理心の意識は下げ止まらない

アブライモヴィッチ

意識低い妹の1日

1 妹はAmazonの箱を捨てようとしない

 妹の部屋は汚い。


 足を踏み入れた瞬間まず目につくのは、至るところ無造作に散らばる漫画や雑誌の数々である。

 この部屋に本棚がないわけではない。

 しかし妹はきちんと仕舞うことをせず、読んだら読みっぱなしのまま、そこら辺に置いておこうとする。


 衣類はなおひどい。

 洗っていないものが脱ぎっぱなしのまま、部屋の各所に放置されている。

 もっとも、ちゃんと仕舞われていないのは、洗ったものや新品も同様である。

 一応妹なりに、どこに置くか大雑把な位置は決めているらしい。

 それとて種類や用途ごとにきっちり分別されているわけでないので、傍目はためには適当に置いているだけにしか映らない。


 この散らかった状況に対し妹は、「タンスやクローゼットは既に物でいっぱいになっており、仕舞おうにも仕舞えないのだ」と弁解する。

 確かにその言葉自体に嘘はない。

 どこもかしこも物であふれ返っているのは、まぎれもない事実だった。

 ただこの事態を招いた根本の原因は、服をちゃんと折り畳まず、ぐしゃぐしゃのままタンスの引き出しに押し込んだり、衣類以外の物まで無計画にクローゼットに放り込んだりしてきた、妹の横着おうちゃくな性質である。


 残念ながら妹にその自覚はない。

 あると言えば、それはもっぱら開き直りだろう。


 妹はどれが未洗濯でどれが洗濯済みの衣類なのか、自分にはちゃんと分かっていると平気な顔で断言する。

 それどころか、時にぐちゃぐちゃの方が利便性は上だと豪語もする。

 当然、こうした言葉には多分に誇張が含まれており、目当ての物が見当たらない、消えたなどと、己の行いを棚に上げイライラしている姿を目にするのは、何ら珍しいことではない。


 妹はそもそもきれい好きではない。

 多少の汚れなど気にしないのは確かだろう。

 靴下であれ何であれ、手に取ってにおいを嗅ぎ、イケるかどうか、その場その場で判断しているらしい。

 不潔と言ってしまう方が適切かもしれない。




 物があふれているせいで、クローゼットの扉を閉じることはできない。

 しかし全開にすることも、やはりできない。

 扉の前には、Amazonを始めとした箱のたぐいが、幾重いくえにも積み重ねられているためである。


 箱の中には、内部に物が詰まった箱だけでなく、空の箱もある。

 家族の面々は「そんなものは処分しろ」と、今まで何度となく口にしてきた。

 もっともとうの妹は「今後部屋を整理する時に必要だ」と言って、なぜか捨てることを拒む。

 整理などしないにもかかわらず。


 それでも、それら箱の山や、買ってすぐ飽きた電子キーボード、ホコリをかぶったコートハンガー、季節外れの電化製品など比較的大型の物は、壁際かべぎわに寄せられているだけ――つまりささやかではあれ、彼女なりに一応整頓の痕跡こんせきを見て取れる分、まだマシだろう。


 何と言っても悲惨なのは、部屋の中央部。


 中心にあるテーブルの上には、やはりマンガ、文房具、鏡、化粧品、ファッション小物、その他雑貨、それから数多あまたの飲食物が無秩序に散乱している。

 とりわけ印象的なのは、底に濁った液体の沈殿したペットボトル、錆びた乾電池、液漏れを起こした化粧品などであろう。

 いつからともなく存在しているそれらのアイテムは、いつまで経っても処分されることのないまま、妹の低劣な意識を象徴する仕事を、この汚い部屋の中でひたむきに果たし続けているのだ。




 汚れているのは床の上も同様である。

 マンガや飲食物はもちろん、上着に下着、靴下、網タイツ、靴、うちわや木の棒、ベルトや鞄、ガムテープやグルーガンのような工具まで、雑多な物が散らばっている。


 また絨毯そのものの汚さも捨て置けない。

 元々白かった絨毯は、妹の足裏の汚れを長らく吸着し続けたため、全体的に灰色に変色している。

 中でも部屋の入口からベッドへと繋がる妹の通り道は、汚い足で繰り返し踏みしだかれたせいで、一段と濃い鉛色なまりいろになっており、またテーブル前の飲食エリアは、食べこぼし飲みこぼしによるシミのために茶色という惨状である。


 そんな汚い絨毯になど触れたくないのは誰しも同じだろう。

 しかしこの部屋で物に触れずに移動できるスペースはそこにしか存在していない。

 そのため踏み入る際には、誰でも必ずそこを通らざる得ない。

 素足で立ち入れば、足の裏に砂粒や得体の知れない固形物が付着することにも言及しておく必要があるだろう。


 妹はゴミをゴミ箱にちゃんと捨てることをしない。

 唯でさえゴミのようなものであふれ返る妹の部屋は、その悪癖のせいで、ゴミとゴミのようなものが混在するカオスと化しつつある。

 慣れていない人には、恐らくすべてがゴミにしか映らないだろう。


 ただこの点でも、妹の現状正当化に抜かりはない。

 誰かに指摘されれば、妹はいつも、どれがゴミでどれがゴミでないか完璧に分かっていると言い切る。

 この発言に関しては、必ずしも嘘ではない。

 あるじの居ぬ間に母親などがこっそり片付けると、なぜか妹はいじられたことに気づき激怒するのだ。


 甘い母親はそうした妹の意向をんで、極力物には触れないよう、空いたスペースに掃除機をかける程度しかしない。

 もちろん、妹は精々身の回りにコロコロを掛ける程度で、ちゃんとした掃除を行うことはない。

 そのためいつまで経っても、部屋は散らかったままになるというわけである。




 そして妹の部屋はくさい。

 くさいと言っても、年頃の女性の部屋の、甘ったるいニオイのことを指しているわけじゃない。

 この異様なニオイの基調になっているのは、防虫剤が発する化学臭で、以前、得体の知れない虫が湧いたと、衣料用の固形防虫剤を部屋のそこらに撒いたせいである。

 本来、タンスやクローゼットで使用するべきものを部屋に撒かねばならないのは、衣類が衣類のあるべき場所に仕舞われていないからである。


 この薬品臭と、飲み掛けのジュースが発する香料のにおい、食べ掛けの食品がかもすビターな臭味、化粧品や芳香剤が漂わせるスウィートな薫香くんこう、そして彼女の体が放つ動物臭――そうした種々のにおいが、あまり換気をしない部屋の中で混じり合い、滞留しているのだ。


 掃除どころか換気すらあまりしないため、ほこりっぽさも鼻につく。

 床の上、ベッドの上、テーブルの上、そして下など、時にバラバラに、時にまとめて放置された物の表面は、どれもみな薄っすらとほこりの化粧を帯びている。

 視覚的に汚いのは言うまでもない。

 しばしば来訪者が口にする鼻の粘膜への違和感などを考慮すれば、恐らく病理的にも、この汚さには何らかの問題があるに違いない。




 カーテンの隙間から部屋に漏れ入る光の中には、プランクトンの死骸が深海に沈んでいくように、ほこりの粒子がゆっくりと床の方へと落ちていくのが確認できる。

 妹の理心りこは、その光を避けるように、顔まで布団をかぶって眠っていた。


 ベッドの上だけは、妹的に聖域なのか、散らかりも幾分かマシである。

 それでもやはりマンガやゲーム機やスマートフォンが、枕のかたわらには乱雑に転がっている。

 携帯の充電コードは、妹の脂によってコーティングされたイヤホンのコードと絡み合いながら、ベッド脇のコンセントへと繋がっている。

 そのコンセントがタコ足配線であることは言うまでもない。


「おい、理心りこ。おい」


 物を踏まないようベッドまで近づいていった俺は、ピンクの――そして顔が触れる箇所だけ若干黄ばんだ布団を少しめくり上げ、妹の顔を露出させる。

 しかしその刹那せつな、妹はすぐ布団を元の位置に戻した。


 これで妹が起きていることを確認できたので、俺は何度も呼び掛ける。

 そして頃合いを見て大きめに布団をめくると、今度はうっすらと目を開いた。

 俺は半目の妹を見下ろしながらさらに続ける。


「もう八時半だぞ」

「あ?」

「あ、じゃなく。はよ、学校の準備。ご飯も用意してある」

「……。持って来て……」


 妹は弱々しく呟くと、目やにを指でほじくり始めた。

 だらしないとは言え、さすがに他人を目の前に乙女として身だしなみを気にして――なんてことがあるはずはない。 

 続け様、妹は目やにの付着した指をこすり合わせ、そのカスをベッドの下にパラパラと放った。

 彼女の手の下を見ると、ゴミ箱代わりの紙袋が一応置いてある。

 もっとも、妹には袋の位置を目で見て確かめる様子はなかったので、目やにのカスは恐らくちゃんと袋に入っていなかったに違いない。


 この程度のはしたない行動には慣れっこだった。

 なので俺もたじろぐようなことはせず、もうひと押しだと、妹を起こす作業を淡々と続行していく。


「今日サンドイッチだから」


 俺の発言を受け、妹は寝転んだまま目だけをこちらに向けてくる。

 興味を引くことに成功したのが分かったので、俺はさらに畳み掛ける。


「6個くらいある」

「具は?」

「きゅうりとツナのやつと、トマトとハムのやつ」

「ふ~ん」

「あと、昨日のカツ挟んだやつ」

「マジ?」


 そう言うや、妹はスッと上半身を起こし、ベッドから床の上へと下り立った。

 妹はパジャマを身に着けていはいない。

 そもそも妹の生活にパジャマは存在していない。

 用のない日であれば一日中――いや一日どころか、それこそ一週間続けて同じ服ということも何ら珍しくはない。


 パジャマでないなら、女の子らしいピンクやモコモコの服なのかと言えば、そういうこともない。

 この日妹が身につけていたのは、上は首のゴムがダルダルになったオーバーサイズのTシャツで、胸元には「L.A. STYLE」と謎の英字プリントが施されている。

 下には汚いスウェットをはいており、腰のゴムが緩いせいで、パンツの上の部分が少しだけ露出している。

 そのパンツもまた女性的なショーツ型のものではない。

 「見られても平気だから」と、いつの頃からか愛用するようになった、色気のけっぺんもないド派手なボクサー型のパンツである。


 何はともあれ、妹を起こすという仕事に一段落がついたので、俺は部屋を出るためドアへと向かった。

 妹はずり落ちそうなスウェットを一度たくし上げ、俺のあとに続いてくる。


「制服に着替えてから来れば」

「ふむ」


 そう言い置いて、俺は部屋から先に退出する。

 ただドアを閉めようとした際、部屋からカラカラと乾いた音のするのが耳に入る。

 それを不思議に思い、俺は音の方へ目をやった。

 視線の先では、妹が蓋半開きのじゃがりこのカップを手に取り、機嫌良さそうに揺すっていた。

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