田中真由子。肩につくくらいの黒髪はどう考えても真っ直ぐストレートとは言えない癖っ毛で、ご丁寧にオレンジ色のカチューシャをつけている。されども目鼻立ちはこの上なく整っているわけでもなく、ただただ意志だけは強そうな目つきをしており――

 ……早い話。よくある表現をしたら、中の中……よく言って、中の上くらい。

 事実その通り、決してブスではないのだが、「俺あいつの顔好みなんだよね……」と言おうものなら百人中六十八人には「えーっ! お前B専かよォ!?」或いは「物好きだな」とシンプルに言われるような、そんな微妙な顔だ。うん、俺ってばなかなか酷いな。

 

 目が合った。見下すように睨みつけてきた。

 俺と田中真由子、距離にしてわずか数十センチ。周りのクラスメイト全員の視線を感じる。もちろんその視線は俺に向いているのではい。目の前の、この、

「涼宮ハ……」

 無意識に出かけた言葉を、慌てて引っ込めた。


 前例通りなら言い終わってすぐ起こるはずの拍手が、起きない。いやに静まり返った教室で、その沈黙を破ったのは先生の拍手。それに合わせてクラスメイトたちも続いた。

 なんとなく視界に入った眼鏡のデブが、この世の終わりみたいな顔をしていた。あいつにもかつてそういう経験があったりしたのだろうか。


 一限とセットになっていたロングホームルームが終わり、身体測定やらなんやらいろいろを終えて、午前放課となった登校初日。コミュニケーションスキルに長けたやつらはさっそく気の合う友人を見つけ、これから昼飯でもどうかなどと楽しそうに笑い合う。すごい。俺にはそんな能力はない。

 男子、女子、それぞれが数人ずつぐらいの塊になって、出身中学の話、共通の知り合いの話、興味ある部活の話などに花を咲かせている。

 その塊と塊の間で肩身狭そうに周りを窺っている一部の人間、そそくさと帰宅していく人間、そわそわと誰かから声をかけられるのを待っている人間。

 ――おそらく世間は彼ら彼女らのことをこう言うのだろう。「出遅れた人間」と。

 悲しい。泣けてくる。なんで世間様は無慈悲にもそんなレッテルを張ってしまうのだろうか。スロースターターな人気者だっているかもしれないじゃないか。しかし学校とは既に社会。社会とはコミュニケーションで成り立っているからして、大切なのは初手。この初日でいかに交友の輪を広げられるのかが三年間の生活にかかっているのだ。

 ――かかっているのか? 知らん。俺には関係ない。

 中学では冴えなかったけれど高校では華やかに生きたい、すなわちいわゆる高校デビュー。そんな願望を抱いたところで、結局は自分で行動するかしないかなのだ。待っているだけでも環境が変わったから何かあるだろうなどと期待するのはまあ端的に甘ちゃんであることは間違いないな。

 さてでは俺はどうなのかと言うとだな。

「田中さんって、ハルヒ好きなの?」

 単刀直入。訊いていた。もしかしたらこれは触れてはいけないことだったのかもしれない。でも、、そうですと言っているようなものじゃないか。

 俺は思ったね。「そうかつまりあれは、あのように自己紹介することで『私は涼宮ハルヒシリーズが大好きです。共通の趣味を持っている人がいたらぜひ話しかけてください』という意志表明を作中の台詞に絡めて行える、極めて高度なジョークなのだ」と。

 だから俺はこの時を待っていた。――何故ならホームルーム以降、身体測定やら全校集会やらなんやらで落ち着いて彼女と話せる時間がなかったからだ。

 半日観察してみたところ、彼女は他の女子とのコミュニケーションを全く行わなかった。

 何人か、――それがあの自己紹介を受けての好奇心なのか純粋な親睦のためなのかは分からないが――彼女に話しかける女子がいたけれど、まるで相手にしていなかった。

 ちなみに俺の観測範囲では男子は誰一人話しかけてはいなかったが、ホームルーム終わりで既に「あいつはヤバい、イタい」などの評価が確定していた。


 身体測定の時間。男子は謎の結束を見せた。方々の中学から集まった初対面の者たちが何故古くからの友人かのように親しげに会話を交わすことができたのか。

『どの女子がかわいいと思ったか』

 単純な話である。いやに元気な、今後クラスのお調子者ポジションが確定しそうなサル顔の少年が、男子を集めてそんな話題を振ったのだ。すぐさま乗ったのは気前の良さそうなイケメン。「俺はあの……中根さん、だったかな。出席番号二十二番の」「分かる! てか中根さんクラスで一番かわいくね?」もういかにもサッカー部でしたみたいな焼けた肌の男が返事を返す。「じゃあ次お前、古河くん、だっけ?」「ボ、ボクは……木村さん、かな」「分かる、控えめだけどいいよな」少し地味めな少年にも、柔道部みたいなずんぐり優しい顔つきの少年にも、サル顔は分け隔てなく話を振る。こいつ間違いなくいいやつだ。こいつのおかげでこのクラスは今後『団結』なる二文字を掲げることができるかもしれない。

「んで、あんさんはどーなのよ」

 サル顔改め狭山少年が俺に尋ねる。

「ん、俺か? 俺はだな――――」

 正直なことを言ってしまおうかどうかしばし悩んだ。自分がかわいいと思う相手のことを、周りの人にはなかなか言い出せないという人間だっているだろう。ましてやここでは皆初対面。親しくなった友人に秘密に打ち明けるとは訳が違う。もちろんかわいい=好きではない訳だから幾分か心持ち軽いわけだが、事実、この集団の中にも何人か「いや、僕は特に……」「んー……別に」などと言葉を濁した者がいるのだ。しかしきっとそれは、女に興味がないことを意味するわけではない。とはいえそこは個人の自由。話してしまうことで個人的な立場に影響があるのなら黙っておくのも手なのだ。そんな風に悩んでいるうちに俺の身長と体重を測定する番になってしまい、そのまま答えるタイミングは訪れなかった。


 ……さてさて話を戻そう。たったいま目の前で俺を睨み付けている少女。その名を田中真由子という。自己紹介で言い切ったのは間違いなく涼宮ハルヒ第一巻、そこから彼女の物語の幕が切って落とされることとなる、記念すべき第一声。「東中出身涼宮ハルヒ。ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたらあたしのところに来なさい、以上」の丸パクリである。確か彼女は「興味がある者がいたら」とかなんとか絶妙に言い換えていただろうか。それなりに現実は見えているってことなのだろうか。まあいい。問題なのは彼女が一言も返事をくれないことだ。

「いやね、実は俺もハルヒシリーズ大好きでさ。劇場版はブルーレイボックスまで買ったんだ。いいよな、消失。冒頭のキョンの孤独な絶望感とか、長門が残してくれた手がかりを見つけた時の安堵とか、あとやっぱあれだよ、七夕。私はここにいる、ってさ、いい言葉だと思うな俺は。ほんと素晴らしい作品だよ。アニメ版だとやっぱライブアライブのラストが好きだな。ハルヒが思わず辺りの草をむしってキョンに投げつける木漏れ陽のシーン、あそこがほんとに――」


「……ハルヒ? 何それ」


 このアマ、とぼけやがった。

 俺は思わず真顔になる。

「いや、隠さなくても大丈夫だって。少なくとも俺には伝わったし。今って昔みたいにオタクだからって迫害されなくなったっていうしさ……なんかおすすめのラノベとかあったら教えてくれよな」

「…………」

 涼宮ハルヒもとい田中真由子は黙って立ち上がる。机横にかけられたカバンを手に取り、そそくさと教室から出て行ってしまった。

「おー、どうしたどうした」

「ん、あ、いや」

 運よく同じクラスになった中学の同級生の三橋が、出席番号の前後で仲良くなった森田を連れてこちらへやってきた。

「あいつ、キレキレな自己紹介だったな」

「あれ、三橋お前あれの元ネタ知らない?」

「え、元ネタとかあんの?」

 そうか、涼宮ハルヒは基礎教養ではないのか。そうなると、「エヴァは基礎教養」とか言ってるやつはやはりイタいな。誰だ? 俺だ。

「涼宮ハルヒだよね」

 森田君が小さな声で言った。ふくよかな体つきで弁当箱がデカそうだ。

「田中さんとは、実は中学おんなじだったんだけど……」

「え、マジで? 詳しく聞かせてくれ!」

「お前、なんでそんな興味津々なの……」

 森田氏は途中まで通学路が同じらしく、俺たちは三人、一緒に帰宅した。

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