3 妹はお泊まり会でも意識低い
妹の夏休みは、出だしからどうしようもなく低調だった。
何の出会いも成長も、感激やトキメキも存在しない毎日――。
もっとも意識低さの観点からすれば、妹は
視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚――この五感すべてを意識低さで統率し、全力で意識低い生活を体現していたのは確かだろう。
それは何ら褒められることではないのだが。
そんな調子で妹の夏休みは1週間、2週間と何事もなく過ぎていった。
さすがに青春真っ盛りの高校生ともなれば、家にこもっての自堕落な生活にも自然飽きが来るのでは――そんな風に考えることもあった。
しかしその予見は甘かったようで、外への意識すらほとんど妹は示さなかった。
もちろんただ見守るだけでなく、「たまにはどこかへ遊びにでも行ってこい」と促すことあった。
しかし妹は、「録り溜めていたものがたくさんあるので消化しないといけない」だとか、明らかに彼女の生活改善には結びつかないようなものをしょっちゅう買っておきながら「外で遊ぶとお金掛かる」だとか、何やかんや理由をつけては家にこもり続けようとした。
夏休み序盤で唯一外への意欲を垣間見せたのは、何たらという声優さんが近くでイベントを開くとの情報を聞きつけ、行こうかどうかと迷いを見せた時くらいだろう。
ただそれも実際に出向くことはなかった。
わけを聞くと、面倒くさくなったからとのことである。
この調子では、本当に1ヶ月
聞くと明日友人が泊まりに来るので、その準備をしているとの説明である。
友人というのは、妹と同じく意識の低い山下莉々だった。
二人はよく遊んでいるとは言え、泊りがけはほぼなかった。
そのため、俺たち家族はこれを夏休みらしい企図であると好意的に解釈し、他人の迷惑を
翌日朝起きると、廊下には前夜に部屋から出した荷物の山ができていた。
廊下を半分埋めるほどの量であったが、それでも片付けは不十分だったらしく、この日も妹は、起きるやすぐ作業を続行していく。
ただ掃除は不慣れな行いのためか、妹の手際は
それに妹の部屋は、そもそも数時間の掃除でどうにかなる汚さでもなかったのだろう。
一度開いたドアの隙間から部屋の中を覗き見ても、キレイになったとはいい難く、物の多い雑然とした様子に大して変わりはなかった。
それでも辛うじてもう一人が寝られるだけのスペースは確保できたらしく、妹はそこで一旦片付けを停止すると、今度は一階二階を
見ると、せっかく片付けた部屋の中に、今度は外からせっせと物を運び込んでいる。
物は友人のための椅子やタオルケット、グラスなどの食器である。
それもお泊りであれば入り
「これさぁ、火ぃ弱くない?」
「弱い? コンロはこんなもんでしょ?」
「チョロチョロじゃん、これ」と妹はコンロのツマミをカチカチ言わせた。
「何に使うの?」
「タコパ」
「たこ焼きだったら、こんくらいの火で十分じゃない? 強くすると焦げるし」
「でも外カリカリにしたいんだよね。そういうの高温の方がいいって書いてあったし」
「そんなもん無理だろ。普通に焼くのもむずかしいのに」
「油大目に入れれば簡単にできるらしいよ?」
「そりゃ上手い人がやればね……。ま、強火が欲しいならキッチンでやれば? ってか、部屋でやるとニオイつくぞ」
「あー、そっかぁ。あ、でもファブリース撒けば――。あ、じゃあ、これ持ってこっかなー」
そう言って妹はリビングの空気清浄機のもとに近づき、コンセントを引っこ抜く。
「俺仕事行くから、外出るなら鍵掛けとけよ」
「あい」
山下莉々がやって来たのは昼過ぎのことらしい。
昼間二人がどのように過ごしていたのか、この目で見てはいないので分からない。
先に仕事から帰っていた母親曰く、二人はどこかに外出したりもせず、ずっと部屋に籠もって過ごしていたとのことである。
午後6時過ぎの俺の帰宅時は、ちょうどタコパの真っ最中だったようで、若干油臭いニオイが玄関まで漏れ出ていた。
それから父母と俺とで食事を始める前、母親はおかずの唐揚げを、2階の二人のところに差し入れにいった。
下りてきた時、母は不細工な形のたこ焼きが載った皿を携えている。
俺は部屋の中がどんな様子であったか尋ねた。
「煙ったいわぁ。部屋締め切って焼いてるから」
「でも空気清浄機使ってたでしょ?」
「あ、ほんと。なくなってるわ」と父親が呟く。
「処理が追いついてないんでしょ。元々ホコリだらけだしねぇ、あの部屋。キムチとか色んなもの入れて焼いてるから余計に」と母親は妹の部屋の状況を説明する。
「キムチあんな部屋で焼いたら、そらニオイやばいでしょ」と俺は相槌を打つ。
「普通のが一番美味しいのに、色々入れちゃあ焼いてるみたい。それでこれはマズかったからいらないって。食べる?」
母親はそう言って食卓の中央に皿を差し出した。
「マズいって、何が入ってんの?」と俺が尋ねる。
「知らない」
俺は小ぶりのやつをひとつ口に入れ
「多分グミだわ、これ。まずい」
それから父親も箸でひとつを口に運び、真顔で呟いた。
「チョコかな?」
「おいしい?」と俺が問う。
「いや、おいしくはないね」
チョコたこ焼きもあるのかと、俺は興味本位でもうひとつを摘まみ齧ってみる。
が、今度のモノは俺の歯を拒んだ。
「固っ。え、何これ?」
その後、固形物を無理やり噛み砕き、咀嚼を試みたものの、続けて口の中を襲ってきた異様な刺激に耐えられず、俺はティッシュの中に吐き捨てた。
母親は中身が何であったか聞いてくる。
「ニンニクだわ。しかも生」
「もうじゃあいらない?」と母親が問う。
「無理でしょ」
油臭さを除いては、特に迷惑を感じることもなかった。
2人は部屋からほとんど出て来なければ、騒がしく音を立てたりもしなかった。
もうこのまま就寝し、明日どこぞ遊びにでも行くのかしらんと、俺は来客の存在も忘れ、リビングで寛いで過ごしていた。
しかし午後10時頃、妹はふいにキッチンへと現れ、何か食べるものがないかゴソゴソあさり始めた。
そこでサキイカを見つけて
「チューハイなかったっけ?」
「ないならない」
「えー」
「ビールならあるでしょ?」
「ビールはマズいしなぁ……」
妹はそう呟いてリビング横の仏間に入り、取り置かれている酒を見て回った。
そしてウイスキーの瓶を持ち出し問い掛けてくる。
「これは? どうやって飲むの?」
「それ度数高いから無理だろ」
「え、じゃあこれは?」
続けて持ち出したのは、しばらく誰も手を付けずにいた桃のリキュールである。
本来であれば、成人の俺が未成年飲酒をたしなめなくてはいけない立場なのは分かっていた。
ただ今は夏休み、しかも友人とのお泊りである。
ちょっとくらい背伸びしたくなる気持ちも理解できた。
それに相手の山下莉々も気心知れた存在である。
そして飲むと言ってもたかだか女性向けらしいリキュール1本――。
こうした事情から、俺は家で少し飲むくらいなら問題ないであろうと判断し、ソーダで割ればいいと助言し飲酒を見逃した。
ただ俺の推測は外れることになる。
後で知ったことであるが、ピンクのかわいらしいパッケージに反し、リキュールはアルコール度数22度と意外に高かった。
それにそもそも妹は酒自体向いてなかったのだろう。
部屋に酒を持ち込んでしばらくすると、「気持ち悪い」と胸元や腹をさすりながら、真っ赤な顔で再びキッチンに現れた。
「だから止めとけって」
「やべー。吐きそう」
「吐くならトイレ」
「ってか吐きたい」と妹はキッチンのシンクに覆いかぶさる。
「袋、これ使え」と俺はスーパーの袋を差し出した。
「どうやって吐くの?」
「ベロの奥を指でギュッって押さえつけたら、オエってなるでしょ?」
「キメェ」
妹は袋を受け取らず、シンクに覆いかぶさり水で顔を洗い出した。
俺は背後で様子を見守りつつ、小言を述べる。
「ダメだと思ったら、自分でやめないと」
「止めるの大人の責任でしょ?」と妹はシンクに顔を向けたまま応じる。
「……。まあいい経験にはなったでしょ。無理はいいことない」
「飲んだ瞬間はイケるって思ったのに」
「どれくらい飲んだのよ?」
「ソーダで作ったの、コップ一杯」
「それだけで?」
「それイッキした後、他にも色々混ぜたりしてたら気持ち悪くなった」
妹は何度も顔を洗った。
それから
しかしそれでも吐き気は治まらないらしく、どうすりゃいいんだと意味もなく冷蔵庫を開け閉めしてうろたえ続けた。
「スポーツドリンク飲むとマシになるかも」と俺が助言する。
「ないじゃん」と妹は再度冷蔵庫の中を見回して言った。
「まあ大人しく寝れば――」
「買ってきて」
普段なら断る申し出ではあった。
ただこの時は年長者の自分が黙認したとの負い目もあった。
また夜中酔った妹に行かせるのは酷かと、仕方なくコンビニに行くため、俺はテーブルの上に置いていた財布をポケットに差し込んだ。
「あ、何か食べ物も買ってきて」
「食ったら吐くだろ」
「明日の分。何かあるでしょ、酔いにいいやつ」
その後、俺はコンビニでポガリとトマトジュースを購入し、妹の部屋まで持っていった。
ドアを開けた瞬間、タコパの残り香とサキイカなどのツマミ臭、さらに元々の部屋の臭さが入り混じった異様なニオイが襲ってくる。
そんな空間で、友人はパソコンの前で誰かのライブ映像を見ている。
妹はベッドの上であぐらをかき、怠そうにスマホをいじっていたが、俺の手にする袋を受け取るや、急に元気を取り戻し、中を漁り出す。
「食べるものは?」
「トマトジュース」
「飲みもんじゃんそれー」と妹は不服そうに言った。
「吐き気あるんでしょ?」
「ちょいマシになった。多分このままいけば治まる」
「あ、そうなの。じゃ、もう寝れば」
「まだ早くない? お腹空いてるし」
「調子のって食うと吐くぞ」
「一応袋準備したし」
と妹は、エチケット袋として用意したらしいCDショップのビニール袋を手で叩く。
俺はそんな妹を無視し、友人は大丈夫なのか確認しておかなければと声を掛ける。
「莉々ちゃんは何ともないの?」
「私大分薄めて飲んだから、そんなに」
その言葉に安堵した俺は、部屋を出ようとドアへ近づいた。
しかし妹が後ろについてくる。
また何か言いつけられるのではと、怪訝な顔で問い掛ける。
「何?」
「だってここ、トマトジュースに合いそうな食べ物ないし、何かないか確認しとく」
「食うの?」
「もうちょい治まればね。確かセブンの冷凍ピザあったはずだし」
「そんなもん食ったら吐くぞ」
「だから治まればだから」
そう言って妹は俺を追い越し、先に一階へと下りていった。
これがJKの夏休みらしい夏休みなのか――俺にはよく分からない。
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