第五話 群青色
磁気嵐。
太陽風が、オーロラが。
船舶、航空機に警報が出た。通信各社は右往左往しているらしい。時計も狂うかも知れない。サーバー同期は問題ないか。
飛び交う言葉を耳にしつつ、小村颯太は神速のタイピングでデータを処理し続けている。画面に表示したストップウォッチは一秒一秒とカウントを減らしていく。これがゼロに成る前に、作業を終えてサーバにデータを送信してしまわねばならない。
「小村!」
「もうちょいっ」
ざっと入力項目を目視する。マクロにかけて正当性をチェックして。
保存、そして。
サーバへと送信、完了。
「終わった!」
ストップウォッチがゼロを表示し、カウントはマイナスへと入っていく。
「あー、障害来たな」
隣の島で先輩がスマートフォンを見つめてつぶやく。
「今回は大きいね」
後ろの席で後輩がため息交じりに話している。
「間一髪。お疲れ」
肩に手を乗せてきたのは小村の上司で。残業せずに帰ってしまえと笑ってない笑顔で小村を見る。
「帰ります」
小村は苦く笑って席を立った。
太陽の活動に端を発する磁気嵐の『嵐』は、かつてはGPSや天文衛星、国際宇宙ステーションへ多大なる影響を及ぼしながらも、地上に生きる大多数の人々にはさほど脅威となるものでもなかった。と、小村は上司から散々聞かされていた。せいぜいが低緯度でオーロラが観測されて天変地異だと大騒ぎになったり、その程度だったのだと。
それが今や、磁気嵐で世界が止まるとまで言われるほど、影響をもつものとなってしまった。地球の中心で生まれ、地球圏を宇宙線から守り抜く地磁気は相変わらずであるというのに。
「海の中にいるー。ウケるー!」
「もうちょっとずれたら千葉にならないー?」
「GPSがんばれ!」
高校生の帰宅時間とはこれくらいだっただろうか。財布と定期券とスマートフォンくらいしか入っていない薄い鞄を小脇に抱えて、まだ明るい街へとビルを出る。と。
「あ……」
橙色に街が染まっていた。黒白灰色窓に映るも隣のビルの無彩色一辺倒のはずのコンクリートの林が、ピンク色の雲と青空をバックに橙に染まり輝いている。太陽はどこかのビルに遮られて直接見ることはできそうもない。けれど、見えないからといって、存在感がなくなることは決してなかった。
放射状に伸びた雲が反面を朱に反面を灰に染めている。高く刷毛で掃いたような雲がピンク色に輝いている。雲の間の青空は明るい青から濃い青を通り群青色へと見ている間にも色を変える。
あぁ、きれいだ。
小村は思わずため息を吐く。そういえば、空などずいぶん見ていなかった。いや、見る暇もなく、見上げられるのはいつも夜空で。見られなかったの方が、正しいか。
――磁気嵐のおかげというのは、少しばかり悔しい気がしないでもない、が。
ふと、群青色に占められた辺りに、チカリと光が瞬いた。宵の明星にしては高く。星明かりと言うにはずいぶん近く。
「あぁ、そっか」
もしかしたら、あれが。
小村は刻一刻と夕闇に沈んでいく街を駅へと流されるように歩く。ビルを一つ過ぎるたびに街頭が瞬き、ショーウィンドウから漏れる明かりが強くなる。
駅近くの証券会社ビルの掲示板で何気なく足を止めた。いつもはひっきりなしに流れていく株式情報、為替レート、先物情報がすべて明かりを落とし沈黙している。
かつては各都市、各取引所に置かれていたこれらのサーバー類は、今は『最も安全』で『国家の思惑』をうけにくく、距離的なアドバンテージを生みづらい、そんな場所に置かれていた。
『最も安全』は台風・ハリケーン・サイクロンなどの嵐や地震、洪水、落雷などの天災の起こらない、また、近年あちらこちらで緊張状態が続いている軍事的にも安全とされる場所を示している。
『国家の思惑』はそれを管理する国や地域の思惑をうけにくく、従って、万が一にも情報の途絶や検閲などが発生しないことを示している。
完璧に自由な新世界――すなわち、宇宙に。
小村は空を見上げる。わずか一〇分足らずの間に群青色に染まった空にまた再び、チカリと鋭い小さな光が走った。
地球を周回する人工衛星か、それとも五つのラグランジュポイントに浮かぶコロニー群が、太陽光を反射したのか。
磁気嵐はコロニー間の通信を途絶さえる。もちろん、メインサーバとも。
真夜中でも安息日でも、どこかの国の大統領が変わっても、地球の裏で都市が一つなくなったとしても、止まることのない情報の大潮流が、確かに今、止まっているのだ。
小村は街へと視線を戻す。小村の仕事のメインフィールドは停滞している。しかし、その分。
「何食おうかなぁ」
小村は駅の脇の飲み屋街へとつま先の向きをわずかに変える。
プル、とスマートフォンが鳴動した。
「はい、小村……お、峰守。久しぶり。今どこ――」
久々の、たった一晩の人間らしい活動が、始まろうとしていた。
終焉(LifeEnd)の明星 森村直也 @hpjhal
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