第21話

「お待ちしていました。来てくれないかと心配しました」



 新港第1突堤。その端先(はなさき)。

 風に弄(なぶら)れながら佇(たたず)んでいた興梠(こおろぎ)は安堵の表情で近づいて来る人影を迎えた。


「一体、今時分にこんな場所に呼び出して――何が言いたいってんだ、探偵さんよ?」

 先に到着したのは赤松朝雄(あかまつあさお)。

 その後ろ、兄の影を追うように小走りでやって来るのが久我小夜子(くがさよこ)、ダンシング・バアを抜け出した踊り子だった。

「来てみりゃあ俺だけじゃなく、小夜もいるじゃないか! おまえ!」

 肩越しに妹に問う。

「勤務中じゃなかったのかよ?」

「あ、あの、私も、呼び出されて……それで……」

 口早に探偵が謝罪した。

「申しわけありません。どうしても、と僕が無理を言って頼んだんです。でも良かった! お越しいただいて感謝します。どうしても〝今〟でなければならないので――」

「?」

 軽快な足音を立てて突堤の最先端から少年が駆け寄って来た。興梠探偵社の助手の手には双眼鏡が握られている。

「大丈夫! 今ならいるよ! はっきりと見える!」

「フシギ君。それをご兄妹にお渡しして――」

「?」

 差し出された双眼鏡。

 訝しがる兄と妹に探偵は沖を指差して説明した。

「ご覧ください。見えますか?」

 指の先には波間に漂う鳥の群れが見えた。

「――って、鴎(カモメ)の群れだろ?」

 赤松がスカーフェイスを顰めて、

「それが何だってんだ? 港湾で働く俺にゃあ珍しくもないぜ?」

「おっしゃるとおり、鴎と鴨(カモ)の群れです。でも、どうか、よおくご覧ください。あの中に、3、4羽、少々違った鳥が混じっているでしょう?」

「そういえば……」

「学名:Clangula hyemalis、英名Long-tailed Duck、日本名はコオリガモです」

 興梠は娘を振り返った。

「小夜子さん、貴女は溝口(みぞぐち)邸の門扉の前で朔耶(さくや)さんの声を聞いた気がした、と言われましたね?」

「え? あ、はい」

「そして――実は、僕もです。あの後、訪れた溝口邸の庭で聞きました。朔耶さんの声、あの、特別の挨拶を」



       会おうな



 探偵が何を言いたいのか全く見当が付かない。兄も妹も口を閉ざして立ち尽くしている。

「コオリガモは渡り鳥です。日本の内地では珍しい。その名の通り、極寒の北国の氷の浮いた海辺でのみ見られます。尤も――

 年に何匹かもっと南、首都や千葉やこの辺りでもこうして見ることがある」

 探偵は沖の海鳥の群れに視線を向けた。

「僕は思うんです。

 あの鳥が、あの場所……溝口邸の庭にいた。

 そのこと自体、やはり何らかの力だったのではないかと。

 ただの偶然としては片付けられない……

 要するに、朔耶さんの貴女への強い思い……」

 ここで、一瞬、探偵のコントラバスがやや翳(かげ)ったのは、気のせいだろうか?

「どんな男も敵わない、強い愛の力だ……」


「何を言ってるんだい、探偵さん?」

 幾分申し訳なさそうに頭を掻きながら兄が言う。

「何と言うか、そのォ、あんたの言ってることが俺にゃあちっともわからないんだが……」

「だよね? 僕も最初にこの話を聞いた時は理解するのに暫くかかったんだから」

 赤松の革ジャンを引っ張ってヒソヒソ声で助手は言うのだ。

「ロマンチック過ぎるのがあのヒトの悪い癖さ。だから、いつまでたっても独り者なんだよ。それはともかく――」

 探偵の欠点を補うのが助手の使命である。そのことに目覚めて少年は咳払いをした。

「赤松さんは、僕より理解し易(やす)いんじゃないかな。今、興梠さんが何を言っているか。だって、赤松さんは小夜子さんのお兄さんでしょ?」

「そうだが? それが何か?」

「じゃ、知ってるよね? 朔耶さんの口癖のこと」

「あれかい? いつも別れ際に小夜に言ってた――」

「シッ、今だ! 耳を済ませてみてください、朝雄さん、そして、小夜子さんも!」

「――」

「――」


 その時、はっきりと突堤に響き渡った。確かに聞こえた。



     会おうな



「あ……!」


 鴎や鴨たちの声に混じってコオリガモが啼き交わしている。




     会おうな 

    会おうな

     会おうな



「そうなんです。お聞きになったとおり――あの鳥……

 コオリガモの鳴き声は……〝あれ〟なんです。


 このことを最後にどうしてもお伝えしたかった……」


 探偵のその後の言葉は強い海風と冬鳥達の声が吹き消してしまった。


「これが僕からのお別れの挨拶です」



 

 ロングテールダック/日本名 氷鴨コオリガモ

 極寒の海に響くその声は「会おうな」と聞き取れる。

「アオーナー」「アオーナー」と啼き交わす哀愁を帯びた声は一度聞いたら忘れられない。いつまでも耳の奥に木霊して寂しい人間の胸を締め付ける――




 ――  会おうな!

     

君のその仕事は何時に終わるの? 

     

その後で、

     会おうな?




 美しい踊り子の瞳から涙が溢れ出した。


「朔耶さん……」



 ――  その後で、会おうな!

     

約束だよ? 

     絶対、

     

会おうな?




    


   《 風に散る 再会の声 冬の海 》 浮鴫




    興梠探偵社file:6 会おうな ―――― 了 ――――




  お付き合い下さりありがとうございました!

★コオリガモの声をお聞きになりたい方はこちらから↓  http://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/32.html

★実物を御覧になりたい方はこちら↓

  http://ken2xmint.exblog.jp/21450446/

★今回の「アオーナ」だけじゃない? 

 鳥の鳴き声を人間の言葉として聞くこと《聞き做し=ききなし》については

 http://seethefun.net/%E7%90%86%E7%B3%BB%E5%AD%A6%E5%95%8F/954/      

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会おうな?(興梠探偵社file) sanpo=二上圓 @sanpo55

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