第14話

 女は、どうやら冒険者のようだった。

 歳は十八らしいが、背丈はハーリットと同じくらいだろう。緑色をした垂れ気味の大きな目に、常に緩んでいる口元、肩ほどまでの金髪が左右に跳ねているのは癖毛なのか、汚れたためか。いずれにせよ全体的に穏和な顔立ちで、迷彩に近い色合いをした厚手の布の服とズボン、土色をしたマントという冒険者然とした格好とは不釣合いだった。

 ただ、顔も服も雨土でぼろぼろに汚れている。ズボンはところどころ裂け、白い肌を覗かせて、服の方は片腕の肘から先部分が破れて、完全に肌を晒していた。おかげで腕には、血こそ滲んでいないが細かな傷が付いている。マントは腰を隠すのにも使えないほどの丈しか残っていない。それでも一応、剣だけは帯びているが。

 ともかくそれらの惨状は――どうやら、近くにある森で道に迷ってしまったせいらしかった。

「しばらく彷徨って、ようやく辿り着いたのがこの町だったんだけど、誰もいなくて……もうダメかと思ったら明かりが見えたから、必死に這いずってきたんだよ」

 と、平和な声で話す女――名前はミゴペインというらしい。「怪物みたいな名前だけど気に入ってるんだよ」というのは彼女の言葉だ。今は叩き起こされたアルフレドに代わってベッドの上に座り、渡された水の入ったカップを揺らしている。

「それは大変だったな。僅かだが食料もある、気にせず食べてくれ」

 アルフレドはベッド脇の椅子に腰を下ろしながら、その話に同情し、携帯食の干し肉を手渡していた。女冒険者、ミゴペインの方ものんきな笑みを作りながらそれを受け取る。

「はぁい、ありがとうございます」

「人のいる町に出るには、南の街道を進むのが早い。私たちもその方角から来たんだ」

「なるほどぉ、そうなんですかぁ」

「よければ明日、私たちと一緒に来るといい。よければちゃんとした宿も手配しよう」

「そんな、悪いですよぉ」

 そんなふたりのやり取りを聞きながら――ハーリットは壁に寄りかかりながら、視線鋭く女を見据えていた。

 ずっと違和感がある。彼女に対し、できすぎているというだけではない、それ以上の違和感が。

 それがどうしても気になって、ハーリットは警戒を続けていた。そうしない理由などないと思うほどに。

 やがて……散々話をしたところで、アルフレドが「疲れているのにあまり話しても悪いね」と言って立ち上がった。

「私たちはこれから少し、周囲を見て回らないといけない。キミはここで休んでいるといい。水や食料は好きにしてくれて構わない」

「わかりました。ありがとうございますぅ」

 ミゴペインは小さく頭を下げて礼を言った。すると次いで、ハーリットの方に顔を向けて、

「そっちの子も、気をつけてね。迷子になったりしないように」

「……ああ」

 ハーリットはそれだけ返事をして、干し肉ごと手を振る女に背を向けて研究者と共に部屋を後にした。

 予備のランプで階段を照らしながら、一階へと降りていく。木の板がギシギシと軋む音は、昼間よりも大きく響くように感じられ、不安を煽るが……幸運にも板が抜けることはなかった。何もない階段下の床が照らされ、ハーリットはどうにかそこに降り立った。

「…………」

「どうした? 早く行かねば夜が明けてしまうぞ」

「……わかってますよ」

 後ろから急かされながら、ハーリットは宿を出た。

 夜の闇に沈んだ町は、やはり人の気配を感じさせない。寒々しい通りが伸び、上空を駆ける風の音が不気味な呻り声にすら聞こえてくる。心許ないランプの明かりだけが、自分たちの足元を辛うじて照らしていた。

 とりあえずふたりは、昼間に行かなかった北の通りへ向かうことにした。でこぼこの石が立てる足音の反響を聞きながら、それ以外の物音、あるいは自分たち以外の影が動くことはないかと周囲を警戒しながら歩く。

 そんな中で会話をするというのは愚策なのだろうが――ハーリットはそれでも、声を潜めながら、自分の後ろを歩く研究者に話しかけた。

「どう思いますか、あの女冒険者」

「年齢に似つかわしい顔ではないが、それを好む男はいるだろう。気に入ったのか?」

 まだ酒が残っているのか、茶化すように言ってくる。ハーリットは肩をすくめた。

「そういう話じゃありません。妙じゃないですか? 彼女は迷ったというわりに息も上がっていない、剣以外の荷物も持っていない」

「何もずっと歩き回っていたわけじゃないだろう。疲れて動けず、休んでいる間に夜がきて、明かりを見つけたのだとすれば呼吸は乱れない。荷物は迷ううちに失くしたか、使い果たしたのかもしれない」

 昼間の仕返しではないだろうが、ひとつひとつに反論してくる研究者。単純に、魔物と関連していないものには疑問を抱かないのかもしれない。

「とにかく、今は町を調べよう。方向音痴の女冒険者より、もっと怪しいものが見つかるかもしれない」

 淡々と促され、ハーリットは他にどうしようもなくそれに従った。元々足を止めていたわけではないが、そんな心地で前に意識を向け直す。

 宿から中央の広場までは、それほど長いわけでもない。少なくとも、晴天の昼間であれば霞んで見えなくなるほどではない。

 どうあれ結局のところ、その広場までの間に何かが起きることはなかった。開けっ放しになった暗がりの商店に目を光らせ、ひと気のない民家に耳をそばだてながら歩いても、夜の不気味な雰囲気以外は返ってこないまま――

 ふたりは黒く沈んだ犬の石像にまで辿り着き、同時に足を止めた。

 そこまでの間は何も起きなかった――しかし逆に、そこでは何かが起きていた。

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