第48話
その場でしゃがみ込むような、影。少年は理解できず、それを見つめていた。影が立ち上がってようやく……それが自分よりも小柄で、自分と同じ程度の年齢の少女だとわかる。
背後から見れば、それは影そのもののようでもあった。身体に張り付くような黒装束を着込んでおり、そのおかげで露になる身体つきで性別を判断した。頭も黒い布で目の部分以外が包まれていたが、その目も髪に隠れて見ることができない。
仕方なく身体の方を見やると、黒装束は光沢のない奇妙な質感を持っている。伸縮性に優れていそうだというのは、彼女が立ち上がる動作を見た時に気付いた。
衣服はそれだけという、異常なほどの軽装だった。辛うじて胸と腰に、幅の広い黒革のベルトらしきものを巻いている。腰のベルトには黒く薄いナイフの鞘が貼り付けられているが、そこには何も入っていない――少女がそれを手にしていた。
天井から飛び降り、男に斬りかかったのか。人が十人かかっても届かない、謁見の間の天井から。……馬鹿げているとは思うが、少年は推察せざるを得なかった。
「あんたは……」
少年が呟く。その声が聞こえたかどうかはわからない。
いずれにせよそれが確認できるよりも早く――さらに言えば、王国軍の司令官が何か、こいつもスパイの仲間だとでも叫ぶより早く。声は全く別の方向から聞こえた。
奥の壁にある、執務室へ通じる扉からだ。
「待て、皆の者! その子供たちは敵ではない!」
全員が、一斉にそちらを向く。そこには――王の死体があったはずのそこには、王が生きて、立っていた。顔を青くし、瀕死に近い様子だったが、手当てを受けて包帯を巻かれた格好で、扉に持たれかかっている。
「コールウッド王!」
その声を発したのは、男だったか、兵士だったか。いずれにせよ王は続けた。肩で息をしながら、命を削るように。
「敵は……軍司令官だ! 奴が、儂を殺そうとした!」
「そんな!」
兵士が一斉に、司令官の方を向く。男は既に、数歩分ほど飛び退いていた。牽制に剣を向けながら。
「生きていたのか、国王」
「そこの黒い……娘が、扉を引き剥がし、手当てをしてくれたのだ。危ういところではあったが、な……」
「まさか、そのような邪魔が入るとはな……やむを得ん」
誰にでもなく囁くと、男は踵を返して駆け出した。兵士たちは突然のことに混乱し、誰に刃を向けるべきか戸惑っているようだったが――王が気を失いかけてその場に崩れ落ちたことで、救助と追跡に班を分けたらしい。半数ほどが王の介抱と警護につき、残りが伝令と追跡に向かう。
王はまだ辛うじて残る意識で、兵士たちに事情を説明しているようだった。その声が、少年にも微かに聞こえてくる。
「奴は、戦争をしようとしない儂が、邪魔になったのだ……そして儂を殺し、それをマリセアの刺客と偽ることで、無理矢理に戦争を引き起こそうとしたのだろう。奴は……理由はわからぬが、それほどまでに戦争を望んでいる」
少年はそれを片耳に入れながらも、そうした陰謀には興味を抱かなかった。少年にとっては、理由などどうでもいいことだ。それよりも、今は目の前の少女のことが気になった。
「あんたは女だが……あの『女』じゃないな。あいつは殺したはずだ」
「…………」
「だとしたら、何者だ? 敵だっていうなら……」
慎重に聞きながら、剣を構えようとする。少女はその時、ちらりとだけ振り返った。前髪に隠れて顔はほとんど見えなかったが。
そして口も、もごもごと何かを喋りたいような、躊躇うような様子で動かしている。天井から飛び降りて相手に斬りかかるなどという、それこそ魔物めいたことをしながら、彼女は酷くしどろもどろだった。
やがて少年は焦れて、口の中で舌打ちした。
「まあいい。敵じゃないなら、どうでもいいことだ。それよりも俺は……」
そう呟いて、駆け出す。向かうのは当然――逃げていった男のもとだ。
しかし走り始めてすぐ、その後ろを少女が追いかけてくるのを感じ取った。
少年はついてくるなとは言いたかったが……その口論になるのも面倒なので、無視して敵を追った。
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