黄色い雨合羽

 俺のストレス解消法教えてやろうか。

 それは夕暮れの塾帰りの子どもを襲うことだ。

 まあ、たいていの子は親に送り迎えしてもらってるけど、中には忙しくてそんなことできない親もいる。そういう子を狙うんだ。

 子供はいいよな。抵抗力が小さい。これが女でも大人だったらかなりの力で反撃されるからこちらの身がやばくなる。だからと言って子供でも高学年の子はだめだよ。大人並みの力を発揮するからね。狙うなら低学年の子供だね。

 そんな小さな子を放っておく親なんてそうそういないように思うだろ? ところが結構いるもんなんだよね。

 ああ、俺はなんて卑劣なんだろう。卑劣過ぎてわくわくするよ。

 まあ襲うなら女の子がいいんだけど、選り好みなんてやってられない。とにかく一人で帰る子を見つけたら、即行拉致らないとな。顔見られないよう後ろから抱きかかえてあっという間に車に乗せるんだ。悲鳴上げられないよう口を塞ぐのを忘れずに。

 車に乗せたらすぐ袋かぶせること。もちろん顔を見られないようにだ。

 もし男の子なら全身ぼっこぼこかな。女の子じゃないならそれぐらいしか需要ないじゃん。ま、それだけで結構すっきりするけどね。嫌味な上司や俺をバカにする同期に見立ててさ。

 女の子なら? ははは、やることひとつじゃん。かわいいよね。ぶるぶる震えてしくしく泣いて。たまに暴れる子もいるけど、耳元で殺すぞって凄めばおとなしくなるし。もちろん頭には袋かぶせたままだよ。かわいい顔見ながらやりたいけどさ、俺の顔ばれるっしょ。後は男の子と一緒でぼっこぼこにするよ。へへ、優しくないよねー、俺。

 でも、殺さないよ。ぎりぎり止めてる。そこまで悪人じゃないもん。

 今んところ、誰にも俺のことばれてないかな。うまくやってんだろー。

 ただ、警戒が厳しくなるよね。けど、そんなもの喉元過ぎればなんとやらさ。しばらく我慢してたら、すぐ疎かになるし。親とか先生ってバカだねー。

 そろそろ喉元過ぎたかな。久しぶりだからすごくわくわくしているよ。


            *


 男は待機した車の中で舌打ちした。待っている間に雨が降り出したのだ。雨足はだんだんとひどくなっていた。

 こうなると子供の送迎率が高くなる。

 きょうは諦めなくてはならないのかと思うと、楽しみが大きかった分、失意も倍以上になった。

 次の機会まで待たなければならない日々を思い、もう一度大きな舌打ちが出た。

 それでも期待して待ってはみたが、一人歩きの子供はやってこない。全員迎えが来て帰ってしまったのだろう。

 男は塾から少し離れた目立たない路地に車を止めていたが、雨が降って人通りがないとはいえ、そろそろ近隣の住人や警邏中の警官に見咎められる恐れがある。

 あきらめることも大事だな。

 男はため息をついた。が、心とは裏腹にあきらめきれない不満がストレスとなり澱んでいた心がさらに澱む。

 ああ、どうすればいい? どうやったらこの気持ちが解消されるんだ?

 知らず、知らず奥歯がごりごりと音を立てていた。

 そうだ。次回は殺しをやればいいんだ。少しずついたぶってさ。

 どうせ殺すんだったら顔見られてもいいじゃん。袋を外して怯えた目を見ながら、今までできなかった分、あんなことやこんなこともしよう。

 そう考えていると気持ちが高揚していらいらが消え、頬も緩む。

 そうだ。そうしよう。こりゃ楽しみだ。よし。次回まで死体の捨て場所も探しておかなきゃ。ああわくわくする。

 心の澱みが少し薄まり、男はエンジンをかけようとキーに手を伸ばした。

 その時、十数メートル前方にある街灯の下に小さな人影が浮かんだ。煙る雨の中を黄色い雨合羽を着た子供が一人とぼとぼとこちらに向かって歩いてくる。

 暗い上に深々とフードをかぶっているので、男の子か女の子か顔は見えない。方向が違うので塾帰りの子供ではなかった。母親にお使いでも頼まれたのだろうか。

 この際、そんなことどうでもいい。チャンスはすぐにものにしないと。

 よっしゃあっ。

 男はガッツポーズを作ると音を立てないよう運転席から降り、車の陰に潜んだ。

 前髪や首筋に滴り出した雨粒は不快だったが、こんな雨だからこそ証拠が残りにくいと、天が味方しているような状況にほくそ笑んだ。

 獲物は殺すとさっき決めたことで男の高揚感は半端なかった。

 死体の捨て場所なんて決まってなくてもどうとでもなるさ。

 雨なのか涎なのか自分でもわからない口元に流れる雫を手で拭う。

 黄色い雨合羽は何も知らずに近づいてくる。

 次の街灯の下では身の丈に合わない大きな合羽を着て同じ色の長靴を履いているのがはっきり見えた。依然、性別は判別できない。

 ぴちゃぴちゃと足音が聞こえ始め、男はより深く車の陰に身を寄せた。もうすぐ前を通過する。

 黄色がさっとよぎったのを合図に男は陰から飛び出し、子供を後ろから抱きしめ口元を手で塞いだ。

 小さくて柔らかな肉感が胸や手に伝わる。男の耳には自分の荒い鼻息しか聞こえてこなかった。

 急いで車の横まで抱きかかえてきたのに後部ドアを開けようとした時にはぺちゃんこの合羽だけが腕に引っかかり、子供の姿がなかった。

 おい嘘だろ。中身だけ逃げるって、手品か。いや、今の今まできつく押さえつけていたんだ。逃げられるはずない。

 男は両手で合羽の肩をつまんで目の前で広げ確かめた。

 ずぶ濡れの合羽はだらりとして皺に沿って流れる雨水が地面にぽたぽたと雫を垂らしていた。

 一体どういうこと?

 合羽を右に左に眺めていると手に重みを感じた。

 目の前にあるフードだけが膨らんで持ち上がっている。中には丸い子供の顔があった。

「わっ」

 思わず、合羽を放り投げた。

 ぺちゃんこの合羽が地面に広がった。

 見間違いか――

 男は目に流れ込んでくる雨水を手で拭いながら笑った。

 じゃ、これを着てここまで歩いて来た子供はいったいどこに行ったんだろう。中身だけうまく逃げ出したにしてもどこにも見当たらない。

 男は辺りを調べ車の中も確かめてみたがやはりいなかった。

 ぱっと目の端に動く黄色を捉え視線を向けた。

 雨に叩かれて地面にへばりついていたはずの合羽が立っている。フードが持ち上がり男を見上げたが、その中には何もいない。

「なんなんだ」

 動けずにいる男に向かって合羽がとことこ近づいてくる。

 蹴り飛ばすとまたぺしゃりと地面に落ち、男は狂ったようにそれを踏みつけた。両足を乗せ踏みにじる。合羽の鮮やかな黄色が泥にまみれてきた。

 男がバランスを崩し、尻もちをついた。舌打ちしながら顔を流れる雫を拭っていたので、頭上に浮かび上がった合羽に気付いていなかった。

 合羽はばっと広がると男の上に覆いかぶさり体を包み込んで縮み始めた。

 男の苦し気な声が中から聞こえる。合羽はどんどん縮み、その度にばきばきと骨の折れる音が聞こえ、やがて呻き声は聞こえなくなった。

 それでも合羽は縮むのをやめずバスケットボール大になり、さらに野球ボール、ピンポン玉、そこからもっともっと小さくなって消滅した。

 雨粒の打つ地面には絵具を溶かしたような黄色が滲んでいたが、やがて雨と一緒に側溝に流れ込んでいった。

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