘先生の講義に生徒は二分されていた。ちなみに、内容は「犯罪心理学」だ。
「つまり、この犯人は自分にルールを設けていた。遺体を燃やす前に一部を切り取り、それを遺族の元へ贈る、という。そして、同じ部位は二度と切り落とさない。このことから――」
だが、修也はそのどちらでもなかった。目線は前方ではなく、机の上に置いた懐中時計に注がれ、それをコツコツと指で叩きながらずっと見ている。
修也はここ数日、懐中時計を自分なりに調べていた。これを譲り受けた際、如月学園長はこの懐中時計は景嗣から自分への入学祝いで贈ってきたもので、廃屋の崩壊はそのために引き起こした、と答えていた。
たしかに、父さんならやりかねないと修也も思っていた。
五歳の頃、家族でテーマパークへ遊びに行ったとき修也は迷子になった。はぐれた父と母を探してあちこち歩き回ったが見つからない。寂しさから泣きそうになったとき、遠くから楽器の音が響いてきた。パレードが始まったのだ。ただ、シンバルのリズムが滅茶苦茶で、なんだろうと近付いてみると、なんとパレードの演奏者から父がシンバルを奪い、修也の名前を叫びながら一緒に行進していた。
そのおかげで修也は両親と合流できた。後から理由を聞くと、パレードを利用すれば修也が見つかると思い、演奏者から楽器を借りたらしい。母さんも演奏者と一緒に羽交い締めという踊りをしていたようだ(まあ、その後警備員に両親が怒られたのは言うまでもないが)。
そんなことを思い付く父さんなら廃屋崩壊も納得っちゃ納得する。しかし、修也は本当に懐中時計を渡すだけだったのだろうか、と考えていた。やはり、何か別のメッセージも含まれているのではないか。
そう思った修也は懐中時計を調べてみたが、いまだにそれらしいものは見つからない。
「二階堂」
本当に父さんはただ贈ってきたのか? いや、きっと何かあるはずだ。これを使って伝えたい何かが。
「二階堂」
でもな~。表面にはそれらしいものはないんだよな。中に入っているとしても、分解したら直せないし……。
「二階堂修也!」
「うわひゃい!」
突然横から名前を呼ばれて、反射的に起立してしまう。目を向けると橘先生が隣に立っており、声の主は先生だと気付く。
「何度も呼ばすな、全く」
「す、すいません」
「貴様、私の講義をきちんと聞いていたのだろうな?」
ペシペシと掌に愛用の教鞭を叩きながら橘先生が聞いてくる。その様はまるで女王様だ。
「……すいません。聞いてませんでした」
修也は素直に謝った。
「二階堂、貴様はこの前課題を出されたばかりだろう。またやらされたいのか」
「いや、そんなつもりじゃ」
「たるんでいるぞ。そんな気心で探偵になれると思っているのか?」
たしかに修也は上の空だったが、別にやる気をなくしているわけではない。今でも父の二階堂探偵のような名探偵になることを目指している。
だがその父、景嗣が生きていると知り、なおかつ懐中時計を手にした。正直、学校の講義よりそちらに気が向いてしまい講義どころではなかった。
「すいません。以後気を付けます」
「分かった、と言いたいところだが、二階堂。どうやら貴様は危機感というものがないようだな。学生、しかも一年という立場に甘んじている。だから講義にも集中できない。今の貴様からはそれが如実に出ている」
「いや、そんなことは」
修也は否定しようとしたが、次の橘先生の台詞に驚愕する。
「二日後、“レゾヌマン”をしてもらう」
「レゾ……!」
レゾヌマン。
簡単に言えば、それは『推理対決』だ。一対一形式で行うもので、問題となる事件が提示される。スクリーンや手元に与えられた情報と手掛かりを推理し犯人を指摘するという、云わば『犯人当て対決』だ。先に事件を解いた方が勝者となり、如月学園の試験にも用いられている。
しかし、このレゾヌマンはただの対決ではない。なぜなら、この勝敗が成績に大きく影響を及ぼすからだ。
仮に筆記試験で数個の赤点を取ったとしても、レゾヌマンで勝者となればそれが帳消しになる。本格的に練り込まれた問題が出題されるので、その問題の難易度によっては勝者の探偵ランクが上がることもある。それほどレゾヌマンは重大であった。
勝者は探偵ランクが上がる。これはすなわち、敗者は探偵ランクが落ちることも意味していた。つまり――。
「貴様の今の探偵ランクはE。もし敗北した場合、退学とする」
「ちょ、ちょっと待ってください! いくらなんでもそれは勘弁してください!」
修也は慌てて抗議するが、橘先生は覆さなかった。
「いいや、待たん。今の貴様からは熱意も向上心も感じられん。そんな者がいくら励んだところで探偵になどなれん」
「い、いや、でも」
「いい機会だ。二階堂、貴様がどれほど探偵に憧れ、どれほどの思いで目指しているのか、このレゾヌマンで判断してやる」
キーンコーン、カーンコーン。
橘先生がそう言い終わると同時に、終業のチャイムが鳴った。
「講義はこれで終了する。二階堂、二日後の放課後レゾヌマンを行う。対戦相手はこちらが用意する。一日猶予があるから、その間に少しでも知識を入れておくんだな」
そう言い放つと、橘先生は教室を出ていった。
****
「マジでシャレにならない……」
その日の放課後、修也は寮の自室で頭を抱えて机に伏せていた。
『何を言っている。どう見ても修也が悪いだろう。講義中に呆けている方が悪い』
机の上に座るエルが修也を見下ろしながら言ってきた。
「いや、でもレゾヌマンはさすがにやりすぎでしょう。しかも、負けたら退学とか言われるし」
『私からすれば先生は我慢していた方だ。今まで課題だけで許していたんだからな』
「えっ? 僕そんなにダメダメだった?」
『自覚がないとこが尚悪い』
修也は心外だ、と言わんばかりの表情をしている。
「ど、どうしよう」
『どうもこうもない。レゾヌマンを受けてこい』
「いや、言っちゃ悪いけど僕、自信ないよ」
『自信があろうがなかろうが、負ければ退学なんだ。退学したくなければ勝つんだな』
「そ、そんなこと言ったって無理――」
『修也!』
エルが毛を逆立てながら怒りだした。
『いい加減にしろ! さっきから聞いていればグチグチと弱腰の発言をして。少しは立ち向かう度胸はないのか!』
「エル……」
フーッ! という威嚇混じりの声をあげ、エルは本気で怒っているようだ。
『不安なら今すぐにでも資料を手に取って知識を詰め込め! 口を動かす前に手を動かせ! 自分の未熟さを理解していながらなぜ何もしないんだ!』
「……」
『何が探偵になる、だ。先生の言う通り、今のお前では探偵になど絶対になれん!』
「……」
修也は何も言わずただ黙っている。
エルも少し落ち着いたのだろう。ふ~、と息を吐くとトーンを落としてまた続けた。
『修也、一つ言っておく。たしかにお前はお世辞にも頭が良いとは言えない。探偵は豊富な知識を要する仕事だ。そこを見ればお前が不安になるのもわかる。だが、探偵に重要なのはそこではない。お前は景嗣様から教わっているはずだ。探偵にとって一番大事なことを』
「一番大事なこと?」
修也の言葉には答えず、エルは机から飛び降り部屋を出ていってしまった。
「エル……」
修也はじっとエルが出ていったドアを見つめていた。
エルの言う通りだった。
言い訳ばかりをし、駄々をこね、自分で何かをしようとしていなかった。まるで子供だ。
自分が未熟など自分自身が誰よりも知っている。ならば、エルの言う通りそれを克服しなければならない。
修也は一冊の資料を取るとページを捲り始めた。たった一日。だが、それでもやれるだけのことはやり通し、レゾヌマンに立ち向かおう。それでダメなら大人しく学園を去る。
修也はそう覚悟を決め、明け方まで机に向かっていた。
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