第50話

 魔物の繰り出す剣の根元をナイフで受け止めた、黒い少女。

 彼女は容易く、切り払うように魔物を押し返した。

「なっ……!」

 驚愕に声を上げ、動きを止めたのは、魔物も少年も同様だった。魔物の方は、そもそも少女の姿など目に入っていなかったかもしれない。だからこそ、再び動き出すのは少年の方が早かった。

 口惜しそうに舌打ちしながら、

「言っておくが、俺は初対面のお前が死ぬことに同情する暇なんてない」

 そう告げると同時、少年は駆け出した。

 敵――自分の父親の姿をした敵のもとへと。

 少女は一瞬、それを止めるべきかと逡巡するようにそちらを向き、手を伸ばしかけたが……そうすることもできず、ただ見送ってしまう。自分のやったことが正しかったのか、思い悩むように肩を落とす。

 しかし、あたかもその悩みを断ち切るように振り回されたのは、魔物の剣だった。後退しなければ首を斬られていただろという位置に銀色の弧を描かせ、いつの間にか魔物が立ち上がっている。

「余計なマネを……何者ですか、貴方は」

 その問いに、やはり少女は答えない。ただ代わりに、確かに悩みが断ち切られたようにナイフを構える。

 明らかな応戦の構えに、魔物は笑った。嘲笑。

「先ほどは不意を突かれましたが……見た目と同じ力だとは思わないことです。我らディミーターを、人間の器で測れるなどと!」

 斜め下から斬り上げてくる刃。それは確かに並大抵の速度ではなかった。鍛錬を積んだ兵士ほどだろうか――また一歩後退しながら、少女はそう判断した。

 追撃に詰め寄ってくる速度もやはり、年端もいかぬ宮殿育ちのものではない。それでいて少女より低い背丈を存分に生かして、ほとんど地面を滑るように向かってくる。

 甘く突き出された切っ先は、牽制の目的だろう。さらに後ろへ下がらせるためだと理解しながら、少女はそれに従った。というより、そうする他になかった。左右には兵士が回り込んできている。

 もっとも後退しても状況には大差ない。というより悪化する。後ろにも当然だが兵士がいた。背後から槍が突き出され、少女は足を止めて身をひねり、それを避けた。しかし足を止めることで、兵士たちはいっそう包囲を強めてくる。

 十人ほどだろうか。今更ながら少女はその人数を見て取った。それが三人ずつほどで左右と後ろを囲んでいる。中には王女と同じく腹に穴を空けた者までいるが、やはり血は流れていない。

 そして正面には、王女の姿をした魔物。固体名はないのかと、少女は漠然と考えていた。いっそこちらで名前を付けるべきかどうかと、暢気なほどに。

 そうしていると、魔物が嘲りの笑みで言ってくる。

「ふふ、呆気ないものですね……せっかくですから、次は貴方の身体を使うことにしましょう。私に勝利し、援軍に駆けつけたように見せかければ、また面白くなるかもしれません」

 彼女は勝利を確信して、自分の唇を真っ黒な舌で舐めた。あるいはそれは舌ではなく、生物の体内に潜り込み、内臓を吸い取るための器官なのか。

 魔物は再び剣を構えて向かってくる。やはり対応しづらい低い姿勢で、口を開けたのは噛み付こうとでもしたためか――いずれにせよ仕掛けてきたのは刃だった。

 一度右側に身体を沈めると、少女がそれを目で追ったのを見て、すぐさま体重を左へずらす。相手の反射神経を利用して死角へ回り込みながら、腕を斬り落とそうとしたいに違いない。

 実際、それは有効だった。生物の体内に入り込む魔物も、そうやって生物に成りすます魔物も聞いたことはないが、これほど人間の戦闘術に長ける魔物というのが一番驚くべきことかもしれない――少女はそんなことを考えていた。

 魔物の背後に立ちながら。

「……!?」

 目の前から突然標的の姿が消えたことに魔物が気付いたのは、剣をようやく振り上げきった頃だったらしい。その時にはもう、少女は魔物の首に刃を押し当てていた。順手に持ったナイフを喉元に突き立て、軽く手をひねって傷口を広げるのと同時に振り払う。

 これは返り血が付かないための殺し方だと、両親に教えてもらったことがある。

 もちろん、魔物の喉から血が出ることはなかったが、代わりに肉片のような黒い塊が僅かに飛び散る。

「げぁっ、は……!」

 王女らしからぬ声を上げ、自分の首を押さえて悶える魔物。どうやら少なくとも首から上の急所は同じらしいと、少女は判断した。そして判断した次の瞬間には行動し――それが終わっている。

 魔物は何が起きたかを正しく理解できなかったのかもしれない。ただ、二つの倒れる音を残して……もうそれきり動かなくなった。

 それを見下ろすのは、闇に沈む黒尽くめの少女。その顔は前髪に隠れ、表情を窺い知ることもできなかった。

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