6 妹はパリピを諦めない

 イオソモールで上はほっそり、スカート部分はすそにかけてふんわり開いたAライン形状の真紅のワンピース、黒いパンプス、黒タイツ、安モンの偽真珠ネックレス、そして種々の化粧品を購入してからも、妹は「あれが欲しい」「これが足りない」と細かな要求を発し続けた。

 それが結婚式への真摯しんしさから来る要望であったならまだよい。

 が、物欲消費のサービスタイムくらいの感覚で発していただけに過ぎないのは、誰の目にも明らかだった。

 両親は公私共に忙しがったこともあり、妹のわがままの多くは、叶えられることなく軽くあしらわれた。


 それでも当日まで、妹は概して機嫌良く過ごしていた。

 これは親族とは言え、単なる招待客に過ぎず、やらなくてはならない責務などなかったこと、そしてまたある程度は物欲も発散できていたこととによるのだろう。


 常識の範囲内でやり過ごしてくれればそれでいい、それくらい妹も十分に理解しているはずである――妹の周囲を取り巻いていたのはこのような空気であり、その空気のもと時間が過ぎ、じきに結婚式当日がやって来た。




 前日、妹はあれこれ準備していたらしく、彼女の部屋からは異様なにおいやガタガタとした物音が夜遅くまで漏れ出ていた。

 当日の朝も、一番に起きたのは妹だったようで、恐らくほとんど眠ってもいなかったのだろう。

 徹夜特有の異様なハイテンションで朝早くから準備を進めていた。


 その後、妹と母親は美容院に行くため、早いうちに父親が連れて出た。

 父親も準備のためそのまま式場へと直行する。

 俺は美容院で二人を出迎え式場に向かうよう言いつけられていたので、自らの身支度を手短に済ませると、時間を見て車で美容院に出発した。

 少し早めに着いたので、しばらく駐車場で終わるの待っていた。


 ただ予定の時刻になっても、二人が店から出て来る様子はなかった。

 俺は様子を見るため車を降り、店のドアから店内を覗き見る。

 その際、店員の一人と視線が交差した。

 彼女は恐らく俺が何用なにようで来たか察したのだろう、ソファーで待つ母親の方に話し掛けた。

 知らぬふりは不行儀かと、俺は入店して声を掛ける。


「迎え頼まれて――」

「どぞ、そこでお待ちになって下さい」


 俺は美容師に言われた通り、既に着物の着付けと髪の毛のセットを終えた母親の隣に腰を下ろした。

 座ってから、母親の方が先に終わっているのはおかしいことに気づき、店内を見回した。

 顔はタオルで覆われていたので確認できなかったものの、妹らしき人物が、奥のリクライニングチェアに仰向けになり、髪を洗ってもらっているのが確認できる。


「何であいつの方が時間掛かってんの?」と俺は小声で母親に問うた。

「髪染めたのよ」

「え、今?」

「そう。店に来てから急に染めるって言って。せっかく化粧してたのに、それも落として」

「まだ時間かかる?」

「うーん。もう染め終わったし、そんなには掛かんないんじゃない?」

「ってか、髪染めて、学校大丈夫なの?」

「あの高校はそういうのゆるいから」

「まあそうか」


 洗髪を終えると、美容師は妹を別の椅子まで誘導し、ドライヤーを当て始めた。

 妹の髪は、見たところ少し茶色に染められているらしい。

 髪が半乾きになり、そろそろ終わると思った矢先、美容師はさらにハサミを入れていく。


「意外と普通。もっと派手にすると思ってた」と俺はさっぱりした妹を鏡越しに見ながら素直に感心を口にする。

「何で? 普通でいいでしょ?」と母が言う。

「あいつあのドレス買いに行った時、パリピパリピ言ってたから」

「何それ?」

「俺もよく分かんない。けどまあパーティーピープルって言うの? ちょっとチャラついた感じの。ま、今日のは普通だわ」

「普通でいいから、普段から髪の手入れもするようになってくれればいいのにねぇ」

「まあそんな簡単には変わんないでしょ」




 そうこう話しているうちに、ハサミによる調髪も終わったらしく、作業はセットの段階へ移っていった。

 店内の水槽が立てる泡音あわおとの向こうから、妹と美容師の会話が聞こえてくる。


「どうする、アップにする?」と美容師の話し声。

「アップ?」


 妹に問われ、美容師は髪を持ち上げて形を作った。


「ここで結んで、毛先散らしたり。それか、こうしてサイドから編み込んだり――」

「あー。じゃ、それで」

「前髪はどうする?」と美容師は妹の前髪を右や左に寄せていく。

「デコ出しNGで」

「NGね。はい」


 美容師は手際よく妹の髪を纏め上げていった。

 馬子にも衣装ということなのか、仕上がるにつれ、妹の様子もどことなくしおらしくなっていくようにすら見えてくる。

 さすがの妹も、本番を前に常識に身をゆだねる決心がついたのかと、俺は妙に得心しながら作業の完了を見守った。


 ただ、このような印象も長くは続かなかった。

 髪のセットが終わっても、妹は椅子から立ち上がることをせず、美容師と会話を続けている。

 観察するに、どうやらメイクの依頼をしているらしく、雑誌を介してあれこれ相談する声が聞こえてくる。

 母が時間があまりないことを伝えると、妹は不満げに口にした。


「じゃ、シンプルでお願いします」

「だったら……、こういう感じかな?」と美容師は雑誌の一箇所に指を差す。

「あ、目だけ、こういう風にガッツリできますか?」と妹はページをめくって要求する。

「目? 目だけでいいの?」

「無理ですか?」

「いや、できる」




 全部美容師に任せていれば、無理のない自然なメイクを選んでいてくれたに違いない。

 ただメイク中も、妹は介入の手をゆるめなかった。

 徐々に出来上がるにつれ明らかになったのは、ダンスなどのステージに立つ人がやるようなガッツリメイクなのである。

 特に目の周囲にはただならぬこだわりがあったようで、極太のアイライン、盛り盛りのつけま、紫のラメ入りアイシャドーでもってゴリゴリに強調されていた。


 もちろん、プロが結婚式という情報を踏まえた上でほどこしていくれていたので、メイクそのものの完成度は申し分のないものと言うべきなのだろう。

 ただ当の施されていた相手は、普段メイクなどしない妹である。

 あまりの変わり様に、俺も母親も怪訝な視線を向けずにはいられない。


「いいっしょ」とメイクを終えた妹は、化粧を誇示しながら言った。

「シンプルにしてもらいって言ったのに」と母親は嘆ずる。

「これ意外とシンプルだから」

「どこがよ」

「それお母さんが間違ってる。シンプル気取ってる方がよっぽどシンプルじゃないってこと、よくあるからね」

「向こう行って崩れても、直せないでしょ」と母親は先行きを案ずる。

「大丈夫。もう笑わないようにするから」


 そう言って妹は真顔を作っておちゃらけた。

 会計に取り掛かる母親に代わって、今度は俺が苦言する。


「どうせなら普段使えるやつ教えてもらえばいいのに」

「それじゃつまんないじゃん。パーリー感ないと」

「パリピまだ諦めてなかったんだ」

「いいじゃん、こういう時くらい」

「こういう時って……。今そういう時じゃないでしょ……」

「どう考えてもやるなら今しか」


 妹は力強く言い放つと、美容院のガラスへきに自らの姿を映し出し、うっとりと見惚れ始めた。

 俺は先に車に乗っておこうと、妹に声を掛ける。


「眼力すごっ」と妹は自画自讃する。

「盛り過ぎだろ」

「パーティーにはこんくらいがちょうどいいんだって」

「いや、そんなパーティーじゃないから」

「私が今日のはなだわ」

「俺ら脇役だし。ってか華も大してないだろ。取ってつけたのバレバレ。あれよ、造花、偽モンの花。トイレとかにある」


 と俺が手酷てひどい言葉を並べていくと、妹は鬱陶しそうに吐き捨てた。


「うっさいなぁ」

「みんなにそう思われるって話で――」と俺が憎々しく笑い掛ける。

「絶対バレないから」

「バレてんだよね、既に。バレるのが嫌なら普段からちゃんとやっとかないと」

「普段からやってたら新鮮味ないし」

「新鮮味なんて求められる場じゃないし」

「これだから男は」


 と、妹は分かってないと言いたげに侮蔑的な眼差しを向けてくる。

 しかし濃い化粧のせいで、俺は腹立ちよりもおかしさで一杯だった。

 自らのまつげを恐る恐るいらう妹を笑わずにはいられない。


「それ、絶対途中でグチャグチャになるぜ」

「大丈夫。化粧道具持ってきてるから」


 そう言って妹は、この日のために買ってもらった黒いハンドバッグを得意げに振り回した。

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