第36話
「…………」
ハーリット・ヘレディは目を覚ました時、何かを引き止めたがるように腕を突き出していた。
そのせいかもしれない。ハーリットは自分が一瞬前まで見ていた光景が、虚構なのか現実なのかわかりかねて当惑した。
しかしすぐに思い直し、ゆっくりと手を引き戻す。あれは紛れもなく『現実』だ。
そう、現実だ。自分のせいで父を連れ去られてしまったことも……その後、再び襲来した魔物によって村が壊滅したことも。
(僕のせいで、父さんは、村は……)
表面上は無言のまま、身体を起こして顔を拭う。涙など零れはいなかった。灼熱色をした瞳は今もそのまま、ただ、今は少年らしからぬ強い意志によってではなく、口惜しい怒りや後悔で揺れている。
「こんな時に、こんな……」
毒づくように呟く。
陰鬱な感情ばかりが広がっていた。夢だけではない。今の状況に対しても、だ。こんな夢を見てしまったのも、ひょっとしたらそのせいかもしれない。
つまりは――自分も同じように、わけもわからず連れ出されたからか。
ただし自分の場合は平和な村から賊の手に落ちたわけではない。待遇としては、真逆に近いだろう。
牢獄から、王都の客室へと連れて来られたのだから。
---
もう一度眠ることはできないまま、ハーリットは客室のベッドにじっと座ったまま朝を迎えた。窓から入り込む光が、母親譲りの黄金色の髪を煌かせる。
ハーリットは明るくなった室内を見回した。そこは間違いなく客室だった。暗く、湿った、黴臭い地下牢などではない。信じがたいが確かに王都、それも王城の客室である。
もっとも、それを確認したところで陰鬱な気分は晴れなかった。朝陽が人々の完全に起き出すような高さにまでなった頃、ようやく動く気になって立ち上がる。
客室はそれほど豪華なものでもない。宿の一室よりは広いし、家具も上質だし、装飾品まで置かれているが、結局寝て起きるためだけの部屋という印象は拭えない。ハーリットは適当に放り投げていた自分の濃藍の衣服――心身を解放させるつもりで上半身だけ脱いでいたのだ――を着込むと、皮の胸鎧も装備した。剣帯も忘れず、城内だというのに戦闘態勢のように武装する。
(……似たようなもの、かな)
皮肉げに胸中で独りごちて、ハーリットは客室を後にした。
左右に伸びる絨毯敷きの廊下に出ると、ここに連れて来られた時の説明を思い出しながら、方角を決めて歩き出す。
曲がり角に辿り着くまでそれなりの時間を要する、長い廊下。そこにはずらりと、同じデザインをした客室の扉が並んでいた。その構造のせいで城というよりやはり宿っぽくも見えてしまう。昔は来客が多かったためであり、現在はあまり使われていない、と聞いたような気がする。
しかしそれが今は、恐らく全室埋まっているのだろう。ハーリットはその一部屋ごとに誰がいるか、というのはわからなかったが――どのような人物がいるか、というのは知っていた。
「まさか、王城の客室に罪人の群れが入ることになるなんてね」
呻きながら思い出す――それは、ハーリットが牢に入れられてから十日と経たない頃に起きたことだ。
『女』の仕業だという少年の声は全く聞き入れられないまま、それくらいの時間が過ぎた頃。傷だらけの容器に入れられた吐き気を催す臭いと味をした囚人用の食事を、地面に這ったまま無理矢理飲み下している時だった。
看守が何やら物々しく武装した、見慣れない兵士を伴ってやって来ると、理由も教えずにただ「出ろ」とだけ告げたのだ。そしてわけのわからないまま拘束が解かれ、少年は見慣れぬ兵士に連れられて、王都にやって来た。
道中、兵士はずっと無言だっため何も聞き出すことができず、ただ混乱するばかりだった。理由を教えられたのは、王都に着いてから。しかしそれはますますハーリットを混乱させた。
王都には今、罪人が集められている。その理由はわからない。説明は明日――つまりは今日行うと言われた。
しかしハーリットはどうも、不穏な気配を感じ続けていた。不吉な陰謀めいた空気といえばいいのか。そんなものが、王城全体を覆っているような気がしてならなかった。
(そもそも状況が異常なんだ。楽観できるはずがない……)
そんなことを考えながら、目的の場所に辿り着く。
王国軍作戦室――扉にはそう記されたプレートが貼られていた。
しかし大仰な雰囲気とは別に、室内は至って簡素だった。五十人以上を簡単に詰め込めそうな、石造り大部屋である。窓はなく、壁の上部に点々と燭台が取り付けられていた。その隙間には歴代の王国軍司令官らしき肖像画が飾られている。入り口から一番奥の壁には巨大な木板があり、そこに作戦内容などを記した紙を貼っていくのだろう。今は何も貼られていない。
部屋の中央に細長い『U』の字型の机が置かれ、その外周に椅子が並んでいた。数は二十ほどか。軍や王国の幹部などが会するものだろう。今はその椅子が、一番手前の一つを除いて全て埋まっていた。
とはいえ、座っているのはとても幹部とは思えない、柄の悪い連中である。つまりは――自分と一緒に連れて来られた罪人たちだ。
一度その全員にじろりと睨まれてから、ハーリットは肩をすくめて空いている椅子に着席した。彼らは全員が――ハーリットも含めて――なんらかの罪を犯した者だが、互いに知り合いというわけでも、気が合うというわけでもないのだろう。各々黙して、相手を威嚇するような剣呑な雰囲気を発している。
(いかにもって感じだ。これで何をさせようっていうんだ?)
首を傾げていると……やがて再び作戦室の扉が開き、そこからふたりの人間が入ってきた。
最初に現れたのは、女だ。三十歳を前にしたような、前髪を切り揃えて、くぐもった紫色の長髪をなびかせて整然と歩く長身の女。切れ長の目には眼鏡をかけて、唇を真紅に染めている。整った美人という顔立ちで、ぴったりした黒のパンツスーツという格好も相まって、どこか誘惑的な印象を与えてくる。
実際、その場に集う罪人たち――全員が男だ――は彼女を見て邪な薄ら笑いを浮かべ、中には下品に口を鳴らす者もいた。
しかし――ただひとり、ハーリットは全く違っていた。
というより、そんな女への興味など抱く暇がなかった。それよりもその女が作戦室へ招き入れられた男の姿に、絶句していた。
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