第49話

 謁見の間を抜け、中庭に出る。外は雨が降っていた。さぁ――と流れるような細い音を立てながら、宮殿内から漏れる小さな明かりに照らされて、その雫を煌かせる。

 中庭は広大だった。棟に囲まれた左右の幅だけでも、学生の徒競走には少し長い。それが縦の面積となるとさらに広い。幅を数倍させたような面積を芝生で埋め尽くしながら、真っ直ぐに正門まで続いている。

 そこに――兵士の死体が転がっていた。さらにそれぞれの側には、血塗れの武器を持った兵士たち。

 その様は明らかに、ライオニック平原で見たのと同じ、同士討ちを示していた。

「お待ちしていました」

 どういうことだと少年が訝っていると、正面からひとりの少女が歩いてきた。そして、兵士の死体の前で止まる。

「っ……お前……!?」

 その姿に、少年は少なからず驚愕したようだった。

 現れたのは白金の髪を持つ、整った顔をの美しい少女。その髪も、ドレスのような白い部屋着も、今は雨でしっとりと濡れて肌に張り付いている。

 そのおかげで、服の胸元に空いた細い穴が強調されている。そして――その奥に空いた、皮膚の穴も。ただし血は流れていない。少女はその致命傷に見える傷を一切無視して、微笑んでいた。

「お前は……殺したはずだ、ディミーター!」

 少年が叫ぶ。彼はその怒りと共に剣を構えたが、少女――コールウッド国の王女であり、ディミーターと呼ばれた女は、全く意に介した様子もなく平然としていた。

「ふふ。確かに、本当に刺されたのなら死んでいたかもしれません。ですが準備しておけば、体内から抜け出すことなど容易なのですよ――『私たち』、ディミーターは」

「どういうことだ……体内から抜け出す? 私たち?」

 少年が眉をひそめると、王女は面白がるように笑い、言ってきた。

「そもそも、ディミーターというのは固体名ではありません。私たち種族の総称です。貴方がたの言葉に言い換えれば……魔族の中の一種族、でしょうか」

「魔族だと? 人間に化ける魔族など、聞いたことが……」

「当然でしょう。隠れ潜むのは我々の得意分野ですから。それに、化けるというのも少し違いますね」

 その声に少しずつ凄絶な、狂気のようなものを混ぜながら、彼女は自分の胸元に手を当てた。開いた細い傷口。そこに指をかけて……

「我々は、生物の体内に入り込み、内臓を食らい、その皮を被って隠れ蓑にするんですよ。こんな風に!」

 王女は信じがたいことに、ずぶりと傷口に指を挿入させた。そしてあろうことか、傷口を広げるように思い切り皮を裂いた!

 いや、もはや広げるなどというものではない。王女は胸から腋にかけて、自分の皮膚を破り捨てていた。

 しかしそこからはやはり血が流れない。さらには肉も、骨もなかった。代わりに黒い塊が身体の形に成型されていて、生命の証のように脈打っている。

「これが私たち、ディミーター本来の身体。いかようにも形を変え、その生物に成りすますことができるのです」

「っ、魔物……!」

 正体を認めるように、少年が忌々しく吐き捨てる。ギリッと奥歯を噛み締める音を、隣に立つ『少女』は聞いていた。

「何が目的だ、そんなことまでして」

「我々の目的はただひとつ――世界の殲滅に他なりません」

「世界の、殲滅? 馬鹿げたことを……伝説の魔王にでもなったつもりか」

「我々は征服しようというのではありません。殲滅――我らディミーター以外の種族全てを、滅ぼすのです!」

 もはやそれが達成されようとしている、とでも言うように、王女は哄笑した。

「しかし残念ながら、我々は人間のように、数を増やすことが容易ではありません。だからこそ、自滅してもらう必要があります。そのために我々は辺境の英雄に目を付け、魔物に仇をなすその男を利用しようと考えたのです。我々の化けた魔物に殺されるならそれもよし、そうでなければ……っふふ」

「……ッ!」

 それが何を示すものか、少年にわからなかったはずがないだろう。また王女もそれを逆撫でするように口を吊り上げていた。

「その男の人皮を使い、王国軍の中に入り込み、我々は準備を続けました。各所で人々に不信や疑心暗鬼を植え付け、火種を生み出し、大きな炎と変えるための模擬実験とでも言うのでしょうか。反乱と混乱を呼び寄せるため――囚人は傭兵よりもそれに適しているかと思いましたが、このような事態では、皮として使うしかありませんね」

 と言って周囲の虚ろな兵士たちに視線を送る。

 少年もそれを目で追い、口の中で舌打ちした。そして改めて王女に叫ぶ。

「どちらにせよ馬鹿げたことだ。どけ! お前がここに現れて、こんな長話をするってことは、親父――あの男が親玉で、それを逃がすつもりなんだろう!」

「っふふ! さあ、どうでしょう。ですが……」

 兵士が、虚ろな目で包囲するように武器を構えた。王女は足元に転がる死体の手から、彼女の身体には不釣合いな剣を拾い上げる。

 少年は、その真正面に向かって駆け出した。

「邪魔をするな!」

「行かせるとお思いですか!」

 魔物と少年の剣が凄絶な殺気の中で交差する――しかし、その直前。

 その中に平然と割り込んだのは、黒装束の少女だった。

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