意識低い妹の冠婚葬祭――結婚式編
1 妹は記念日を望まない
葬儀は儀式の性質上、若い人間が積極的に関わるような場面などほとんどないのが
積極的たり得ない――そういう意味においては、意識低くなるのも当然のことなのかもしれない。
そしてまた、法要は基本的に意欲や活力を発露させるような場でもない。
妹が場違いにそうしたものを
とは言え、妹は相当に意識低い。
それ
妹の中に本当に分別や常識といったものが
幸運にも祖父の七回忌の少し後、俺はその検証に打って付けの機会に恵まれた。
しかも今度は法事とは対照的な場――結婚式への出席という形でである。
俺の兄はできちゃった結婚で若くに結婚していた。
そのせいもあり、式は挙げず入籍だけ済ませるという、今では別段珍しくもない婚姻形態をとっていた。
それが子育てにも慣れ、生活も落ちついた昨今、式を挙げたらどうかと兄嫁の両親に勧められたらしく、所要で実家を訪れた際、長兄は俺たち家族にも意見を求めてきたのである。
語り口から見るに、兄は意外や乗り気らしい。
その様子を見た俺の両親も、「好きにすればいい」と特に反対するような反応は示さなかった。
反対する理由がなかったのは俺も同様、特段意見はしなかった。
そして妹の
「金の無駄っしょ、結婚式なんて」
「やっぱ
いかにも妹らしい意識の低い言葉に、兄の
しかし妹は兄の思いに構う様子など示さない。
グレープ味のチェリオをチビチビ飲みながら、さらに意識の低い言葉を続けていく。
「そんなお金あるなら、私だったらぁ、とりあえずスマホ機種変するでしょ? で、MacBook買ってぇ、いくつか円盤とかグッズ。そいであとはライブ行ったり、どっか旅行行ったりする資金かなぁ。あ、あとカメラとかも欲しい」
「大して出歩かないのに、カメラ?」と兄は妹の願望を不思議がる。
「買えばさ、それがキッカケで出歩くでしょ?」
「すぐ部屋の肥やしになりそう」
「ならないから。電車とか動物とか撮りに行くから」
「理ぃちゃん、電車とか動物に興味あったっけ?」
「買ったら興味湧くかもって話。あ、ドローンとかも面白そうだよねぇ」
長兄と妹はこのような言葉を取り交わした。
それを横で聞いていた俺は、思うことあって口をさしはさむ。
「前クロスバイク買ってもらった時も、お前似たようなこと言ってたよね?」
「言ってた?」
「言ってた。運動するどうこうって。でも今全然乗ってないよね? 1ヶ月ももたなかった」
「いや、今でも乗ってるし」と妹は俺に異議を唱える。
「駅まで行くだけじゃん?」
「駅まで乗ってんじゃん」
「それ運動?」
「運動でしょ?」
「それじゃあ前のママチャリの時と何も変わってないし」
俺がそう指摘すると、妹はすかさず意識低げな返事を寄こす。
「ぶっちゃけあんま変わんないんだよね、あのチャリも、普通のママチャリも」
「でもクロスバイクの方が漕ぐの軽いでしょ?」
「軽いのは軽いんだけどさぁ。結局漕がないと駄目でしょ、自転車って?」
「そりゃ当たり前」
「一回ね、アウトレットあるじゃん? あそこまで漕いで行ったことあんの。遠くまで行ってみよって」
「遠くって言っても、せいぜい5、6キロだし」
「十分遠い」
「普通のチャリでも2、30分で着くのに……」
俺は常識的な見地から淡々と言葉を並べていった。
しかし妹に大して効果がないのは明白で 持ち前の意識低さで受け流し続けた。
「何かさぁ、体力がキツイってわけじゃないの。でもすっごい汗かくでしょ、自転車って?」
「そりゃ運動すれば汗かく」
「ほら、あれカゴついてないから、リュックじゃないとダメでしょ? で、汗かくと背中やばいことになんの。
「じゃあ肩に掛けるような鞄にすれば?」
「それだと肩痛くなるしぃ」
言い訳の数々を、妹はさも当然といった様子で並べ立てた。
呆れた俺は力なく言い捨てる。
「結局運動したくないだけだろ」
「汗かくほどの運動じゃないんだよね、私がしたかったのって」
「それ運動全否定だろ」
「時期が悪いのかも。今は。秋になったら、またどっか遠出する」と妹は空々しく言い放つ。
「どうせ口だけ」
「やっぱさぁ、安物はやめといた方がいいね。買うんだったらちゃんとしたの買わないと。電動アシストのやつとか。あ、バイクもいいよねぇ」
「どれ買ったって一緒だわ」
「結婚式もさぁ、もしやるんだったらちゃんとしたやつの方がいいよ。ま、私は結婚式そのものが無駄だって思うけど」
妹が再度結婚式を話題に上げると、長兄も反応し、「ちゃんとしやつ?」と問い返した。
「ちゃんとしたやつ」と妹はもの思わしげに繰り返す。
「何? どういうの? ちゃんとしたやつって?」と兄は妹の考えをほじくろうと試み始めた。
結婚式と言っても、妹は幼い頃に一度出席したことがあるだけだった。
にも関わらず、妹は
「色々あるでしょ、結婚式にも」
「まあ、あるね」と長兄は苦笑交じりに相槌を打つ。
「ケチって変なとこでやると、微妙な感じになっちゃうかもしれないし」
「うーん、でも大事なのは気持ちだからねぇ」
「ゆってもさぁ、お金によって違ってくんじゃん、サービスって」と妹は兄に反駁する。
「まあそうだけど」
「ってかさぁ、結婚式っていくらかかんの? 30万くらい?」
今度は妹が兄に向けて質問し返した。
何とも粗野な問い掛けに、兄は言葉濁し気味に説明する。
「30万は……どうかなぁ……。まぁないこともないとは思うけど……」
「え、じゃあ100万くらい?」
「まあ値段はねぇ……。招待する人数とかでも変わってくるから、色々じゃない?」
「色々って、具体的にいくら?」
「うーん……。
「マジで?」と妹は眉間にグイッとシワを寄せた。
「って俺は聞いたけど」
「2、300万って、無駄だわぁ」
「無駄って、理ぃちゃん……」
兄は苦笑いしながらため息をついた。
しかし妹は意に介さず、それどころか怒気すら込めて続けていく。
「みんなそんなにお金掛けてるなんて、信じらんない」
「ご祝儀とかもあるから、実際に負担するお金は違ってくるけどね」
「でもご祝儀、そんな何百万ももらえないでしょ?」
「あと親に支援してもらう人も多いし」
「自分のお金じゃないって言ってもさぁ、たかだか一回の式にそんな掛けるなんて、絶対アホらしいって」
「いや、一度しかないからこそ、ちゃんと祝おうって――」
と兄が言い切る前に、妹はその言葉に
「一度って。今時離婚なんて珍しくないのに」
「冷めてるねぇ……」
兄は再度深いため息を吐き出した。
繰り返しの意識低い発言に、兄からも疲労感がにじみ出ていた。
しかしこれが妹の普段の姿であり、格別相手を挑発しようとしているわけでないのは、兄も重々に承知していたのだろう。
なので兄からは、腹を立てるような様子も、教え
このような周囲の人間の
正論や常識を説くだけでは効果がないのは分かっていても、諦めずそれを繰り返していくのが、身近にいる年長者の務めなのだろう。
もっとも、俺たち家族はあまりに慣れきってしまっていた。
妹のことに関しては、異常を異常と感知する能力が
妹はそんな周囲の憂慮などどこ吹く風といった様子で――いや、それどころか自信満々の表情で得々と持論を語り続けた。
「冷めてるって言ってもさぁ、すぐ離婚するの事実じゃん」
「まあそうだけど……」と兄は言葉短に応じる。
「普通にさ、結婚記念日とかに何か美味しいもの食べるくらいの方が、私だったら嬉しいけどねー」
「それくらいなら今でもしてるけどね」
「やってんだ。式とか挙げなくても、普通にそれで十分じゃない?」
「式と食事とは……、意味合いが大分違うでしょ」
「一緒だって」
「やっぱり式は外向けの部分もあるし――」
「そんなの他人に祝ってもらったって嬉しくないでしょ?」
「みんなに祝ってもらえれば、俺は嬉しいけどねぇ」
「私基本、式とか記念日とか無駄だって思ってるから」
妹はなぜか誇らしげに断言した。
兄は少し引き気味なのか、言葉の真偽を探っていたのか、すぐには言葉を返さない。
妹は兄の沈黙を無言の抗議と解釈したのだろう。
自分が
「ってか知ってる? 最近やたら何々の日って多いでしょ?」
「何々の日……? あ、いい夫婦の日とか?」
「そう、それ」
「あるね。確か夫婦の日は11月22日だったっけ? その日は結婚式も人気って――」
と長兄が言い切る前に、妹は語勢を強めて喋り出した。
「あーれがキツイんだよねー」
「キツイ?」
「キツイわぁ、あれ」
「キツイって、関係ない日は無視してればいいだけでしょ?」と兄は妹の言葉に疑問を呈す。
「関係ないって言ってもさぁ、ツインテールの日とかニーハイの日とか、最近マジで色々あるから」
「嫌ならほっとけばいいじゃん」
「浮かれなきゃいけないって圧力あるから」
「あるかなぁ……」
「それは風理がおじさんだから分かんないだけ。そういう日にはね、みんなインスタとかツイッターに画像あげたりしてるから。わざわざ凝った格好して。あれほんと鬱陶しいのよ。無視もできないし」
「あー、そういうのね。まあねぇ、最近の子は大変かもね」
兄は頷きながら妹に同情を示し、こう続けた。
「ま、そういうのは適当にやってればいんじゃない? “いいね”押すだけとかなら、そんな労力要らないでしょ?」
「いいねだって地味にめんどいからね?」
「そう?」
「だってどっからどこまで押すとか、結構難しいでしょ? 顔見知りだけど仲良くない人とかいるし」と妹が陳述する。
「まあねぇ……」
「それにタイミングの問題もある。やっぱあんま返信が遅くなると感じ悪いし。でも通知増やし過ぎると、鬱陶しいってなっちゃうから」
「あぁー……。ま、理ぃちゃん有名人じゃないんだから、そんな細かく監視してる人いないって。だから気分次第でいんじゃないかなぁ」
妹の言葉に
しかしそれくらいのことは心得ていると言いたげに、妹はきっぱり明言する。
「やってるけどね、気分次第で」
「それで不満なら、もうSNSの利用自体をやめるしかないわ」
兄が苦笑を浮かべて言うと、妹は体をクネクネさせながら応答する。
「だってさぁ。ないと情報入ってこないじゃん」
「じゃあ我慢するしか――」
「結局そうなっちゃうんだよねぇ」と妹は不満げに口に出す。
「自分がいいねされたり、祝ってもらえることもあるんだし、いいじゃん」
「それも微妙にめんどいからねぇ。もらったら返さないといけないし」
「そりゃしょうがない」
「まだ物くれるんだったらいいよ? けどバースデー画像とか送って来られてもねぇ。そういうの要らないんだわ。愛は金目のもので表現するべき」
このような調子で、妹は「結婚式がいかに無用であるか」「記念日がいかに面倒くさいか」の説明を、妹流の独善的な論理で繰り広げ続けた。
普段別居している兄には、変わらず意識低くあり続ける妹とのやり取りを、どこかで楽しんでいた部分はあったのかもしれない。
妹に振り回されるような会話をひと
当然のことながら、妹の意見は兄夫妻の計画に何ら影響を与えなかったのだろう。
元々本人が乗り気だったこともあり、式を執り行うことにしたと連絡が入ったのは、この日から間もなくのことである。
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