ミソラと赤い森

空寝クー

第0話 赤い森の赤ずきん




 赤い森と呼ばれる広大な森がありました。

 赤い森とは言うものの、どこかが赤いという訳ではありません。

 しかし、その森を知る人々からは、その黒い木々の生い茂る森は確かに「赤い森」と呼ばれておりました。


 赤い森にはいくつもの不思議な噂があります。


 赤い森には魔女が住んでいて、彼女が作る不思議な薬はどんな病も治すという。

 赤い森には不思議な果実がなる木があって、その果実を食べればたちまち若返るという。

 赤い森には大きな狼が住んでいて、その銀色の毛並みはこの世の何よりも美しい輝きを放つという。


 聞けば首を傾げてしまうような噂から、少し気になる信じてしまいそうになる噂まで、誰から始まり誰が流したものなのか、森には様々な噂がありました。


 その噂の真偽を知る人間は、果たしているのでしょうか。

 そんな人間もまた、噂に過ぎない存在でした。


 しかしたったひとつだけ、誰もが出会う事のできる噂が森の入り口にはありました。


 赤い森の入り口、赤い森の傍にある村から最も近い「正面口」。(森に正面などありませんが、人が訪れる際にいちばん都合がよいのでそう呼びます)

 そこには一軒の木製の小屋が建っておりました。

 この小屋にまつわる噂がひとつ。




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 赤い森の入り口に、でん、と構えるおんぼろ小屋。

 そこには赤いずきんを被った女の子が住むという。

 赤ずきんと呼ばれる女の子は、赤い森の案内人。

 願いを告げれば教えてくれる、願いに到る森の道。



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 噂の通りの案内人かは分かりません。

 しかし、赤いずきんを被った女の子は確かにそこに暮らしておりました。

 そして、時折彼女の元を訪れる、願いを告げる人々もまた存在します。


 その青年もまた、赤い森に願いを抱いて踏み入ろうとする者の一人だったのです。





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 赤い森の傍にある小さな村。

 そこには十人ほどの村人が暮らしておりました。

 村長と呼ぶべき立場にある老婆は、赤い森について尋ねた青年に言いました。


「あの森に踏み入ってはならぬ。あそこは呪われた土地。入っては生きては戻れまいて。」


 その噂は青年も知っておりました。

 一度入れば生きては出られぬ呪いの森。

 赤い森にはそんな噂もあったのです。

 しかし、青年には、どうしても辿り着かなくてはならない場所がありました。

 青年が、その願いを村長に告げると、村長は少し難しい表情で考え込んだ後、ならば、と小さな声で言いました。


「森の入り口にある小屋を訪ねるがよい。そこには赤いずきんを被った娘が暮らしておる。娘は留守にしている事も多いが、何日待ってでも娘に会うがよい。その娘こそが唯一森に出入りできる、赤い森の案内人じゃ。」


 それは青年も初めて聞いた話でした。

 誰もが恐れる赤い森。その案内人が一人の娘だというのは俄には信じがたい話でした。

 しかし、村長は真面目な調子で言うのです。


「逢えばお前は疑うじゃろう。このような娘に赤い森を案内できるのかと。」


 ぴたりと思っていた事を言い当てられて、青年は少しだけどきりとしました。


「しかし、決して疑うな。そして、娘の言う事には必ず従う事じゃ。」


 決して疑うな。

 娘の言う事には必ず従え。

 藁にも縋る思いの青年は、重々しい老婆の言葉に静かにこくりと頷きました。


 老婆に礼を告げ、青年は赤い森の入り口を目指します。


 赤い森の物騒な噂とは裏腹に、森に到る道は極々平穏なものでした。地の果てまで広がるかのような広大な黒い木々の群れが不気味に蠢いている事を除いては。

 ならされた一本道を、青年は足早に進みます。

 やがて、木々の高さが見えてきた頃、道の脇に立つ一軒の小屋を青年は見つけました。


 木で作られた何の変哲も無い質素な小屋。

 中から僅かに明かりが漏れたのを見て、青年はほっとしました。

 赤ずきんの娘はいつでも居るわけではないようですが、どうやらタイミングよく、娘は今は小屋に居るようです。

 小屋に寄れば、林檎の形の小窓がついた扉が見えました。


 こん、こん、こん、と三回扉を叩いてみれば、中から声が返ってきます。


「はいはい、どちら様ですか?」


 小鳥のさえずりを思わせる、澄んだ可愛らしい声がしました。

 この声が、赤いずきんの娘のものなのでしょうか。

 青年は声に応えます。


「私はエイジという者です。『万病薬』を探して此処に来ました。」


 青年、エイジの捜し物は『万病薬』と呼ばれる噂の薬でした。

 ありとあらゆる病気を治せる魔法の薬は、赤い森に住まう魔女のみが作れると言われておりました。

 目的を告げると、小屋の扉がゆっくりと開きます。

 そこにはエイジが見下ろせる背の高さの、赤いずきんを被った少女が断っておりました。


「いらっしゃいませ。赤い森のお客様ですね。」


 赤いずきんをぱさりとおろして、銀色の髪が露わになります。

 見上げる金色の瞳がきらりと光り、にやりと少し子供らしからぬ笑顔で、赤いずきんの娘はエイジを迎え入れました。


「私が噂の赤い森の案内人『赤ずきん』、名をミソラと申します。さ、どうぞ中に。」

「え? 中に?」

「詳しいお話は中で。お茶をお出しします。」


 すっと手を出し招き入れる小屋の中。

 赤ずきんのミソラは、にやりともひとつ『営業すまいる』をエイジに送り、囁くように言いました。


「『びじねす』のお話をいたしましょう。」




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 木のテーブルに置かれた木のカップには、ほんのり茶色の液体が波打ちます。

 何のお茶かも分からぬそれに、恐る恐る口をつけつつ、エイジは小屋の奥から何やら一冊の本を持ってきたミソラに目を移しました。

 ミソラは開いた本をテーブルに置き、エイジの方から見えるように差し出します。そこにはずらりと文字が並んでおりました。


「これは?」

「ご案内する『こーす』をまとめた『かたろぐ』です。うちで取り扱う商品とでも言いましょうか。あ、ちなみにこちらがお求めの『万病薬』のこーすです。」


 ミソラが細い指で差すのは『万病薬こーす』なる文字の並び。

 すすすと動く指先は、文字をなぞって、その更に横にある数字の並びで止まりました。


「10万コル……金を取るのか!?」


 ちなみに、コルというのはこの世界におけるお金の単位。10万コルはエイジがひと月に稼ぐお金とほぼ同じ大金でした。

 ミソラはええ、と頷きます。


「あらゆる病を治す万病薬。決して高いとは思いませんが?」


 大人びた口調でミソラがそう言えば、確かにエイジは言い返す事ができませんでした。

 如何なる医師に診せても治せないと言われた難病。それを治せるのであれば、確かに安いものです。

 相手が少女と思って、抱いていた甘い考えをエイジは捨て、声を出さずに頷きました。

 元より万病薬の為ならば、持ちうるものを全て捧げても構わないと考えていたエイジは、幸いにも今手元にあるお金を全て此処に持ってきておりました。

 全部でおよそ50万コル。決してよくない稼ぎの中で、こつこつと貯めたお金です。


「分かった。払おう。」

「毎度ありがとうございます。」


 鞄から必要な金額を取り出し、差し出せば、ミソラは慣れた手つきで勘定します。数え終わると、ミソラはすまし顔で席を立ちました。くるりと身を翻し、小屋の奥へと戻っていきます。


「では、支度をしますので少々お待ち下さい。この後すぐにご案内しましょう。」


 赤ずきんを被り直す頼りない背中。

 準備をするという少女に一抹の不安を覚えながら、エイジは「ああ。」と返事をし、もう一度お茶を口に含みました。


「ご心配なく。必ずお連れしますよ。『万病薬』を作る魔女の住む家。確かにお代は戴きましたので。」


 赤い森の赤ずきん。

 それは赤い森で誰もが最初に出会う噂。


 ここから赤い森のお話は始まります。




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