赤き星に思いを馳せて

宇呂田タロー

赤き星に思いを馳せて(一話完結)

 友達や母がクスクス笑いながら予想したとおり、僕はその日をソワソワしっぱなしで過ごすことになった。

 休み時間が来る度に立ち上がってうろつきまわり、授業中も時計の針と数秒おきのにらめっこを繰り返した。

 分かっている。言われるまでもなく、僕は浮き足立って前後が見えなくなる悪癖を発症して(両親が言うところの『あなたの中で重力異常が発生して』)いると。

 でも仕方が無いことではないだろうか。今日は、今日こそは火星と地球が超大接近するその日なのだ。興奮して何が悪い?

 確かに、火星と地球は太陽の周りを楕円軌道を描いて周回しているため、2年2ヶ月に一度の割合で接近する。頻度はそこそこ高い。

 だけど、今回は特別なのだ。何せ、いつもは大接近といわれるときだって6000万km台、小接近だと1億kmも離れたところですれ違うだけだ。

 それが今回は5500万km台にまで近づくのだ! これに心が躍らない天文マニアがいるはずがないだろう。人類の有史上、最も両惑星が接近するのだ。


 終礼のチャイムが鳴り終わらない内に、ペッタンコのカバンにノートや教科書を押し込んで校門を飛び出した。

 僕のベストタイムを3分は上回るスピードで商店街を突っ切り、2本早いリニアトラムに滑り込んだ。

 「駆け込み乗車は危険です」というアナウンスも僕を止めることはできなかった。


 路面電車の中でもソワソワが止まらない僕は、ポケットからスマートソリッド端末を取り出して、ネットにまた接続した。

 検索エンジンのロゴマークですら、この偉大なる天体ショーを模したものになっている。それだけ一般人の関心も大きいのだろう。

 指をスライドさせて、履歴から天文ニュースのページを引っ張り出す。

 僕達の青い星と、近くまで来ている赤い星が現れて、立体ディスプレイの中でくるくるとダンスを始めた。


『――この夜空に瞬く赤い星は、まるで血のように見えることから、ご承知の通り“争いの星”という異名がつけられており……』


 自動読み上げ機能が大きな声を上げ、車中の全員から冷たい視線を注がれたのが分かった。

 慌てて、骨伝導マナーモードに切り替えた。いくら浮き足立っていても、車内マナーは守らなければなるまい。


『――“運河の跡”とされる細長い筋が発見されたため、この星には生命体がいると、多くの科学者に信じられていました……』


 とはいえ、意識をはるか上空5500万kmへと向けてしまうと、3m圏内の放射冷却的視線がどうなろうと、僕には関係なくなってしまっていた。


『――その星の風景を想像してみましょう。二酸化炭素の大気で覆われた、赤い広大な砂漠がどこまでも広がっていて……』


 既に何百回も、今日だけでも15回は聞いた内容は、きっと暗唱することだって可能だろうけども、僕は自動再生が語る赤い星の物語にドップリと浸かっていった。

 SF小説から天文に興味をもった僕にとって、あの赤い星はいつまで経っても浪漫を感じる冒険の舞台なのだ。

 瞼を閉じれば、そう――僕はその大地に立っている。

 紅に染まった細かい砂の粒子が含まれた乾いた風が、頬をチリチリと撫ぜる。

 かつては存在した水脈が削りだした深く険しい渓谷群から、遠くなった星空を見上げる。

 しばらく歩くと、古代宇宙人の居住跡を発見し、数々の超科学的な機械類を手にする。

 そして未知のエネルギー源を巡る冒険がはじまって……と想像の翼を広げていると、いつの間にか自分の家の駅に到着していた。

 乗車する人の波に逆らって、慌てて降車する。

 危ないところだった。脳内での大冒険なら歓迎だが、今日に限っては1駅区間分のウォーキングだってお断りだ。一刻も早く帰りたい。


 住宅街のポプラ並木を足早に北上し、アパートの2階に駆け上がる。あぁ、確かに重力異常が発生しているのかもしれない。こんなに足取りが軽いなんて!


「おや、早い帰りだね」


 隣家のおじさんが犬の散歩に丁度出るところだった。


「えぇ、そりゃもう! 今夜を逃すと次は何十年と待たないといけませんから!」


 我ながら、上機嫌にもほどがある声だったと思う。釣られたのか隣家のペキニーズまで尻尾を振って笑っていた。


「あぁ、そうか、大接近は今夜だったね。じゃぁ、ご自慢の望遠鏡で?」


「えぇ、そのために小遣いを溜めていたようなものですし!」


 ついでに言えば、1年間は昼飯を飲み物だけで済ませたし、さらにはバイト代も前借りした上での一品だ。


「いいねぇ、ロマンチックな趣味で……屋上かい?」


「贅沢を言えば、星見の山まで行けばいいんですけど、今日みたいな日は休んででも場所取りする人がいるでしょうし」


 学校を休めば良かったのだが、あいにくとギリギリの単位がそれを許してくれなかったのだ。


「ふむ……じゃぁ、後で私も見に行かせてもらって良いかね?」


「えぇ、構いませんけど?」


「ありがたい。お礼にココアを持って来よう。夏とはいえ、夜は冷えるからね」


「お、そりゃ良いですね!」


 とはいえ、こんな役得もあるからアパートからの観測も悪くない。隣家のおじさんは製菓会社の株を持っているから、上質のココアをいつでも持っている。


「ワン!」


「おっと……ピートのヤツが急かしているな……じゃぁ、また夜に」


「えぇ、夜に!」


 そんなやり取りの後、鍵をガチャガチャと開けて、ただいまも言わず部屋へと急いだ。

 どうせ、両親はどっちも帰りが遅い。今日ばかりは、それがありがたかった。誰にも邪魔されずに準備に取り掛かれる。


「レンズセットに、星図表、あとは方位磁石と……」


 アパートの屋上を観測場所に選んだのは、星見の山が混んでいるだろうということの他に、もう1つ理由がある。


「こりゃ一回じゃ無理か……」


 これだけの大荷物だと、リニアトラムで行くのはもちろん、帰りが重労働となることこの上無い。


 お気に入りのリクライニングできる折りたたみの観測椅子は一番後回しにして、それ以外の物をまず屋上まで持っていくことにした。


「おー、晴れてる晴れてる」


 週間天気予報が外れて良かったと、そっと胸をなでおろした。予報ではここら一帯が夕立に煙ることになっていた。

 幸い、360度の視界範囲に雲は無く、季節外れの乾いて涼しい風が屋上を吹き抜けていた。秋は近いらしい。


「じゃ、とりあえず組立ますか……っと」


 何回か組み立てているとはいえ、今夜は重要な日だったので、1つ1つのパーツを慎重に組み合わせていった。

 特殊樹脂でできたレンズを丁寧に磨き、ネジの一本に至るまで注意深くチェックする。

 できれば、夕陽が沈みきる前に全部を組み上げたかったけども、望遠鏡として機能するようになったころには一番星が頭上で瞬いていた。目指す赤い星、そのものだ。


「よい……しょっと……これでどうだ?……OK! 視界良好!」


 スナイパーのごとき慎重さで赤い星に狙いを定めておいて、急いでお気に入りの椅子を取りに戻った。


「ただいまっ! いってきまっす!」


「少しは落ち着きなさい! まったく……」


 母の怒鳴り声が後ろから追ってきた気もしたが、関係ない。

 僕は階段を二段飛ばしどころか三段は飛ばして駆け上がった。


「これで……かんっぺきっ! よっしゃ、見るぞ~!」


 望遠鏡の中心に赤い星を収め、倍率をどんどん上げていく。予想よりも、はるかにくっきりと、その丸い姿が視界に飛び込んだ。


「すっげ……これなら、運河の跡も見れるんじゃね?」


 僕は夢中になりながら、さらに倍率を上げたりピントを合わせたりと、忙しく望遠鏡を操作していった。


「順調かい?」


「あ、どうも!」


 ココアの優しい香りが鼻孔をくすぐるころには、僕は幸せの絶頂だった。望遠鏡の性能にも満足していたし、思ったより街の灯りが邪魔しないことにも感謝していた。


「覗いても?」


「えぇ、どうぞ。赤い星がくっきり見えるはずですよ」


 隣家のおじさんは、望遠鏡を覗くなり、「ほぅ」とフクロウのような感嘆の息を漏らした。


「ほう、ほう、見事に赤いねぇ。いやよく見えるもんだ、地表の砂粒すら見えそうだ」


「でしょう?」


 まるで自分が褒められたような気分で、僕はにっこりと笑った。


「なるほどねぇ、これが……」


「えぇ、それが――」


 僕が憧れ続けた、SFの舞台。もしかしたら、かつて生物がいたかもしれない、“争いの星”。


「『地球』、です」

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