4 妹はそうめんを否定する
8月に入っても、妹から活発になる様子は窺えなかった。
それどころか大して何もしていないにもかかわらず、「夏バテした」などと言い始める始末である。
確かに、妹は一日中
例えば食を見ていても、決して細っていたわけではなかったが、アイスや麺類などへの一層の
とは言え、
なので妹の主張するような夏バテが本当にあったかどうか、それだけで断定するには不十分だろう。
いずれにしても、妹が意識低いままであったことに疑いはない。
お盆前には、そんな妹の状況を案じて、両親がある企図を持ち出してきたこともあった。
どこか旅行にでも行こう――との案である。
これが妹を活性化させたのは確かで、事前には準備や下調べに奔走していた。
ただその内容は、土産がどうの、食べ物がどうのといった皮算用がほとんどで、少しくらい宿題を済ませておけばとの助言に耳を貸すことはなかった。
そうこうするうちに時間が経ち、盆には両親に妹、そして兄家族と連れ立って、関西方面へ出発した。
旅行程度で、妹の意識そのものが根底から変わるなどと期待してはいなかった。
たとえ目的が欲得まみれであっても、とにかく1日を何かしら活動と言えるような事柄で埋めることに意義があるのだ、そこで充足感を少しでも感じれば、それが刺激となって、ダウナーな日々への
さらに欲を言えば、少しくらい見識が深まるに越したことはない。
京都や大阪であれば、良い文化体験を積むこともできるはず――。
と、まあこのくらいのことに思いを馳せてはいた。
しかし期待に沿うような結果が出ないのは、いつものこと。
旅行から帰った妹の口から出てくる言葉と言えば、「人が多くてダメだ」「ごちゃごちゃしていて風情もヘッタクソもなかった」など、どうにも下劣なものばかりで、歴史について学んだり、土地土地の文化や人柄について感銘を受けたりなどといった話は、ちっとも聞かれなかった。
それはお前が自分で関心を持とうとしないからだと苦言しても、「こっちは客で行ってんだから関心持たせるのは向こうの役目だろ」と言い切る外道っぷりである。
そんな調子で盆休みも終わり、世間は再び日常へと戻っていった。
盆の終わり――これは学生にとっても、
妹もその点では例外じゃない。
学校から与えられていた、大して多くない宿題に嫌々取り組む様子を目にするようになったのは、この頃になってのことである。
ただ限界まで先送りしようとするのも、意識低い者の特徴だろう。
「これは1日あればできる」「これはもう頭の中で仕上がっている」など、あれこれ理由をつけては、
俺たち
依頼というのは、小学1年の姪っ子を預かるというもので、それ自体は大したことじゃない。
ただ普段預かるのは、母親か父親が一緒にいる場合がほとんどで、家に妹や俺しかいない時、長時間
これは兄夫妻が、妹の意識低さを――そして俺の無責任さを頼りなく思っていたからに違いない。
妹は子供たちの行儀や態度に、他の年長者のようにあれこれ言わない。
そのせいもあってか、甥や姪からは慕われていた。
普段、悪影響を警戒していた兄夫妻の心変わりは、夏休みのせいもあるのだろう。
朝方姪を預けに来た兄嫁からも、厳しい忠告が発せられることはなかった。
あったのは「宿題を持ってきているからやらせてくれ」「食後には歯をちゃんと磨かせてくれ」といったささやかな要望くらいに過ぎない。
この時、妹はまだ寝ていた。
俺は起こしに行こうか迷ったが、姪っ子がリビングで宿題の算数ドリルを開き出したので、妹を放置して様子を見守ることを選んだ。
そんな調子で穏やかに午前を過ごし、昼前、少し早めに昼食の準備に取り掛かる。
キッチンの調理机には、母が食べろと出していったそうめんのパッケージが置いてあった。
一応姪っ子にそうめんでいいかと問うと、いいと言うので、俺は早速湯を沸かし始めた。
その時である。
寝癖そのままの状態で1階に下りてきた妹は、シンクの上のそうめんを見て、いちゃもんを付け始めた。
「えっ、昼そうめん?」
「食う?」と俺が問う。
「ないわー」
「いらない?」
「そうめんはないわー」
と悪態の妹を無視し、俺はネギを野菜室から取り出した。
ここで妹の起床に気づいた姪っ子もキッチンへとやって来る。
妹は姪が懐いているのをいいことに、そそのかして自らに加勢させようと試み始めた。
「ねえ、桜もそうめん嫌だよね?」
「う~ん」
「そうめんってあれだよ?」と妹はパッケージを指差す。
「知ってるよ、そうめんくらい」と姪っ子はムスッと言い返した。
「つまんないよねぇ、そうめん。味ないし」
このように妹はそうめん批判を展開していく。
もっとも俺は作業の手を止めずに反論した。
「おいしいでしょ。さっぱりして。今の時期にはちょうどいい」
「こういう時こそがっつり食べないと」と妹も譲らない。
「がっつりって、お前起きたばっかでしょ?」
「朝が一番大事だから」
「もう昼だぞ」
そんな会話を聞いていた姪は、妹の言葉に心惑わされ掛けていたのだろう。
どういう具材なのか聞いてきたので、俺は子供が好きそうなものがないか、冷蔵庫内を見回した。
「あー、チャーシューある。これ使おっか?」
「それならラーメンの方がいいでしょ?」と妹が食って掛かる。
「じゃ、自分だけラーメン作れば」
「でもなぁ……。私昨日の夜もラーメン食べたし……」
俺は妹の意見に構わず、沸騰した湯にそうめんの束を投じていった。
錦糸玉子は面倒だったので、もうひとつの鍋で卵を茹で始め、それからまな板を取り出して、ネギとチャーシューを刻みに掛かる。
淡々と作業を進めていく俺の様子を見て、妹も観念したのだろう。
自分の分も湯がいてくれと、渋々といった表情で伝えてくる。
あとは麺を茹で上げ、冷やし、盛り付けるだけだと、俺はテンポよく作業を続けた。
ただ器を準備しようとコンロを離れた時、妹が「待って」と再度介入し始めた。
見ると、妹は食器棚から丼を取り出してきて、こう宣言する。
「ぶっかけ形式にしよ」
「……いいけど、作り方知らないわ」
「作り方って、好きなもの乗っけて食べればいいだけだから」
俺はぶっかけ形式をよく知らなかったので、妹の勝手を見て真似ようと、彼女の作業を観察し始めた。
妹は流水で冷やし終えた麺を、まずは丼に掴み入れる。
次いで麺の上にチャーシューとカニカマを盛り付ける。
「ネギは?」との問い掛けに「いらない」と答えつつ、大量の天カスを丼の中に流し込んでいく。
それからシーチキンをひと缶分を投入し、マヨネーズをどっぷり掛けて箸で混ぜる。
そしてラストにめんつゆを適量注ぎ入れ、胡椒を適当な手つきで振り掛けた。
そうして出来上がったのは、色彩の乏しい、
つゆと麺の水分を吸ってフヤケた天カスのせいで、ゲロのような見た目でもある。
何より問題なのは油っこいものだらけという内容。
そんなものは参考にできるわけもなく、姪と俺はネギとチャーシューとカニカマに、半熟のゆで卵を載せたシンプルなものを作り上げ、各々食べ始めた。
妹のゲロ風ぶっかけそうめんは、明らかに好物を適当に入れただけなので、味もおいしくなかったのだろう。
食べ始めてすぐ、味を変えようと、生の卵を投じてみたり、粉チーズをふりかけてみたり、ごま油を足してみたり、食べながら調整を続けていた。
しかしそのような思いつきが、
妹はチャーシューなど好きな具材だけつまみ食いすると、「もういらない」と宣言して箸を止めた。
「あげるわ」
「いらないし」と俺は拒絶する。
「うまいよ」
そう言って妹は姪っ子に丼を差し出した。
が、姪もやはり目の前のグロテスクな物体に手を付けようとはしない。
妹は悪びれる様子もなく「お母さんにあーげよ」と言って丼にラップを掛けた。
そして冷蔵庫にしまい込むと、冷凍室からアイスを持ち出し食べ始めた。
「どうしよっかなぁ。アイスだけじゃキツイし。ってか夜は何?」
「夜は普通。母さん帰ってくるし」
「まじかぁ。せっかく泊まりに来たんだから、どっか食べに行きたいよね?」
この問い掛けに姪っ子は頷き返す。
「でも、俺らあとで祭り行くけどね」と俺は今後の計画を打ち明けた。
「祭り? 何かあったっけ?」
「あそこの、ドラッグ三笠んとこの神社。夏まつりやってるから」
「祭りだったら、食べ物売ってるよね?」
「そら売ってるでしょ」
「じゃ、そこで何か食ーべよ。ってか何時に行くの?」
「夕方かな」
「大分時間あるじゃん」
と妹は眉をひそめる。
また善からぬことを言い出しかねないと咄嗟に察した俺は、妹を牽制する。
「桜、まだ宿題あるし。ってかお前も――」
「宿題とか、こういう時はそういうの忘れてパーッと遊ばないと」
「こういう時って、今やんないと間に合わないし」と俺は妹の意見を打ち払う。
「余裕で間に合うでしょ? 追い込むにはまだ早いって」
「ギリギリまでやり残すよりは、先にやっておいた方が気分いいでしょ?」
「いや、分かってないわー。ギリでクリアーするのが楽しいのよ」と妹は放言する。
「今やっといた方が、気楽に遊べるのに……」
「別に遊ぶのはいつでも楽しいけどねぇ。逆にきつい時こそ遊ぶべきって、私は思うよ」
意識低い者の
下手をすれば人生を誤らせる悪徳にすら繋がりかねない。
姪っ子はまだ小学校に入ったばかり、分別もつかない年頃であるからして、本来は余計に配慮すべきなのだろう。
しかし妹はこんな調子で、妹流の
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