7 妹はYouTubeを見て研究する

 俺は美容院で準備を終えた母と妹を結婚式場に送り届けると、すぐ都志子を迎えに車を走らせた。

 直前の慌ただしさは、式に付随ふずいする様々の気掛かりを忘れさせてくれてもいたのだろう。

 独りになると、待ってましたとばかりに、幾つかの不安が俺の心の中に頭をもたげてくる。


 中でも一番の不安は、微妙な立場での都志子の結婚式出席――この案件だろう。

 いくら社交的で気の強い都志子であるとは言え、本番前の今はきっと心許こころもとなさに打ち沈んでいるに違いない――俺はそんなことを思いやりながら往路を急いだ。


 もっともいざ面と向かうや、都志子から特に気重きおもな様子は感じられなかった。

 それどころか俺が予定に遅れたことをいつもの調子で手厳しくとがめてもくる。

 お陰で肩の荷が下りた俺は、軽口を叩きながら会場まで車を走らせた。


「理心が急に髪染めるとか言ったらしくって――」

「へぇー。理心ちゃんとうとうやる気出した」と都志子は笑う。

「やる気っちゃあやる気だけど、ちょっとズレてんだよねぇ」

「どれくらい染めたの?」

「ちょい茶色」

「ほー。早く見たいなぁ。私ボサボサか、ひとつくくり以外の理心ちゃん、見たことないし」

「今日は何か編んでもらってる。ってかメイクもしてもらってたからね。つけま? あれつけてた」

「えー、つけまつけてんの?」

「うん。異様にパーティーを意識してるからね、あいつ」

「いいじゃん。おめでたい日なんだし。やる気みせてくれてるんだから」

「やる気もねぇ、どうせ今だけ。長く続かないから――」

「分かんないよ? ちょっとしたことがキッカケで変わることなんて、世の中たくさんあるし」

「いや、それは理心を甘くみてるわ」




 式場に到着すると、俺たちは一緒に受付を済ませ、雑談の声がこだまする会場内に足を踏み入れる。

 そこで都志子は先に髪をチェックして来ていいかと言って、女性ゲスト用の化粧室へと向かっていった。


 残された俺は、仕方なくひとり両親を探すことにした。

 ただ忙しそうに来場者に挨拶をして回っている姿が目に入ったため、巻き込まれるのも嫌だなぁと、ロビーや待合スペース、式場の庭などをそぞろにうろつき時間を潰していた。


 都志子は中々現れなかった。

 そしてなぜか妹の姿も見当たらない。

 兄夫妻の控室にでも行ってるのだろうなどと考えながら所在なく過ごしているうちに、チェペルへの入場時刻が到来した。

 都志子が姿を現すのは、探しに行こうとした矢先のことである。


「もうあっち、入場始まってる」と俺はチャペルの方向を指差した。

「全然挨拶できなかった」と都志子は紺色のドレスの襟元を手で調整する。

「挨拶は向こうでやればいいよ」


 この時、都志子の後ろから妹が近づいてくるのが目に入った。

 どことなく美容院で見たのと雰囲気が違っているような気がしたため、俺は妹に視線をらした。

 恐らく、違いはメイクによるものなのだろう。

 口元や頬のあたりが、美容院で見た時よりも派手になっているように見える。


「お前また化粧した?」と俺は妹に問い掛けた。

「した」と妹が応じる。

「向こうに化粧のためのスペースあるんだよね」と都志子が興奮気味に語り出す。

「そう。ヤバかった」と妹は持参したハンドバッグの口を開こうとしながら言った。

「立派な化粧台が何台もあって。アメニティグッズとかもたくさん置いてあるし、ほんとすごかった」と都志子は見てきた光景を解説していく。

「見て。パクってきた」


 そう言って妹は、ハンドバッグの中を見せてくる。

 目をやると、中はスマホや化粧品でぐちゃぐちゃになっている。


「パクるって。まだこれから人来るのに」と俺は妹の行動に苦言を呈した。

「まだ十分あったから」と妹は後ろめたい様子をいささかも示さない。

「ああいう場所があれば安心だよね。メイク持って来るのも最小限で済むし」と都志子からも妹の行動を問題視する様子は窺えない。

「ほんとそれ。せっかく色々持ってきたのに」


 と妹はバッグの中を整理しながら嘆いた。

 俺は妹が落としたウェットティッシュを拾い上げ、小言をげる。


「理心みたいに直前になって塗りたくってる人、いないでしょ」

「いやいや、いるいる」と都志子が横から口をさしはさむ。

「海理は裏側知らないから」と妹もしたり顔で応酬してくる。

「ゆっても常識的に考えて、もうちょっと計画的に動かないと――」

「準備ちゃんとしてたから。昨日の夜だってめっちゃ遅くまで頑張ったし」

「前日だけじゃあ大して意味ないわ」と俺は妹に言い返す。

「めっちゃ意味あるから。ほんとあの研究なかったら、絶対今日こんな上手くいかなかったし」


 と妹は得意げに言い放った。

 妹の口から、研究という聞き慣れない言葉が出てきたことに驚いた俺は、その点について質問する。


「何? 研究?」

「化粧の研究」と妹が答える。

「昨日の夜、何かゴソゴソやってたの、あれ研究?」

「そう。それ。研究。YouTube見たりしながらずっとやってた」

「それ研究って言う?」

「でも美容系動画、結構参考になるよね?」


 と、何か魂胆でもあるのか、都志子はここでも妹に加担した。

 味方を得た妹は調子づき、自信満々に断言する。


「めっちゃなる」

「なるって、その化粧濃過こすぎだろ」と俺はこの日の妹の化粧に抱いていた印象を率直にぶつけた。

「そお? パーティーなんだからこれくらい普通だよね?」

「うん、全然普通」と都志子は妹に同調する。

「いや、明らかに無理してるでしょ」と俺は二人に反論する。

「海理とかは普段の私と比べてるからそう思うだけでしょ? 今日知ってる人にも何人か会ったけど、別に何も言われなかったし」と当然妹は自らの立場を崩さない。


 実際妹の言う通り、俺が抱く奇妙の印象は、見慣れないことが大きな要因になっていたのは確かだろう。

 それに研究したというのも、YouTubeという手法はどうあれ、まあ間違いではないらしい。

 この日の妹が、自分の脳内に存在するイメージを再現しようと努めているのは理解できた。


 問題は妹の抱くイメージである。

 せめて真似をするにしても、そこらの女優やモデルにしておけばよいのに、どうも話を聞いていると、この日妹が参考にしていたのは、とあるハリウッドスターらしいのだ。

 パーティーと言えばアメリカ、アメリカと言えばハリウッド――これが意識低い妹の思考回路なのである。


 妹はバランス感覚を欠いている。

 順序を考えずいきなり飛躍しようとする。

 それが功を奏すこともあるのは否定しない。

 が、やはり今の妹に必要なのは、ワンチャンを狙うような豪胆さではなく、リスクを低減しての判定勝ちの方だと、俺には思われてならない。




 式が始まってからも、細かな悪態は散見された。

 例えば他の出席者の格好を上から目線で論評する行為。

 誓いの言葉に際し、人の考えなんてすぐ変わるからとの猜疑心の吐露。

 祝辞へのつまらないとのディス。

 乾杯前の、シャンパンをひと口くれとの要求。

 足ヤバいと言って食事中に靴を脱ぐという不行儀――。


 もっともいずれの悪態も、式の進行を妨げたり、披露宴の和やかなムードを乱したりするほどのことではなかった。

 根が小心なので、この場で軋轢あつれきを起こせば自分の立場が悪くなることを妹は十分に理解しているのだ。


 うたげ中盤、足夫妻はお色直しを済ませて再び現れると、会食中の各テーブルを回って挨拶し始めた。

 俺たち親族のテーブルにやって来た時、母親は写真を撮ろうと提案する。

 その言葉を受け、妹も靴を脱いだまま立ち上がった。

 そして写真に収まるため長兄の隣に並び立つと、いつもと変わらぬ言葉を口に出す。


「面倒くさいでしょ?」

「いやぁ、大変よ」


 との言葉とは裏腹、長兄の表情は満更でもない様子である。

 妹は右足の甲で左のふくらはぎを軽く蹴りながら言った。


「わたし足ぱんぱん。あんま寝れなかったから、それもあるけど」

「え、理ぃちゃん緊張? 珍しいね」と兄は微笑む。

「色々準備あったから」

「でも美容院で全部してもらったんでしょ?」

「してもらうって言ったってさぁ、大体こういう風にとかは、やっぱ自分で決めないといけないでしょ? どうしよっかなーって昨日色々試したの」

「ご苦労さん」

「そしたらね、ヘアアイロンあるじゃん? あれ久しぶりに使ってみよってスイッチ入れたら焦げ臭くって。ホコリのせいだと思う。なんか詰まってたから」

「どうりで昨日変なにおいすると思った。シンナーみたいなニオイもしたし」と俺が隣から介入する。

「それはマニキュア」


 と妹は右手を顔の前に持っていき、赤いマニキュアを塗った爪を誇示した。

 兄嫁は妹の指先に目をやりながら問い掛ける。


「理ぃちゃんが自分でやったの?」

「そう。めっちゃ久しぶりに塗った。まあまあ上手くいったかな」

「YouTubeで研究したんだって」と俺が横から半笑いで補足する。

「いいでしょ、別に」と妹はふてぶてしく言い放つ。

「今日の化粧も、理心ちゃん自分でやったんだよね」と都志子も会話に加わってくる。

「ま、半分くらいは美容師さんだけどね」と妹は得々と説明する。


 テーブル一同での写真撮影が終わると、今度は各自スマホなどを取り出しての撮影が始まった。

 はじめは少し遠慮していた都志子も、頃合いを見計らって俺に「撮って」とスマホを手渡し、兄夫妻の方へと近寄っていった。


「今日はありがとね」と兄嫁は都志子をねぎらいの言葉で迎えた。

「私の方こそ、呼んでもらって、ね」と都志子は姪っ子の頭をでた。

「気楽に楽しんでって」と兄も都志子を思いやる。

「楽しんでます。ケーキもたくさん食べたし」


 この都志子の言葉を拾ったのは妹で、急に不服げな顔で兄夫妻に話し掛けた。


「ってか、ウェディングケーキ、あれ何でチョコだったの?」

「桜がチョコがいいって。え、でも理ぃちゃん、チョコ好きでしょ?」と兄嫁は不満顔の理心に説明する。

「チョコはいいけどさぁ、シナモン掛かってたから。あれ余計だわ」

「あー、理ぃちゃん、シナモン嫌いだったね」


 長兄は苦笑をにじませながら口にした。

 俺は妹に問い掛ける。


「でも食ってたよね?」

「パウダーはまだセーフ。そんな量も多くなかったし。でもさぁ、固形のシナモン使ってるのあるでしょ? あれは無理」

「どうして?」と都志子が尋ねる。

「だってさぁ、ケーキとかパンに入ってるシナモンって、歯の邪魔してくる感じしない? 味っていうか、あの食感。あーれが嫌なんだよねぇ。あのせいでシナモン自体も嫌になった」

「へぇ」と都志子が相槌を打つ。

「ケーキとかにはさ、絶対シナモンとかレーズンとか混ぜないで欲しい。せっかくのが台無しになるから」


 妹のいつもと変わらぬ意識低い言葉に、一同はそろって苦笑した。


 こんな調子で、まあ大きなトラブルもなく結婚式、披露宴と過ぎ去った。

 やればできるなんて褒めるようなことでもないのだろうが、まあそこはそつなくこなせるのだ。

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