3 妹はバジルをただの葉っぱだと誹謗する

 面前で恋人出席の可否を求められた以上、もう誤魔化し続けることはできないと観念した俺は、後日都志子に会った際、兄夫妻の要望を渋々伝えた。

 都志子は即了承し、詳細について尋ねてきた。

 が、俺は多くを語ることはしなかった。

 もう向こうで段取りはほぼ済んでいる、小難しい親戚もいないので、俺たちは楽にしていればよい――こんな具合に簡単に説明し、つつがなくその場を乗り切ることに成功した。


 一旦話してしまえば何の事はないと、俺はしばらくの懸案から解放され,、再びのん気に過ごし始めた。

 しかしそれも長くは続かない。

 兄夫妻から一度事前に会っておきたいとの更なる要望が届けられたためである。


 今度も最初は以前のようにはぐらかすことを考えた。

 が、今更それも面倒であり、もう出ると決まった以上、一度会っておいても損はないだろうと、結局会食の機会を設けることに同意した。




 会食当日、俺は都志子を迎えに行くと、そのまま兄たちとの待ち合わせ場所――レストラン近くの銀行前へ二人で向かった。

 レストラン一帯は、一応この街で繁華街に当たるエリアだった。

 ただ繁華街と言っても、開いている店より閉まっている店の方が目立っているような、地方都市によくあるさびれた繁華街である。


 なので、TPO的なことに気負いはなかったし、むしろ都志子の方が緊張しているんじゃないかと配慮できるくらいの余裕すらあった。

 しかし待ち合わせ場所にしていた銀行前で、俺は心中穏やかでいられなくなる。

 理由は妹――そう、なぜか妹がいるのだ。


「あ、理心ちゃん」と都志子は俺の戸惑いをよそに、妹を見つけるなり声を掛けた。

「遅いー」と妹が叫び返す。

「お前も来るの?」と俺はいつもよりテンション高めの妹をいぶかしむ。

「来ちゃダメ?」


 妹は小生意気な表情で問い返した。

 俺が返す言葉を見つけられないでいると、代わりに都志子が「全然そんなことないよね」と応対する。


 暑さのためか、この日妹は例のお洒落着デニムを身に着けてはいなかった。

 下に穿いていたのは水色のゆるっとしたショートパンツで、素足にサンダルをつっかけている。

 上はダラっとした「Invitation To Hell」との英字プリントTシャツである。

 普段着と大差なかったのは、この程度の場ならこれくらいでいいとの判断なのだろう。


 ふいの妹を前に当惑する俺に、長兄は若干申し訳なさそうに事情を明かした。


「来たいって言うから。その方がにぎやかでいいかなって」

「ふーん」

「桜と瑞樹みずきは理ぃちゃんに預けられるし」

「そう」


 その後、兄夫妻と都志子は挨拶を交わし始める。

 俺も加わるべきとは思いつつ、どうしても妹の存在が気掛かりで、言葉少なにならざるを得なかった。




 妹は今日の目的が顔合わせなのを知ってか知らずか、「早く早く」と俺たちをレストランへ先導していった。

 そして店に入り、席に着くや早々そうそうメニューを手に取り、兄夫妻が連れてきていた姪や甥と何を頼むか相談し始める。

 その様子を見た兄嫁は「今日は都志子ちゃんとのコミュニケーションが目的なのに」と呆れの言葉を口にした。

 もっとも妹は意に介さず、メニューから一切目を離さずに返答する。


「私たちのことは気にしなくていいから。そっちはそっちで話してて」


 実際妹に言われた通り、俺は改めて都志子を兄夫婦に紹介した。

 それから「どこで知り合ったのだ」「どれくらい付き合っているのだ」と、いくつか受け答えを行っていく。


 ただ大人陣営が話し出して間もなく、はやる妹は、「早くオーダーしたいからメニューを決めろ」と横から催促してきた。

 仕方なく俺たちは話を中断し、メニューを開いて眺め出す。

 その間にも妹の催促が止むことはない。


「ピザも頼んでいい?」と妹はメニューの上に身を乗り出した。

「どれ?」と俺が尋ねる。

「これとこれ」

「2枚も?」

「私が1人で食べるわけじゃないよ。みんなで分けて」

「これ1枚2~3人前ってあるけど? パスタも食べるんだよね?」

「そんな大きくなさそうだから、いけるっしょ」


 食べ物を前にすると一段と低まるのが、妹の意識の特徴である。

 俺や兄夫妻は慣れっこだったので、その点にそこまで取りつくことはしなかった。

 ただ都志子にとって、妹の意識低さは、まだどこか新鮮なものであるらしい。


「若いっていいなぁ~。食欲って段々落ちてくるから」と都志子は無邪気に発言する。

「都志子ちゃんも全然若いじゃん」と妹は半笑いで折り返す。

「ほんとにそう思ってる?」と気の強い都志子は、妹の挑発的な言いように食って掛かった。

「今は高齢化社会だから、十分若いに入るでしょ」

「絶対馬鹿にしてるよね」

「してないしてない」と妹は身振りをまじえて否定する。

「理心ちゃんだって、すぐ年取るからね」

「私は若さを売りにしてないから、全然大丈夫」

「いやぁ、そうやって若さ軽んじてんじゃん」

「そう?」

「そうだよ。それ若いことの裏返し」

「分かったからぁ、早くメニュー決めて」




 この日妹の目的は、まさしく食に置かれていたのだろう。

 料理が来ると急に大人しくなり、食べることに集中し出した。

 この外食のためにわざわざお腹を空かせていたらしく、太めのパスタを強引にすすりながらむさぼっていく。


 ただ太く、汁気の少ないパスタは、すするには不向きだったのだろう。

 案の定、妹は途中で「カハッ」とむせ返り、手のひらに向け数回咳をした。

 それもすぐコソッと拭えばいいものを、妹はなぜか、唾液やソースと交じり合ったパスタやイカのカケラがねっとりと張り付く手のひらの惨状を、逐一俺達に解説し始める。


「イカ出てきた」と妹は手のひらの破片を指で弾き飛ばす。

「きちゃな」と姪っ子は身をよじった。

「やばいわ。鼻の奥に何か入ってる」


 そう言って妹は眉間にシワを寄せ、鼻をヒクヒクと動かした。

 俺もしばらくは見て見ぬ振りをしていた。

 が、あまりのはしたなさに耐えかね、紙ナプキンを差し出しながら注意する。


「急いで食い過ぎでしょ」

「あ゛?」

「これラーメンじゃないから。すすって食うもんじゃないし」

「え、すすってた?」

「口の周り黒いし」

「嘘?」


 さすがに人前で指摘され気恥ずかしく感じたのか、妹はナプキンで口元のイカスミをゴシゴシぬぐい出した。

 それから今度は何を思ったか、ぎこちない手つきでパスタをフォークに馬鹿丁寧に巻きつけながら口へと運んでいく。

 妹はまことに気まぐれである。


 実際気まぐれなので、食への集中もそう長くは続かない。

 それに妹は、食に貪欲ではあっても決して大食おおぐらいではない。

 パスタが終盤に差し掛かる頃には、もう満腹感を感じ始めていたのか、妹の食べる勢いは明確に衰えていた。

 ピザが焼き上がったのはちょうどその頃のことである。




 新たな食べ物の来訪は、衰え掛けていた妹の食欲を再び刺激したのだろう。

 妹はパスタを途中で放って、ピザひと切れ分を手に取り、勢い良くかじりつく。

 ただそれも一時的なものに過ぎなかった。

 食べ進むうちに、妹の喋る量は段々と増え始める。


「やっぱチーズいいよねぇ」

「私もチーズ好き」と都志子が妹に答える。

「あげるわ」


 そう言って妹はマルゲリータの載った木皿を俺たちの方へこした。

 都志子はひと切れを選び、手を伸ばす。


「じゃ、このバジル多いやつ一個もらうねー」

「え、都志子ちゃんバジル好きなの?」

「うん」

「ないわー」と妹は眉をひそめる。

「理心ちゃん嫌い?」と都志子は驚き混じりに問い掛ける。

「好きになる要素ないでしょ、こんなの」

「え、何で? バジル美味しいじゃん」

「いや、バジルまずいって。ただの葉っぱじゃん」

「葉っぱだけどさ、いい香りしない?」


 都志子は笑いながら言うと、うっとりした表情でピザの上のバジルに鼻を近づけた。

 妹はそんな都志子に怪訝な顔を向けながら、こう続けた。


「香り? 完全に余計でしょ」

「えー。バジルの香り、イタリアンって感じするじゃん」

「イタリアン感はチーズで十分足りてるから」

「そうかなぁ?」

「何かさ、ヨーロッパの食べ物って余計なもん入れてるの多くない? ミントとかシナモンとかバジルとか。そういうの要らないんだよね」

「えー、私それ全部好き」


 都志子をはじめ、妹の味覚に同調する者はいなかった。

 理解を得られない妹は不満顔で喋り続ける。


「食べ物はさぁ、やっぱアメリカンよ」

「アメリカンな食べ物って、何?」と都志子が尋ねる。

「具体的にどうこうじゃなく、雰囲気? アメリカンな雰囲気ってあるじゃん? 肉ドカッ、生地ボテッ、油ジュワ~――そういうの」

「あー。そういう感じね」


 と都志子は笑いながら頷いた。

 横で話を聞いていた俺は、思うことあって、妹にある疑問を投げ掛けた。


「でも前食べたアメリカ製のポテトチップ、あんまおいしくないって言ってたよね」

「ま、味はねぇ。ぶっちゃけそこは当たり外れある」と妹が答える。

「味大事でしょ」

「大事だけど、デカさとか量とか入れたらアメリカ一択でしょ。あのポテチだって、日本のより量多くて、一枚一枚が分厚かったし」


 妹は力強く断言し、ピザをひと口かじった。

 俺や兄夫妻は、等しく呆れ顔になる。

 ただ都志子には、妹の勝手な言葉も少し異なって聞こえているらしく、どこか同調気味に語り掛けた。


「最近、ポテトチップス量減ってるもんねぇ」

「あれ何なのかな? 中に入ってるのほぼ空気でしょ?」と妹は怒りの表情を示す。

「値上げを避けるためとか、女性向けとからしい」と俺は横から説明を入れる。

「ナメてるでしょ、あれ」と妹の怒りは収まらない。

「気ぃ使ってくれてんだろ」

「そんなの気にするような人間ははじめから食べないでしょ?」

「気にしない人間にも配慮してくれてんのよ」

「そういうの余計なお節介だわー。ほんと、このまま量減ってくなら、マジで輸入考えないと」

「輸入?」

「Amazonに売ってたから。アメリカのデカいやつ」




 そんなことを話しながらチーズのたっぷり載ったマルゲリータは食べ終えたものの、妹はもう一方のチキンピザには手を付けようとしなかった。

 やはり満腹感があったのと、キノコの存在が想定外だったためらしい。

 自分が頼んだのだから最後まで責任をもって食べるよう言うと、妹は途中追加注文したコーラで流し込むようにしながら、少しずつ胃袋に運んでいく。


 そうして食事もひと段落ついた頃、話は本題の結婚式へと及び始めた。

 式の段取りについて既に決まっていること、まだ未定のことなど、兄夫妻が散漫に語っていく中、式中の都志子の肩書きに話が及んだ。


「席には肩書きとか明示しないやり方もあるらしいんだけど。でも親族の紹介とかあるでしょ? そこで都志子ちゃんをどう紹介するかって。プランナーの人に聞いたら、兄弟の彼女の場合、新婦友人とか新郎友人って感じで紹介すること多いらしい」

「へぇ~」と都志子は兄嫁の説明に興味深そうに相槌を打った。

「どうする? 何か要望ある?」

「いや、もう全部おまかせで」

「そっか、分かった」

「面倒くさいね。だから結婚式なんてやらない方がいいのに」


 既に食べるという目的を果たしていた妹は、座席の背に反り返りながら行儀悪く茶々を入れていく。

 しかし兄嫁は無視して話を続けた。


「それと席は、親族の席に座ってもらうことになるけど、いいよね?」

「えっと、隣?」と都志子は俺の方を指差しながら尋ね返す。

「そう。だから仮に友人って風に紹介されたとしても、来た人は大体彼女だって気づくと思うんだよね」

「もう恋人って紹介すればいいじゃん」と妹は横から茶々を入れ続ける。

「俺もそれでいいと思うんだけどねぇ。もう一回聞いてみようか」と長兄は思案顔で意見する。

「面倒くさいね」と再々さいさい妹の茶々が入る。


 怒りの感情はなかった。

 が、俺の口からは自然と苦言の言葉がついて出る。


「別にお前の結婚式じゃないんだし」

「ゆっても、私だって家族として出ないといけないでしょ?」と妹は反論する。

「理心なんかいなくても、どうとでもなるし」

「ひどっ」

「まあ面倒なのは事実だわ」と長兄は笑った。

「でしょ?」

「でも理ぃちゃんだって自分がやる時には、この面倒をこなさないといけないんだから、いい勉強にはなるでしょ?」と長兄は妹に説き聞かせる。

「いやぁ、私は絶対結婚式とか開かないから」と妹はきっぱり断言した。

「ってか、結婚自体無理だろ」と俺はすかさず指摘する。

「そんなことないよね」と都志子は妹を思いやる。


 妹はコーラをひと飲みすると、隣に座っていた姪っ子にもたれかかりながら言い放った。


「ま、年取ったら、介護とかよろしくね」

「いやだよー」と姪っ子はもたれかかってくる妹を押し返す。

「嫌だって」と俺は妹をくさした。

「嫌って言っても、無理やり面倒見させるから」と妹が言い返す。

「もっと計画的に生活しないとさぁ」と俺は妹に言い聞かせようとする。

「いやぁ、無理。私、計画とか立てないで生きるって決めてるから」

「どんな生き方だ」


 俺には苦しまぎれにそう放つのが精一杯で、それ以上の言葉は出てこなかった。

 この思いを共有していた兄夫妻と、無言で苦笑いを交換する。

 しかし妹の意識低さとの関わりがまだ薄い都志子だけは、やはり受け取り方が異なっていたらしい。


「いいなぁ、そういう生き方」

「いいでしょ?」と妹は得意顔である。

「私、予定とか決めないと駄目なタイプだから」と都志子は自戒するように呟いた。

「普通はそうだからね」と俺が声を掛ける。

「もう普通とかそういう考えがね――」


 妹は尊大な態度で言い放つと、再度コーラを口に含み、奥歯で氷をボリボリと噛み砕いた。

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