By other's faults wise men correct their own.

 閑古鳥の鳴き声さえ聞こえなくなって久しい古導具店アンダンテにも、運命の女神ヘマイトロスの気紛れかなのか、はたまた単なる不幸な事故なのか、客と呼ばれる者がごく稀に訪れる。しかし何の因果なのか、アンダンテに訪れる客は、いつだって何か一つは余計なものを連れてきてしまう。

 技術革命を経て周辺諸国が羨むほどの栄華という美酒を浴びるソーンチェスターは導術時代の文化を未だ色濃く残す。特にヒュジウォーシャは鉄筋とコンクリートの腐肉で出来た高層建造物が一切見当たらないという時代遅れなほど見晴らしのいい景観を誇り、趣の深さに限って言えばイヴェンフォール峡谷にも負けぬ異色の街だ。

 導術に纏わる商いで生計を立てるにはお誂え向きな街に店を構えながら、全く繁盛する兆しもない古導具店がアンダンテである。そんな胡散臭い店に寄りつく人間が、そもそも一筋縄で行くと考えることこそが間違いなのだろう。

 客が来る気配が微塵もなかった昼下がり、最近発表された論文に目を通していたイルマは来客の姿を認めるなり、嫌な予感を抱き身構えもした。カウンターを挟んでイルマと対峙するのは、皺どころか埃一つついていない白いスーツを着こなした男。体付きはすらりと細く、背中に鉄棒でも通しているかのように背筋は真っ直ぐ、背の高さも相まって案山子めいた印象を与える客人はアタッシュケースを提げていた。この街の雰囲気にはそぐわないほどに折り目は正しく、恐らく一寸の狂いも見逃さないだろう。

 長年の経験からイルマはこの時点で不安を覚えた。こんな寂れた古導具店に畏まった服装と態度で訪れた者は大抵、厄介事を持ち込んでくる。客人が礼儀正しい挨拶を添えて差し出してきた名刺を受け取りながら、イルマは心中で項垂れた。

 何より、堅苦しい服装でありながら白い仮面で顔を覆い隠している者が真っ当であるわけがないのだ。イルマの経験上、珍妙な格好をしている者は漏れなく厄介事を持ってくる。それもかなり面倒なものだ。

 堅苦しい正装に珍妙な仮面。これはきっと倍増しで厄介だとイルマは全てを悟った。

 アヴェニュワ研究所、技術兵器開発室、現場主任イコンシュナイザー=R=ハルバトリオン。アヴェニュワ研究所の住所と連絡先も添えられている。

 陰鬱な気持ちで名刺の表記を眺めていると、カウンターの上に横長のアタッシェケースが粛々と置かれた。

「まず始めにこれをご覧いただきたい」

 まず始めに――その言葉の何と恐ろしいことか。最早、これから面倒事を紹介します、と予約しているようなものだ。

 頭が痛くなってきていた。こんな日に限ってアンダンテ唯一の従業員は私用で休みを取っている。

 流れに流され名刺まで受け取ってしまったが、このままではいけないという予感が今更ながらにイルマの背筋を冷やした。先月は様々なことが続き、今月こそはのんびりと古導具商としての平穏すぎる日常で骨を休めようと思っていた矢先にこれだ。

「あんたが誰かは分かったが、用件はなんなんだ」

「せっかちな方だ。あなたにとっても悪い話ではないというのは間違いない」

「時は金なりとも言うぜ」

「ならばなおさら見合った価値があるだろう」

 言いながら、白仮面の男は革製のアタッシェケースの口金を外し、イルマへと向けて開いた。

 アンダンテの天井で鈴なりに揺れる裸電球の剥き出しの光を受け、ケースに鎮座する物は蠱惑的な輝きを放つ。

 イルマは一目でそれの正体を理解し、目を瞠り、生唾を飲み込んだ。

 緩く反り、滑らかな曲線を描く片刃の刀身、鐔部分には女性の握り拳よりも僅かに小振りな青い宝珠、金属製の柄の頭にはそれよりも一回りほど大きな同色の宝珠が嵌められている。巻き込まれた白い柄糸は糸というには幾分か太いが、真珠のような光沢があった。

「……エリュシデが遺した伝説の名具」

「やはり古導具商。その意匠さえ知られていない幻の導剣を見極めるか」

 白い仮面から覗く黒い目が興味深げに細められる。

「分からないわけがない。導具で商いしてる奴だったら、誰だって知ってる。刃紋に至るまで数式の美を追及した刀身、大小二つの宝珠、しかも柄糸にはそれ自体が幻素線(エーテライン)の役目を果たす海帝種の髭。こんな机上の空論を現実のものにしちまった導具が他にあるかよ」

「如何にも。これは稀代の導具設計士エリュシデが遺した最期の作品、噎び笑うナバリナトラに他ならない」

「なんでこんなもんを、うちなんかに持ってくる?」

 幻の導剣の現物をその赤眼で直接目にする機会に恵まれたことは、イルマ自身にとってこれ以上にない幸福だ。しかし、こんな寂れた店にわざわざこれほどの一品を持ち込む珍妙な客に対しては身構えざるをえない。

 何か裏がないと勘繰らない方が無理な話だ。

「私の依頼を受けてくれるならば、この品を無償で貴方に譲ろうと考えている」

「回りくどい奴だな。報酬より先に用件を言えよ」

 あえて高圧的に出るイルマだが、その眼球は気を抜くと導剣に引き寄せられてしまいそうだ。

 噎び笑うナバリナトラ。マニアなら垂涎のあまり脱水症状さえ起こしかねない一品だ。記録では十振りのみ製造され、その半数以上は厳重に保管されているという。

 在野の導術士では本来ならば出会うことさえ叶わない。

 それが今、イルマの目の前にある。本心を言うならば、喉から手が出るほど手に入れたい。

 喉からせり上がる手を何とか押し止め、イルマは仮面の男を睨み付ける。

「とある荷物を運んでほしい。場所はエンジャーズ深林」

 自殺志願者でも寄りつかないような地名にイルマの顔立ちが険しくなった。

「闘牛の前で真っ赤な服着て、ダンスしろっていうのか?」

「詳細は後程となるが、緩衝区とはそれなりの距離を置いた場所が受け渡しポイントだ。竜やエルフのことは考慮しなくていい」

「話を聞けば聞くほど分からねぇな。あんた、うちの看板をちゃんと見たか? ここは古導具店であって、その手の運び屋じゃないんだが?」

 今まで導具絡みで厄介事に巻き込まれたことも、そういう依頼を回されたこともある。だが前者は始めからそういう依頼だったわけではなく、後者に関してもイルマに依頼する妥当性があった。だが、今回はまるで違う。

 何故、研究所の主任がイルマに依頼をするのか、理由が全く見えてこない。

「軍隊において、導術士が戦力と数えられなくなって久しい。しかし荷運びに関して、導術士は適任だと私は考える。導術は個人で多種多様の兵器を携行しているのと同義だ。足回りの速さは大戦当時から今日まで導術士の強みだろう?」

「だからこそだ。そういうのを専門とした導術士はまだいくらでもいるだろう。何より俺は導術士じゃねぇ。導具整備士だ。あんたはそこから間違えてやがる」

「それこそおかしな話だ。あなた以外に適任がいるとは思えないな、フラベルジュ博士?」

 懐かしい名前で呼ばれ、イルマは覚えず渇いた笑いを零した。

「俺にそんな名前があるとは知らなかったぜ」

「貴方にとってはまさぐられても痛くない腹だが、君の弟子にとってはどうだろうな?」

「何が言いたい?」

「ドラゴニア大橋が落ちたのは記憶に新しいな、フラベルジュ博士」

 言外の真意を理解し、イルマは歯噛みする。

「全く、ままならねぇもんだな」




 木製のシックな色合いの調度品が並ぶ喫茶店内、窓際の席に座る二人の少女がいた。

 鮮やかな紅い髪の少女の前には大盛りのペペロンチーノに、切り分けられたガーリックトースト、さらに熱々のドリア、シーザーサラダが並ぶ。向かいに座る波打つ金髪の少女は青ざめた顔で目の前のツナとアンチョビのパスタと、相手の食事を見比べていた。

「本当、あんた見た目に寄らず大食いよね」

 次々に料理を口に運んでいた鮮やかな紅い髪の少女ユラハは、金髪の少女アリエスの言葉にようやく手を止め、星屑を散らしたような虹彩を向けた。薄い唇の隙間から伸びていた麺を一息で吸い取り、しばし口を動かし飲み込んだ後に、ユラハは答える。

「前衛の導術士だったら、これくらい普通だよ。アタシはむしろ食べない方」

 女性にしては低い、少年めいたユラハの声にアリエスはため息を吐き出す。

「学院の前衛役だって大抵大盛りで済ますわよ」

 ヒルダー導術学院の食堂には前衛を務める導術士も多くいるので、大盛りの量はかなり多めになっているが、それでも目の前と比較すれば少ない方だ。

「いつ戦闘になるか分からないんだし、常に万全のコンディションにしとくのは当然だと思うけどな」

「誰も彼もがあんたみたいにトラブルばっかりじゃないのよ」

 管理された演習を行い、教本に従っていれば評価される学院しか知らない者と、何が起こってもおかしくない戦場の最前線で常に的確な判断を下さなければ死に直結する場所で叩き上げられた者の違いなのだろう。

 二人の生きる世界はどこまでも真逆で、そして食事の量だけでなく、それ以外も対照的だ。

 女性らしい艶やかさと柔らかさを感じるウェーブがかけられた金の長髪に対して、ユラハの髪は短く毛の質も硬い。伸びてきた後ろ髪を大雑把に纏めているが、まだ長さが足りないらしく、零れている毛の房も多かった。

 服装だってアリエスは学院指定制服である白地のワンピースを着ているのに対し、ユラハは麻のシャツに色褪せたボロボロのジーンズというシンプルな出で立ち。アリエスと違い、戦闘に邪魔という理由で爪も伸ばさず塗らず、アクセサリーもほとんど身につけないユラハの数少ない洒落っ気と言えば、首に提げられたポーラータイくらいだった。

 外見に無頓着とも思えるが、しかしその大雑把で簡潔な姿は前線に出るとは思えないほど華奢でか弱い体から発せられる抜き身の美と、何より精悍さと爽やかさが同居した男勝りな顔立ちによく似合っている。言ってしまえば、その全てが彼女の一部として纏まり、余分なものが一切なかった。

 性別と年齢くらいしか共通項もなく、生活における接点もなかった二人は、ちょっとした一件で知り合って以来、いつの間にか友達として週末によく遊びに出かける間柄となっていた。

 二人が座る四人がけの席、それぞれの隣にある空席にはたくさんの買い物袋が積まれている。大きな違いと言えば、ユラハの脇に積まれた袋が導術関係の物であるのに対し、アリエスの物は服飾関係であるということぐらいだ。

「アリエスのお陰でいい靴が見つかったよ」

 目の前の大食いっぷりに空腹感も失せ始め、ゆっくりとパスタを巻いていたアリエスに、ユラハがふとそんなことを言う。今ユラハが履いている濃紺なデッキシューズは今日、リキッドーアで買ったものだった。

「別に大したことじゃないわよ、これくらい」

「そうかな、やっぱり女性に見繕ってもらった方がこういうのはいいね」

「まあ、靴一足しか持たないあんたのために、合わせやすい色にはしてあげたけど」

 意外そうに少し目を丸くしたユラハはすぐに微かな笑みを浮かべ、ガーリックトーストをかじる。

 出会ってからおよそ四ヶ月。ユラハの変化の乏しい表情からの読み取りがアリエスも分かってきていた。

 今のは「そこまで考えていたのは知らなかった。でも嬉しいよ」などといった具合だ。

 いつも颯爽としていて、クールな表情を崩さないが、別に感情を押し殺しているわけでも、起伏がないわけでもない。ユラハは単に表情で相手の情に訴えたり、気に入られたりするという行為に意味を感じる以前に、そもそも意識していないだけだ。

 ある意味根っからの自然体と言えるだろう。

「あー、でも仕事でこれ履いてたら、すぐダメになっちゃうからもったいないかも」

「そう?」

 今度はアリエスが笑う。大切にしようとしてくれることは嬉しかった。

 緩みそうになる頬を抑えるようにアリエスは頬杖をかき、なるべく平素の表情を作る。

「ま、そん時はまた一緒に選んであげるわよ」

「それもそれで悪くないかもね」

 ユラハの靴は二ヶ月持てば長い方だ。過酷な最前線で戦い続ければ、靴の損耗は激しく一ヶ月で使い物にならなくなることも少なくはない。ユラハがアンダンテに勤めておよそ半年、すでに靴を八回買い替えている。

 本来古導具店の従業員がそんな過酷な環境に身を置くことはないのだが、残念ながらユラハが働いているのは古導具店アンダンテ。他の古導具店とは話が違う。

 新しい靴に履き替えるまでユラハが履いていた靴は底がすり減り、ほとんどなくなっていた。

「またいろいろとあったわけ?」

 フォークでパスタをつつきながら、アリエスが問いかける。

 アリエスのパスタは半分ほどしか減っておらず、ユラハの前の料理は半分減っていた。当たり前のようだがおかしな話だ。

 口に含んでいたドリアを飲み込み、水を流し込んだユラハは当然のように頷く。

「まあ、結構ね。先月の旅行でもいろいろあったし」

 アンダンテは毎月トラブルに巻き込まれている。話を聞く度にアリエスは不安を抱き、また心配だってしていた。

「あの店本当に大丈夫なのかしら」

「ま、ハリがあっていんじゃないかな」

「またそんな適当言って。何かあってからじゃ遅いのよ」

 少し語気を強めるアリエスに、ユラハは「確かにそうだけどね」と曖昧な返事しかしない。

 はぐらかされているのか、事の重大さに気付いていないのか、ここだけは未だに判断しかねた。

「でもイルマもいい加減、うんざりしてるみたいだから、今月は割と静かなんじゃないかな」

「あの人の言うことは当てになんないのよ」

 またユラハは微かに笑い「それもそうだね」と返してくる。

 心配する自分の身にもなってほしいのだが、その気持ちはまだしばらくユラハに伝わりそうもない。ユラハにとっては日常かもしれないが、アリエスにとっての日常はユラハとこうして出かける時間だ。そもそもとして生き方が違うのは分かっていた。




 二日後の早朝、陽もまだ出ていない薄暗い時間から古導具店アンダンテは目を覚ましていた。灯りこそ灯っているが、入り口には臨時休業の札。夜の静謐が未だヒュジウォーシャの古い街並みを満にされ、朝と夜の狭間に染められた紫苑の空気がすっと世界に浸透している。

 店の裏手の庭、芝生の上に置いたランタンから広がる橙の光が円状に朝霧と溶け合い、宵に紛れた車とガレージ、そしてイルマとユラハの輪郭をぼんやりと描いた。

 シンプルな店名のロゴが側面にプリントされたワゴン車のトランクルームを開けて、腰掛けたユラハは薄い肢体に巻いた革製のベルトキットにテキパキとポーチを取り付けていく。まだ目覚めないヒュジウォーシャに常のような人々の声もなく、衣擦れや金具がぶつかり音が体の内側にまで染み渡る。

「マガジンケースに予備の術莢、メディカルキット、非常食に水筒、導式炸薬筒にナイフ、望遠鏡、懐中電灯に照明弾……よし、一通り大丈夫か」

 薄い胸部や細い腹部周辺に吊り下げたポーチのチェックを終え、ユラハは立ち上がる。

「イルマ、こっちは準備終わったよ」

「ああ、こっちも今終わった」

 言って、イルマは総点検を終え、組み直された二つの導剣をユラハへと差し出す。

 刃渡りこそ短いが、剣幅は通常の剣よりも広い片刃の中剣アルドライト。そして回転弾倉式に加え、曲銃床に酷似した木製の柄という独特な形状をした短剣ベリス。アルドライトは柄頭に、アルドライトは鐔部分にそれぞれ紅い宝珠を備えている。アルドライトは旧式の有名モデルを改造したもので、ベリスに至っては完全に一点物。いずれもユラハの愛剣である。

「問題は?」

「随分と振り回してるみたいだな。アルドライトがお前から逃げたがってるぞ」

「それは初耳だね」

「無理に撃ちすぎなんだ、幻素線(エーテライン)の一部が焼き切れる寸前だったし、機関部も悲鳴を上げてやがる」

「そう出来る戦場だったら、そうさせてもらうよ」

 受け取った剣のうちベリスをベルトの背部に、アルドライトを左脇に引っかけていく。これで装備一式が完全に整った。

「とりあえず部品交換はしておいたが、気を付けてくれよ」

「はいよ」

 気楽に応じるユラハにそれ以上諫める気も起きず、イルマは咥えた煙草に火をつけ、紫苑を虚空へと吐き出した。朝霧と煙の見分けはすぐにつかなくなる。

 仕事自体はただの荷運びだ。ここまで装備を万全にする理由も本来ならない。

 ただ今回の仕事が平穏無事に終わるとは到底考えられなかった。過剰なほどに準備しておいて損はないはずだ。

 アンダンテの業務において、こういう予感はまず的中する。

 垂らしていた後ろ髪をてきぱきと纏め、イルマは億劫そうに立ち上がった。

「時計の時間を合わせたら出発するぞ」

「了解」

 気が乗らない憂鬱な仕事の始まりだ。

 側面の店名を剥がしたワゴン車に乗り込み、二人は静かに出発する。

 いくつかの寄り道をしながらリキッドーアを経由し、インターチェンジを通過してハイウェイへと乗り込み、まだ疎らな車の間を縫うように追い越していく。

「エンジャーズ深林までの経路は複雑じゃない。エヴガリア直通のこのハイウェイに乗って、ウォートグリューで降りる。そこからレイニスパル山の麓を添うように二時間ほど走れば辿り着く。四時間程度の、まあ言っちまえば気楽なドライブだ。道中アンブルビットで積荷の受取があることを考えてもそう時間はかからない」

「そりゃ普通に行けば、の話でしょ?」

 車を運転するイルマの説明に、後部座席の端に座り風景を眺めていたユラハが水を差す。

 実際その通りだ。このドライブが予定通りに行くとはユラハだって考えてはいないだろう。

「わざわざ導術士に頼むくらいだ。どうせ、どっかで襲撃に遭うような代物だろう。待ち伏せだって考えられる。当然、考えられる最短経路は最も遠回りな道だ」

「急がば回れって奴か」

 話半分、ユラハはヒュジウォーシャを出る前にドライブスルーで買ったハンバーガーの包み紙を開け始めている。

「アンブルビットで荷物を受け取った後、ハイウェイは使わず、下道で目的地に向かう。片道六時間の長旅になるが、こっちの方が安全だろう」

「謎の依頼人に謎の荷物。何が起こるのか、わくわくするね」

「楽しいドライブになりゃいいがな」

「とりあえずその眠たくなる音楽変えてくれたら、少しはアタシも上機嫌になるんだけど」

 ユラハとイルマは価値観で噛み合わないところが多々あるが、お互い妥協をある程度している。その中でユラハが一番文句を言い、イルマが最も譲れないのが音楽の趣味だった。

 一瞬イルマは渋い顔をするが、機嫌を損ねたユラハとのドライブを想像し、やむを得ずカーオーディオをラジオに切り替える。流れ出したのはイルマが聴き慣れない若者の曲。多分その曲をユラハも知らないが、イルマが好きな昔の女性シンガーのバラードよりはいいのだろう。

 その矢先、イルマの懐で携帯電話が鳴り出す。片手でハンドルを握ったまま、ラジオの音量を下げ、取り出した携帯電話の液晶を確認した。

 依頼人の電話番号だ。嫌な予感を抱きつつ、電話に出る。

「こちら、古導具店アンダンテ」

「アヴェニュワ研究所所属技術兵器開発室の現場主任イコンシュナイザー=R=ハルバトリオンだ」

 長々とした自己紹介を淀みなく語る低い声は間違いなく依頼人のそれだった。

「今、アンブルビットに向かっている最中だ。急用じゃないなら後にしてくれないか?」

「問題が発生した。受け渡し場所を変更したい。詳しい場所をメールでお送りするが、ストンヒルズに向かってほしい」

 イルマの脳内でソーンチェスターの地図が広げられる。あまり大きな変更ではない。

 ハイウェイを少し早く降りれば済む。経路的にも大筋は変わらない。

 ただ、それでも予感があった。

「問題ってのはどういうことだ?」

「単なる手違いだ。こちら側の不手際であることは認めるが、仕事に大きな支障が発生する類のものではない」

「手違いってのが何なのか、俺は聞いてるんだが」

「答える必要性がない。どちらにせよやることは変わらないだろう? フラベルジュ博士」

 皮肉にしか聞こえない名前を口にして、男は一方的に電話を切る。イルマが逆らえないと分かった上での言動は単に腹立たしかった。

 渋い顔で携帯電話を助手席に投げ出すイルマに、ユラハも不穏なものを感じたのか、後部座席から身を乗り出してくる。

「何かあった?」

「受け渡し場所が変更になった。手違いがあったらしい」

「手違い、手違いねぇ」

 意味ありげに繰り返すユラハ。漂い始めた不穏の気配に何かを期待しているようにも見えた。

「手違いなんざ、この広い世界、どこでだって発生している。ただ、手違いだって高をくくって悠長に構えてると足下掬われることになる」

「足下掬われて倒れた先の方が問題な気がするけどね。沼に落ちるのはごめんだよ、靴も新調したばかりだしね」

「そいつぁご機嫌だ」

 本来なら受けるべきではない依頼だということは分かっている。

 どう考えてもまともな荷物ではないだろう。違法な物である可能性が極めて高い。

 技術兵器開発室の荷物だということを考えれば、何か外交問題に発展しかねないものかもしれない。

 それでも従うしかなかった。




 リキッドーアの物よりは背の低いビルが建ち並ぶストンヒルズの街並み、その一角の喫茶店のテラス席にイルマは一人で座っていた。

 パラソルが挿された円形のテーブルの上にはディオドアンコーヒー。口に含むと独特の酸味が広がる。

 十月とはいえ、大陸の東北部に位置するソーンチェスターの気温は肌寒い。テラス席を利用するものは疎らであり、特に鍛え抜かれた肉体に浅黒い肌、また頭髪が白いイルマの姿は悪目立ちした。それでも戦場と遜色ない装備をした導術士よりはまともだろう。

 席についてからおよそ三十分、コートを着た肥満体の男性が、イルマに一切目を合わせず脇の席へと座った。愛想良くウェイトレスに軽食とコーヒーを注文していく男性。

 注文を受けたウェイトレスが去り、そしてサンドイッチとコーヒーを持ってくるまで、イルマも肥満体も一切目を合わせない。

 コーヒーを飲み終え、一息ついたイルマは店内のトイレへ向かおうとおもむろに席を立ち、男の脇を抜けていく。トイレに辿り着いたイルマは平素と変わらないのんびりとした足取りで個室に入り、羽織っていた上着のポケットをまさぐる。

 中に紙片。取り出して広げると、そこには荷物を入れたロッカーの場所とパスワードが記されていた。

 即座に暗記し、紙を破り捨て、少し時間を置いてからトイレに流す。

 いつもと変わらぬ風情で手を洗い、濡れた手で髪型を少し整え、イルマは元の席に腰掛けた。肥満体の男はまだそこにいる。

「手違いってのは一体何だったんだい」

 そっと呟いた言葉に人柄がよさそうだった肥満体の目が途端に険しくなる。

「ただの運び屋が余計なことを知る必要はない。素人め。早く仕事に戻れ」

「もう遅いぜ、そりゃ」

 喫茶店に面する道路を黒塗りの車が走り、テラス席の目の前で止まる。開け放たれたドアから同時に生え出す銃口。

 イルマは立ち上がると同時にテーブルを蹴り倒し、その陰へと飛び込む。あらかじめテーブルの下に刻み込んでいた導陣(レリーフ)に左手を宛がい、右手に握り込んだ術莢を握力で潰す。導陣(レリーフ)に術莢の幻素(エーテル)が流し込むのとほぼ同時に、けたたましい銃声が響き渡る。

 背後で濡れた音。肥満体が一瞬にして穴だらけになる。

 イルマが隠れたテーブルにも銃弾が殺到するが、導術による性質操作によって硬質化したテーブルは甲高い金属音を上げて、銃弾を弾き返す。

「素人はどっちだ。気付かれてるじゃねぇか」

 物言わぬ肉塊に毒づき、イルマは上着の裏に隠していた銃を引き抜く。

 ガラスの割れる音。無差別な発砲が店内の従業員や客さえ一掃した。

 悲鳴、怒号、銃声、騒音、朝方の穏やかな喫茶店が一気に阿鼻叫喚の地獄と化す。

 一度肺の中の空気を全て入れ換え、イルマは意を決したように物陰から飛び出した。一瞬遅れて、車から生えた無数の銃口がイルマを追う。しかし遅い。

 走りながら車の前輪を撃ち抜き、地面に飛び込むように転がり銃弾の雨をやり過ごす。

 同時に新たな車の走行音。タイヤがアスファルトの上を滑り、銃を乱射する車とは喫茶店を挟んで反対側の道路にワゴン車が疾走してくる。

 運転席には鮮やかな紅い髪をした少女。左手の指の間にはそれぞれ一本ずつ、計三本導式炸薬筒が挟み込まれている。

 ユラハが放物線を描くように投げた炸薬筒をくぐるようにイルマが車へと駆けた。そのままドアが開け放たれた後部座席へ身を投げ出すように飛び込み、同時にワゴン車が走り出す。

 背後で爆発音。炸薬筒の導式が時限式で駆動し、テラス席は吹き飛んだだろう。恐らく決定打にはなっていないが、それでも目眩ましにはなったはずだ。

 ユラハが運転する車は細い路地へと入り込んでいく。

 後部座席で起き上がったイルマは深呼吸をして、背もたれに全身を委ねた。

「たく、生きた心地がしねぇ取引だぜ」

「無免許運転までさせられてるんだから、生きててもらわなきゃ困るよ。少なくとも転職先が決まるまではね」

 相変わらず言うことが妙に生々しい。もうそこに対して文句を言う気も起きない。

 危なかった。一歩間違えば死んでいただろう。予測できてはいたが、ここまで露骨だとは正直思わなかった。

「荷物の場所は分かった。このまま向かってくれ」

「はいはい、分かりましたよ」

 免許こそ持っていないが、ユラハの運転技能に問題はない。今は停まっている時間も惜しい。交代は荷物を手に入れてからでいいだろう。

「でもさ受け渡し場所を変えても襲撃に遭うなんて、情報が漏れすぎじゃない?」

「ああ、それは俺も考えていたところだ。こりゃ思った以上に充実したドライブになりそうだ」

 予想はおおよそ的中した。しかも相手は市街地で銃を乱射するほどに無差別だ。

 人の多い場所で襲撃を抑制する作戦は被害が出すぎるだろう。襲撃を抑止できない以上、する意義もない。

「こんなことばかりだな」

「もう慣れっこだよ、こんなの」

 ハンドルを回しながらユラハはさらりと答える。その他愛ない一言が胸に刺さった。




 追っ手はある程度振り払えたようで、荷物の受け取り自体は問題なく完了した。ストンヒルズからハイウェイに戻ったワゴン車が次々と車を追い越し突き進んでいく。追っ手がいないうちにある程度距離を稼ぐ予定だ。当初受け渡しを予定していたアンブルビットで降りてから下道を使えば、まだ間に合うルートでもある。

 運転席に座ったイルマは助手席に鎮座する新たな旅の仲間を一瞥して、重いため息を吐き出した。

「なあ、どう思うよ?」

「退屈な風景に導術で威嚇するだけで逃げていくやる気のない襲撃、獣の類も出てこなくて、最高のドライブだね」

 出発前に買い込んだ一口サイズのチョコを口に運んでいたユラハが億劫そうに顔を上げて答える。ハイウェイに乗るまでは、疎らにあった襲撃も途絶え、暇なのかもしれない。

「違ぇよ。この荷物のことだ」

「どっからどう見てもジュラルミンケース。幻素(エーテル)の反応もなく、爆発物でもないことは検出済み。ただし表面に特殊な加工がされていて、導術による透視は不可能。どっからどう見ても、徹頭徹尾ヤバいブツ以外の何物でもないんじゃない?」

「分かりきったことをご丁寧にどうも」

 思わず項垂れる。

 憂鬱な事実ばかりが増えていく。

「こんなことになるのは分かりきってたでしょ。むしろアタシは、そんな分かりきった仕事をなんでイルマが受けたのかってことなんだけど」

「さぁて、なんでだったかな。忘れちまった」

「報酬もいい。依頼人の身元もはっきりしてる。アタシたちと相性もいい。おまけに敵は素人に毛が生えたレベル。受けない理由がないのも分かるけど、イディリアナさんの依頼とはまた事情も違うでしょ?」

 合流ポイントで新たに三台の車がハイウェイに乗り込んでくる。ユラハの空を閉じ込めたような蒼い瞳が窓の外に向けられた。

 耳を立て、エンジン音を聞き分ける。

「珍しいね、あんたが俺のことを詮索するなんてよ。いつの間に俺のこと好きになったんだ?」

「別に。沼に落ちないための処世術」

「処世術なんて言葉があんたから出てくるとはねぇ」

「生活力のない上司と働いてるお陰かなっ!」

 一瞬。ルームミラーに映っていたユラハが立ち上がると同時に背後で爆発音。空術莢が車の天井で撥ねる澄んだ音が続く。

 ユラハの放った火球が後続の車のエンジン部を破壊し、爆破した音に他ならない。

 急停車した車のタイヤがアスファルトを滑る悲鳴めいた甲高い摩擦音が耳に突き刺さる。

「追っ手か!」

「後方にまだ三台! 残りは装甲車っ!」

 端的な情報にイルマは舌打ちをしながらもアクセルをさらに踏みしめた。

「先に言えってのっ!」

「先手必勝、一撃必殺が信条なもんで」

「そいつぁ頼もしいねっ!」

 速度を上げて車を追い抜いていく中、食らいついてくる車をイルマもフェンダーミラーで確認する。

 黒塗りの上、全面スモークガラス。露骨にもほどがあった。

「やる気満々って感じだな」

 ぼやいている間にもサンルーフから上体を出したユラハが逆手に構えた中剣型の導具アルドライトのトリガーを引く。展開された導陣(レリーフ)から放たれた火球が先行する追っ手の車に直撃する。

 しかし、火球が車に触れる直前から赤い光の粒子となって霧散していく。同時に窓から突き出た銃口から銃撃。くぐもった金属音が断続的に続く車内に頭を引っ込め、ユラハは困ったように頭をかく。

「幻象(インスタンス)が無効化されてる」

「対導術加工(AMC)装甲か。準備がいいこって」

「並大抵の幻象(インスタンス)じゃダメそうだね」

 銃撃の雨に隙間が生まれるのを見計らってユラハがサンルーフから上体を晒す。

「アリエスにごめんって言わないといけないかもなぁ」

 呟きながら、宝珠から別の導式(コード)を読み込み、ユラハはアルドライトのトリガーを引く。転写された導陣(レリーフ)から赤い燐光が放たれ、先頭の車の下に潜り込むように駆ける。同時にアスファルトの内部で爆発が発生。対導術加工(AMC)も車体下部にまでは施されていないようで、衝撃を受けて跳ね上がった車の内側から炎が膨れ上がり爆発。

 さらに曲銃床のような形状の柄を握り込み、短剣ベリスを背中から引き抜いたユラハは、その切っ先を車ではなくハイウェイの騒音防止用の外壁へと向け、トリガーを引く。

 高速展開された導式が翠の導陣(レリーフ)を虚空に転写、三つの真空の太刀が外壁へと音速で駆け抜ける。

 一拍遅れて崩れた壁の一部が追っ手の車へと倒れ込み、下敷きとなった車体が歪み、スピンしながら爆発。轟音が耳を劈く。

 幻象(インスタンス)は無効化されても、幻象(インスタンス)によって生じた現象は無効化されない。

 どちらも対導術加工(AMC)に対する定石とも言える対応だが、時速一四〇キロ以上で走行する車上でそれを正確にやってのけられる者は少ない。ユラハの的確な判断力と、正確な導術技能があって初めて実現できる技だ。

 車内に戻ったユラハと拳を突き合わせ、イルマは口笛を吹く。

「派手にやるもんだぜ」

「好きでしょ、こういうの。それより速度緩めて」

 車内に体を引っ込めたユラハの一言で全てを察し、イルマは苦い笑みを零す。

「マジかよ」

 同じ手は何度も通用しない。手法を変えるのは正しい判断だろう。

 イルマはアクセルを緩め、残り一台となった車は待ち構えていたように併走してくる。運転席側の窓を少しだけ開け、その隙間から拳銃で車体側面を撃ち抜く。きっちり防弾加工されているようで火花が飛び散るばかりで全く装甲を抜けない。

 発砲しつつ片手だけでハンドルを僅かに傾け、車を寄せて間隙なく銃弾を撃ち込む。銃声と激しい金属音に耳が痛んだ。

 さらにアクセルを踏み込む力を緩め、相手の車がイルマの乗るワゴン車の前へと躍り出た。これで抑えたつもりなのだろうが、この時点ですでに勝負は決まっている。

 イルマの目は、相手の車体の上に立つユラハの姿を捉えていた。

 叩きつけるような風などないように疾走する車の上に直立した彼女は引き抜いたアルドライトを天井部に情け容赦なく突き立て、柄を両手で握り締める。細い体のどこにそんな膂力があるのか、ユラハは天井に三角を描くように切り裂き、梃子の要領で装甲を引き剥がした。

 宙を舞った天井の一部が遙か後方へと置き去りにされ、剥き出しになった車内には驚愕の表情を並べた男たち。突き抜けるような青い空、そして冷徹な瞳で見下す鮮やかな紅い髪の少女、転写された導陣(レリーフ)。

「ハァイ、どんな場所でも貴方たちに最高の導術をお届けする古導具店アンダンテを今後ともよろしく。そして永久(とわ)にさようなら」

 導陣(レリーフ)から零れた燐光が車内へと落とされ、ユラハは即座に車体を蹴って跳躍。ユラハの背後で爆発音が轟き、衝撃が薄い背中へと叩きつけられる。

 後方を走っていたアンダンテのワゴン車を視界に捉え、落下予測地点を即座に推測。アルドライトのトリガーを引き、小規模な爆発を発生させ、さらなる衝撃で軌道をずらす。度重なる衝撃に骨が軋み、鈍い痛みが脳へと駆け上がった。

 最後にベリスのトリガーを引き、風の導術が発動。僅かに軌道を修正しつつ落下速度を抑え、姿勢を制御しながらワゴン車の天井に降り立つ。滑り込むようにサンルーフから後部座席に飛び込んだユラハは即座にアルドライトとベリスの弾倉を交換しながら、ルームミラー越しにイルマへと微かに笑いかけた。

「ただいま、イルマ」

「ああ、おかえり。イカれた助手さん」

 フェンダーミラーを見ると、後方では四条の煙が上がっていた。後に続く車もない。これだけの事件が発生したのだ。ハイウェイを用いた交通もしばらくは麻痺するだろう。

 ひとまず追っ手は途絶えたはずだ。ようやく一息つくことができそうだった。




 サービスエリアの広い駐車場に車を停めたイルマは外に出て、煙草に火をつけた。反対側のドアから降りたユラハは座りっぱなしで体が凝ったのか、大きく伸びをしている。

「何か食っていくか?」

 時計を見ると、いつの間にか十三時。そろそろ空腹感もあった。

 振り返ったユラハはイルマの提案ににっと笑う。

「いいね、経費でしょ?」

「……おう」

「何だよその間」

 聞くまでもない。払いたくないのだ。ユラハの食費を負担するなど、自ら経営に火を付けるようなものだ。そうは言っても断るわけにはいかない。ユラハの食い物に対する執着は並大抵のものではないのだから。

「何食べるか」

「あ、今露骨に言いたいこと全部飲み込んだだろ」

「さあね」

 くだらないことを話していると、新たな車がサービスエリアに入ってきた。襲撃を受けたポイントからこのサービスエリアまでハイウェイへの入り口はなかったはずだ。必然的に襲撃時点でイルマたちの後方を走っていた車になる。

 妙だった。

 四人乗りのピックアップトラック。側面の窓全てがスモーク仕様の車が、車も疎らなこの広大な駐車場でわざわざイルマたちのすぐ傍で停められる。

 よからぬものを感じて、ユラハが即座にイルマの傍に並んだ。

 獣が唸るようなエンジン音が止み、イルマたちとは車を挟んだ向こう側、助手席から誰かが降り立つ。高い場所で結われた金のポニーテール。すらりとしながら女性的な膨らみを持った体躯。

 現れたのはノンフレームの眼鏡をかけた理知的な雰囲気の女性だった。静かな横顔は冷たく、鋭い目には怜悧の輝きがある。

 彼女はゆっくりとイルマを正面に捉え、その冷たい美貌ににこやかな笑みを宿した。

「やあ、お兄さん、旅行かい?」

「ああ、ウォートグリューに向かっている」

「オーゥ、ウォートグリューウォートグリュー、ははは、ウォートグリューか」

 イルマの答えに、金髪の美女は歌でも歌うように音程をつけて地名を繰り返しながら、車を回り込んで歩み寄ってくる。ユラハの鋭い蒼の双眸が、じっと彼女を睨み付けた。

 短いスカートに編み上げのブーツ、白いカットソーの上に裾が長い薄手のコート。カジュアルな格好をした若い女性だ。二十代前半程度だろう。

「あそこはいいところだ。確か、そうだなぁ、桃の名産地だった」

「ラインプ国立博物館も有名だ」

「あー、しかしあそこは反導術デモが多く、最近は人入りも少ないらしいじゃないか。まあ、リキッドーアの方でなんちゃらって橋が反技術派のテログループに落とされてからは、導術関係の場所はどこもそんなもんか」

 眼鏡の奥にある赤い瞳がイルマをじっと見上げる。表情は気さくな女性そのものだ。しかし、目に宿る輝きがどうにも剣呑だった。

「そういうあんたはどうなんだい?」

「私は仕事の都合でね、これから取引先のところへ行く途中なんだ。ただ、さっき君のその車に追い越されてね。興味を惹かれたのさ」

「ただの型落ちした旧式だ、そんないいもんじゃねぇ」

「クォートンヴィズのゼニスロール五六年モデル。アタシと同い年なんだ。いいだろ、同い年」

 よく分からない論調の女だった。いまいち考えが掴めない。

 普通の格好をした普通の若い女。しかし言っていることが怪しく、目は明らかによからぬ色を湛えている。しかも美人だ。

 美人。イルマは美人に関していい思い出が全くと言っていいほどなかった。

「聞いた話じゃさっきこの道路でトラブルがあったらしいが、それは大丈夫だったのか」

「ああ、交通規制が入る前にすっ飛ばしてきたよ。仕事柄、時間は厳守なものでね」

 胡散臭い。隣に立ったユラハが明らかに身構えている。

 運転席から降りてこないもう一人も気がかりだ。

「それにしても私を追い越した時に比べて、随分と年季が増しているように見える。時空間でも歪んだのか?」

 イルマの脇から車体を眺め、女は眼鏡の位置を正す。黒い手袋を塡めているところも怪しく見えてきた。

「見間違いだろ、元からこんなもんだよ」

「ふぅん、まあそういうものかもしれないがな」

 くすりと笑い、女が姿勢を正す。イルマをじっと見上げる紅い目。唇がゆっくりと笑みを象る。

「ま、アタシとしちゃ積荷が無事ならそれでいんだけどよ」

 気さくさが途端に失せた低い声。イルマが素早くジャケットから銃を取り出すが、鋭い蹴りが手首に突き刺さり銃が落ちる。ユラハが即応し、腰から短剣を引き抜く。

 女の足が銃を蹴り飛ばし、流れるような動作で怯んだイルマの胸倉を掴んで車に体を押しつけ拳銃を後頭部に突き付ける。その動作が終わる頃にはユラハの短剣が女の首に添えられていた。

「テメェ……追っ手か……」

「そうだとも言えるし、そうでもねぇとも言えるなァ、枯れ枝(カトルツォロ)」

 問いに答えた女がごりっと銃口を白い頭に押しつけ、イルマの頭蓋に鈍い痛みを響かせる。

「余計な話はいい。その銃を捨てないなら斬るよ」

 恫喝するようなユラハの声にしかし女は楽しそうにけらけらと笑う。

「そん時はツレのオツムがテメェとお揃いになるぜ、柘榴頭(グラナタカーパ)ちゃん」

 冷え切った刃の感触を味わうように女は自ら体を揺らし首の皮を触れさせる。両端を不気味に釣り上げた笑み、真に迫ったような紅い双眸。

 明らかに異常者だった。

「ヴェル、積荷を回収しろ」

 女の声に応じて、運転席から線の細い一人の青年が出てくる。黒い短髪に気弱そうな黒い目、黒いスーツを着た、どこにでもいそうな青年だった。

 イルマとユラハの鋭い目を一身に受け、降りてきた青年は少し怯えたように後ずさる。

「ひっ、あ、あのすみません!」

「つべこべ言ってねェでさっさと回収しろっ!」

「わ、分かったよ……。全く君はいつも事を荒立てすぎなんだよ、もう少し平和的な解決って奴を」

「テメェ後で覚えとけよっ!」

 イルマたちのワゴン車を回り込みながら悪態をつくヴェルと呼ばれた青年は女が吠えるとすぐに悲鳴を上げる。

 そんな二人のやり取りをイルマとユラハは危機感さえ忘れて眺めていた。

 ヴェルと呼ばれた黒髪黒眼の青年が助手席から回収したジュラルミンケースを地面に置く。

「よし、開けろ」

「はいはい、分かりましたよ。全く人使いが荒いんだから」

 文句を言いながら青年はしゃがみ込み、ポケットから取り出した道具で口金を弄り始めると、十数秒も待たないうちにがちゃりと錠が外される音が転がり出た。

 ついイルマもユラハも中身に興味が湧き、注視してしまう。

 開け放たれたジュラルミンケース、その中には何も入っていなかった。

「……どういうことだ?」

 疑問を口にしたのはイルマだった。

「どうもこうもねェよ。盗まれたわけでもすり替えられたわけでもねェ。元から何も入ってなんざいねェんだよ、こいつには」

「端的に話して」

 ユラハが女の首筋に刃を食い込ませる。紅い線を引かれようと、女は痛みに呻くこともなく、いっそ笑みを深めた。

「見た方が早ェよ。ヴェル、あれを」

「はいはい、分かりましたよ」

 返事をしながらヴェルは立ち上がり、ピックアップトラックの後部座席から何かを取り出す。それはイルマたちの積荷と全く同じ形状をしたジュラルミンケースだった。

 思わず二人揃って言葉を失う。女だけは銃をコートの裏に隠したショルダーホルスターにしまい、ユラハの短剣を手で退け、イルマから離れていく。

「なんであんたが同じケースを持っている?」

 イルマの問いに女が立ち止まり、ゆっくりと振り返る。

「アタシはエレトリカ、まあ、一言じゃ言い表せねェ仕事をやってんだが、運び屋もその一環でよく引き受けている」

 エレトリカと名乗った女は空のジュラルミンケースを軽く爪先で小突く。

「アタシやテメェらの他に四組が同じ依頼を受け、別々の場所からスタートし、別々の場所で荷物を受け取った。どれも同じ荷物だ。そして全員が同じように襲撃され、現時点で生き残っているのはアタシたちだけ。そういうことだ」

「五組は囮ってこと?」

 ユラハがさらに問いを投げるが、女は首を振った。長いポニーテールがふわりふわりと彼女の振る舞いには似合わない柔らかさで揺れる。

「未だに襲撃がある以上、アタシかあんたら、どっちかの積荷には中身があるべきだ。アタシだってそう考えたさ。だが実際は違う。どっちの積荷にも中身はねェし、アタシたちは途端に老け込んでもいねェ。あんたらの積荷を確認して、いよいよ答えが出たわけだ」

 そこで全てを理解し、イルマは大きく肩を竦めた。

「手間のかかった玉手箱だぜ」

 的を射すぎた例えにエレトリカはにたりと獰猛に笑う。




 サービスエリアのフードコート、イルマとユラハ、エレトリカとヴェルがそれぞれ並んで座る。イルマの前には味噌ラーメン、エレトリカの前にはハンバーガーが二つとフライドポテト、ヴェルの前にはサンドイッチ、ユラハの前にはステーキ、炒飯、サラダにフライドチキン。

 食事も面子も奇妙な一団となっていた。

「つまりあんたは何か、俺らが回収するはずだった積荷を手早く回収した後俺たちの後ろに回り込んで、荷物の回収からその後の襲撃まで俺らを後ろから尾行してたわけだ」

「そういうこったね。もともとキナ臭ェ仕事だったからな。最初っからまともに請けるつもりはなかったのさ」

 ラーメンを啜ったイルマの言葉にハンバーガーのソースを口の端につけたエレトリカが気味悪く笑う。顔立ちこそ美女だが、表情はゲスのそれだ。

 イルマの隣ではユラハが炒飯を掻っ込み、フライドチキンに齧り付き、ごく当然のようにイルマのラーメンからチャーシューを奪い取る。

「クライアントの言っていたトラブルってのはそういうことだったわけか」

「テメェらのお陰でアタシらは映画さながらのアクションシーンを特等席で眺めながら、優雅なドライブをさせてもらったよ。ま、その分こっちは情報を集めてたんだから、なかなかにいい役割分担じゃないか? それよりお前さん、箸の扱いが巧いな」

「エルが食い汚いだけだろ。またジャンクフードばっか食べて」

「テメェは食が細すぎるんだよ。生娘かっつぅの」

「僕はもう目の前の食いっぷりのお腹いっぱいなんだよ。それだけの量が、その体の一体どこに詰まってるんだい」

「あー、導術士の前衛はどいつも大食漢ってのは聞いてはいたが、話以上だな」

「導術士なんてのはもともと術を使うのに相当のカロリーを消費するからな。その上で導術で常に身体強化を行って、動き回ってる前衛は特にそれが顕著だ。ユラハは性能の違う肉体強化を三つ並列でやってる上に反応高速化も使ってるから余計だな。エネルギーの無駄遣いだから使わない時は切っとけって言ってんだけどよ」

「寝てる時でも発動できるくらいやっておかないと戦闘中に集中力が途切れて術が解けることだってあるからね。前衛なんて少しでも気を抜いたら死ぬんだし、常日頃からこれくらいやっておいても損ないよ」

「寝てる時でも術を発動っつったか? 澄ました顔してイカれた女だな、柘榴頭(グラナタカーパ)ちゃんは」

「それエルにだけは言われたくないんじゃないかな」

「うるせぇな!」

「いったっ! 蹴った! 今蹴ったっ!」

「賑やかな食事だぜ、全く」

 作戦会議のはずがただの馬鹿騒ぎだ。イルマとしては今後の方針も決めたいところだった。

 しかし、隣に座るユラハがエレトリカとヴェルの姿を見て、彼女なりに楽しそうに笑っている横顔に水を差す気さえ失せてしまう。

 ユラハがアンダンテに来て、いつの間にか六ヶ月、ユラハもこういう荒事には何度も巻き込まれている。今までは成り行きで済まされていたが、今回はイルマが自分で請け負い、自らトラブルに飛び込んだものだった。そのことに対してユラハがどう思っているのか、イルマには分からない。

 結局、食事の最中に作戦会議はできず、イルマは喫煙所で食後の一服をしていた。

「いやぁ、みんなよく食べますねぇ」

 隣で煙草を吸うヴェルがしみじみと呟く。エレトリカも煙草を吸うようだが、今は手洗いに行ってしまった。ユラハも車内に戻り、導具の整備を行っている。

 気弱そうに笑みが印象的な青年、彼はエレトリカの傍にいるのが似合わないほどに普通そうで、またこういう仕事が似合わないようにイルマからは見えた。

 身に纏う空気は世間一般の会社員めいたそれだ。棘もなく、むしろトラブルを未然に避けるような、絵に描いたような事なかれ主義。

「あんた、この仕事長いのか?」

「もう二年ですね」

「見た目に寄らずベテランだな」

 言いながらイルマは煙草の灰を灰皿に落とす。

 この手の仕事では人が多く死ぬ。二年生き残れば十分息が長い。

 イルマの無遠慮な感想に気を悪くした様子もなく、ヴェルは曖昧に笑う。

「よく言われます。この業界には似合わないってね」

「だろうな。エレトリカと組んでから長いのか?」

「長いっていうか、エルに会うまではただの会計士でしたよ。いろいろあって巻き込まれて、そのままいつの間にやら助手になっていて、それからずるずると二年」

「そいつぁ災難だな」

 肯定とも否定とも取れない曖昧な笑いで応じ、ヴェルは駐車場にぽつりと停められたピックアップトラックとワゴン車に目を向ける。どこか感慨深げな遠い目だった。

「もう分かったと思いますけど、エルって事を荒立てないと気が済まない性分でしてね。命がいくつあっても足りないような毎日ですよ」

「だろうな」

 ヴェルの言葉にイルマはどうにも居たたまれなさを感じていた。彼の今はいろいろなものに重なるのだ。まるで自分が責められているようでどうしようもない申し訳なさが胸に降り積もる。

 ヴェルはまだ吸いかけの煙草を揉み消し、吸い殻を灰皿の中へ丁寧に投じた。

「さて、僕は先に行きますよ。いろいろと準備もしないといけませんしね」

 言ってヴェルが車へと歩き出す。見送ろうと思った背中に、何か問わねばならない気がして、気付けばイルマは彼を呼び止めていた。

「どうしました?」

「あんた、後悔はしていないのか?」

「なるようになっただけですから」

 どこか諦観まじりに笑ってヴェルは車へと歩いて行く。

 答えになっていないような答え。ただ、それが一番の答えなのだろう。

 本人にではなく。境遇が似通っているだけの他人に問うてしまった自分の情けなさが今になって胸を刺した。いや、刃はずっと胸に刺さっていたのだろう。ただそれがより深く押し込まれただけだ。

 イルマは残りの煙草をゆっくりと吸い、それから車へと戻る。ほぼ同じくらいにエレトリカも車へと戻ってきた。

「ヘイ、枯れ枝(カトルツォロ)。ちょっと話したいことがある」

「なんだ?」

「これからのロードマップさ。アタシらの予測が確かなら、他の四組に宛てられていた戦力がこれから集中することになる。オールスターが大集結ってわけだな」

 言いながらエレトリカは車から地図を取り出してくる。

「それが分かっていて、こんな場所でのんびり飯食ってたのか」

「飯は大事だろ。飯を食わない奴は死ぬ。たらふく食い過ぎた奴も死ぬ。だが、食った後に運動したら気分がいいし、何よりよく眠れる。ま、飯を食う奴はいつか全員死ぬ」

「お前が何を言ってんのかまるで分からんが、飯の重要性は俺も知っている」

「そうかい、そりゃよかった。んでだ、トイレの個室でベンジョムシ転がしながらいろいろ考えてたんだが、二手に分かれるのはあまり賢明じゃなさそうだ。アタシとあんたら、目的地が別々に設定されているが、この際片方は捨てよう」

 エレトリカが赤いペンのキャップを口で引き抜き、当初の彼女たちの目的地ハピネアイラの山間部にバツを入れ、エンジャーズ深林を丸で囲う。

「戦力は増えるが、それでどうする?」

「クライアントを全員でぶん殴って、報酬を上乗せさせる。ハッピーだろ?」

「あんたのオツムがな」

 ヴェルの言うとおりだった。

 この女は事態を出来うる限り荒立てたいようだ。

 イルマなりに貶したつもりだったのだが、エレトリカはにたにたと笑い続けている。褒め言葉とでも勘違いしているのかもしれない。

「死んじまったら元も子もないだろ。それに胸くそ悪いクライアントの顔面を殴る奴が増えるのは景気がいい。どっちにしても協働戦線を張った方がいいと思うがね」

「協調性の問題を抜けば、いい案だ」

「じゃあ、何も問題はねェな。ちなみに戦力も確認したい。柘榴頭(グラナタカーパ)ちゃんはこれまでで十分確認させてもらったが、あんたの得物はなんだ?」

 渋々イルマは懐から拳銃を取り出す。

「ヴェスピーM76か。豆鉄砲じゃねぇか。導具はどうした?」

「俺は導術士じゃなくて、導具整備士だ」

「導具整備士免許には二級以上の導術免許が必要だろ。なんで持ってねェんだ。忘れてきたか?」

「そういう主義なんだよ」

「自然主義者(ナチュラリスト)かよ」

 作戦会議の最中、サービスエリアに新たな車が突っ込んでくる。

 計四台。交通が規制されている以上、ここにやってくるのは間違いなく敵性だ。

 即座に動き出し、イルマが車の陰に飛び込み、ヴェルの襟首を引っ掴んだエレトリカもそれに続く。車から出てきたユラハが三人の並ぶのとほぼ同時に、車の向こう側から銃声。掃射が二台の車を次々穿つ。

 車に背中を預けたエレトリカがスカートを履いているにも関わらず胡座をかき、コートの裏から二丁の拳銃を取り出す。

「アヴェニュワ研究所謹製カービン銃の音だ」

 まるで音楽に耳を傾けるような穏やかさでエレトリカが呟く。指揮棒のように銃口を振るう姿は明らかに狂っている。

「軍人どもが税金を無駄遣いするのに大活躍。トレンドの最新式だ」

 ケッケッと薄気味悪く笑い、煙草に火を点けたエレトリカが拳銃で応戦する。イルマとヴェルを挟んだ反対側でユラハが火の導術を撃ち込んでいる。

「ダメだね、対導術加工(AMC)の盾持ってる。アタシの幻象(インスタンス)じゃ通らない」

「ヴェル、アンチマテリアルライフル出せ」

「人に撃ち込む気!?」

「銃を人以外の何にぶち込むっつぅんだよっ!」

 悲鳴のような声を上げるヴェルを蹴飛ばし、エレトリカが喚く。

 渋々ヴェルが匍匐前進でピックアップトラックの荷台まで向かい、銃声に怯えながらも幌の中に頭を突っ込んだ。もたつきながらも見つけ出した大型のライフルを抱え、ヴェルがいそいそと戻ってくる。

「遅ェんだよ、ヴェルジニタ」

 ヴェルからライフルを奪い取り、エレトリカが車の天井にライフルを設置し構える。

 イルマたちの頭上で重い銃声。導術に対しては絶対的な堅牢さも誇りうる結界でさえ貫通しかねないアンチマテリアルライフルの一撃は対導術加工(AMC)の盾程度では防ぎきれないだろう。

「アタシらが抑えるから、テメェらは先に行け。すぐにアタシらも追いつく」

「今にも死にそうな台詞だな、そりゃ」

「死にそうに見えるか?」

「いんや、殺しても生きてそうだよ」

 銃声が途絶えた一瞬を見極め、イルマとユラハが素早くワゴン車へと乗り込む。ユラハが先程の時点でエンジンをつけていたため、即座に発進できた。

「ルート変更! ハイウェイを走り続けろ! 導術がほとんど当てになんねェんなら、市街戦に持ち込むよりずっといい!」

 乱射音、エンジン音、タイヤがアスファルトを焼く音、十重二十重の騒音の中、エレトリカが叫ぶ。追い縋る軽快な銃声をエレトリカのアンチマテリアルライフルの重厚な銃声が掻き消した。

 一切の減速もせずにイルマたちのワゴン車はサービスエリアの駐車場を出て、ハイウェイへと躍り出ていく。

「大丈夫かな、あの人たち」

 後部座席から聞こえた声にイルマは苦い笑みを零す。

「心配か?」

「それなりにはね。一緒に食事した相手に死なれるのは嫌でしょ?」

「同感だが、俺たちも他人の心配はしていられない。多分こっちにも追っ手が来るぞ」

「だろうね、後続に四輌、多分全部対導術加工(AMC)装甲車」

 思った通りだ。エレトリカの予想は的中したらしい。

 ここから目的地まで死のドライブが続くことになるだろう。敵の総数も分からない消耗戦だ。その上対導術加工(AMC)装甲。

 あまりにも分が悪い。

 銃弾の雨がワゴン車の後部に突き立てられる。

 煽ってきていた。このまま速度を上げてしまうとエレトリカたちとの合流が難しくなる。

「ユラハ! 寄せつけるなッ!」

「言われなくてもやってるよっ!」

 後部座席の窓を下ろし縁に腰掛けるようにして身を乗り出したユラハは、導術で追っ手の車輌の手前で爆発を起こし速度を抑制していた。導術による直接の破壊は不可能だが、目眩ましにはなる。さらにランダム性を加え、車輌の真下からの爆発も加えていく。

 光によって爆発地点は読まれるが、時間差で爆発させることにより、真後ろを走っていた車が大破、爆炎を上げて騒音防止用の外壁へと突っ込んだ。

「一輌撃破ッ!」

「上出来ッ!」

 乗り出していた体を引っ込め、ユラハがアルドライトの弾倉を素早く交換する。

「こうなるんだったら予備の導具も持ってきておくべきだったね。あとアズールも呼ぶべきだった。アタシにばっかり負担かけてるんだから、給料増やしてくれてもいんじゃないかな?」

「……ああ、そうだな」

 イルマは思わず捻りのない返答をしてしまう。そこに気付かないほど鈍いユラハではない。

 後部座席に座った彼女の目がルームミラー越しにイルマを射貫く。

「今日どしたのさ。たまにおかしいよね」

「そんなこたねぇよ、いつも通りだよ。いつも通りトラブルだらけのいつも通りのふざけた仕事、いつも通りの荒事。何が違うってんだ」

「イルマ、何を考えてたの?」

 一切の虚勢に惑わされず、ユラハの問いがイルマに突き刺さる。

 誤魔化すのも限界だった。

「あんたがさっき言った通りだ。今までの依頼にはそれなりに妥当性があった。仕方がないって自分に言えた。だが今回は違う」

 イルマの指がハンドルに食い込む。これ以上ユラハが見抜いた秘密の中身をユラハに秘匿することこそが不誠実なのは分かっていた。

「それがどうしたっていうの?」

 銃声が絶え間なく続く。ハンドルを切ればタイヤがアスファルトを滑り、車体が甲高い悲鳴を上げる。そんな騒音の中でもユラハの声は静寂の中であるように響いた。

「あんたみたいな将来有望の若者をこんな汚れ仕事に付き合わせることに言い訳ができた。他でもない俺自身にな。だが、そんな風に目を背けていたせいで、俺はあんたをこの仕事に巻き込んじまった」

「何があった?」

 ユラハの問いは本質的だ。

 言葉を飾る間もないほどに核心を抉りに来る。いかにも彼女らしい問い方だった。

「ドラゴニア大橋での一件だ。セインズに頼んで揉み消してもらっていたはずだが、どっからか情報が漏れていたらしい。俺たちが関係したことも連中は知っていた。俺がいたことは問題じゃない。ただ事があんたとなると話も変わってくる」

 ドラゴニア大橋の事件は未だにソーンチェスターに大きな傷跡を残している。あの一件で大陸全土の反導術の気勢は高まる一方。国と導術結社、両組織がそれぞれ沈静化に努めているが、状況は芳しくない。

 破導大戦から続く導術士への差別は凝固寸前の状態だ。そこにどんな立場であれ立ち会ってしまったという事実が問題だった。

「それは間違いなく人生の汚点だ。その情報が広まったら、あんたの将来が大きく変わっちまう。それを避けるために俺はまたこうしてあんたをダーティーワークに巻き込んじまった」

 汚点を隠すために、さらなる汚点を作らなければならない。人生というのはなかなかにやり直しが利かないものらしい。

 元よりユラハを雇ってしまった時点で間違いだったのではないかと、ずっと考えていた。

 恨まれても文句は言えない。巻き込んでしまったのはイルマだった。

 しばしの沈黙。風を切り裂き走る車に銃弾が殺到する音ばかりが車内に押し込められていく。やがてユラハがそっとため息を吐き出した。

「ねぇ、イルマ。なんか勘違いしてない?」

 その声は凪いでいた。ルームミラー越しにイルマを見つめる目には静けさだけがある。

 いつものユラハの目だった。いや、いつもより僅かに険しい。怒っているようだった。

「アタシがあんたに指図されて従ったことあった?」

 思わぬ問いかけ。

 運転しながらイルマはこれまでの半年間を思い返す。考えてみると雇った当初から跳ねっ返りの従業員だった。何かを言えば言い返してくる上に、いちいち言うことが世知辛い。

 雇用主であり年上でもあるイルマに対しても無遠慮であり、気遣いと言える気遣いはほとんどない。

 思い出せば思い出すほど素直に言うことを聞いてくれた記憶がなく、表情が険しくなりさえした。

「……ないな。全然ない」

「でしょ? そういうこと」

 言いながらユラハは窓から導剣を突き出しトリガーを引く。迫りつつあった追っ手の車の下腹部を不意打ち気味に爆破。新たな爆発音が車体どころか二人の体の芯さえ揺らした。

 端的すぎて意味が分からず硬直するイルマになど見向きもせずユラハが「二輌撃破ー」と間の抜けた報告をしてくる。

「いやいやっ! どういうことだよ!」

「分かんない人だなぁっ!」

 珍しく声を荒げ、ユラハが運転席を後ろから蹴っ飛ばす。女性の脚とは思えない衝撃が背中に鈍い痛みを与えてくる。

「アタシは自分で考えて、自分で決めて、自分がいたいからここにいんのっ! それを何勝手にいろいろと人の人生のあれこれ考えてんの!? あんたアタシの親!?」

 捲し立てるように怒鳴りながら、その間もユラハは何度も運転席を蹴ってくる。

「親でもないし、そもそもアタシ親に言われたから、はい、そうですか、じゃあそうしますわ、とか言うように見える!? 見えないでしょ!?」

「どういう自信だよっ!」

「学院追い出されたことだって、ここで働くようになったことだって、あそこに居合わせたことだって、一体どこでどうやってあんたが指図したっての!? してないじゃん! 全然! 一切! 何の役にも立ちゃしないっ! ぜーんぶアタシに丸投げ! そのくせ今更殊勝ぶって何様だってのっ! そんなの期待してないっての!」

 あまりにも酷い言い様に気色ばみそうになるが、確かにユラハにそういった導きとなるような言葉をかけたことは一度もないかもしれない。

 彼女の意志を尊重するつもりで助言だけに留め、決断はずっとユラハに委ねてきた。その度にユラハは自分で決断してきたことを今になって思い出す。

「考えてみりゃ俺はお前に大したことしてなかったのかもな」

「だからそういう話じゃないからっ!」

 一際重い一撃に息が詰まる。

 運転中なのをお構いなしに蹴っ飛ばしてくる辺り、ユラハにしては珍しく相当怒っているようだ。

「アタシがあんたと一緒にいるのは、あんたが導いてくれるからでも、あんたに巻き込まれたからでもない。自分でここにいたいと思っているんだから、そんなあれこれをあんたが考える必要はないっていうそれだけのこと。それだけのことだよ」

 少しずつイルマの頭が冴え渡ってくる。その一言一句に霧が晴れていった。

 おかしな脅し方をされて、すっかり忘れていたのかもしれない。

 ユラハにとってのイルマは都合のいい導き手ではない。イルマにとってのユラハもまた、意思がないように言われたことに従順な都合のいい助手ではない。

 いつだって対等だった。上下関係も師弟関係もない。互いの意見で衝突できるくらいには対等だった。

 ユラハは自分の人生を一人で考えられる自立した大人であり、イルマは他人の生き方に口出しをしない大人だった。

 始めから何も悩む必要などなかったのだと気付かされる。

 ふとイルマの懐で携帯電話が鳴り出した。イルマは素早くそれを取り出し耳に当てる。

「よう、枯れ枝(カトルツォロ)。アタシと同い年のゼニスロールちゃんは元気してるかい?」

「あんたがいない間にすっかり大人びちまって全身ピアスホールだらけだぜ」

「カーッ! いつの間にか育ってるもんだ。ま、悪い遊びは若いうちにやっとくもんさ。ちなみにどこに開けてんだ?」

「ケツだ」

「ケツかー! そいつぁいい趣味してんぜ。アタシも好きなんだ、ケツ。アタシはファックする方だけどな」

 同時に後方で爆発音。追っ手のうち後方の車が外壁に衝突する音だった。いつの間にかピックアップトラックが追いついてきている。荷台には機関銃片手に仁王立ちするエレトリカの姿。運転席のヴェルは今にも死にそうな顔をしていた。

「エレトリカ様参上ッ! おら、ヴェル! もっと車飛ばせ!」

「無理無理! これ以上は無理!」

「いいからぶつけるつもりで寄せてけっつぅの!」

 ハンズフリーにして助手席に置いた携帯電話から二人の張り上げた声が聞こえてくる。ユラハも後部座席から身を乗り出し、喚き合う二人のやり取りに耳を傾けていた。

「ホント仲良いよね、あの二人」

「芸人でもやった方がいんじゃねぇの?」

「同感」

 ユラハは彼女なりに笑い、釣られてイルマも笑う。

 迷いはなくなった。何よりこれ以上従う理由もなくなった。

 何かが変わったわけではない。ただ、いつも通りに戻っただけだ。そして仕事はまだ終わっていない。

「片を付けようぜ、ユラハ」

「ん、もちろん」




 切りがないように思えた追っ手もハイウェイを降りる頃には途絶えた。そこからウォートグリューからレイニスパル山の麓を走り抜けるまでの間に襲撃はなく、エンジャーズ深林までのドライブコースは驚くほど平和だった。もう打ち止めだったのかもしれない。

 術莢は底をつきかけ、エレトリカの武装においても対戦車ミサイルとグレネード、車載の重機関銃は全弾撃ち尽くしていた。全員の撃破数を合計すると、約六〇輌の車を撃滅したことになる。

 ユラハを先頭にイルマ、エレトリカが続き、エンジャーズ深林の鬱蒼とした暗緑の木々を掻き分けていく。すでに太陽は沈み、深林は無明の闇を溜め込んでいた。

 先頭のユラハは逆手に持った懐中電灯で闇を払い、イルマとエレトリカが周囲を警戒する。

「静かですね」

 ふとユラハが呟く。

 鳥の囀りも虫の羽音も、自分たち以外が草木を掻き分ける音もしない、静寂の密林。生命の息吹さえ感じないような沈黙だった。

「エンジャーズ深林は羽つき蜥蜴と耳長と人間のそれぞれの緩衝区が交差する現代の火薬庫だ。今でこそ平穏だが一〇〇年前には人間が耳長の領土を侵犯し、小競り合いが起こった。うるせぇって竜の強行派がマジギレして、深林の半分が焦土になったこともある。政治的にはかなり危うい均衡だが、だからこそみんな思いやりの精神を持って、不干渉を貫いている。こうやって散歩する程度だったら、むしろ安全なくらいだ」

「エレトリカさん、意外に世情に詳しいんですね」

「フリーランスでこういう稼業をやってて、そういうことができねェ奴はすぐに下手こいてミンチになる。そんだけのことさ」

「最近は導術派や技術派の区分も細分化してきて、その上種族間の外交問題、さらに国家統合体同士の駆け引きと複雑になりすぎなんだよ」

「それについてはアタシも同感だ。自分の鉛玉ぶち込んだ相手が何なのか、常に考えてねェとすぐに絡め取られて、食い殺される。昔はよかったとは言わねェが、気に食わない奴にはとりあえず二、三発ぶち込んでから話(ナシ)つけてた頃が懐かしいぜ」

「感慨に浸ってるところ悪いが、俺には同意しかねる」

 エレトリカの話の端々からは暴力の世界の香りがする。

 それはイルマやユラハが関わっている世界に似通っているようで、もっと深淵に根付いている世界だ。歯車が偶然に噛み合い、こうして行動を供にしているが、本来ならば出会うはずのない人物なのだろう。

 エレトリカの生きている世界はきっとそういうものだ。誰にも知られずに生きて、誰にも知られずに殺し、誰にも知られずに死んでいく。住む場所の問題ではない。そもそもとしての位相が違う。

 そんな話をしている間に三人は受け渡しポイントに辿り着いた。あの時と変わらない皺一つない白いスーツ姿を着こなす、白い仮面の紳士がぼんやりと立っている。闇夜の森の中にあっても、まるでオフィスにいるかのような身なりと佇まいは違和感に溢れ、まるで切り取った写真をそのまま貼り付けているかのようでさえあった。

 しかし、現に彼はここにいて、イルマたちの姿に気付くなり笑いもする。

「エレトリカ女史、受け取り場所だけでなく、集合場所まで間違えるとは、一体どうしたんだ? 弾の撃ちすぎでおかしくなったか?」

「綿密なリスク管理と情報収集の結果だよ。テメェの目的は十分に果たされ、アタシたちは役目を全うしていることに変わりはねェと思うがどうだい?」

「ふむ、まあ、それもそうだな。積荷を渡してもらおうか」

 尊大な物言いにイルマとエレトリカはジュラルミンケースを投じることで答える。口金が緩められていたケースは地面にぶつかった衝撃で開かれ、その中身を白仮面の男に晒した。

 同時に男の目が見開かれる。空であるはずのジュラルミンケースの中には、それぞれ導式炸薬筒と手榴弾が大量に詰め込まれていた。

 ジュラルミンケースの向こうには導剣アルドライトを杖のように構えたユラハの姿。

「バーン」

 導陣(レリーフ)展開、弾けた三条の赤い煌めきがジュラルミンケースへ疾走し、同時に爆発が発生する。引火、連鎖的な爆発。周囲一帯が橙の光に照らされ、夕方のような明るさに満たされた。

 竜の咆哮めいた爆発音が衝撃となって全身を打つ。背部のストックに固定したままの短剣ベリスの鯉口を緩め、トリガーを引くと同時に翠の導陣(レリーフ)が虚空転写。旋風が吹き荒れ、舞い上がった塵埃と爆煙を一瞬にして薙ぎ払った。

 爆心地から少し離れた場所に白い仮面の男が蹲っている。左半身はスーツが焼き焦げ、腕は千切れている。断面から零れるのは血潮ではなく油。鋼鉄のフレームから垂れ下がった配線の断面では電気が弾ける。

「どういうつもりだ?」

 体の半分を履き飛ばされても男の声は常と変わらない。当然だ。痛みを感じていない以上、焦る必要もない。

「GB7。そういやその身代わり人形もアヴェニュワ研究所製だったか」

「運び屋風情が。一体何が不満だ?」

「聞くまでもないんじゃないか? あんた、俺たちがこれで文句を言わないって思ったわけか。ふざけたテストのターゲットにしやがって。胸くそ悪いったらないぜ」

 今回、イルマたちを襲撃したのは恐らくアヴェニュワ研究所の者だ。

 内部抗争があったわけではない。この男は自分の部下達に襲わせるためにイルマたちを雇ったのだ。

 各地から出発する者たちから積荷を奪えるかどうかという、技術兵器の性能を試験するためのゲーム。

 イルマたちの積荷は玉手箱だった。中身は重要ではない。そのジュラルミンケース自体に価値がある。

「運び屋としての適性を持つ導術士、何より熟練の運び屋。貴様らはいいテストケースだった。今回発覚した問題点で我々の商品はよりよいものになる。それだけのことだ。お前たちには報酬も支払う。何故我々に攻撃をするのか理解に苦しむな」

 森が途端にざわめく。

 恐らく隠れ潜んでいたアヴェニュワ研究所の兵に包囲されている。

 エレトリカが剣呑に笑い、ショルダーホルスターから銃を引き抜こうとするが、それをイルマが手だけで制す。

「所詮は荒事専門の狂犬ということか」

「何を長々と」

 ユラハが男の言葉を遮り、鼻で笑う。

 アルドライトを地面に突き立て、右手にベリスを提げたユラハの青い瞳は氷のように平坦だった。

「アタシたちはただあんたが気に食わないんだ。気に食わないんだよ」

 ユラハがベリスのトリガーを引く。同時に地面に突き立てられていたアルドライトの宝珠が呼応するように光を放つ。ベリスの弾倉が回り、アルドライトの遊底がスライドし空術莢が排出される。

「アーカイブ接続。コードYLH。ボルディアーノアーカイック起動」

 声紋認証クリア。アルドライトの刃の根元から紅い光が鎬に満ち、突き立てられた地面にまで落ちていく。同時にユラハの足下から半径二メートルの導陣(レリーフ)が展開される。目を焼くほど鮮烈な紅い光が森全体を照らし出した。

 二つの宝珠による並列処理、何より十二階位術莢二発分の高質大量の幻素(エーテル)を用いる大規模導術。

 導陣(レリーフ)の内側に立つエレトリカでさえも目を瞠った。

「名付き持ちなんて聞いてねェぞっ!」

「そりゃ言ってなかったもんな」

 高階位の導術の中でもさらに一握りの導術にのみ、一意の名が授けられる。それは発動のトリガーとしても機能し、同じく一意の術者に与えられたコードと声紋と併せた時のみ発動を可能とする。

 一人の術者しか扱えない、世界でたった一つの導術。それこそが名付きだ。

 本能的に危機を感じ、紅い光に照らし出された者たちが銃口をユラハに向け一斉に弾丸を浴びせかける。四方八方から迫る弾丸。しかし鉛玉は導陣(レリーフ)の外縁を越えようとした瞬間、蒸気を上げて霧散していく。

 否、昇華したのではない。幻素(エーテル)に分解されていた。

 ユラハの蒼い瞳が男たちを射貫き、そして大地という鞘からアルドライトを引き抜く。同時に導陣(レリーフ)から炎が噴出し逆巻いた。

 火柱がまるで意志を持っているかのようにうねり、一人の男へと食いかかる。対導術加工(AMC)が施された防護服が一瞬にして溶け、男の体は炎上、悲鳴を上げる間もなく蒸発した。左右にいた男たちは触れただけで全身が沸騰し倒れ伏していく。

 緻密に組成された幻象(インスタンス)の情報量を対導術加工(AMC)が処理しきれなかったのだ。高熱源の蛇が木々の間隙を滑るように走り、男達を次々消し炭にしていく。

 だというのに木々に火が燃え移ることはない。高速で正確な条件処理が対象だけを確実に燃やし尽くす指向性ある獣を産みだしていた。

 阿鼻叫喚の地獄の中、溶けかけた白仮面がノイズ混じりの笑い声を上げる。

「素晴らしい。素晴らしいデータだ。これで我々の商品はより進化する。いつか、貴様ら導術士を絶滅させうる兵器が生まれるぞ、ふ、フハハハ——」

 その哄笑をエレトリカとイルマの放った銃弾が撃ち抜いた。一拍置いて炎の蛇の顎が機械仕掛けの体に食らいつき、全てを飲み干す。

「知るかよ」

 頬に張り付いた煤を手の甲で拭い、ユラハは吐き捨てるように言った。




 帰りの車内、後部座席に横たわったユラハは頭の後ろで手を組み、サンルーフから夜空を見上げていた。口に含んだ飴玉の棒がふらりふらりと揺れる。

 エレトリカたちはすでにいない。各地を転々とする根無し草の旅をしているらしく、次の仕事を請けるため、今夜の内にはソーンチェスターを出るらしい。恐らくこれから会うこともないのだろう。

 運転席のイルマはお気に入りの女性シンガーの曲を聴きながら、のんびりと車を走らせている。

「今日は本当、疲れたな」

「もうへとへとだしお腹ぺこぺこだよ。帰りに何か食べていかない?」

「そいつぁ賛成だ」

 ワゴン車が平原の道なき道を進む。

 どこまでも続くように思える平原。遮るものは何もなく、満天の星空と月だけが当然のように広がる空。

 どれだけ走ろうと夜空は変わらず、月はずっとついてくる。銀細工のような星々の瞬きは明るく、しかし眩しくはない。

「ねぇイルマ」

「なんだ?」

「アタシはイルマに守ってもらおうとも、助けてもらおうとも、導いてもらおうとも思ってないし、その逆をしようとも思ってない。ただ、イルマの隣に立っていたいんだよ」

「なんだよ、いきなり。お前はいつも俺の前に立ってんだろ」

「それでも、そこがアタシにとってはイルマの隣なんだよ」

 ふっとユラハはそよ風のように笑う。運転するイルマもはぐらかしながら笑っていた。

 トラブル続きの一日だった。死んでもおかしくはなかったのだろう。それでも今二人は生きているし、満ち足りた空腹感があった。体はくたびれ、頭もあまり働いていない。こんなに疲労困憊なのだから、これから食べるものはきっと最高に美味しく、また家に帰ればよく眠れるだろう。

 それは紛れもないユラハにとっての日常だった。まだ半年だけの日常がこれからずっと続いていく。

 道なき道も走れば道であるように、生まれたばかりの日々もこれから日常となっていくのだろう。

 ふと、車のエンジンが聞き慣れない音を上げ、車が大きく揺れた。背中に伝わってきていた振動が唐突に止み、いきなり停車する。

 一瞬の沈黙。粘ついた静寂がサンルーフから車内に注ぎ込まれる。

「……え、ちょ、マジかよ?」

 イルマが情けない声を漏らす。

「故障した?」

 ユラハの問いに答えている余裕もないのか、キーを何度か回していたイルマは車から飛び出していく。

「ふざけんなよっ! こっから車無しでどう帰れってんだよっ!」

 喚くイルマの声が車外から聞こえてくる。物言わぬ車に文句を言い続けるイルマの声を聞きながら、ユラハは浅く息を吐き出した。

「ま、なんとかなるでしょ」

 人生なんて結局そんなものだ。


A.E.2079.10.14 - Better to ask the way than go astray.

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