第27話

 朝になると――傭兵たちはとうとうキャンプを離れ、領主都市ニーベルを後にした。

 丘を下り、正規軍と共に大通りを行き、南へと向かう。都市の人々はそうした兵士たちが通り過ぎる間、じっと家の中に身を潜め、息を殺していたようだったが。

 軍勢は傭兵も含めて、五百ほどだろうか。隊列は一際豪華な軍馬に乗った軍隊長の率いる正規軍を先頭にしながら、最後尾にも殿を務める小隊を配置し、それらで挟むように傭兵部隊が置かれている。実際の戦いになれば、先陣を切るのは傭兵部隊だろうが。

 ともかく。ハーリットも当然、その傭兵部隊の中のひとりとして都市を離れ、戦への道を歩いていた。

 正規軍はきっちりとした隊列を組んでいるものの、傭兵たちにそんなまとまりがあるはずもなく、一応の列以外はかなり雑多なものになっている。当然として私語も多く、緊張感よりも騒がしさの方に意識が向いてしまう――もっともハーリットも、隣を歩くマーティンと会話していたのだが。

「ところで知ってるか? スパイが紛れ込んでるって噂」

「スパイ……?」

 声を潜めながら、面白い話でもするような顔でマーティンが言ってくる。そんなことを戦いに向かう道中で話していいのかとも思うが、騒がしさのせいで誰の耳にも届かないようではあった。ついでに、ひょっとすればもう傭兵たちの中では有名な話なのかもしれない。

「オーフォーク領のスパイが、この傭兵部隊の中に?」

「ああ。元々はオーフォークの出身で、既に新兵器を盗み出していて、それを俺たちに使おうとしてるって噂だ」

「……新兵器なんて存在しないから、心配するだけ無駄じゃないかな」

 肩をすくめて一応反論しておく。もうエンダストリでの真実を強調することは諦めていたが。

 マーティンは呆れた様子の少年に対し、ムキになるように首を横に振ってきた。

「そんな心配なんかしてないって。けどスパイがいる可能性ってのは、ないわけじゃないだろ?」

「それは……まあ、そうかもね」

 オーフォーク領出身と言われると、少年はぎくりとするものがあった。自分がそうなのだから仕方ない。もちろん、他にも同じ出身の者はいるだろうと踏んでいたが。

「スパイがいるってことは、周りにも気を付けなくちゃいけないってことだ。仲間を増やしておいてよかったよ」

「仲間……か」

 マーティンの言う仲間というのは――エディの率いる傭兵団のことのようだった。

 どうやら彼も勧誘されていたらしい。出兵の直前にその話をした際、彼はどこか浮かれた様子で、「傭兵団も意外といいものだな」などと言っていた。無視したが。

「傭兵団だからって、スパイがいないとは限らないんじゃない?」

「その可能性はほとんどないと思ってるよ」

 問いに対し、マーティンは自信満々に答える。

「スパイ活動をするのなら、組織になんか属さない方がいいはずだ。団全体を巻き込めないのなら、ただ動きにくくなるばかりだからな」

 それは確かに、もっともな話ではあったが――

「面白そうな話をしてるじゃないか」

 と、割り込んできたのは他ならぬ、女傭兵エディだった。

 彼女の率いる傭兵団はもう少し後方に控えているはずだが、こちらの姿を見つけてやって来たのだろう。……ハーリットはあえて団から離れて歩いていたのだが。

「ひょっとして、あたしの団が疑われてるのかい?」

 ニヤリとした顔を見せながら、エディ。

 ハーリットはそれにただ鋭い視線を返しただけだった。代わりにマーティンが首を横に振る。

「逆だよ。この団は安全だって話だ」

 後方を見やれば、そこにはエディの率いる傭兵団がいる。まあ特別に旗を掲げているわけでもないし、全員の顔を記憶したわけでもないが。

 ともかく、団員の数は今回のキャンプで集まった即席も含めると、五十ほどだろう。それが統率されていると考えれば、この規模の戦争ならば勝敗にも関わってくる人数ではある。……どうでもいいことだが、キャンプで見かけた女傭兵のほとんどはこの団に所属していたらしい。そうでない者は既に逃げ出している。

「もうひとりの団長は、どう思ってるんだい?」

「そっちの話は断ったつもりだけどね」

 女傭兵から白々しく話を振られて、ハーリットは嘆息と共に言葉を返した。傭兵団に所属することは同意したが、そこまでの権限を得るつもりはなかった。それをできるだけの経験も知識もない。

 そもそも傭兵団に加わったのも、単純にエディを近くで監視できるからだ。彼女が本当にただの傭兵なのか、それとも――

「まあいいさ。それで、スパイについてはどう考える? 怪しい奴の目星でも、うちの団にそれがいるのかどうかでも」

 改めて問われて、ハーリットは少しの間黙考した。そして結局、肩をすくめて横目でエディを見やる。

「……お前がスパイならよかったんだけどな」

「意外だね。そうじゃないと信用してくれてるってことかい?」

「スパイだった方がマシだって意味だ」

 そう告げると、ハーリットは目線を外して前方を見据えた。戦いへの道。この先には敵の軍が待ち構えているはずである。

 横からは、可笑しそうに笑うエディの声が聞こえていた。

「っふふ……やっぱりあんた、最高だよ」

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