第28話
国内での戦争については、ある程度の法律がある。
例えば宣戦布告自体もその代表だし、さらにそれを行うまでの手順だとか、それが行える大義名分の基準だとか、相手から送られた使者の殺害の禁止だとか、傭兵を集うことのできるタイミングや最低限の待遇だとか――
ともかく、戦争という大雑把な行為に対し、あるいはそれ自体が大雑把だからこそ、細かな決まりが作られていた。
そしてそれら国の制定した法律とは別にもうひとつ。コールウッド国内には暗黙の了解というか、定石のようなものも存在していた。
内外問わずついぞ戦争が起きたことのないコールウッド国内ではあまり知られていないが、そのひとつは、戦場を広野に据えて正面から戦うこと、だった。
これは逆に、戦争の少ない国だからこそ生まれた、無闇な正々堂々の精神の賜物かもしれない。
ともかくそうした結果として――両軍は互いの領を跨いで横たわる、ライオニック平原と呼ばれる広野で対峙することになった。
ゆったりとした起伏を持ち、少なくとも合計で千を超える軍勢を両端に置くことのできる、広大な草原である。ここは特別に誰かが管理しているわけではないが、花も咲かず、背の低い草だけが覆い尽くしていた。平和な時であれば、なんらかの催しに利用されることも少なくない。そのため直接的には街道も通っていない。
遥か昔に存在していた小国の城があった場所で、猛毒の研究に失敗して滅び、この地を枯れ果てさせたのだという説があるが――ここが戦いの舞台として選ばれたのは、まさかそのせいというわけでもないだろう。
ともかくひたすらに続く草の大地を踏みしめながら、両軍は向かい合っていた。
相手との距離は、お互いに走っていけば十を数えるうちに中央で衝突する程度だろう。ある意味ではそのギリギリの均衡で、両軍は互いに戦いのための最終準備を行っていた。というより単に息を整え、軍隊長が号令の機を見計らっているだけだが。
そんな程度の間でも、敵を前にすれば否応なしに緊張は高まってくる。傭兵たちの中にも、もはや誰ひとり無駄口を叩く者はいなかった。全員の気が張り詰め、闘争と恐怖の境で異様な興奮を呼び、周囲の熱が自然と上がっていく。
「…………」
しかしその中にあって――少年冒険者、ハーリット・ヘレディの意識は、隣に立つ女へと向けられていた。
燃えるような赤髪を、草原の香り漂う青い風に乗せて揺らす傭兵、エディ。
ハーリットにはやはり、彼女の正体がシェルやミゴペインを名乗った、因縁深い『屍旅団』の女に思えてならなかった。
その証拠は何一つ見つけられていない。というより、それを掴むことは困難だろう――相手が自白でもしてくれない限りは。
そう思っていると。不意に、女傭兵は静かな口調で、こちらを見もしないまま声をかけてきた。風に乗せて、なんの気ない雑談でも始めるように……
「そうそう。あたしの傭兵団の名前、あんたに伝え忘れていたね」
「傭兵団の名前? 今はそんなこと……」
しかし彼女はその時、笑った。
凄絶な――今までにもハーリットは何度か目にし、その度に果てしない怒りを抱いた、あの『女』の笑みで。
「『屍旅団』っていうんだよ、うちの団はね」
「ッ……!」
瞬間。ハーリットは本能的に剣の柄に手をかけていた。
自分でも、それほどの反応を見せられたのは驚異としか思えない。ハーリットの怒りは逆巻く衝動となって瞬間的に燃え上がり、思考が追いつくよりも早く、目の前の敵を殲滅せよと命じてくる。
少年はそれに従い、刃を隣に立つ『女』に向けて抜き放とうとして――
「おっと、今はやめておいた方がいいね。今ここであたしと戦い始めたら、どうなるか……わかるだろう?」
「っぐ……」
彼女の言葉を理解して、手を止めることができたのもまた驚異的な理解ではあった。冷静な思考の方は最初からそれをわかっていたのかもしれない。
戦いの最中であればどさくさに紛れることもできるだろうが、今はまだ両軍が嵐の前の静けさを保っている。この中で剣を抜き、他者から見れば単なる友軍である女傭兵に斬りかかれば……混乱は避けられない。オーフォーク領の軍勢にその隙を突かれれば、そのまま敗北にも直結する。
しかしハーリットにはひとつ、わからないことがあった――戦いが始まれば、こちらは背後から襲い掛かることもできるのだ。それなのになぜ、今になって正体を明かしてきたのか。看破する手段を持っていないのは、『女』もわかっているはずだ。
(僕を混乱させて、ここで討ち果てさせるつもりか? ……いや、殺すつもりならいくらでもやりようがある。だとすれば、もっと別の……そもそもこいつがこの戦いに参加した目的はなんだ?)
自ら正体を現してきた『女』に、しかし何もできないまま、ハーリットは口惜しさを抱きながら思考を巡らせていた。
『女』、エディは笑っている。ハーリットは自らでは答えを出せず、そこに問い詰めた。
「……何をするつもりだ? 何を企んでいる」
「さあ、なんだろうねぇ」
ニヤニヤとした声ではぐらかす、エディ。それを無理矢理に吐かせる手段は持っていない。ハーリットは胸中で舌打ちしながら続けた。別の問いを。
「お前は何者だ」
「っふふ……何者だろうねぇ」
「僕の父親を知っているな。ジレイネスという名だ。お前たち――『屍旅団』に連れ去られた」
「さあて、連れ去った相手の名前なんて気にしたこともないね。けど、そうか……っふふ。お前の父親かっふふふ」
憎しみを込めるが、エディはそれを簡単に受け流し、次いで愉快そうに笑い出した。
少年の中には、なおのこと怒りが込み上げてくる。果てしない激情に、視界が揺らぐのを感じていた。横目で見やる女の顔を、今すぐにでもこの揺らぎと同じように歪めてやりたいと、強い衝動に駆られてしまう。
その苛立ち、荒げる息を必死に堪えようとしながら、問い詰める。
「何が可笑しい。お前は何者だ。僕の父をどうした」
「あんたの父親が誰かなんて、知ったことじゃない。けど――連れ去った連中は誰ひとり生きちゃいないさ」
「……!!」
そこに生まれたものは、もはや感情などではなかった。『女』の放った言葉が刃となって、少年の首を薙いでいた。
全身から血が失われ、体温が感じられなくなる。ただし寒気も感じない。水分が蒸発したように口が渇き、脳がバチバチと痺れる。体表には電流のような痛みが走っていた。それが脳を痺れさせる原因か。
少年は自分の中で、何かが渦巻いているのを自覚した。感情ではない。そんな悠長なものではない。
それはひとつの意志だった。強固で、強大な意志が、逆巻きながら自分を埋め尽くしていく。……それを止めることなどできない。
『女』は続ける。少年の意志を無視して――あるいはそれを理解しているからこそ、笑いながら。
「目的は教えられないね。代わりにどうやって殺したかは教えてやってもいい。そうだな、あいつのことかもしれないな――生きたまま内臓を引きずり出してやった奴さ」
「っ、キサマ……!」
「それともつま先から皮を剥いでやった奴か? 溶かした鉄に沈めてやった奴か?」
「キサマアアアアアアア!」
剣を抜き放つことを、もはや止められる理性など存在しなかった。
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