第29話

 白昼に翻る銀光は一瞬で『女』の首筋に向かって弧を描いた――しかし同時に、彼女も剣を振るっていた。

 少年の長剣を一回り大きくしたような、長大な剣だ。それを片手で振り回して一撃を弾き返し、また嘲るように笑う。

「あっはは! やっぱりあんた、最高だよ!」

「黙れええええッ!」

 少年は叫び返しながら、弾き返された勢いごと一歩前に踏み込んでいった。もはや自分がどのように身体を動かしているかもわからない。ただ無理矢理に、強引に、どれほど無茶な動作であろうと構わず『女』に斬りかかっていく。

 『女』はそれを嘲笑しながら剣で受け止めた。しかし斬り返すことはしない。愉悦そうに、ただ打たれるに任せている。水平に振るわれるの刃は剣を立てて防ぎ、袈裟懸けの一撃は飛び退いて避ける。突きに対しては半身をずらし、下段からの斬り上げには自分からも剣を出して打ち払った。

 鉄の交差する音が弾け、それに混じって『女』の哄笑も響く――ハーリットの耳には、それ以外何も聞こえなくなっていた。

 近くにいたマーティンは驚愕し、制止の声を上げたのかもしれない。他の傭兵も騒ぎ出したのかもしれない。軍隊長はすぐにやめるよう命令し、周りにふたりを取り押さえるよう命じたのかもしれない……しかしそのどれもが、猛るハーリットにとってはただの雑音でしかなかった。

 望む声はただひとつ、『女』の断末魔だけだった。

 しかし『女』はその望みを叶えることなく、別の声を発する。それも少年に向かってではなく、自分の後ろに控えていた傭兵団――『屍旅団』に向かって。

「さあ、あんたらも続きな! 『戦争』の始まりだ!」

 その言葉と共に、彼女に付き従う傭兵団も動き出す。弓を持った者たちが一斉に矢を放ち、それを追いかけるように剣や槍の傭兵たちが突進していく。

 ただしそれは、広野の奥に立つ戦争相手に対してではない――自分たちを雇うアング領の軍隊と、傭兵部隊に向けてだった。

「ど、どうなっているんだ!?」

「くそっ、そっちがやるってんなら、容赦しねえぞ!」

「これは罠だ! 落ち着け、スパイの仕業だ!」

 各所から、兵士や傭兵の悲鳴や怒号が上がる。

 戦場は、戦いを前にした争いによって、異常な混乱を渦巻かせた。傭兵部隊は元々血の気の多い連中である。女傭兵団長が口にしたように、連携の心得などなく、敵を見失えばただ暴れることしかしなかった。手当たり次第に喚き散らしながら、武器を振り回している。

 アング領の正規軍はまだしも冷静に、同士討ちを仕掛けてきた傭兵団のみを狙おうとしていたが、混乱した戦場でそんなものが正確に行えるはずもない。流れ矢が無関係の傭兵に当たることもあったし、そのせいで同士討ちを煽る結果にも繋がってしまう。そもそも彼ら自身も動揺し、まともな隊列を組むことすら困難だった。

 そうした騒乱から、ハーリットたちはある意味で隔絶されていた。互いに、互いの姿しか目に入らない。そのおびただしい殺気のぶつかり合いが、どれほど混乱した者にも近寄りがたさを与えていたのかもしれない。

「はぁァアアッ!」

 咆哮を上げて突進する少年の剣を、『女』はやはり余裕の笑みで受け流す。

 そうした剣戟の中で、ハーリットは少しずつ思考を巡らせていた。冷静さを取り戻したわけではない。敵を打ち倒すための手段を模索するためだ。

(こいつは僕を見下している。だから余裕を持って、遊んでいる)

 ぎんっ――と『女』が剣を弾かせ、飛び退く。ハーリットは思考を巡らせながら追いかけた。着地の隙を狙って足先に剣を突き出す。『女』はその狙いを察して空中で身をよじらせ、着地した時には足を引いていた。そしてそのまま、つま先を掠める剣先に関心するように口笛を鳴らし、また飛び退く。

(攻撃はしてこないが、守りを万全に固めているわけでもない――)

 ハーリットはさらに追いかけた。今度は着地の後を狙い、剣を内から外へと薙ぎ払う。『女』は剣で受け止める。その隙に、少年はさらに一歩踏み込んだ。『女』の身体の前で止められ、十字に交差する剣の中へ飛び込むように――

(だったら……その誘い、乗ってやるさ!)

 『女』は少年がギリギリまで接近するのを待ってから、身をずらして剣を受け流し、脇をすり抜けて背後に回り込んできた。本来ならば致命的で、決定的な位置を盗み取る。

 しかし『女』は攻撃などしない。そのまま余裕の笑みを浮かべたまま少年の背中を見つめて、笑い、そして嘲るために後退する。

 ハーリットはそんな挑発にも構わなかった。『女』が後ろへ下がった時、彼は既に準備を終えていた――受け流された剣を逆手に持ち替えている。それをそのまま、受け流された薙ぎ払いの動作で後方へ向かって投げつけた。

「ッ……!」

 その時になって初めて、『女』が一瞬だが動揺する。投げつけられた剣自体はさほどの脅威でもなかったはずだ。剣で弾くことも、避けることもできる速度しか出ていない。

 しかしそれでも、狙い通りの場所には飛んでいた――『女』の額に向かって。

 『女』はその剣を、首を傾げることで避けたようだった。しかしどうでもいいことだ。その頃には少年はもう跳躍している。剣を避けるために目を離し、動きを止めた『女』に肉薄しようと全力で身体を放り投げている。

 それは彼女が再び飛び退くか、防御するよりも早く肉薄するだろう。そうなれば仕留められる公算はあった。腹を一撃すれば呼吸が止まるだろうし、顔を殴打すれば脳が揺れるだろう。どう仕留めることもできる――

(これで……!)

 そう思った瞬間だった。

「奴らだ、根源を捕らえろ! 殺しても構わん!」

 不意に雑音の中から、ハッキリした声が聞こえた気がした。そして同時に、ハーリットは左腕に激しい痛みを衝撃を感じ、吹っ飛ばされた。

 短く青臭い草原の上を数度転がって、うつ伏せで止まる。口の中に土と草の味を感じながら、少年は二の腕の辺りに走った鋭い激痛が、剣によって斬りつけられたものだと理解した。触れさせた手と、近くの草葉がべっとりと真っ赤に染まっている。

 顔を上げると、そこには蒼白になって剣を構えるマーティンの姿があった。

「くそっ……!」

 ハーリットは彼に構わず、それよりも体勢を立て直し、こちらを見下ろす『女』の方を見やった。そこに再び飛びかかるため、立ち上がろうとするが――ざむっ、と。今度は足から血が噴き出し、少年は悲鳴を上げた。見ずともわかる。矢が突き刺さったのだ。

 ほとんど地面に縫い付けられる形で、少年は今度こそ動くことができなくなった。そしてそうしている間に……

「あっははは! なかなか楽しめたな。序章はこうでなくてはならない!」

 ごぽごぽと泥沼が沸き立つような、化け物じみた声が聞こえた。他の者は気に留めなかったかもしれないが、少年の耳にはしっかりと届いていた。本性を現した『女』の声だ。

 しかし彼女はその言葉だけを残し、混乱する軍勢の中に消えていった。

「待て……!」

 追いかけようとするが足は動かない。さらにその身体は背中から誰かに押し潰された。兵士の誰かが自分を捕らえるため地面に押し付けたのだろう、と理解する。

 軍隊長はそれを見ながら、女の方も捕らえろと言い、何人かが追いかけたようだったが……少年は痛みと失血に意識を朦朧とさせ、やがて途切れた。

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