4 妹はいける時にいけるだけいこうとする

 式の開催日が正式に発表されてからも、妹は「めんどい」「だるい」と否定的な言辞ばかりを口にしていた。

 しかし当人が呼ばれてもいない会食の場にわざわざ出席するなどの様子からかんがみるに、まんざら嫌というわけでもなかったのだろう。


 その理由のひとつは容易に察しをつけることができた。

 結婚式という催しの周囲に、食欲や物欲消費の可能性を嗅ぎ取っていたこと――これが大きなモチベーションになっていたのは疑うべくもないだろう。


 もっとも望むらくは、そうした目先の欲求の超克である。

 この結婚式への道程が、自らの意識を改め、そして人生を考えるキッカケになればいいのだが――そんな風に厳しいとは思いつつも期待していた。

 しかし現実がその期待に沿うような状況にあったかは、大いに疑問が残ると言わねばなるまい。




 徐々に本番が近づき、式の具体的な様相が明らかになり始めてからも、妹から緊張するような様子は窺えなかった。

 目の前で繰り広げられたのは、持ち前の意識低さですべてを飲み込もうとでもするかのような、意識低い姿ばかりなのである。


 式から2週間ほど前、母親が俺たち兄妹に向かい、長兄夫妻が本番衣装の最終的なフィッティングを行ったとの話をしていた時も例外ではない。


「どんな感じだった?」と俺はもったいぶって話す母親に尋ねた。

「きれいだったわぁ」

「写真ないの?」

「あるけど、本番まで楽しみにしとき」


 話題は義理姉のドレスである。

 意識低いとて、妹も年頃の女性なので、思うことはあったに違いない。

 もっとも妹は目を輝かせてうらやんだりするようなタイプじゃない。

 この時も、ふくらはぎをボリボリ掻きむしりながら、気怠げに口を開いた。


「ってか、私何着ればいいの?」

「え? 制服あるでしょ?」


 妹の問いに対し、母親はさも当然の如く即答した。

 この冷然とした対応が、妹の心のストッパーを解除してしまったのだろう。

 続け様、妹は直截に欲求をぶちまける。


「服欲しい」

「学生は制服が正装」

「普通おしゃれして出ない? 前見た洋ドラとか、ドレスだったし」

「それはアメリカの話」

「絶対いないでしょ、制服で出る子。桜だってオシャレするって言ってた」


 妹は姪っ子の名前を出し抗弁した。

 しかし母親も意見を変えようとはしない。


「桜は、二人の子供だから」

「私だって二人の妹じゃん」と妹は母に主張する。

「主役は向こう。理心が目立つ必要はないの」

「制服一人なんてさぁ、どー考えても余計目立つでしょ」




 妹は制服案に納得がいかないらしい。

 しかし反論の歯切れもあまり鋭くはなかった。

 それも無理のないことだろう。


 と言うのも、妹はファッションにうとい。

 流行への感度が低いのはもちろん、個性へのこだわりも、衝動的瞬間的に示すことこそあれ、習慣として実践されているようなものはほぼなかった。

 あるとすれば、精々せいぜい何かのキャラクターグッズとしてのファッションアイテムへの興味くらいだった。

 もっともそれはファッションへの興味とはまた異なるものと言うべきなのだろう。


 この時妹自身にも、自分には反論の材料が足りないとの認識があったようで、近くにいた俺に、探りを入れるように話し掛けてきた。


「海理、何着んの?」

「スーツ。黒の」

「スーツかぁ。スーツいいなぁ。私もスーツ欲しい」

「理心にはまだ早い」と母親は取り合わない。

「でもスーツだったら色んな場面で着れるでしょ?」

「まだ着るような機会ないでしょ?」

「じゃぁ……、ドレスぅ?」


 妹は母親を試すように口にした。

 が、やはり具体的にどういうドレスかまでは思い至らなかったらしく、ここで要求を一旦停止すると、そのまま黙り込んでスマホを眺め出した。

 どうも妹は結婚式ファッションに関しネットで検索していたようで、しばらくすると、ある写真を示しながらこう切り出した。


「こういうのがいい」

「こんなの、理心には似合わない」


 母の冷たい言葉に興味を惹かれ、俺は妹のスマホ画面を覗き見る。

 そこにあったのは、スカートスタイルのベージュのスーツを着た、30代くらいのキレイ系モデルの画像である。

 それを見て俺も思わず口を開く。


「これはもうちょい年いった人向けだわ」


 二人に否定され、妹は再度、画像検索に取り掛かった。

 そしてすぐ次の画像を提示する。


「じゃあこういうのどう?」

「こんなの理心に着れる?」と母親は前と同じように疑問を呈す。

「やっぱ無理?」


 にやつく妹の手元を見ると、今度は真紅のミニスカートのドレスを身に着けた長身外国人モデルの画像である。




 リビングではこのようなやり取りが何度か繰り返された。

 前もっての計画的な所業なのか、この場での本能的な機知なのかは分からないが、妹は母親の反応を確かめながら落とし所を探っていたのだろう。


 やり取りを繰り返すうちに、初めは軽くあしらっていた母親も、次第に妹のペースに巻き込まれ始めた。

 あれでもないこれでもない、理心に似合うのはこういうのだ、これではこうなるのがオチだ――といった風に、二人の会話はファッション談義として展開していった。


 意識低いとは言え、妹は己の欲望が関わるとやたらにさとい。

 故に、こうした母のゆるみを見逃すこともない。

 会話中タイミングを見計らって、自然と購入話を切り出した。


「でもこういうのどこに売ってんの? 通販?」と妹は素知らぬ顔で問い掛ける。

「ドレスなんか、ちゃんと着て買わないと」と母は受け合わない。

「売ってるの見たことないし」

「あるところにはある」

「ユニロロにはないよね? エイチ・アンド・ヘルとか?」

「さぁ、どうかなぁ」

「でもそういう店だとバレちゃわない? これいくらするとか」


 そんな憂慮を示す妹に、俺は思わず「そこは気にすんのかよ」と茶々を入れた。

 しかし話の腰を折られまいと、妹は俺を無視して会話を続行する。


「通販ならさぁ、種類沢山あるんだよねぇー」

「Tシャツ買うのと違うんだから」と母親は重ねて拒み続ける。

「え、根本的には一緒でしょ?」

「違うわぁ。ちょっと丈の長さが思ってたのと違うってなっても、ドレスなんかうちじゃ直せないし、重ね着でごまかしたりだってできないんだから」

「だから、ちゃんとサイズ測って――」

「測ったって、体の厚みとか手足の長さとか、個人差あるからね?」

「じゃあどうすればいいの!」と妹は逆ギレする。

「だから制服でいいの」


 母親も返す返す制服案を飲ませようと努めていた。

 しかし、都合の悪いことに耳を貸すような妹ではない。

 悪態でもって状況を打開しようと試みる。


「どこに売ってんの!」

「自分で働くようになったら、どこででも好きなの買えば」と母が言い捨てる。

「もうじゃあこの服で出るから」と妹はこの日身につけていた、鎖鎌のイラストがプリントされた謎のTシャツを手で示す。

「理心が恥かくだけよ?」

「私の恥は家の恥!」


 このような調子で、妹は自らの要求を押し通そうとし続けた。

 母親も、妹の考えに積極的に同調することはなかった。

 が、あまりの面倒臭さと、せっかくのハレの機会に着飾りたいという意欲は汲んであげたのだろう。

 最後には折れ、パーティー用の衣服購入を認可した。




 斯くして購入許可を強引に取り付けた妹ではあったが、彼女の物欲はこれで収まることはない。

 八分目でめておくというという考えは、妹のように意識低い人間には通用しない。

 いける時にいけるだけいってしまう――この原則は食においても、睡眠においても、物欲においても共通していた。

 この時も、妹は己の物欲を消尽させようと、さらなる要求を発していく。


「だったら靴とかもさ、合わせないとダメだよね?」

「持ってる靴に合う服を選べばいいの」と母親は説き聞かせるように言い返す。

「あるかなぁ? ないでしょ?」

「前、青のパンプス買ってたでしょ? ああいうのでいいの」

「あれさぁ、足の幅合わなくて、小指の付け根痛いんだよね」

「ちょっとのあいだくらい我慢し」

「でも披露宴とか入れたら、結婚式って結構時間長いでしょ?」

「絆創膏でも貼っとき」

「いや、あの靴は無理だって。色も青だよ? 青に合うドレスとかある?」

「いくらでもあるでしょ?」


 と言って母親は妹のスマホを引き取り、自ら検索を行っていく。

 そして青い靴を履いている画像を見つけ出すと、それを妹の眼前がんぜんに提示した。


「ほら、ある」

「あー、こういうのねぇ。ちょっと違う」と妹は画像からすぐ目を逸らした。

「色合い的にはこれでいいの」

「色ねぇ……。ま、色はね、考えとく。でもさぁ、やっぱ靴より服優先でしょ。ファッションの主役ってどう考えても服じゃん?」

「お洒落は足元から」と母親は跳ね返す。

「そんなの嘘だから。足だけお洒落ってバカみたいじゃん」

「足だけって意味じゃないでしょ?」

「だったらやっぱ服も大事じゃん」


 妹は勝ち誇って言い放ち、こう続けた。


「ま、もしあのパンプスに合いそうな服あったらそれだけでいいけど、なかったら靴も買うから」

「……。買う買うって、そもそも買うてあるの? 通販はダメよ?」


 いざこう問われると、妹は急に黙り込んだ。

 現状、やはりファストファッションのチェーン店くらいしか、妹の念頭にはなかったのだろう。

 しばらく真顔で思案してから、自信なさげに提案する。


「やっぱ、イオソ?」

「イオソねぇ……」と母親はすぐには賛同しない。

「店いっぱいあるし」

「そりゃああるけど……」

「イオソなら値段的にもお手頃だし」

「まあねぇ……」

「ちゃちゃっと行って、ちゃちゃっと買えるし」

「ふーん……」


 母親は大きくひと息ついてから、若干投げやりに発した。


「ま、何かあるか」

「あるある」


 こうして、妹はいくつかの案件を母に承諾させることに成功した。

 母親は始終呆れ顔ではあった。

 それでも、イオソという高望みではない妹的な答えに、ある意味安心した部分もあったのだろう。

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