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 それから俺はいくつかの展示室を見てまわった。俺はもはやメディアアートなどどうでもよくなっていた。モネやルノワールの絵画がその美しさによって全世界の美術館から引く手数多なのに比べれば、メディアアートは美の落伍者のコミュニティでしかないことがはっきりとわかったからだ。SCAM、つまり詐欺。俺はその意味がわかった瞬間、笑いを堪えることができなかった。


 最後の展示室を出ると、最初の無機質なエントランスに戻っていた。するとカウンターの付近で、さっきの坊主頭の学芸員風の男と、その隣にバチを持った、異様に痩せて背の高い、長髪で癖っ毛の男が立って会話しているところが見えた。


 俺は直感的にその男が石井だということがわかった。そして、そうっと気がつかれないように背後から近づいて、声をかけた。メディアアートの世界で有名らしい、この石井という男を乗り越えることによって、俺の復讐は果たされる予感がしたからだ。


 「石井さん、ですね?」


 「あっ、さっきの! 石井さん、彼ですよぉ〜、特製マレット壊しちゃったのはぁ〜」坊主頭はとっさに俺のほうを振り向いて、石井より早く口を開いた。あまりの身長差に、坊主頭は石井の股間に向かって話しかけているようだった。


 「ほう?」と石井は俺の顔をまじまじと見つめた。物静かで落ちついた顔をしていたが、目はまったく笑っていなかった。


 「すいません、アームレスリング部だったもので、つい……」


 「あなたにそんな力があるようには見えませんけどねぇ」石井は俺の全身を見渡した。


 「あなたの作品こそ、アートには見えませんでしたけど」俺はここぞとばかりに、すかさず言葉を返した。


 「ちょっ! 失礼でしょ、あんた!」坊主頭はあわてて口を挟んだ。


 「いえいえ、いいんですよ。アートをどう感じるかは、ひとそれぞれですから」石井はなおも落ち着いた様子だったが、相変わらず目は笑っていなかった。


 数秒の息苦しい沈黙があって、俺はふたたび口を開いた。


「僕の両親はメディアアートに殺されました」この石井という男の目はすべてを見通している気がして、これ以上の回りくどいやりとりは無駄だと感じたのだ。


「父は《 I AM ERROR 》という展覧会で資格を交換するVR装置に、母は青森恐山トリエンナーレでロボットアームに殺されました。だから僕はメディアアートのことを憎んでいますし、今日は復讐に来たんです。石井さんのバチを壊したのもわざとです」


 石井は俺の告白に眉ひとつ動かさず、ただじっと自分の足元を見ていた。そして考えがまとまったのか、ゆっくりと俺のほうに視線を向けた。


 「あらゆるメディアアートは」と石井は低く小さい声で話し始めた。俺はこいつの声こそ、あの木琴の作品で使っていたようなアンプとスピーカーが必要だと思った。


 「あらゆるメディアアートは、メディアアートに対して理解を示すことができない人間を殺害するようにプログラムされています。ある時は物理的な事故にみせかけて、そしてある時は脳波に働きかけて自殺をするように」


 「なんだって?」俺にはまったく理解できない話だった。メディアアートが人間を殺害する? できそこないの小説みたいな嘘をつきやがって。俺の両親はメディアアートに殺されているというのに! 「僕は真剣なんです。冗談はやめてください!」


 「メディアアートが人々の市民権を得て普及するためには、その方法しかないんだ」坊主頭の声は相変わらず高いままだったが、さっきまでのなよなよとした喋り方ではなくなってた。俺は彼らの言っていることが冗談ではないとわかった。


 「確かに僕の両親は印象派を愛していましたから、アートに対して保守的な考えを持っていたかもしれません。しかしその両親のもとで印象派の加護を受けて育った僕は、今日こうしてSCAMを観て回ったのにこの通り生きています。これはいったいどういうことでしょうか?」


 石井と坊主頭は顔を見合わせると、かすかに頷きあった。そして石井は体を横に移動させ、チケットカウンターの人型ロボットの姿を俺から見えるようにすると、独り言のように喋り始めた。


 「そもそもSCAMを訪れた7割の人間はまずここでこの人型ロボットに即座に殺害されます。これは文化庁の許可を得て、合法的に殺害しています。メディアアート作品を鑑賞する時の人々の表情や声や体温といった情報は、メディアアート作品に埋め込まれたチップにより常に分析されています。その情報はネットワークを伝ってSCAM内のホストコンピューターでいちど解析処理されたのち、過去のデータと照らし合わされ、メディアアート適正がある人間かどうかをジャッジします。その判断結果を再びネットワーク上で共有しチップに再送信することによって、メディアアート適正がない人間を死に導くようなプログラムが組まれているのです。このSCAMは作品の種類が多く、最後の展示室を生きて出てきて、再びここに戻ることができるのは来館者の0.3%程度です」


 「つまり、あなたはメディアアートの全体意思である《ネ申》に選ばれたひとりってことですよ」石井の話についていけない俺の怪訝な顔を察知した坊主頭は、そう要約した。


 「メディアアートに適正がある人間がそんな少ないなんて......。でも、僕は殺された両親と同じように印象派を愛している......」


「あなたの愛している印象派も、もともとは批判の対象でした」


「それはさっき、木根という人から聞きました」


「木根さんもかつてはメディアアートを《粗大ゴミ》と揶揄していましたよ。彼はもともとロダンを敬愛する真面目な彫刻家だった」


 さっき俺がゴミという単語を発したとき、木根が一瞬虚を衝かれたような反応をした理由がわかった。


 「木根さんはあなたと同じように、愛する奥様をメディアアートによって失ってしまった。奥様はたまたま訪れた東雲版画美術館で行われていたメディア・アーティストたちによるサウンド・インスタレーション・パフォーマンスでノイズ・ミュージックを聞いて発狂した。そして木根さんの献身虚しく、ある朝、奥様は自らの身体に粗大ゴミ回収シールを貼ってゴミ捨て場で待機していたそうです。そしてそのまま他の粗大ゴミと共に回収され、施設で処理されてしまった。皮肉な話です。もしくは、《ネ申》がそう仕組んだのかもしれません。ともかく、それ以来、彼はああやってゴミを拾ってアートとして再生させることで、奥様の蘇生を擬似的に再現しているんですよ」


 「木根さんの奥さんは、小学校で図工を教えていたけれど、メディアアートの存在意義ついては懐疑的だったんだ。美術に携わる人であろうと、いや、美術に携わる人だからでこそ早急に始末しなければならない。きっと《ネ申》はそう判断したんだ」坊主頭はそう付け加えた。


 「《ネ申》は表面的な部分では決して判断しない。男性だろうが女性だろうが、大人だろうが子供だろうが、そして現時点でメディアアートに対しどのような感情を抱いていようと、将来的にメディアアートのためになるのであれば生かし、そうでないなら殺害する。我々に《ネ申》によるジャッジの完全な予測は不可能だが、それは高確率で正しい」


 「じゃあ、僕は将来的にメディアアートを肯定する人間になると――?」


 「そういうことになります」


 そう言うと石井は両手を後ろで組んで、くるりと体を回転させた。そして一呼吸置いてからこう言った。


 「《ネ申》は、メディアアートに対する理解だけではなく、本質的にアートそのものを信じているかどうかも判断している」


 馬鹿な!両親はアートを愛していた!俺は石井の言葉を聞いてそう叫ぼうとした瞬間、ハッとした。


 たしかに父は農家の三男として生まれ、田舎で育った公立中学校の教師に過ぎず、もともとアートとは無縁の生活をしていたはずなのだ。「アートは素晴らしい」といつも言っていたにもかかわらず、理由を聞いても「素晴らしいから、素晴らしいんだ」と、なかなか教えてくれなかった。


 母は裕福ではない家庭に生まれたが故に大学進学を断念し、高校を卒業してすぐ地元のデパートで働き始めた。母はお見合いで父と出会う前までは、まったくアートに興味がなかったと言っていたのを聞いたことがある。そして母は、アートに精通している知的な父に惚れたと言っていた……。


 俺はなんどか疑問に思ったことがある。


 なぜ父は同じような作品が掲載されている画集を何冊も買って本棚に並べたり、到底センスがあるとは言えない美術館のオリジナルTシャツを毎日着ているのかということに。


 母にしてもなぜあれほどまで家に絵を飾り、とつぜん絵を習い始めたのかを不思議だった。


 俺はといえば、ルグラン嬢をはじめとして印象派の描いた女性たちを幾度となくオナペットにしてきたこともあって、むしろ同級生たちにバレないようにこっそりとアートを愛してきたつもりだった。


 俺にとってアートは生であり性であり聖であり、愛だ。それは両親から教えられたことだと思っていたが、両親にとってアートは己のコンプレックスをひた隠すための道具にすぎなかったということか――?


 俺の中でこれまでの両親の姿がガラガラと音を立てて崩れていくのがわかった。俺に印象派を、いや、アートを教えてくれた両親の姿はもう俺を支えてはいなかった。両親から教わったアートははりぼてだった。モネが、ルノワールが、ドガが、シスレーが、暗黒の泥の中に無残に沈んでいった。


 これまで見てきたものがすべて信じられなくなった。俺は理解が追いつかなくなり、足が震え、目眩がした。目には再び涙が溢れ出していた。


 「そんな、これから僕は……どうやって」


 「メディア・アーティストになることですよ。あなたのアートに対する愛は本物です。少なくとも、《ネ申》はそう判断しています。印象派などという前時代的な古臭いアートは忘れて、今度はその愛をメディアアートに捧げるのです。あなたが素晴らしい作品を作ることでメディアアートに対する大衆の偏見は薄れ、《ネ申》に殺害される人も少なくなるでしょう」俺の狼狽した姿を前にして、石井はなおも淡々と呟くように喋りかける。


 「思い出してごらんよ。これまで君が訪れた印象派の展覧会を。半分棺桶に足を突っ込んだ老人か、しったかぶりしている金持ちばっかりだっただろう? あれはもう死にゆく人のための、死んだアートなんだよ。あそこにいる人々は札束を見て感動しているだけなんだ。でも僕たちはまだ生きているし、この社会を生きていかねばならない。時代に合ったアートを一緒に模索していこうじゃないか」坊主頭は弁論大会で演説しているかのように大げさな手振りを交えて俺を説得した。


 「このSCAMの近くの山奥に埼玉美術大学、略して玉美があります。私はそこでメディアアート学部の主任教授をしています。もし君にその気があるならば、私は時間をかけて君を一流のメディアアーティストに育て上げたいと思います」と言いながら石井はシャツの胸ポケットから名刺を取り出して俺に差し出すと、坊主頭と共に展示室の奥へ消えていった。


 俺は涙で文字が霞んでみえるその名刺を眺めながら、玉美、石井、メディアアート、玉美、石井、メディアアート、と何度も心の中でつぶやいた。そしてふたたび立ち上がったときには、ぜったい玉美のメディアアート学部に入学してメディアアーティストになるぞ――と自分自身に誓っていた。






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