06 少年の仕事と憂慮

 柊が凜花と出会ったのと時を同じくして、仕事を押しつけられた桃弥は『ホームセンター オギノ』に到着した。


 何でも屋の常連、笹岡さんの依頼はガーデニング用品の買い出しだった。

 笹岡さんは今年で65になるおじいさんだ。まだまだ元気に動き回っているようだが、その住まいは商店街からやや離れているため、よく買い出しを依頼してくる。

 腕時計を見ると、時刻は8時半ちょうど。依頼票には9時までに届ける旨が記されている。ここから笹岡さんの家までは自転車を飛ばして約十五分なので、品物を悠長に探している時間はない。

 だがそこで、何でも屋の『特権』が役に立つ。

 桃弥は店には入らず、店の裏手に回った。


 裏手には『STAFF ONLY』と書かれた扉がある。そのややさびた扉の向こうはスタッフルームになっており、そこにはたいてい店長の荻野がいる。

 買い出しの依頼も多い何でも屋は、スタッフルームに直接来て商品をそろえてもらえることになっている。何でも屋の自転車(ママチャリ)を常駐させてもらっている上に、木材をはじめとした大きなものは特別に軽トラも出してくれる。

 これらは何でも屋が頼んだわけではなく、荻野自らがサービスを申し出て実現したのだった。


 桃弥が扉を開け中に入ると、いつも通り、監視カメラのモニターとにらめっこしている荻野がいた。ガタイのいい強面な男なので、その形相はまるで阿修羅か鬼だ。

「荻野さん、何でも屋です」

 桃弥が声をかけると、荻野はぱっと桃弥の方を向いた。

「お-、桃弥じゃないか。またあいつにパシられたのか?」

「いつも通り、そんなところです」

 桃弥がうんざりとした顔で言うと、荻野は「あっはっは!」と豪快に笑った。


「あいつもなかなか懲りないもんだな。そんなんじゃまた善美ちゃんに怒られるぞ、って言っておいてやるよ」

「是非ともお願いしますよ。あの人、善美さんにだけは頭が上がりませんから」


『善美』は柊の妻の名前だ。

 柊善美。

 旧姓・天宮善美と柊望は、高校時代からの付き合いで、当時の部活も同じだった。

 現在、彼女はジャーナリストをし、日本各地を飛び回っている。

 そのため、良くて週一、悪い時には半年に一度しか家に帰ってこない。

 だから帰ってきた日には、自分が不在の間の夫の様子を聞いて回っている。その時に聞くのは「また仕事を押しつけた」だとか、「またうちでご飯を食べていった」だとか、わりと悪評が多いのが残念なところだ。

 そして、それらを聞いた善美は望に対してあれこれと指導をしてから、また次の目的地へと出発していく。かねてから頭の上がらない望はしばらく言う通りにしているのだが、だんだんと気が緩み、また叱られる案件を作ってしまう。

 もはやいたちごっこ状態なのだった。

 その様子を見るたびに、桃弥はいつも(どうしてあんな人と結婚したんだろう……)と思ってしまう。その理由が知りたいところだが、善美はさっさといなくなってしまうので、真相は聞けずじまいでいる。


 恒例のチクりネタを挟んだところで、桃弥は依頼票をカバンから取り出した。

「今日は笹岡さん家の依頼で、ガーデニング用品をいくつかお願いします」

 何が欲しいか書かれたその依頼票を荻野に手渡す。

 笹岡さんはいつも決まったメーカーのものを買うので、商品名がきちんと指定されている。これが探す側には大変な手助けになる。だいたいはそこまで指定されていないので、買い出しはしばしば悩みながら行わなければいけないからだ。

「オッケー、ちょいと待ってな」

 そう言って荻野は店の中へと入っていった。


 待つことわずか三分。

 荻野は依頼票の通りの品々を持ってきてくれた。

「ありがとうございます。助かります」

「いいってことよ。それより、ちゃんと全部合ってるか?」

「はい、全部大丈夫です」

 料金を支払い、領収証をもらう。依頼票に挟み込んで再びカバンへ。

 今回の注文はガーデニング用の土が二袋に、肥料といくつかのタネ、スコップだった。

 土以外は一つの袋に詰め込み、自転車のカゴへ。

「うわー……重た」

 問題は土二袋だ。しょうがないので後方にくくりつけたが、このなかなかの重さだ、かなり注意しないとすぐさま横転しかねない。

「どうだ、いけそうか?」

「まあ、なんとか……」

 荻野に支えてもらいながら足をかけ、軽く勢いをつけて乗っかるも、思った以上にふらついた。

「おっとっと」

 どうにかバランスを取り持ってから、一漕ぎ。ゆっくりながらも直進できた。

「それじゃあ、気をつけろよ」

「ありがとうございます。また、よろしくお願いしますね」

 荻野はにかっと笑った。

 桃弥は足に力を込めて、いつもより重たいペダルをめいっぱい漕ぎ出した。

 急げ、急げ。

 車の通りのないのをいいことに、車道の真ん中を全速前進。桃弥の行く先は前輪に灯るライトがしっかりと照らしていた。



「……はーっ、着いたー……」

 運良く信号に引っかかることも、警察に見つかることもなく、桃弥は笹岡さん宅にたどり着いた。

 重量のある中、ノンストップで飛ばしたため足にはなかなかに疲労が溜まった。

 少し乱れた息を深呼吸で整えてから、インターホンを押した。

 時刻は8時58分。なんとかギリギリ間に合った。

 はーい、という返事にすかさず、何でも屋です、と応えると、程なくして笹岡さんが玄関から出てきた。


「今日もすまないね、桃弥くん」

「いえ、笹岡さんはうちの大事な常連さんですから」

 桃弥は買い出しの品々を渡して中身が正しいか再度確認してもらった。

 オギノでも確認した通り、ちゃんと全部合っていたようで、笹岡さんは満足気な顔で依頼票にサインをした。

 桃弥はこのときに見られるその顔が好きだった。

「はい、確かに。今回もありがとう」

 笹岡さんは依頼票に報酬金の入った封筒を添えて桃弥に渡した。

「こちらこそありがとうございます」

 桃弥はしっかりと礼を言ってから大事に受け取った。


 ほとんどの場合、何でも屋への報酬金は依頼の際に依頼主が決める。

 その額は依頼主の職業などにもよるが、たいていは依頼内容に準じている。

 たとえば、犬の散歩なら安く、引越しの手伝いなら高くというように、その内容の難しさや労働の割合に左右されるのだ。

 ただ、原則として、何でも屋サイドは「何でも」と謳っている以上、基本的にはどんな額であれ依頼を断ることはない。もちろんタダではやらないし、依頼する側も常識の範囲での最低限度をわきまえている。

 報酬金は、依頼を達成した後、依頼主から手渡される。つまり、当たり前のことだが、達成できなかった場合には報酬金なし。一円たりとも受け取らないことになっている。

 中には恩情でいくらか増やしてくれている人がいたり、逆に達成していても何か気にくわないことがあれば減らすような人がいたりする。それにより収益がばらけてしまうのが難点であり、いいところでもあるかもしれない。


 桃弥がカバンに依頼票と封筒をしまったのを見届けて、笹岡さんは、ところで、と切り出した。

「望はどうしたんだい?」

 笹岡さんがそう尋ねたのは、依頼を受けたのが本当は柊であるとわかっていたからだろう。桃弥が事情を正直に話すと、先の荻野のように「なるほど」と呟いた。

「じゃあ、とりあえずは元気なんだね?」

「そうですね、元気も元気、今日もどこまでかは知りませんが、たぶん長めの散歩でもしてますよ」

 桃弥はわざと嫌味っぽく言った。

「いい加減、ちゃんとしてほしいですけどね」

 続けざまにそう呟く。


 ――ちゃんとしてほしいよ、本当に。


 ちゃんと、というのは、しっかりと真面目に働いて欲しい、ということだけではない。

 桃弥が気にかけているのは、わざわざ柊を指名して依頼してくれる人たちのことだ。

 柊の助けが必要で、柊のことを信頼していて、柊との長い縁もあって。

 それなのに、ここしばらくの柊はというと、その依頼を桃弥に回してくることが多い。

 それが桃弥にとっては不可解だったし、なんだかあまり気分が良くなかった。


 依頼を達成すればいいなんてことはないと思うのだ。わざわざ相手を指名している。そこに依頼以上の意味があるんじゃないだろうか?

 そう思うからこそ、柊の行動が依頼主の思いをないがしろにしているように見えてしまって仕方がないのだ。

 桃弥としてはその思いに応えて欲しいし、そして何より、


 ――あの頃の柊さんは、もっと、すごかった。


 ――だから俺は、あの姿にあこがれていたんだ。


 桃弥から見た柊は、アルバイトとして共に過ごした三年間で、ずいぶんと変わってしまった。

 皆が抱く柊への期待の思いには、桃弥の思いも含まれていた。だから桃弥は、自分もまた裏切られたような気がして、堪えがたい気持ちになっているのだった。


 その桃弥の内心を知ってか知らずか、笹岡さんは、

「まあ、望だって、わかっているだろう。まだ小さいころから知っている私からしたら、望は今も昔も、そんなに変わっていないよ」

 桃弥はその言葉をいまいち信じかねた。

 本当に、そうだろうか。

 笹岡さんのフォローでも、いまは腑に落ちることはなかった。


 別れ際に再度お礼を言い、桃弥は笹岡さん宅を後にした。

 相変わらず夜道は暗いが、行きよりも自転車はスピードを上げて進む。

 けれど、信号につかまって何度も止まった。

 そのたびに桃弥はぼんやりと信号を眺めた。

 暗闇に煌めくやわらかな赤い光。ふとした瞬間に青に変わる。


 止まれ。

 進め。


 いや、ちがうか。


「進め」じゃなくて「進んでもいい」だな。


 進むかどうかは自分次第だもんな。


 なぜだか、桃弥はそんなことを考えた。


 そして、桃弥は何でも屋に帰り着く。

 店の脇に自転車を停めて、しっかりと施錠。

 時計を見ると、時刻は9時30分。さすがに柊ももう戻っているころだろう。

 自転車のカギをポケットに突っ込んで、店に入る。流れるのはいつも通りのあのメロディ。

「只今戻りましたよー、って、ん?」

 あれ、と思った。

 こんな時間にお客が来るのは珍しい。

 たしかに、それもそうなのだが、それ以上に、何か違和感がある。


 視界に飛び込んできたのは、真っ赤なドレス。


 信号なんかとは比べものにならないような、はっきりと目に焼き付くような、煌めく赤。


 それをまとい、何でも屋のソファに座っているのは、肩より少し長いきれいな黒髪の女性。

 振り返ってこっちを見た。その一瞬で、目が合った。

 きれい。しかし、それだけでは片付けがたい目をしていた。

 いや、目だけじゃない。

 目だけじゃなくて、顔も、髪も身につけている服も、つまりはその見た目はきれいの一言ではいはずなのに、どうしてかそれだけではないような気がする。

 それを表現できるような言葉があるとするならば。


 きっとそれは、「儚さ」。


 それがいい意味か、悪い意味かはわからない。


 桃弥はこんな人を、これまで見たことがなかった。

 だからこそ、馬鹿みたいに、

「えっ、誰!?」

 なんて口にしてしまった。


 誰だ、誰だ。


 この人は、どういう人なんだ。


 有栖川凜花との出会い。


 これが、彼自身にも新たな変化をもたらすことになるのだった。

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LiVE @ALiCE_92

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