最後の別れ

「あーもうお前とはやってられない」

「こっちこそ、あんたには付き合いきれないわ」

 他愛もないことで夫婦げんかした栄男と美意子。軽い口喧嘩から始まり、怒鳴り合いを経て、物のぶつけ合いにまで至った。

 二人の周りには割れた花瓶やばらばらになった本、電池のはずれたリモコンなど、手元にあったありとあらゆるものが散らばっていた。

「お前とは別れる」

「ええ、望むところよ」

 栄男はスーツケースに身の回りのものを入れ、大きな音を立てて玄関を出て行った。

 美意子は自室に戻り、ベッドに寝転がってふて寝した。

 喧嘩をしたときのいつものパターンだった。


 些細なことから始まる喧嘩。頭が冷めれば美意子から、もしくは栄男から携帯電話に謝罪のメールが入る。

 そして、出て行った栄男が花束かケーキを買って家に戻り、二人は仲直りする。

 その日の夕刻は栄男から謝罪のメールを入れ、美意子の大好きなチョコレートケーキを買って家に帰った。

 玄関は栄男が家を出たままの状態で鍵が掛かってなかった。

 不用心だなと思ったがそれを注意すれば、あんたが開けてったんでしょと、また言い合いになってしまう。

 栄男は深呼吸し、心を落ち着かせてから靴を脱いだ。

 ケーキの箱をテーブルに置き、辺りを見まわす。

 ぶつけ合って散らばったものがリビングに散乱したままだった。

 いつもはちゃんと片づけてあるのに。まだ機嫌が悪いのか? 

 栄男はため息をついて寝室を開けた。

 美意子はベッドの上でこと切れていた。下半身を露わにされ、首をストッキングで絞められていた。

 何者かが侵入したのだ。美意子は必死で抵抗したに違いない。ベッドサイドに飾られた小物も枕もすべて床に散らばっている。殴られて腫れ上がった顔が哀れだった。

「美意子っ、美意子っ」

 泣き叫んでも、抱いて揺すっても、彼女が生き返ることはなく、悲しげに見開いたままの眼が栄男を見つめていた。

 その日から栄男の頭の中は二度と会えなくなった美意子との最後の日を何度も何度も繰り返し、前に進むことはなかった――

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