6 妹は井の中の蛙をリスペクトする

 読経後しばらく、一同はリビングや仏間で、焼香や茶話の時間を思い思いに過ごしていた。

 そしてそろそろ次の墓参りに向かおうと、皆が準備に取り掛かり始めた頃。

 忙しく各所を行き来して飲み物などを給仕していた母親は、仏壇に向かって読経していた祖母のもとに近寄っていった。

 手には、灰色の袱紗ふくさが載った四角いお盆を携えている。


 祖母は母からお盆を受け取ると、仏間の後方で父親と会話していた坊さんのもとに近づいていった。

 そして坊さんの眼前で正座し、「忙しいところ――」と再び謝辞を述べながら、盆の上の袱紗ふくさを開き始めた。

 袱紗の中には香典袋が収められている。

 封筒を完全に露見させると、祖母はお盆ごと坊さんの方へと慇懃いんぎんに差し出した。

 坊さんも慣れたもので、過剰に謙遜けんそんしたりはしない。

 表情もほとんど変えず、手短な返礼とともに、淡々とお布施を受領する。




 俺はこの光景を仏間隣のリビングからつぶさに観察していた。

 金に汚いと言われても否定はできない。

 が、そもそもは、このお布施授受の直前、妹が肘で小突いてわざわざ俺に知らせてきたことがキッカケなのである。


 きっと妹はお布施の存在をどこかで目にし、前々から気にかけていたのだろう。

 一連のやり取りが終わると、饅頭を頬張りながら、横に居た俺に話しかけてくる。


「あれいくら入ってんのかな?」

「知らない」

「3万くらいかな?」

「ま、そんくらいじゃない?」と俺が適当に答える。

「割のいいバイトだよね」

「バイトではない」

「でも一時間そこらでそんだけでしょ? やっぱ宗教って儲かんのかな? 私も開こっかなぁ」

「お前のとこなんて誰も来ないだろ」


 大人たちの現実世界の生々しいやり取りは、妹の好奇心を余程刺激したのだろう。

 妹の脳内は、お金にまつわるよこしまな考えでいっぱいになっており、俺の前で恥ずかしげもなく披瀝ひれきしていく。


「何系が儲かんだろ? やっぱお寺?」

「まあお寺は葬式とかもあるし、比較的安定はしてるだろうね」

「中学に神社の子いたけど、儲かんないって言ってた」

「そんなこと聞くなよ」と俺は嘆かずにはいられない。

「でも気になるじゃん。何かね、彼女のお父さん、いくつかの神社掛け持ちしてやってるって。神主だっけ? あれやる人がいない神社も増えてるからって」

「まあ今時は子供がみんな家を継ぐわけでもないし。田舎のちっさいとこだと、そうなっていくのかもね」

「田舎って面倒くさいもんねぇ。儲かんないのに面倒くさいってなったら、そりゃ継がないわ」

「そもそも儲けるためにやってるわけじゃないし」


 俺は仏前で「儲け、儲け」と口さがない妹を押し留めようとした。

 しかし妹の頭は儲けのことで一杯なので、いつも以上に聞き入れそうにない。


「でもぶっちゃけ儲かってるとこもあるでしょ?」

「そりゃーあるとは思うけど……」と俺が答える。

「前さぁ、宗教のでっかい建物たくさん載せてるまとめ記事読んだけど、あれ見たら絶対儲かってるって」

「でかい建物?」

「何か戦隊モノの悪役の本部みたいな感じの建物」

「あー。そういうところは、大体やばい宗教でしょ」

「だよねー。見るからにやばかったもん。でもやばい方が儲かんのかなぁ」


 このように言いながら、妹はよからぬ胸算用を走らせ続ける。




 妹は意識低く、性根も決してまっすぐではない。

 礼儀作法にはうとく、常識を常識と思おうともしない。

 道義にはもとる上、善行を積もうなどの考えは持ち合わせていない。


 とは言え、基本、妹は小心者である。

 やけっぱちになって蛮勇を走らせるようなこともなければ、法に触れるような悪事を働くたちでもない。

 いつも楽をすることばかり考えてはいても、家族以外の他人を踏み台にしようとするほどに悪辣あくらつでもない。


 食欲にしても、妹が求めるのはそこらで手に入る物くらい。

 物欲にしても、ほっするのはせいぜい何かのグッズ程度で、やはりたかだか知れている。

 それは金欲にしても同様、「儲け」と口にはしていても、大それた考えは持ち合わせていないらしい。


「でもさぁ、やばいやつって、中々思い浮かばないよね」

「お前の普段の姿、十分やばいけどね」と俺は妹の柄物黄土色シャツに視線を送りながら指摘する。

「やばい? そんなやばくないでしょ?」

「普通基準で見れば、やばい」

「やっぱ普通基準とかじゃ、お金になんないのかなぁ。寝ててお金入ってくればいいのに」

「まず普通に働くことを考えた方がいい」


 俺は冷然と助言した。

 しかし依然として妹は「儲け」に固執し続ける。


「うちにマンションとかあればねぇ。何の資産もないでしょ?」

「ここの土地と建物くらい」

「こんな田舎の土地じゃーねぇ……」と妹は図々しく言い放つ。

「そう、こんな土地程度じゃ大したお金になんてならないから、ちゃんと自分の分は自分で稼げって、分かるでしょ?」

「じいさんも、もうちょっと頑張ってくれてたらねぇ」


 妹は傲岸不遜にも、亡き祖父の仏前で故人をディスり始めた。


「じいさんケチだったから。図書券しかくれなかったし」

「図書券だろうがお金だろうが、どうせ漫画買うんだから一緒だわ」と俺は小言を返して牽制する。

「でもお金だったら別のものにも使えるしぃ」

「普通にバイトすれば、ある程度は好きなもの買えるんだから、それ考えたら? 経験とかスキルだって身につくし」

「いやぁ、経験とかいらないわぁ」と妹は言い捨てる。

「お金で買えない価値がある――って、気づいてからじゃ遅いこともあるからね」

「そういうのも要らない。取り敢えず飲み食いとネット回線だけ提供して欲しい」

「つまんないでしょ? そんな生活」

「それで十分でしょ?」


 と妹は挑発的に問い返してきた。

 虚しさでいっぱいの俺は、力なく応じるのが精一杯だった。


「世の中楽しいことだってたくさんあるのに……」

「面倒くさいこともたくさんあるじゃん」

「だからってはなから放棄するんじゃ、井の中のかわず過ぎる」

「それ前にも言われたことあるけどさぁ。逆に私は、そのかえるうらやましいって思うけどね」と妹はきっぱり断言する。

「何で?」

「だって大海とか知ったところで別にどうなるわけでもないでしょ?」

「それはそうだけど、知ってるか知らないかが重要って話で――」

「知ってても知らなくても、外は危険がいっぱいなんだから、どっち道その蛙の生き方の方がカシコイって。下手に動き回って道路で踏み潰されてるヤツより絶対マシだから」


 妹は先人の言葉を否定するような持論を述べ上げると、テーブルの上のコーラが入ったグラスに手を伸ばした。




 それから間もなく、一同は墓参りに向かうため家を出発し始めた。

 この時、妹は「あっ」と言って、皆とは逆方向、キッチンへと小走りしていった。

 母は何をしているのだと急き立てる。


「もう出発するよ?」

「待って。5秒」と言って妹は冷蔵庫の扉を開き、1.5リットルのペットボトルを持ち出した。

「何? そんなの持っていけないよ?」


 という母の言葉を無視して、妹は空の500ミリペットボトルを食器乾燥機の中から取り出し、そこにコーラを移し替え始めた。

 母親は呆れ顔でなじり出す。


「もう昼まですぐなんだから、我慢しぃよ」

「炭酸抜ける前に飲まないと。家帰ってからじゃマズくなってるし」

「向こうにトイレないからね」

「でもあそこ人いないから、大丈夫」


 妹は不吉な言葉を口にしながら、ボトルキャップを締めていく。


 何も妹に天下国家のことを考えろと望んでいるわけじゃない。

 それでも葬儀キッカケで、自分の将来について示唆を得ることもあるのではと期待していた。

 しかし、それも土台無理な話だったのだろう。

 期待していた情景に出会でくわすことのないまま、このあとの墓参り、食事会も過ぎ去った。

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