如月探偵学園

「もうダメ、だ……」


 ある一室で大量の紙が積まれた机に埋もれている一人の少年がいた。黒髪短髪に平均的な肉付き。駅ですれ違ったとしても特に目を引くこともない平凡な少年。


 少年はペンを持ち紙に何かを書こうとしているが、その手は動くことなくついには手からペンが離れた。机に伏した状態で嘆く少年は、もう一度紙に書かれた内容を読み直す。


『問十二  以下の中でトリックが可能なものをすべてあげなさい。』


「……知るかー!!」


 プルプルと身体が震えていたが、とうとう頭の中で何かが弾けたようで、頭を抱えた少年の叫びが部屋に響き渡り、机の紙が舞い飛ぶ。


 彼の名は二階堂修也。歳は十六。この『如月探偵学園』に通う一年生だ。


 如月探偵学園は字からも分かるように、探偵を育成する学園だ。


 警察や消防士、弁護士など人を助ける仕事は昔から人気で憧れの対象だったが、ある時期から探偵の存在が急激に高まった。探偵に憧れる子供が増え、将来なりたい職業ベスト一位になるほどの人気さを誇っている。そんな子供の夢を応援するため、全国各地に専門の学校が設立され、その内の一つがこの如月探偵学園だ。


 如月探偵学園は東京に位置し、全国的にも有名な学園だ。入学するだけでも難関な学園であり、そして卒業するのも最も難しい学校とされている。学園生活の辛さや成績不振により退学者が続出し、卒業時には入学時のおよそ三分の一しか残っていない。


 しかし、この如月探偵学園を卒業した生徒の多くは、探偵としての実力が飛び抜けていた。巷で活躍する探偵の大半はこの探偵専門学校の卒業生である。 


 この学園に通う二階堂修也も探偵を夢見る一人であり、今彼が行っていたのは授業の課題、担当の先生から渡された宿題で学生寮の自室で取り組んでいた。見る限りその数約二十枚。一枚につき二、三問あるので、問題総数は約四十数問。


「チキショー! 分かるかこんな問題! トリック、トリック、トリック! トリックがそんなに偉いか! ハットトリックの方が偉いわ!」


 修也は机の上にある課題(解答欄が白紙)を数枚まとめて丸めると、床に叩きつけた。 


「もういやだ……さっきからずっとトリックの文字を見てるからゲシュタルト崩壊起こしてるし」


 数秒の叫びの後、部屋の隅で膝を抱え座り込む修也。叫びの次は泣きっ面になり、徐々に負の感情が修也の身体から溢れ出し、ついには目から光が失われ始め暗く濁りだす。


「ふふっ。何で僕こんなことしてるんだろ。もうイヤだ。事件現場で舞う埃になりたい」

『さっきからうるさいぞ、修也』 


 突然、ずっと文句を言っている修也の声を妨げるように別の声が発せられた。


 修也が今いる部屋は二段ベッドに学習机、クローゼットが一つあるだけの質素な学生部屋だ。普通、一部屋に二人割り振られるのだが、人数の関係で修也のいる部屋は修也ただ一人で、相方は今の所いない。ではこの声の主は誰なのか。


 修也はゆっくりと声のする方へ顔を向ける。修也の目線は部屋にある二段ベッドの下段を向いていた。相方がいないので荷物置き場として使っており、バッグや教科書、クッションに衣類と所狭しと散らかっているが、その中でクッションの上に一匹の白猫が伏せていた。


『お前のせいで目が覚めてしまったではないか』


 。凛とした、芯のある女性の声をしている。


「……ああ。なんだ、エルか。いたのか」

『いたのか、じゃない。周りの迷惑も考えろ』

「日中ずっと寝てるんだから文句言うなよ」

『猫は夜行性なんだ。日中寝るのは当然だ』


 修也は驚くことなく、その白猫と会話をする。


 一度伸びをした後、エルと呼ばれた白猫はひょいと身軽な動作でクッションから飛び降り、床に散らばった紙を見下ろした。


『また課題を出されたのか』

「うん」

『よく飽きないな』

「好きでやってるわけじゃない」

『だろうな。バカなお前が勉強を好んでやるとは思えない』


 エルは修也の目の前まで近付くと、腰を下ろして言葉を続けた。


『いい加減、真面目にやったらどうだ?』

「僕はいつも真面目だよ」

『それでこの様か?』

「ほっといてくれ」


 はぁ~、と溜め息をつくエル。


『修也よ、本当に探偵になる気はあるのか?』

「あるよ。当たり前だろ。そのためにこの学園に来たんだ」

『本当か?』

「ああ」

『じゃあベッドの下にある裸の人間の女の写真が載った雑誌は何だ?』

「なぜ知ってる!?」


 修也が慌てふためく。


『気づいていないと思ったか? 猫の私ならあの隙間でも容易く入れる』

「くそ、隠し場所間違えた」

『さっさと捨ててこい』

「いや、あ、あれは大事なもので」

『探偵になるのに必要なのか?』

「探偵というか、男に必要なもので……」

『彼女もいないお前には要らない物だろう』

「何言ってんだよ、いないからこそ必要なんだよ!」


 握り拳を作りながら力説する修也。


『とりあえず、捨ててこい』

「いや、でもこれ結構高かったんだよ?」

『お前のためでもあるんだぞ。この手の物を持つ男性は基本女性から煙たがれる、とデータがある』

「まあ、そうだろうけど。でもこれはちょっと捨てがたい……」


 渋る修也。彼もお年頃。アダルトに興味を持つのも彼の年代なら自然であろう。 


「くそ、絶対彼女作ってやる。それが僕の夢だ」

『探偵になる夢はどうした?』


 床の課題の紙を集めながらそう呟く修也に呆れ果て、頭を振るエル。


「探偵にだってなるさ。というわけで、今僕は課題に四苦八苦しているんだ。エル、手伝ってくれ」


 トントン、と揃えて机に戻しながら修也はエルにそう言った。

 

『断る。お前に出された課題を何故私が手伝わなければならん』

「そう言わずに頼むよ」

『さっき、ほっといてくれと言っていなかったか?』

「覚えてないな、そんな昔の台詞なんて」

『ホンの数秒前の台詞も覚えてないとはニワトリ以下だな』

「一言多いなお前は!」


 猫に下に見られる修也だが、あしらい方といい一枚も二枚もエルの方が上手うわてなのは一目瞭然だった。 


「だいたい、お前そんなこと言える立場か? お前は僕の――」


 バーン!!


「突撃、隣の大事件~!!」


 突然部屋のドアが開き、一人の女の子が飛び込んできた。右腕を高々と上げ、左手は腰に当て高らかに声をあげた。


「うるさいな毎度毎度。静かに入ってこれないのか、千鶴」


 額に手を当て項垂れながら、修也は飛び込んできた女の子、千鶴に声をかけた。


 彼女の名前は羽賀千鶴。修也のクラスメイトだ。ポニーテールの女の子で、入室の件を見れば分かるように活発な女の子である。明るい性格で、いつも笑顔に溢れていた。


「それじゃあつまんないじゃん」

「つまんないってお前。何を求めてるんだよ」

「今言ったじゃん。大事件だよ」

「そんなもんここにはない。それにここは男子寮――」

「あ! エルちゃん!」


 話の途中にも関わらず、千鶴はエルを見つけると修也を無視して近寄り抱き上げた。


『相変わらず元気だな、千鶴』

「そりゃあ、私から元気取ったら何もないじゃん」

『ふむ。お前のその真っ直ぐな性格は私は好きだぞ』

「私もエルちゃん大好きだ!」


 ぎゅ~、とエルを抱き締め、頬擦りまでする千鶴。エルもそれに答えるように千鶴に身体を寄せる。


 しばらくエルに身を寄せていると、千鶴が机の上にある課題に気が付いた。


「まだ課題終わってないの?」

「うん」

「こんなの簡単じゃん」

「僕には難しいんだよ」

「ふ~ん。じゃあ、私が教えてあげようか?」

「ホント!? 頼むよ!」

「いいよ。そのかわり!」


 千鶴がビシッ、と指を立てた。


「そのかわり?」

「ラ・ブ・ラートのデザート奢りね」

「自力で頑張りま~す」


 修也は千鶴の助けをあっさり断った。


 ちなみに、ラ・ブ・ラートとは最近学園の近所にできたスイーツ店だ。有名なパティシエが作っているようで、学園の女子達の中で話題になっていた。ただ、その値段が高くショートケーキですら一個八百円する。十六歳にとって八百円は高級も高級だ。


「何よ、私の助けが必要なんじゃないの?」

「いくら分からんとは言え、この課題に対してラ・ブ・ラートのスイーツは割に合わん」

「ちぇ~」


 それから修也は机に向かって課題を再開したが、やはり問題が解けず十分も経たずに天井を仰ぐ羽目になる。


「はあ~。僕って才能ないのかな?」

「何言ってんのよ」


 千鶴はエルを抱いたままこう続けた。


「修也は最高ランク『名探偵』の称号の証、使のエルちゃんを従えているじゃない」



 

 

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