3 妹はヒメマルカツオブシムシと同居する

 そんなだらしのない妹も、朝起きさえすればその後は自分で身支度を行い、高校にも一応ちゃんと通っている。

 もっとも、だらしのない生活そのままで通えているのにも理由がある。


 最大の理由は、やはり我が家の甘やかし体質だろう。

 これがなくては、さすがの妹もあのような生活を維持するのは無理に違いない。

 自ら改心するか、さもなければ破滅の道を突き進む――これ以外、妹に選択の余地などないのは明白だ。


 ただ現実として妹は改心も破滅もせずに済んでいる。

 それこそ、俺たち家族の寛容さと、日頃の細やかなバックアップのたまものと言えるだろう。

 もっともそれは決して誇れることではないのだが。


 もうひとつ、妹をして怠惰な生活を可能ならしめている要因がある。

 妹が通っている高校――この存在もまた、意識低い生活スタイルを支える原動力のひとつになっているのだ。


 と言うのも、妹が通っているのは最近新設されたばかりの、比較的自由にカリキュラムを組める単位制の高校なのである。

 歴史がないというだけで心許こころもとない印象を覚えるには十分だろう。

 自主や自由、好きなことを学べる、夢が叶う、世界を変えるといったきらびやかな言葉を殊更ことさら標榜ひょうぼうしている点も、怪しさを加味している。

 それだけなら、まだ往々おうおうにしてあり得ることかもしれない。

 この高校が輪をかけて怪しいのは、学園の運営母体が、動画投稿サイトから成り上がった得体の知れない企業なのである。




 妹は決して頭が悪いわけじゃない。

 しかし望めばどこにでも入れるというほどよくもない。

 何より高校進学となれば、内申書の問題もついて回る。

 その点では中学時代から遅刻も多かったので、あまり高くは望めなかった。

 高校をどうするかは家族の間でも久しく悩みの種だった。


 ちょうどタイミングよく開学の知らせを耳にしたのは、そんな折のことである。

 俺はそんな怪しいところに入ったら、普通の高校生活を送れないどころか、将来の選択肢すら狭めてしまうのではと、この選択を危ぶんだ。

 もっとも両親はそういう高校の方が向いているかもしれないと、はじめからなぜか乗り気だった。


 当の妹はなおひどい。

 どういう高校生活を送りたいのか、将来成りたいものがないのか尋ねても、彼女は「特にない」や「行ければどこでもいい」と主体性を欠いた発言を繰り返した。


 中学時代遅刻の常習犯だったことからすると、学業面でも生活面でも融通がきく今の学校は妹の気質に合っていたのだろう。

 妹は早起きしなくてもよいカリキュラムを作成し、それを自分のペースで履修している。

 それなりに学生生活を送れているという点では、この選択も間違いではなかったのかもしれない。

 ただ校風のせいで、妹の意識の低い生活は改善するどころかますます固定し掛かっているのだから、決して見通しがいいわけでもない。




 妹は意欲を欠いているので、部活に入るようなこともしていない。

 種々の学校行事にも、積極的に関わろうとする様子はつゆもない。

 学業そのものにも消極的である。

 昔から塾に入ったことは何度かあった。

 が、妹は通い出してすぐ行かなくなるを繰り返した。

 通信教育の教材も似たようなもので、手付かずのまま放置というのが常だった。


 今も自習するなどの動きはちっとも見られない。

 それでも、学校の勉強には一応ついていけてはいるらしい。

 ただ、やる気がないので伸びもない。

 このままではどこかで行き詰まることを、俺たち家族は懸念している。

 当の妹はと言えば、「自分はこんなもんだ」と、変に達観と言うか、諦めと言うか、気概のカケラも感じさせてはくれない。




 妹は学校でも広く交友関係を築こうなどとはしていない。

 唯一親しくしているのは、山下莉々やましたりりという同級生だけである。

 学内ではいつも彼女とつるんでいるらしい。

 学外でも、平日休日を問わずよく一緒に遊んでいる。


 ただ遊ぶと言っても、二人は頻繁に街に繰り出したりはしない。

 お互いの家を行き来し、多くの時間を部屋の中に籠もって過ごしているのだ。


 高校で山下莉々と知り合ったばかりの頃は、まだ妹にも恥があったのか、散らかった自分の部屋ではなくリビングで過ごしている姿を何度か目にしたこともある。

 もっとも部屋の片付けをしようとの意識改善が起こることはなかった。

 すぐ恥も薄れたのか、今では汚い部屋の中、平気で何時間も一緒に過ごすようになっている。


 では屋内で、二人が何かアクティブで創造的な活動をしているのかと言えば、やはりそういうこともない。

 基本受動的にテレビを見たり、パソコンをいじったり、スマホを眺めたり、マンガを読んだりしながら、お菓子片手にくっちゃべっているだけなのだ。


 二人はお互いを高め合うような仲ではない。

 山下莉々もまた、妹の理心りこと同じく意識の低さ顕著な少女である。

 意識の低い者同士が、サービスも配慮も最小限でよいという気兼ねの無さで繋がっている――それが二人の間柄あいだがらである。




 先日、俺は妹の部屋で過ごす二人に招かれたことがあった。

 珍しいことなので何事だと思いながら出向くと、妹は可愛げのないタワー型デスクトップPCの前に俺を誘導していき、このパソコンの調子がおかしいので様子を見てくれと、俺を招いた理由を打ち明けた。

 仕方なくパソコンの画面に目をやると、どうもフリーズしているらしい。

 俺はマウスをくりくり動かしながら問いかける。


「再起動は?」

「無理」

「強制終了すれば?」

「それも無理。電源10秒くらい押したけど、何の反応もないし」


 どうにか立ち直らないか、俺はキーボードや電源ボタンをプッシュする。

 が、俺自身もPCの操作に大して詳しくはなかったため、手動での再起動の試みはすぐ手詰まり状態に陥った。


「何やっててこうなったの?」

「普通に動画見てたら、いきなりカカカカって変な音して止まった」

「ヒキカンのせいじゃない?」と友人の山下が言葉をさしはさむ。

「そうかも。ヒキカンの動画にマイナスつけてコメント書き込もうとしたら、ちょうどなったし」


 妹たちは意識低い言葉を口々に言い放った。

 俺は頑張りを続ける意欲を失い、投げやりに提案した。


「じゃ、コンセント抜いて消せば」

「それ大丈夫? 壊したら弁償してよ」と妹は俺の案が不服らしい。

「保存してなかったデータとかは、なくなるかも」

「保存してあるのは大丈夫?」

「多分ね」

「多分じゃ困る」

「バックアップとか取ってないの?」

「めんどくさいもん。やんないよね、そんなの?」


 意識の低い妹が山下莉々に問い掛けると、意識の低い友人も妹の考えに同調を示した。


「私もやんない。携帯のバックアップすらやってないし。ま、どうせアドレス帳とかほとんど入ってないから、仮に消えても手で打てばすぐ済むし」

「やっとけばさぁ、ボタンひとつでもっと早く済むのに」


 俺は妹の友人にも苦言を呈した。

 しかしこの友人も何ら後ろめたい様子は見せず、意識低い言葉を繰り返す。


「やるのがめんどいんだよね」

「ほんとそれ」


 妹も友人の気持ちは分かるらしくコクコクと相槌を打った。




 結局そのままではらちが明かないので、コンセントを抜くことで同意し、俺は延長電源タップのもとに屈みこむ。

 ただコンセントは重度のタコ足で、各コードもぐちゃぐちゃに絡み合っていたため、ひと目ではどれがパソコン本体のものなのか皆目かいもく見当もつかなかった。

 仕方なく俺はケースの背面から、ホコリをかぶったコードを指でたどっていく。

 そして一旦コンセントを引き抜くと、少し待ってから再度接続し、電源ボタンをプッシュした。

 パソコンは起動し始め、自動でスキャンが始まった。

 その画面を眺めながら様子を窺っていた俺は、ふいにパソコンの音が気になり妹に問い掛ける。


「これさぁ、何か音でかくない?」

「そう? こんなもんでしょ?」

「でかいし、変な音だし。中おかしいんじゃないこれ? ちゃんと手入れしてる?」

「何の?」

「中の」


 と言って、俺はPCケース後部の排気口に目をやった。

 見ると、排気口を覆う網目の一条一条には、ほこりがびったりと絡みついている。

 俺はその箇所を指差しながら嘆息した。


「汚過ぎでしょ、これ」

「でもほこりって隙間あるから、空気くらい通っていけるでしょ? 変にいじったら余計吸い込むかもしれないし」

「いや、冷やすためのもんなんだし、これじゃ中に熱気こもって――」

「前、掃除機でほこり吸おうとしたけど、取れなかったから」

「これ絶対中やばいだろ」


 俺はケースの隙間からパソコン内部を覗き見ようとした。

 が、ほこりの塊は穴という穴をびっしり埋めていたので、何も見えない。

 その様子を背後から見ていた妹は飄々と口を開いた。


「中とかいじって、壊れたらやじゃん」

「ちゃんと手入れしないと余計壊れるし」

「じゃあさ、ついでに中の掃除もやっといて」

「自分でやれって」

「やり方分かんない」

「蓋開けて、ほこり取ればいいだけ」


 俺はそう言って、ケースの蓋を開けるためのネジがある箇所を手で示す。


「このネジ回して、蓋開ける。ってか、このケースも何か汚くね?」

「コーヒー牛乳こぼした」

「そんなんやってたら壊れるわ」

「壊れてないから。キーボードとかもっとビシャビシャになったけど、全然生きてるし。やっぱいいやつは違うわー」


 妹が誇る無駄にハイスペックなキーボードも、平素掃除などしていないのだろう。

 キーの隙間には、手垢なのか食べカスなのかが所々に埋まり込んでおり、キーの表面は脂でテカテカに照り輝いている。

 俺は先程キーボードに触れた自分の指をズボンのももで拭った。




 当初は代わりに掃除をしてやろうとの老婆心があったわけではなかった。

 しかしどれくらい内部が汚れているか興味を惹かれ、俺はPCの電源を再度落とすと、ケースの蓋を自分で外した。

 案の定、排気、冷却ファンの全体は、粘着質を帯びたほこりによってびっしりと覆い尽くされている。

 いや、ほこりにまみれていたのは他のパーツも例外ではない。

 もちろんケースの下部にはほこりの山が堆積たいせきしている。

 しかもその中には、髪の毛や虫の死骸のようなものも混在していた。


「何でこん中に虫がいんの?」

「虫? 虫スゴイいるから」と言いながら、妹は一応確認しに近づいてくる。

「さっきもいたよね、茶色いやつ。死んでたけど」と友人が背後から口にする。

「私の部屋、多分あれの幼虫いるんだよね。前、壁上がっていってるの見たもん」


 そう言いながら、妹はホコリの中の虫を凝視した。

 慣れてしまっているのか、大して気持ち悪がる様子はない。


「あ、これさっきのと違うわ。けどこいつもよく見るやつ」

「これ多分ヒメマルカツオブシムシ」と俺が解説する。

「ヒメマル? こいつヒメなの?」

「名前ね」

「ヒメのくせに人の部屋に勝手に住み着いて、この虫まじむかつくわー」

「虫と同居」と山下莉々は背後から妹を笑った。

「笑い事じゃないし」


 俺は苛立つ妹を諌めようと声を掛ける。


「掃除しないから虫が湧く」

「これ、掃除しても出るでしょ?」

「掃除が足りないんだわ」


 俺はホコリを取り除くため、掃除機を持って来るよう妹に伝えた。

 面倒くさがりの妹は「これでいい?」と、そこら辺に転がっていた小型のハンドクリーナーを手渡してくる。


「ノズルある? 細いやつ」

「なくした。部屋ん中どっかにあると思う」


 仕方なく俺はほこりを指先でかき集めながら、ハンドクリーナーに吸い込ませる。

 ただほこりは各パーツにびったりこびりついていたため、吸引力の弱いクリーナーでは落ちそうにもない。


「これじゃ無理だわ。綿棒ある?」

「これでいい?」


 妹は、一端が三角に尖った化粧用綿棒が入ったカップを手渡してきた。

 俺は冷却ファンの羽根を一枚一枚綿棒で丁寧にさらっていく。

 ただ汚れはしつこかったため、綿棒1本で足りるわけもなく、すぐ綿棒2本目に手を掛けた。

 それを見た妹は警告する。


「ちょっと大事に使ってよ。その綿棒ちょっといいやつだから」


 嫌なら自分でするようにと言うと、妹は渋々反論を引き戻した。

 しかし最後まで自らの手で作業に当たろうとはしなかった。


 結局、清掃を終えるまでに俺は綿棒8本を消費した。

 それから蓋を装着し、再度パソコンのスイッチをプッシュする。

 立ち上がったデスクトップ画面も、部屋の中同様、整理などしていないのだろう。

 種々のアプリケーションのアイコンだけでなく、フォルダや画像ファイルが乱雑に、そして大量に画面の中に散らばっていた。


「ほら、音小さくなった」

「うそぉ? 変わんないでしょ?」と妹は耳を澄ます。

「あんなほこり溜め込んでたら、すぐ壊れるから」

「ま、壊れたら寿命ってことで。ってか、もうデスクトップの時代は終わったでしょ? マジなくてもいける気がする」

「私ノートだけ」と友人の山下莉々が背後から言った。

「余裕だよね?」と妹が問い掛ける。

「余裕余裕。むしろ最近はノートすら開かないことも多いし」

「だよねぇ。もうパソコンの時代が終わったのかもねぇ。でもMacBook欲しいんだよねぇ。さすがに小遣いじゃ無理だしなぁ」

「バイトして買えよ」と俺は物申さずにはいられない。

「いやぁ、そういうのは無理」


 俺とて他人から見れば妹に甘いように映るのだろう。

 しかしこんな俺でも、家族の中では十分厳しい方なのだ。

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