3 妹は後生を他人にゆだねる

 父親から祖父の七回忌の話を聞かされた際、妹がみずから申し出た昼のおときの店選びも、どうせその場の気まぐれで言い出したに過ぎないと考えていた。

 意識低い妹のことなので、必定ひつじょう、手付かずのまま放っておかれるに違いない――俺はそんな風にぼんやり予想していた。


 もっとも妹は俺の予想を裏切り、相当入念に店選びに取り組んでいたらしい。

 俺も喪主ではなかったので、段取りの段階で関わることはほぼなかった。

 ただある折、両親に進捗しんちょく具合を尋ねると、既に昼食を取る店が決まっていることを教えてくれた。


 妹の食い意地の力をあなどっていたなと、妙な感心を抱いたりもしつつ、間もなく七回忌前日がやって来た。




 いくら近しい人だけで執り行うとは言え、さすがにそのままでは不体裁ということもあり、俺たち家族は以前から少しずつ家の掃除にも手を付けていた。

 そのため前日までには客人を迎える準備もほとんど済んでおり、取り立てて何かをするよう指示されることもなかった。


 ただ夕食時、リビング隣の仏間の鴨居に、クリーニング屋のビニールに入った黒い礼服が掛かっているのを目にした俺は、ふと思い立って母親に話し掛けた。


「やっぱ喪服の方がいいの?」

「もう着なくてもいんじゃない? 私ら喪主だから一応着るけど」

「でも普段着だと、さすがにあれだよね?」

「普段着でいいと思うけどねぇ」


 母は重ねて口にした。

 しかし普段着とは言え、カジュアルなシャツではそぐわないと感じた俺は、当日に何を着るべきか自分のクローゼットの中を思い返した。


「じゃあジャケット羽織はおろっかな。ダークブラウンのやつ。それなら堅苦し過ぎないし」

「ふん」


 母親が頷いたので一件落着と、俺は夕飯のハンバーグへ箸をつけ始める。

 ただ俺と母とのやり取りは、目の前にいる妹の中の何かを刺激したのだろう。

 ハンバーグを食べることに集中していた妹は、ここで唐突に喋り出した。


「あー、私どうしよ」

「服? 普段着でいいから」と母親は俺の時と同様に意見する。

「普段着って、これ?」


 妹は自分の体を見下ろしながら発した。

 この時妹が身に着けていたのは、「People of the darkness」との英字がプリントされたゆったり目の黒いTシャツ、そしてメッシュ地の灰色ハーフパンツである。

 その姿を見た母親は嘆息した。


「それは寝間着ねまきでしょ?」

「寝間着でもあるけど、普段着だし」と妹は胸を張る。

「そんな服で人前に出れる?」

「全然余裕」


 妹は母親にふてぶてしい微笑ほほえみを向けながら断言した。

 母親は、放っておくと実際にこのまま出てきかねないと危惧したのだろう。

 その服はさすがにダメだときっぱり忠告を入れた。


「でもさぁ、ないんだよねぇ」

「ないって。服だって、通販でしょっちゅう買ってるのに……」と母親は眉をひそめながら嘆き節を口にする。

「あれさぁ、ヲタTとかキャラTだから。キャラクターの顔とかセリフとか描いてあるから、さすがに法事には合わなくない?」

「探せば何かあるでしょ?」

「探すのなぁ……、めんどいんだよねぇ」




 しばらく妹はこのような軽口を叩き続けた。

 横で話を聞いていた俺にも、さすがの妹も薄ら汚れたTシャツで法事に出席する程非常識でないことは分かっていた。

 もっともそれは同時に、妹の中に何か魂胆があることを連想させる情景でもあった。


 実際そんな疑念を裏付けるように、服装に関する会話を続けた後、妹はこう話し出した。


「何かさぁ、私も喪服持っておいた方がいい気がする」

「まだ制服でいい」と母親は取り合おうとしない。

「でもどうせ高校卒業したら用意しないといけないでしょ? もう背もほぼ止まってるし、今買っても変わらないと思うんだよね。むしろ今買った方が長く使える分お得感あるし」

「まだ法事に出る機会なんてそんなにないでしょ?」

「でもさぁ、いつあるか分かんないじゃん。おばあちゃんだって、ちょっと前入院してたし」

「縁起でもない」


 母親は渋い顔を妹に向けた。

 しかし妹は変わらぬ調子で話を続けていく。


「誰だって死ぬ時は死ぬんだからさぁ。私が死んだ時は、パーッとやって欲しいね。パーリー形式で」

「そんな適当なこと言ってる人の葬式なんて、誰も来てくれないわ」と母親は妹をたしなめる。

「でもさぁ、人が多ければいいってわけでもなくない?」

「そりゃあそうだけど……」

かずよりしつ。はっきり分かんだね」


 妹はわけ知り顔で断言した。

 母親はため息を大きくひとつ放って、力なく嘆いた。


「理心じゃあ、数も質も期待できないわぁ。そんなんじゃ無縁仏むえんぼとけになっちゃうよ」

「ムエンボトケ? 何それ?」

供養くようしてくれる人が誰もいないってこと」と母親が説明する。

「でも私たち兄弟3人いるでしょ? 姪っ子甥っ子もいるし、最悪、誰かが面倒見てくれると思うんだよねぇ」

「分かんないよ、そんな先のこと」

「え、でも海理かいりも結婚するんでしょ、都志子としこちゃんと?」


 ここで思いがけず妹から話を振られた俺は、まごつきを禁じ得なかった。

 母も興味深げな視線を向けてくる。

 どうにも居心地の悪さを感じながら、俺は途切れ途切れに呟いた。


「結婚は……、まだかなぁ……」

「とっととした方がいいよ」と妹が軽妙に言い放つ。

「お前に言われてもね……」

「いけるって時にしちゃわないとさ、婚期逃すよ?」

「いや……、おま――」

「もうさぁ、今の時代だったら、別にできちゃった婚でもいいわけだし」


 妹は何から目線なのか、何の根拠もない言葉を饒舌に発し続けた。

 しかも母は母で妹の発言に触発され、「できたの?」と俺に探りを入れてくる。

 俺はほとほと呆れながらも、あらぬ誤解の芽は摘んでおかなければと、ここではキッパリと返答した。


「いや、できてないし」

「やっぱ若い親の方がいいもんねぇ」と妹は俺の話には耳を貸さない。

っても、こっちにも生活があるからね。向こうもそう」

「そんなのさぁ、一緒にお店でもやってない限り合わせるの無理でしょ?」

「それでも家庭持つってなったら、ちゃんと準備はしないと――」


 俺は若干語気を強め、俺の都合――そして世間一般の常識について説き聞かせようと試みた。

 が、やはり妹は聞く耳を持とうとしない。

 自分のことを棚に上げ、言いたい放題に言い放った。


「そうやって先延ばししてると、すぐジジイになっちゃうよ」

「まだそこまで年食ってないから」

「だからすぐなるって」

「それはお互い様。って言うか、お前の方がやばいでしょ?」

「私? 私はやばい」


 本当にその自覚があるのかないのか、妹はそう言ってニヤニヤと笑った。

 そしてニヤニヤ笑いながら、己が描く未来図を説明していく。


「ま、海理にも子供できれば、取り敢えず私の葬式は安泰でしょ。風理のとこには、もう桜と瑞樹いるし」

「葬式も人まかせなのね」と俺は嘆くより仕方ない。

「だって自分じゃできないでしょ? 死んでんだから」


 相手が妹でなければ、思春期的不安定さや人生への戸惑いを示唆する言葉として、真摯に向き合っていたに違いない。

 もっとも、目の前でハンバーグのソースを箸先に付着させ、その箸をねぶる妹を見ていると、真面目に取り合う気も湧いて来ず、妹には妹のスタイルがあるのだと自分に言い聞かせながら聞き流すより他なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る