第13話
暗く、黴臭い室内は、しかし人が最近になって足を踏み入れた形跡もない。埃の積もり具合などは明かりを点けなければわからないが、少なくとも床に明確な足跡などはなかった。
ハーリットはそれでも簡単には警戒を解かなかったが、ゆっくりと剣を納める。その頃には、アルフレドが部屋の中を歩き回り始めていた。
室内は簡素なものだった。部屋の奥にひとり用のベッドがあり、横の壁には書き物机がある。他には、床に敷かれた絨毯くらいだ。それも大した刺繍が施されているわけではなく、家具の少なさを誤魔化すためのだろう。一応、ポールハンガーがその上に転がっている。
人でも魔物でも、隠れられそうな場所はなかった。ベッドは壁にくっついているし、下にスペースもない。ハーリットは一応と机の引き出しを開けてみたが、ぱらぱらと木屑が落ちるだけだった。
「自然に扉が開いていただけ、ということか」
「取り越し苦労だったみたいですね」
安心しました、と言いながら肩をすくめる少年。しかしその実、腑に落ちない奇妙な感覚が拭えずにいた。できすぎじゃないか――?
そしてそうした怪しさは、実際のところアルフレドも抱いているようではあった。彼は執拗にきょろきょろと薄暗い室内を観察しながら、ぽんと手を打って。
「丁度いい。今日はここで休むことにしよう」
「泊まるんですか? この町に?」
「そう言ってあったはずだろう?」
確かにその話は、依頼を受けた際に聞いていた。しかし何もここで……と思わなくもない。
「夜間の調査も必要だ。というより、そちらの方が重要だろう。アンデッドにしろ盗賊にしろ、活動時間は夜だ。それに――」
と言って、研究者は不敵に笑った。こけた頬を、それこそアンデッドのように、不気味に吊り上げながら。
「危険な場所であるほど、事象は起きるものだ」
「事象……か」
少年も、その言葉には賛同する部分がないわけでもなかった。だからこそ頷いて、荷物をこの部屋に置いていくことにした。
それからしばし――ハーリットたちは滞在場所を決めてからも、周囲の散策を続けた。雲が掛かっているとはいえ昼の光があるうちに、宿の周囲と、西の通りを重点的に調べ上げる。
もっとも、結果は何も見つからなかったが。
そうするうちに日が暮れてきたため、ふたりは宿屋に戻って携帯食で食事を済ませ、完全に夜が訪れるまでの間、順番に仮眠を取ることになった。
先に眠ることになったのはアルフレドであり、その順を決めたのは単純な理由だった。彼が一階に残っていた酒の中から、まだ飲めそうなものを勝手に拝借したためだ。しかもかなり度数の高いものだったらしく、彼は「緊張と興奮と恐怖で眠れなくなるのを防ぐため」と言い訳しながら、すぐに眠りについた。
(酒瓶ごと懐に入れてたくせに、よく言うよ)
こんな火事場泥棒が研究者を務めていていいのかとも思うが、ハーリットは嘆息するだけで追及はしなかった。
それよりも、少年は椅子をベッドの横――窓の前に持ってきて、二階の高さから町の姿を見下ろした。
町には多くの屋根が見えるし、同じ高さや、それ以上の高さの建物もある。暗い夜、しかも離れた場所からでは道の破損もほとんど目立たず、結果として町は生前の姿そのままのように思えてくる。
しかし明確に違うと確信できるのは、町に一切の明かりがないためだった。
通常の町ならば、多くの家庭が夕食後の団欒を楽しんでいるような時間だろう。しかしここでは、ハーリットたちの休息する部屋だけにランプが点いている。それはぼんやりとした赤い光を窓の外にまで伸ばし、暗闇に沈む町の中で、唯一異質な明るさを作り出していた。
空を見上げれば、星も見えない。まだ雲が掛かっている。それも含めて、『この部屋だけが異常』だった。
(本当に何かあるなら、絶好の雰囲気ではあるね)
と――皮肉気味に独りごちた時。
不意に部屋の扉が、コンコンとノックされた!
「……!」
心臓が飛び跳ね、思わず声にならない悲鳴を上げる。それでも身体が椅子から転げ落ちることなく、ただ振り向くだけで留まったのは、奇跡的なことだったかもしれない。
いずれにせよハーリットは、すぐさま腰に帯びている剣の柄に手をかけた。椅子から静かに立ち上がり、意識を尖らせて身構える。
その間、警戒し、扉を凝視し続けるが……何も起きない。魔物や、あるいはアンデッドが飛び込んでくる様子もない。そもそもそれらが悠長にノックをするかはともかくとして。
聞き間違いなどではなかったはずだ。辺りは無音に包まれていて、間違えるものなどない。
ハーリットは意を決し、声を発した。扉の前に立つ『何か』に向かって。
「……何者だ。敵か?」
それはあまりにも馬鹿馬鹿しい問いかけだったかもしれない。しかし――呼びかけに対し、『何か』は返事の代わりに、扉を開けることで応えてきた。
ハーリットはすぐさま剣を抜くと、突き出すために刃を向けて――
「よ、よかったぁ。やっぱり人がいたんだぁ」
「……は?」
しかしそこに立っていたのは、やたらと平和そうな女だった。
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