05 お姫様の決意
何でも屋には、男が言った通りすぐに着いた。
自動ドアが開き、軽快なメロディが出迎えてくれた。
何でも屋の中は左側に事務机が並び、右側にはテーブルを挟んで向かい合ったソファ。
事務机は一回り大きい物が一つあり、その他の四つが島を作っている。そのうちの一つは何も置かれておらず、使っていないようだ。それ以外の机上は書類が散乱していたり、きれいに整頓されていたりと、使い手の性格がうかがえる。
一方で、右側はいかにも来客用といった感じで、一層小ぎれいに仕上げられている。
「えっと、じゃあ、とりあえずはここに」
手前のソファまで行き、凜花の体がゆっくりと下ろされた。体が軽く沈み込むと同時にふかふかした感触に包まれた。
そこで凜花ようやく落ち着けた気持ちだった。……色々な意味でも。
「何か飲み物を取ってくるよ」
男が奥の部屋へと行ってしまうと、改めて凜花は部屋をまじまじと見回した。お店に入るの自体も初めてなので、なんだか感心してしまう。
「ここが、何でも屋……」
最初の目的地、何でも屋に無事にたどり着くことが出来た。わざわざここに誘導されたからには、次にどうしたらいいのか、アドバイスや手助けをしてもらえるかもしれない。
『何でも』と謳っているのだ。家出の一つや二つ、過去の相談実績があってもおかしくはない。だから運転手はここを紹介してくれたに違いない。
そこで、凜花はふと疑問に思った。
もしかして、運転手さんも家出の経験が……?
あの用意周到な手際。そして、ここの紹介。
その場の思いつきではこうもうまくいかないはず。
それはやはり、自身の経験を踏まえてのことなのだろうか。
「まさか、ね……」
一度そう考えてしまうと、なんだか当たっているような気がして、いまいち否定しきれない。とは言え、真相は本人に聞かなければわからないのだが、それは当分先のことだろう。そもそも、聞けるかどうかもわからないのだが。
妙なもやもやを頭の奥底に押し込んでいると、奥のドアが開いて男が戻ってきた。
「こんなものしかなかったけど、よかったらどうぞ」
差し出されたのはコーヒーだった。ほかほかと湯気がたっている。
「ありがとうございます」
受け取ると、マグ越しの温かさが身に沁みた。
二人そろって飲んで、ふぅと一息。
男も凜花の向かいのソファに腰を下ろした。
「そういえば、自己紹介がまだだったよね」
にこりと朗らかな笑み。
「僕が何でも屋の店主、柊です」
柊はごちゃごちゃした机上からメモ用紙とペンを取ってきた。途中、積み上げられた書類がものすごい音を立てたが、何食わぬ顔をしている。
再びソファに腰を下ろし、柊は凜花に尋ねた。
「それで、うちには――って、その前にお名前を聞いてもいいかな」
柊はいつからかかなりフレンドリーな口調になっていた。凜花はそれを咎めたりはしなかった。むしろその方が気が楽でよかった。
「有栖川凜花と申します」
「有栖川……凜花さん、ね。うん、見た目通り、ぴったりのいい名前だ」
お世辞とはいえ、名前を褒められた経験はあまりない。慣れないことに凜花は気恥ずかしくなった。
柊がさらさらとメモ帳に名前を記し、話題は本題へと入った。
「さて、うちにはどのようなご用で? 何か特別な事情でもあるのかな?」
凜花はどう答えたものか、一瞬判断に戸惑ったが、素直に打ち明けることにした。
今の頼りはこの何でも屋だけなのだから。
「確かに、特別な事情……かもしれません」
「私は今日、家出をしてきました」
柊はぽかんとして固まった。ペンがうかんむりを書いたところでぴたりと止まっている。
そうなるのも無理はない。デジャヴを感じながらも、凜花は経緯を話し始めた。
「私は、生まれてからずっと、家の中で暮らしてきました。私が家の外に出たのは、今日が初めてです」
勉学も教養も礼儀作法も、すべて家庭教師に教えられたので、学校に行ったことはないこと。何か欲しくても、世話役がすぐに手に入れてくるので、買い物に出かけたこともないこと。だから、ここみたいな街を訪れるのは初めてなこと。
必要そうなこと、そうでもないこと、口の動くままに伝えていく。
「私は、ある時から、『外の世界』に行きたいと思うようになりました。それは、家じゃないどこか、私の知らないところに」
どこかはわからない。でも、家じゃないどこか。それだけははっきりしている。
私が行きたいところ。
だって――
「あのままあの家にいたら、私は何のために生きているのか、わからないままなんです」
親によってすべてのものが与えられるお城。何不自由ない、裕福な生活。
それは、凜花にとって牢獄と同じだった。不自由だらけの、ただ裕福な生活。
毎日の食事は豪勢で、一流のシェフが何人も用意されている。リムジンやヘリや、ジェット機もある。庭にはプールだってある。
でも、それがなんだと言うのだ。
端から見ればそれは高貴な暮らしぶりかもしれない。
しかし、親に縛られた生き方しか出来ないのなら、それも意味はない。
そんなものがあったって、生きる意味を持っていないのなら、すべて無駄だ。
「だから、家を出ました」
あのまま、あの家で、同じように暮らしていたら、自分は何のためにいるのかもわからない。
勉強をし、教養を深め、礼儀作法もしっかりとした。しかしそれは、いずれやってくる取り決められた婚約のための布石で、その時に相手に失望されないよう自分の品質を高めたに過ぎない。
自分のためじゃない。親が親自身のために、私を利用している。
私は、操り人形じゃない。
私は、私のために生きていいはずなのに――
私のための生き方も、わからない。
凜花は言葉を紡いでいくうちに、自然と自らの決心を再確認できた気がした。
泣いたりはしなかった。つらくないわけじゃないし、悲しくないわけでもない。
でも、今は。
泣くにはきっと、まだ早い。
それと、忘れてはいけない情報がもう一つ。
「実は、私の家出を手伝ってくれた人がいました。準備も全部いつの間にかしてくれていて、その人がここを教えてくれたんです」
本当に不思議な、今一番感謝しなければいけない人。
「その人がいなければ、私は家を出る決心がつかなかったかもしれないし、ここにたどり着けもしなかったと思います」
あの運転手のためにも、必ず成し遂げないといけない。
凜花の話を柊は黙って聞いていた。彼は興味があるものの話を聞くのは大好きだ。一つでも情報を聞き漏らさないように集中していた。
親に縛られたお姫様。そして、その呪縛から解放されるべく、実行された家出。
そのお姫様は、生きる意味を探している。
そして自分も、その物語に加わっていくのだ。
ああ、なんてすごい話なんだ。
僕が思った通りだ。
これから面白いことが始まるぞ。
柊は自分の確信は間違いではなかったと密かに喜んだ。
しかし、問題がある。
これは、依頼されても僕が解決できることじゃないな。
自分の手には負えない、とは言わないが、出来るだけ手助けは最小限に止めるべきだろう。
これは、彼女の人生の問題だ。他人が解決してやることじゃない。
それだと、彼女は結局、今までと何も変わりやしない。
それに、『有栖川』という名字。
少し、気になるところがある。
後で調べるべく、柊はそっと頭の片隅にメモをした。
「……なるほど」
柊は少しの間を置いてから切り出した。
「それで、有栖川さんは、これからどうする気なんだい?」
少しだけ、語気が強かった。
「えっ……」
柊から投げられた質問に、凜花は戸惑ってしまった。
これからどうするか。
それは確かに考えていないといけないことだった。しかし、何でも屋にたどり着けばどうにかなると思っていただけに、不意を突かれた。考えが少し甘かったようだ。
「えっと、とりあえずは、住むところを見つけて……それから、次は」
凜花がしどろもどろに答えていると、柊が少し笑った。
「ごめんね、少し意地悪だった。そりゃそうだ、考えてないのがふつうだよ」
急に柔和な態度になられ、凜花はあっけに取られてしまった。なんだか柊のペースですべて回されているような気がした。
「うーん、そうだなあ……」
何やら数字を呟きながらメモ用紙に書き込んでいく柊。その様子を凜花はじっと見ていた。
三行ほど箇条書きで書き終えると、柊が顔を上げた。
「有栖川さん」
「は、はい、何でしょう」
柊から発せられたのは、凜花にとって思ってもいなかったことだった。
「有栖川さん、うちで働かない?」
――え?
思考がはたと止まった。
そしてゆっくりと、言われたそのシンプルな言葉を反芻していく。
私が、何でも屋で、働く。
「……私がですか!?」
凜花はいままでで一番ではないかと思うくらい驚いた。
だって、私が、何でも屋で、って、え――!?
どうしてそうなったのか、状況が飲み込めない。凜花は「え、あ、う」などと変に呻くことしかできない。
混乱状態の凜花に、追撃が待っていた。
突如、あの入店時のメロディが流れ出したのだ。不意を突かれ、凜花は思わずびくっとなってしまった。
「只今戻りましたよー、って、ん?」
男の声だった。この店の他の従業員のようだ。
凜花は早くなった鼓動を落ち着けるために一つ深呼吸。そして、振り返った。
そこには一人の少年。
胸に『何でも屋』の文字の入った薄手のジャージを着ている彼は、凜花と同じぐらいの年に見える。
少年と凜花の目が合った。
少年は、開口一番こう言い放った。
「えっ、誰!?」
少年の驚きに満ちた叫びが店中に響き渡った。
これが、有栖川凜花と神戸桃弥の出会いだった。
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