2 妹は揚げバターを所望する
妹の厄介な部分を挙げればキリがない。
衣食住、四六時中、どこを切り出しても、何かしら思い当たる節はある。
中でも朝は、ひと
妹は朝、自分から起きることをしない。
ほうっておけば、12、3時間は平気で眠り続ける。
もっとも、世の中は彼女の睡眠を基準に動いているわけじゃない。
社会の動きに合わせ生活しなければならないのは、まだ高校1年の妹とて例外ではない。
しかし、妹は自分から起きようとはしない。
寝起きの悪い人がよく口にするように、「朝が苦手なのだ」とか「低血圧で」とか「学校に行きたくないのだ」とか、何でもいいので自己弁護でもしてくれるなら、まだ可愛げもある。
残念なことに、妹はそんな申し開きすらしようとしない。
家族も世間もどこ吹く風といった様子で、ただ気持ちよさそうに眠り続けようとするのだ。
小学生の頃から、朝は大体こうだった。
過去には、あまりに眠り続けようとする妹の様態を案じ、両親が病院に連れて行ったこともあった。
しかし医者が言う分には、身体的にも、精神的にも、特に問題はないらしい。
長時間眠ろうとする点を
実際、妹は大きな病気をしたことはない。
衣替えを面倒くさがり、部屋の中では年がら年中Tシャツ姿であるにもかかわらず、風邪すらほとんど引かない。
眠りの悪習は、年を経れば、少しくらい改善するのではとの期待もあった。
が、今のところ、そのような期待が叶う兆候は見られない。
それどころか、高校に入ってからの妹の朝の様態は、刻一刻と悪化していってるようにすら思われてならない。
と言うのも、中学の頃は目覚ましを数個セットするなど、まだ自分で起きようとする努力も見られた。
それが今では、目覚ましを掛けようとすらしないのだ。
何でも彼女が言うには、「目覚ましの存在は快適な睡眠を妨げ、そのせいで却って起きづらくなる」とのことらしい。
そのため家族が目覚まし代わりになり、起こさなくてはいけないという、まことに面倒な事態が生じてしまっている。
第一の目覚まし役は母親である。
稀には父親が出向くこともある。
どちらが行くにせよ、一度声を掛けた程度で、妹が布団から出てくることはない。
両親とも妹には極めて甘いので、引きずり出すようなこともしない。
それに2人とも仕事があるので、いつまでもかまってはいられない。
一番難儀な、妹をベッドから引き出すという作業は残されたままになる。
そこで、朝方家に居ることの多い俺に、お鉢が回ってくるというわけである。
「起きろ」といった命令や、「遅刻するぞ」だとか「学校から怒られる」なんて脅し文句は、布団にくるまる妹には無力だろう。
それどころか、逆効果になることことすらある。
ただ、何も手立てがないと言っているわけでもない。
無理やり引き起こす――確かにこれも有効な手法のひとつではあるのだろう。
もっともこの方法だと、妹の抵抗は避けられない。
加えてこの方法は、ただでさえ面倒な朝の妹を、より面倒な存在に変化させてしまうというリスクを
なのでこの手法は、余程切羽詰まった状況でもない限り使わないのが無難だろう。
妹を起こすのに有効な方法は、他にもまだ存在している。
しかもそれは、妹の機嫌を害さない、より
その方法を実践するために
これさえ理解していれば、妹を起こすのは造作のないことに早変わりするであろうし、またこの理解は他の様々な局面でも役立つこと請け合いだ。
特に母親が用意している朝食が、妹の好みに合致している場合、流れは至ってスムーズだ。
合致するものを具体的に挙げれば、具材は選ぶにしろサンドイッチであるとか、チーズや肉類の入った重めの惣菜パン、丼物や中華や麺類などが該当する。
そうした朝食であれば、その情報を耳に入れるだけで妹は比較的すぐ起き、しかも自分の足で1階まで下りてきてくれるだろう。
もっとも用意されているのが、ご飯に味噌汁や、食パンにジャムなど、変哲のないものの場合はそうはいかない。
そうした食べ物であれば、余程空腹でもない限り、いくら既に準備してあると伝えたところで、妹を布団から引き出すには不十分である。
とは言っても、週の半分以上、母が用意するのは、こうした代わり映えのしない朝食である。
では、そういう場合はどうしているか。
答えは、朝食を妹の部屋まで持っていく――この作業を行うことで、粗方は解決できる。
注意しておかなければいけないのは、準備されたものをそのまま持っていくわけではない点である。
妹の好みの、油っけのある惣菜をこしらえる――このひと手間を加えることが、作業の
我が家の冷蔵庫の冷凍室には、唐揚げや肉巻きポテト、ナゲット、餃子、炭火焼き鳥、カニクリームコロッケ、アメリカンドッグ、春巻き、ハンバーグ、メンチカツ、小籠包など、妹好みの食品が常備してある。
それを解凍し、朝食にひと添えし、妹の部屋の物であふれた汚いテーブルの上に置いておく――こうすれば、あれこれ口酸っぱく言わなくとも、彼女は
妹は、朝からあぶらっこいものを食すことに抵抗はないらしい。
昼や夜となれば尚更で、深夜ですら、彼女は率先してそうしたものばかりを口にしている。
好きな料理は肉料理や揚げ物。
ご飯よりパン。
和食よりは中華派である。
ラーメンの好みはあっさり系ではなく、厚い油膜がスープの表面全体を覆っているようなこってり系で、以前東京に遊びに行った時、ラーメン二郎を食すという念願を果たしたと嬉しそうに自慢していた。
揚げ物、粉物、菓子系問わず、ジャンクフードには何より目がない。
カロリーはいくらか、原材料はどこの何か、トランス脂肪酸や合成着色料が使われていないかといった点を問題にする様子は微塵もない。
それどころか妹的には、得体が知れなければ知れないほど、ジャンク感があればあるほど、より食い気をそそられるらしい。
何か新しい商品が発売されれば、耳聡く聞きつけては購入に走り、あーだこーだと妙な上から目線で手厳しい論評を加えている。
好きなお菓子の筆頭は、スナックやチョコレート菓子。
ただせんべいやまんじゅうも嫌いというわけではなく、あればもちろん口にする。
当然飲み物も、好んで口にするのは、コーラを始めとした甘い炭酸飲料である。
何かの機会に、他人がミネラルウォーターやお茶を買って来ようものなら、妹はほぼ確実に不平をたれるだろう。
そして妹は重度の野菜嫌いでもある。
ただの生野菜のみから成るサラダであれば、ドレッシングを掛けたくらいでは口にすることはない。
彼女の胃袋に確実に野菜を運びたければ、肉類や魚介類などのタンパク質を大目に混ぜ込んだものにするか、マヨネーズたっぷりのポテトサラダにするのがよいだろう。
ただそうしたものとて、ニンジンやグリンピースなど、嫌いな野菜が入っていると失敗する可能性があるので、具材選びに慎重さは欠かせない。
そうは言っても、妹も年頃なので、野菜の摂取量が少ないことを気にはしているらしい。
たまのおやつに、野菜入りシリアルなどを摂取している様子も窺える。
妹の中では、それで折り合いがついているようであるが、当然健康を考えればいいわけなどない。
やはり普段の食事をバランスよくすることが大事だと、俺たち家族も折りに触れ指摘してはいる。
が、妹はいつも「アメリカではポテトチップスが野菜扱いなのだから自分はそれよりましだ」といった類の詭弁で逃れようとする。
また健康を慮って薄味にしてあげるのも、やめた方が無難だろう。
と言うのも、味の濃いものを好む妹は、薄いと自分で調味料を添加するためである。
初めから多少濃い目に作っておけば、結果的にその方が塩分や脂肪分も少なくて済むという算段で、これは我が家の常識である。
食い気を優先するという点では、
学校のある日でも、妹は朝から餃子やカレーを平気で口にする。
とは言え、全く人の目を気にしないというわけでもない。
特に高校に入ってからは、身だしなみも、多少は気にするようになった。
中でも、自らの油ぎった髪の毛やテカテカの肌は、大きな悩みの種らしい。
以前は風呂に入りたがらない質で、入らないまま寝ることも珍しくはなかったものの、それが今では毎日入るようになったのは、妹の進化の証と見て問題ないだろう。
妹の部屋に入れば、他にも進化の証拠が見て取れる。
テーブルの周辺には、油をたんまりと染み込ませた使用済み油とり紙が、いつも数枚は散乱しているのだ。
それを気にするなら、そもそも脂肪過多の食生活を改めろという話であるが、残念ながらそこまで進展する様子は見られない。
期待ほど進んでいかないのは、外見が変化しないせいもあるのだろう。
あぶらまみれの偏った食生活を送り、運動などほとんどしていないにもかかわらず、妹は太ってはいない。
どういうわけか、痩せでもぽっちゃりでもない普通体型をずっとキープしている。
外見が変化しないことに高をくくっているため、食生活が改まることもない。
これはまことに
つい最近など、この悪しき性質を象徴するよな出来事に遭遇することもあった。
妹が揚げバターなる異様な食べ物――まさに意識低さの権化のような食べ物に関心を示したのだ。
「揚げバター知ってる?」
高校から早目に帰ったある日、居間でテレビを見ながらタブレットを弄っていた妹は、俺にとあるまとめサイトの記事を見せてきた。
俺は掲載されていた画像を見て眉をひそめる。
「何これ? 絶対まずい」
「うそぉ。めっちゃウマそう」
「体に悪いわ」
「どっかに売ってないのかな?」
「こんなもん、アメリカ人しか食べないって」
その後妹はキッチンに向い、冷蔵庫や収納棚を開け閉めして何かを探し始めた。
リビングのテーブルに置いていったタブレットの画面を覗き見ると、揚げバターのレシピが開かれている。
もしやあいつ自分で作る気なのかと思った矢先、妹はホットケーキミックスの袋を手にリビングに戻り、再度そのレシピを確認し始めた。
「何かチョコない?」
「お前の部屋にいくらでもあるでしょ?」
「あれ固形でしょ。シロップ状のやつじゃないと」
「キッチンにないなら、ない」
「ちょっとさぁ、買ってきてよ」
「無理」
「私料理するから。その間に行ってきてよ。できたら一個あげるから」
「いらないし」
俺は妹の要求を断固拒否した。
妹はバターが箱半分しかなかったので買って来いとさらに要求を続けたが、結局面倒臭がって自分でも買いには出向かず、有り合わせのもので調理を開始した。
見ていると、計量などする様子はない。
ホットケーキミックスを目分量ボールに入れ、適当に牛乳を注いで箸でごちゃごちゃ混ぜ始める。
そうして衣を作り終えると、やはり箸で強引にバターをスライスしていく。
次いで、消しゴムサイズのバター片を竹串に刺し、それに衣をつけていく。
ただレシピを守らなかったせいで、衣が大分水っぽかったのだろう。
妹は「やべぇ、衣たれるわ」と言って粉をボールに注ぎ足した。
そうしてでき上がった大量の衣を、バターの周囲にこれでもかと
手際の悪い妹は、形を整え終えてから油を加熱し始めた。
もっとも普段料理などしない彼女には、油の扱いが分からないらしい。
「これどうやって温度測るの?」
「衣を油の中にちょっと落としてみて、その感じで見極める」
「そんなんで分かる? 無理でしょ」
と言いつつも、妹は揚げる段へと取り掛かる。
ただ高温にするのを怖がり、低音でじわじわ揚げていたことに加え、しきりにいじくり回していたため、途中で衣がほどけてしまったらしい。
バターが油の中に溶け出したと言いながら、妹は穴開きオタマを手に慌ただしくキッチン内を右往左往し始めた。
「デカ過ぎなんじゃない?」
「だってバター少なかったし」
「いくらなんでも、衣つけ過ぎでしょ?」
「衣うまいよ。生でもいける」
妹は衣のかけらを指で摘んで口へと投じつつ、今一度揚げる作業に取り掛かる。
今度は油の温度を上げ、いじくり回すのをやめたので、一応様にはなっていた。
「できた」と満足気な表情で、わざわざリビングの俺のもとに完成品を持参し、見せびらかすようにひと口かじった。
その瞬間、妹は叫び声をあげる。
「熱っ!」
「そら揚げたてなんだから当たり前だわ。ってか、たれてんぞ」
きつね色の衣の隙間から溶けたバターが流れ出し、妹の指から腕へと伝って、床の上へと滴り落ちる。
妹は腕をはうバターを指先でさらって、その指をひと舐めして言った。
「うまー」
「汚ねぇ」
「バターなくなっちゃった」と妹は内部が空洞になった揚げバターを見せてくる。
「床拭けよ」
「次の揚げてるから」
妹はそう言い置き、食べながらコンロの方へ足早に戻っていった。
俺は床のバターが固まる前に、急いでティッシュで拭き取った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます