第47話
謁見の間に飛び込んできた人間を見て、王国軍の司令官は怪訝に目を細めた。
まさか自分と同じ目的ではあるまい。かといって、自分のことに感付いたわけでもないだろう――そう見える。少年はただ飛び込んできた、あるいは逃げ込んできたという方が正しいかもしれない。
少年はそのまま、背後を気にしながら転がるように数歩分を駆けた。そして……足をもつれさせ、階段の前で止まる。
転びはしなかったが、立ち止まったことで少年は周囲を見回す余裕ができたらしい。そこが謁見の間であることをようやく理解して――さらにようやく、玉座の前に立った司令官を見つけた。
「っ……!」
黄金色が逆立つような気配を発しながら、少年が声にならない叫びを上げる。灼熱色の双眸には、激情の炎が宿っていた。
「親父……そこで何をしている!」
彼は一瞬の間を置いて、ようやくその叫びを声に変えた。
自分を見下ろす、自分の父親――盗賊に捕まり、姿を消してから五年。少年が探し続けてきた父親である。
王都に連れて来られ、王国軍に加入されられた際、彼は少年の目の前に姿を現した……王国軍の司令官として。
そして同時に、少年のことを一切記憶していなかった。洗脳でもされたのだろうと、少年は理解していた。ただしそれは未だ、解けていない。司令官は単純に邪魔者を疎む目で少年を見下ろして。
「……囚人か」
「やっぱりあの女……ディミーターの仲間にさせられたのか。洗脳されて、利用されてるってのか!」
「…………」
司令官は答えない。ただ見下ろしたまま、少年からすれば何を考えているかもわからない。
だからこそ少年は叫び続けた。
「なあ、思い出せよ、あんたの息子の顔を! 自分が庇った息子の顔くらい! 俺がどんな思いで今まであんたを探してたか――」
「――そうか」
不意に、ぽつりと呟く。少年はハッとしたが……それが望むものでないことはすぐに知れた。
司令官は剣を構えた。血に濡れた刃を、少年に向けて。
「ひとり、スパイに仕立てられる、扱いやすい囚人がいると言っていた。それがお前か」
「ッ、親父!」
「そこまでだ!」
その時、制圧の声と共に謁見の間に多数の人間が殺到してきた。振り返りながら、少年は胸中で舌打ちした。
現れたのは十数の兵士たちだった。無論、少年を追ってきたのだ。そしてその先頭に立つ兵士が、謁見の間を見回してから声を上げる。少年は父親のことで頭がいっぱいになり気付かなかっただろうが、そこには国王と、バラバラになった兵士の死体が転がっている。
「司令官、これは……!」
「っ……!」
瞬間。司令官は壇の上から跳躍した。長大な剣を構え、それを少年の頭に振り下ろしてくる。
ガンッ――と硬い音を立てて剣先が床に突き刺さり、石造りの床が抉れる。少年は辛うじて転がって、それを避けていた。起き上がる間に、司令官も剣を引き抜き改めて構えると、
「犯人は子供だ。こいつはマリセア国のスパイであり、国王を殺害した!」
弁解の隙を与えまいとするように、背後に立つ兵士たちに断言する。
少年はわけのわからない激情を抱いて父親を睨み据えた。しかし彼はあくまでも冷徹に、少年を見返している
「スパイ!? そうか、それで王女まで!」
「殺せ! 生きて国へ帰れると思うな!」
兵士たちは司令の言葉を当然のように信じ、さらに強い攻撃性を抱いて武器を構えた。
逃げ場はない。入り口の大きな扉は、兵士たちの背後にある。周囲には敵しかいない。
「くそ! どうしてこうなるんだ……くそ、くそ!」
少年は苛立ち、怒り、絶叫に近い声を上げながら、剣を構えた。自分の未熟のせいで連れ去られ、五年間探し続け、ようやく再会できたはずの父親に向けて。邪悪の手に落ち、自分を罠にはめる父親に向けて。
その背後に控える兵士たちも同様だ。死した邪悪の手から逃れられず、思考を失っている。
狂っている。狂わされている。彼らは誰も彼も、あいつに狂わされたのだ。あの邪悪がどのような行いをしてきたか、わからないなどと。その結果がエンダストリの町であり、ライオニック平原での戦いだというのに――!
全てが自分の敵だった。誰も彼も、自分に味方する者は、もはやここに存在しない!
「くそ……くそ! やってやるさ、敵しかいないなら、全員殺してやるッ!」
捨て鉢の思いで叫び、少年は駆け出した。理解を求めても不可能だろう――洗脳も解くことができないのなら、殺すしかない。ひとりでも多く殺し、敵を消し去るしか生きる道はない!
真っ先に狙ったのは先頭に立つ男。兵士の中で最も大柄で、大木のような男。最も憎い男だ。
少年は剣を振り払った。それは男が一歩下がっただけで、あっさりと避けられる。お返しのように薙がれた刃を、少年もやはりお返しのように下がって避けようとするが、突進の慣性を打ち消しきれず、尻餅をつくように転倒する。しかし結果としては、そのおかげで刃は頭上を通り過ぎた。
斜めに振り下ろされる剣は、今度こそ飛び退いて避けた。着地し切れず転がって、なんとか立ち上がる頃には男が接近してきている。左から腹を切り裂こうとする刃を、少年は剣を立てて全力を込めて受け止めた。そのまま剣ごと、階段の方に弾き飛ばされる。
「ぁがっ、ぐ……!」
錐揉みしながら転がる痛みに声を上げ、段差に当たって止まって止まる。男が突進してくるのを足音で察知し、少年はその方向へ剣を突き出した。
足を狙ったと言えば聞こえはいいが、単に闇雲で、苦し紛れの牽制である。それでも幸運にそれは狙い通りの結果となり、男の進攻を遅らせた。
ぎんっと床に剣先が弾かれるのを感じながら、少年は這って階段を駆け上がる。そして頂上である玉座の前まで辿り着いたところで立ち上がり、急ぎ振り返る。男は追ってきてはいなかった。段の下から見上げている。
しかし代わりに、階段を取り囲むように兵士が詰めてきていた。完全に逃げ場がなくなっている。後退しようとすれば踵が玉座に当たり、振り向けば壁しかない。
「まだだ……まだ、殺さないといけない! 死ぬ前に、殺さないと……お前を殺さないと!」
空回る怒りと失望と、耐え難い恐怖に息を荒げながら、少年は無理矢理に叫んでいた。そうしていなければ殺される。そんな気がして、吼え猛る。
だが男の方は悠然としていた。一段、一段とゆっくり、恐怖を与えるようにしながら階段を上り、少年の前に辿り着いて囁く。
「これでようやく、我々は一つ目を達成する。……死ね」
男が剣を突き出す。恐ろしく迅速に、的確に、首の中央を狙って。少年にはそれを避ける術もなかった。反応もできず、迫り来る死を認識することすら、一瞬遅れて――
つまり。少年が生き長らえたのは、別の力が加わったためだった。
「……!」
男は驚愕し、剣を引いて飛び下がっていた。階段の下まで逃れている。そして男がいた場所には――代わりに、黒い何かがいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます