2 妹は仏の前でも意識低い

 祖父が亡くなったのは、妹がまだ小学生の頃だった。

 それは俺が意識低いという概念を知る前のことである。

 しかし振り返ってみると、妹の意識の低さは当時から今とさして変わりはないのだろう。


 妹は坊さんの読経中に数珠を破壊するなど、その頃から落ち着きもなかった。

 余った仕出し弁当を自分にくれとおねだりするなど、食い意地も変わらない。

 それでも当時、妹はまだ小学生である。

 場に居合わせた人は、誰も妹のそうした行動をとがめ立てることはしなかった。

 それどころか法要という、ともすれば暗くなりがちな場をほがらかにしてくれる存在として、皆から可愛がられていたようにすら記憶している。


 それに意識低いとは言え、妹にも人情がないわけじゃない。

 ひつぎに眠る祖父を初めて目にした時には、妹もその死を悲しみ、涙を見せていたのを覚えている。




 それから幾年いくねんかが経過し、今では妹も高校生である。

 見てくれも、身長は伸び、身に付ける衣服を除けばまあ歳相応にはなった。

 知力――この点では向上心を欠いてはいるが、まあそこそこには備えている。


 やはり問題なのは心理面や精神面の成長だろう。

 そこに至ると妹の現状はだいぶ怪しい。

 無邪気にも限度や時分じぶんというものがある。

 が、妹はその点で分別を欠いてしまっている。

 年を経ていることを考慮すれば、この部分での深刻度はより高まっていると見なすべきなのだろう。


 とは言え、法事の場合は、まだ高校生なので取り立てて責を問われるようなことはない。

 自分から主体的に関われと言うのも、さすがに法事となればこくだろう。

 適度な期待というものがあるとすれば、年相応の落ち着きで喪に服すこと。

 そして家族の一員として世間き合いをちゃんとこなすこと――これくらいなら決して過剰な期待でもなく、妹の今後にとっても無駄ではないに違いない。




 このような期待を胸に抱いた直接のキッカケは、リビングでくつろいでいた俺に、父が祖父の七回忌の話を切り出してきた時のことである。


「来月の10日、第二土曜日にやるから、予定空けといてな」

「どこでやるの? 寺?」

「もううちで済まそうって思ってる。坊さんに来てもらって、身内だけ呼んで」

「その方がいいかもね。気楽だし」と俺は父に相槌を打つ。

「午前中におきょう上げてもらって、で、墓参りして、その後みんなで会食して」

「じゃあ昼には終わるんだ?」

「多分終わる。昼ごはん食べたら解散で」


 俺はスマホを取り出し、七回忌の日時をメモに取る。

 それから気になったことを父親に問い掛けた。


「昼食は弁当とか頼むの?」

「まだはっきり決めてないけど、まあ作るのは大変だし、どっかに頼もうかって」


 リビングのソファーに転んでだらだらスマホを弄っていた妹は、耳聡くこの会話を聞きつけると、唐突に体を起こして会話に参入し始めた。


「弁当。弁当がいい」

「弁当がいい?」と父親は妹に問い返す。

「葬式の弁当ってあれでしょ? あの豪華なやつでしょ? ああいう弁当ってこういう時しか食べれないし」

「あれって、理心りこが好きなものそんなに入ってないでしょ?」と父親は妹の要求を不思議がる。

「たまにはさぁ、ああいうのがいいのよ」

「ふーん。まぁ近しい人だけ呼ぶつもりだし、食べ物も堅苦しくなくっていいかって、お母さんとは話ししてたんだけど――」

「え、それどういうこと?」

「もうちょっとくだけたものでもいいかなって話。その方がいいでしょ?」


 父が問うと、妹は「うん」と頷いた。

 続けて父親は俺にも尋ねてきたので、俺も同様に返事する。

 父の提案によって、妹の興味はすぐ七回忌の昼に何を食べるかの算段に移っていたらしく、それからこう話し出した。


「え、じゃあ何弁当にするの? 唐揚げとかもあり?」

「唐揚げはどうかなぁ……」と父親は妹の意見に躊躇いを示す。

「やっぱ肉はダメ?」

「肉でもいいけど、じいさんが好きだったものの方がいいでしょ? 故人をしのぶのが目的だから」

「えー、でもそれだったら結局魚とかでしょ? 魚だったら、刺し身とか入ってるやつでお願い」


 妹は若干ふてくされながら口にした。

 そんな妹に対し、父親は呆れの色を濃くして言った。


「肉か魚かじゃなくても、両方用意すれば――」

「そんな弁当ある? あ、あるか、幕の内的なの。でもなぁ、幕の内地味なんだよねぇ。それだとさぁ、ぶっちゃけいつでも食べれるし……」

「別に弁当じゃなくても、ケータリングみたいなものを頼むとか、どっか外で会食するのもいいかなって」


 このように父親が腹案を打ち明けると、妹は驚きを見せながら言った。


「あ、外で食べるのもありなの?」

「その方が片付けも楽だし、いいかなぁって」

「じゃ、それで」

「それで、いい?」

「それで。あ、だったらぁ、バイキング形式の店がいんじゃない? 魚も肉もあるから、じいさんの好きなものも多分あるし」

「法事でバイキングなぁ」とここでも父は躊躇いを示した。

「え、ダメなの? ケータリングだって似たようなもんじゃないの?」

「誕生日会やるわけじゃないからね。法事用のサービスやってるとこがあるから、そういうとこに頼んで――」

「でももう和食じゃなくていいんでしょ? だったら、もっと華やかにした方がじいさんも喜ぶと思う」

「そうは言っても、一応は法事だからね?」


 父親は妹の欲望を抑えようと念押しした。

 しかしスイッチの入った妹は止まらない。


「でも前の時もさぁ、親戚のおっさんたちお酒飲んだりしてたでしょ? やっぱあんな感じでパッと祝わないと」

「パッとって言っても、合う合わないがあるからなぁ……」

「合うって、畳あるような店じゃないとダメってこと?」と妹が父に問う。

「そりゃあ場所による。畳あっても、ファミレスみたいなとこじゃあ困るでしょ?」

「え、わたし的には全然オッケー」

理心りこはオッケーでも、もうちょっと落ち着いた場所じゃないと、ゆっくりもできんでしょ」

「じゃあ落ち着いた店なら中華とかでもいいの?」

「ダメってこともないけど……」


 妹からの意識低劣な怒涛どとうの問い掛けに、父はくたびれた様子を示し始めた。

 しかし当の妹はそんなことを意に介さない。

 豪勢な食事にあずかる絶好の機会を簡単には逃すまいと、なりふり構わず問いを続ける。


「まだどこにするか決めてないんだよね?」

「決めてない」と父親が妹に答える。

「決めないでね。私、調べるから」

「理心が?」

「うん」


 ここで妹は厄介なやる気を見せ始めた。

 父も脳裏によからぬ事態を思い浮かべたのか、一瞬、躊躇する様子を示した。

 もっとも、父は基本妹には甘い。

 ここでも妹の意気込みを否定するような言葉を口に出すことはせず、こう念押しした。


「それなら調べといて。法事ってこと忘れないでね」

「分かってる。七回忌!」


 妹は力強く断言した。

 しかし続け様、前言を否定しかねないような言葉を躊躇ためらいなくつむぎ出す。


「ってか、七回忌って何?」

「死んでから1年で一周忌でしょ」と父親は淡々と説明していく。

「じゃあ7年目か。もうそんな経ったんだ」

「6年目のことよ。一周期の次の年が三回忌だから」

「ややこしくない? ってか五回忌とか六回忌ってなかったよね?」

「うちはね。宗派によってはあるのかな?」

「うちってどこの宗派?」

「うちは浄土真宗」

「何だっけそれ?」

「学校で習うでしょ」


 父親も妹とのやり取りにくたびれ果てたのか、それ以上の説明をしようとはしなかった。

 そんな父に代わって、俺が言葉を継いでいく。


「親鸞くらい知ってるでしょ?」

「シンラン? あー、聞いたことある気がする」

「絶対教科書載ってるから」

「あれでしょ、何かグループでしょ?」

「グループ?」

「色々、ちんねんとかたくさん出てくるやつでしょ?」

「……そうだけど、ちんねんは、多分そのグループにはいないはず」

「え、ちんねんいたよね?」と妹は飄々と言ってのける。

「いるかもしれないけど、授業では出てこないでしょ。鎌倉仏教ってくくりで出てくるのは、法然とか栄西とか――」

「あー、鎌倉ね。思い出した。鎌倉グループ」


 妹は七回忌の食事に関する裁量を得たことに余程満足していたのだろう。

 細かな言葉の添削にもあまり嫌な顔は示さず、鎌倉に関する偏見と誤解まみれの知識を得々と語り続けた。

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